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21話 江戸城

召し出し


ある朝、まだ屋敷に朝靄が残る刻。

門前に、葵の紋を染め抜いた装束の一団が現れた。


馬を下り、正装の使者が一歩前に出る。

動きは簡潔で、無駄がない。

徳川の使いであることを、所作そのものが物語っていた。


「徳川家康公よりの書状をお届けに参った。」


差し出された封書には、確かに葵の紋。

そしてその宛名には、三つの名が並んでいた。


葛城 惣右衛門

嫡男 忠明

子息 明賢


戦の報告と功績確認のため、江戸へ出向くべし、との正式な召喚命令。


父は一瞬だけ目を伏せ、深く一礼して封書を受け取った。


使者はそれ以上の言葉を残さず、用件のみを果たすと、静かに踵を返した。


その背が門の向こうへ消えるまで、誰一人として言葉を発しなかった。


清助は立ち尽くし、何かを言おうとして、結局言葉を見つけられずにいた。


その沈黙を破ったのは、明賢だった。


彼は封書を見つめたまま、ごく小さく、しかし確かな笑みを浮かべた。


「ついに、来たか。」


それは驚きではなかった。

むしろ、予定表の一行が実行段階に移った、そんな確認にも似た声音だった。


作戦会議


その夜。


囲炉裏の火が、静かに音を立てて燃えている。

父、兄・忠明、そして明賢。

三人は輪になって腰を下ろしていた。


外は静まり返り、聞こえるのは薪の弾ける音だけ。


沈黙を破ったのは兄だった。


「さて、だ。殿からの褒美、どうする?」


それは軽い問いかけだったが、その裏に含まれる意味は重い。


明賢は迷いなく答えた。


「名誉より、実を取ります。」


父が、わずかに眉をひそめる。


「実、とは何だ。」


明賢は囲炉裏の火を見つめながら、

淡々と言葉を重ねた。


「江戸に屋敷を。できれば城に近い場所が望ましい。」


兄が目を見開く。


「いきなり中枢に食い込むつもりか。」


「はい。そして、いくつかの土地を、教育施設として使えるようにしていただきたい。」


「教育……?」


「学問を広めるための場です。戦が終わっても、変わらず国は続く。続く国には、考える人間が必要です。」


囲炉裏の火が、ぱちりと弾けた。


明賢は続ける。


「戦の勝ち方を知る者だけでなく、戦を起こさぬ理を持つ者を増やす。そのための土台が、今、必要になります。」


兄はゆっくりとうなずいた。


「確かに。力だけでは、国は保てん。」


明賢はさらに一歩踏み込む。


「それともうひとつ。家の格を、確実に上げてください。」


父が目を細める。


「格、か。」


「人を集めるには、地位が要ります。優秀な者を雇い、教育し、動かすには、名と信用が必要です。」


明賢の言葉には、感情よりも構造があった。


「そのために、今回の褒美で私は名を得ます。これは私個人のためではありません。」


父は黙って茶をすくい、湯飲みに静かに注いだ。


しばしの沈黙。


やがて、低い声で言う。


「すべて、考え尽くしているのだな。」


「はい。」


明賢は顔を上げ、まっすぐに父を見た。


「江戸は、これから国の中心になります。その中枢に、葛城家が位置する。父が、今回いただく最大の褒美です。」


囲炉裏の火が揺れ、三人の影が壁に映った。


その影は、

もはや一地方の武家のものではなかった。


江戸へ

それは単なる出仕ではない。


時代の中心へ、踏み込む一歩だった。


江戸への道


出立の日の朝は、いつもより静かだった。

屋敷の者たちが声を潜め、足音さえ遠慮がちになるほど、この旅がただならぬものであることを皆が理解していた。


清助は裏庭に並べた荷を一つ一つ確かめていた。

帳簿――戦の記録だけでなく、人と物と金を動かすための基礎。

書物――兵法、算術、地理、そして異国に対する知識。

さらに、人知れず布に包まれた小型の通信機。


「ずいぶんと、登城とは縁遠い荷だな。」


兄がそう言うと、明賢は微かに口角を上げた。


「これからは、刀よりも知識と数字の方が人を動かします。」


清助は黙ってうなずき、荷を馬車へと積み込む。

その様子を見ながら、明賢は静かに言った。


「次は国の形を作る段階です。この戦は、ただの通過点。始まりに過ぎません。」


父はその言葉を聞き、何も言わずに空を仰いだ。

雲は低く、重なり合い、まるで時代そのものが動こうとしているかのようだった。


馬車が門を出る。

車輪が土を踏みしめる音とともに、朝の風が頬をかすめた。


その冷たさは、関ヶ原で吸い込んだ霧に似ていた。

生と死の境目で感じた、あの張りつめた空気。


だが今回は違う。

これは戦場へ向かう風ではない。

次の時代へ入るための風だった。


明賢は揺れる馬車の中で、

江戸の姿を思い描いていた。


まだ未完成の都市。

だが、完成することを前提に設計される街。

その中心に、これから自分は立つ。


それを思うと、胸の奥で静かに熱が灯った。


江戸城の光


江戸に入ると、街はまだ途上にあった。


道は狭く、ところどころぬかるみ、屋根は低く、家並みもほとんどなく雑然としている。

京の雅さも、大坂の商の熱も、まだここにはない。


だが、そこには、確かに「これから伸びる街」の匂いがあった。


人々の歩みは速く、誰もが前を見ている。

徳川の世が続くと信じ、明日が今日より良くなると疑っていない目だった。


明賢は、その空気を深く吸い込んだ。


「これは、作り甲斐のある場所だ。」


父は江戸城への登城を命じられ、明賢も同行を許された。


城へ近づくにつれ、石垣が高くなり、視界が狭まっていく。

人の意志で作られた力の集中が、空気そのものを重くしていた。


大広間。


畳の端正な並び、

無駄を削ぎ落とした装飾、

そして障子越しに射し込む白い光。


その光は柔らかでありながら、

なぜか目を逸らしたくなるほど強かった。


明賢は一瞬、目を細める。


(あれが、時代の中心の光か。)


父が進み、深く頭を下げる。

その先、障子の向こう側に座す者。


徳川家康。


戦を終わらせ、国を一つに束ね、そしてこれから「治める者」へと変わった男。


明賢は、その姿をはっきりと見たわけではない。

だが、分かった。


この光の向こうにいるのは、単なる武将ではない。


時代そのものだ、と。


明賢は、静かに息を整えた。


ここから先は、剣ではなく、構想で勝つ。


江戸城に満ちる光は、新しい時代の始まりを、確かに照らしていた。

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