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明賢の物語(日本建国物語)正式版  作者: 大和草


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132/139

132話 太平洋横断ケーブル

1622年 大陸間通信計画


海底通信ケーブル。

それは文明の神経であり、日本と大陸を結ぶ見えぬ道であった。


油が血ならば、通信は神経。

流通が筋肉ならば、情報は意思そのものだった。


鹿島の港では、巨大なケーブルリールを備えた四隻の中型輸送船が、静かに波に揺れていた。

甲板中央には円筒形の巨大ドラム。

そこに、幾重にも巻かれた黒色の海底ケーブル。


外装は天然ゴムと防水布。

その内側に編み込まれた鉄線。

さらに内部に、信号を運ぶ銅線芯が束ねられ通っている。


作業員たちは手袋越しに表面を撫で、傷や歪みがないか丹念に確認する。

一箇所の欠陥が、数千キロの通信を断つ。


「ケーブル張力計、異常なし!」

「リール回転、始動準備よし!」


監督官の声が響く。

蒸気機関と補助ディーゼルが低く唸り、船体が微かに震え始める。


ゆっくりと、黒いケーブルが海面へ滑り出した。


重力に導かれ、静かに、しかし確実に沈んでいく。

その軌跡は海図にしか描かれない。


最初の目的は、鹿児島から琉球、そして台湾への海底通信線。

比較的浅い海域とはいえ、岩礁と急潮が多い。


水深を測り、潮流を読み、敷設速度を細かく調整する。


一昼夜をかけて、数キロずつ、確実に延ばしていく。


波に濡れた甲板の上、作業員たちは声を掛け合いながら重いリールを制御する。

少しでも張力が乱れれば断線する。

緩めすぎれば海底で絡まる。


寝不足も寒さも、誰も口にしない。

いま彼らが扱っているのは、国家の神経なのだから。


そして、通信試験の日。


鹿児島通信局の機器に、静かな緊張が漂う。

装置は起動し電信信号が送られる。


最初はノイズ混じりの微かな反応。


だが次第に規則正しい電気信号が返ってきた。


「こちら台湾局。鹿児島局、通信確認。成功だ!」


その声が受話器から響いた瞬間、室内の空気が一気に緩む。


甲板では歓声が上がり、港の作業員たちが帽子を振った。


見えない線が、確かに繋がった。


しかし、本番はこれからだった。


次の計画、茨城から羽合ハワイ、さらに羽合から山番市サンフランシスコへの大陸横断通信線の敷設。


それは、海を越えるだけではない。

太平洋そのものを横断する試みだった。


四隻の通信敷設船が、それぞれの港を出航する。


一隻は千葉から羽合へ。

もう一隻は羽合から千葉へ。

三隻目と四隻目は、羽合と山番市を結ぶ。


互いの姿は見えない。

だが同じ海図、同じ計算式、同じ潮流表を持ち、同じ接合点を目指す。


太平洋のど真ん中。

地図上に小さく印された一点。


そこが、接続点。


風が吹き荒れ、波が船体を揺らす。

だがケーブルは止まらない。


彼らは、見えぬ仲間を信じて進む。


海図上の一点で、東と西の線が交わるその瞬間まで。


それは、日本の神経が世界へ伸びる瞬間でもあった。


 航行初日。


波は穏やかだった。

灰色の海は静まり返り、敷設船の後方へと黒い線が滑らかに沈んでいく。


張力計の針は一定の位置を保ち、機関室からは安定した振動が伝わる。

計算通りの速度。

理想的な敷設角度。


順調、そのはずだった。


その時、警告ブザー音が鳴る。


「ケーブルテンションが急降下!」


張力計の針が不自然に落ち込む。


「何だと!? 停止! 前進停止だ!」


命令が飛び、エンジンが急減速する。

リール室に緊張が走る。


針が震え、次の瞬間。


船体後方の海面で、“バチン”という乾いた破裂音。


白い水柱が上がった。


「切れた!」


誰かが呟いた。


ケーブルが、途中で断線した。


何キロも延ばしてきた線。

海底へと沈み続けていた文明の神経が、たった一度の急激な張力によって断ち切られたのだ。


波に揉まれた銅線は、

海中で漂い、やがて深く沈み込んでいく。


甲板に重い沈黙が落ちた。


計算、努力、時間。

そのすべてが、一瞬で海へ呑まれた。


空を見上げると、いつの間にか雲が厚く広がっている。


嵐の予兆だった。


風が強まり、海面がざわめき始める。


だが、止めるわけにはいかない。


「海が荒れる前に、もう一度繋ぐ!」


監督官の叫びが、風を切り裂く。


潜水士たちは防水スーツを着込み、

安全索を体に固定する。

波が甲板を打ちつけ、冷たい海水が顔を叩く。


新しいケーブルが慎重に引き出される。

同時に、断線した端を探す作業が始まった。


潜水士が準備を整える。

重り付きの装備を装着し、ロープを確認する。


「行くぞ。」


短い言葉とともに、彼らは濁った海へと身を沈めた。


視界は数メートル。

光はほとんど届かない。

冷たい海流が、体温を容赦なく奪っていく。


海底近くを手探りで進み、沈んだケーブルを探す。


やがて、


「見つけた! ここだ!」


ロープ越しに合図が伝わる。


断面は裂け、銅線が露出していた。


ウインチによって慎重に引き上げられた端を、甲板上で作業員が受け取る。


濡れた銅線を布で拭き、表面を削り落とす。

絶縁材を丁寧に巻き直し、防水層を重ねる。


一つの工程に、何度も確認が入る。

少しの甘さが、再び断線を招く。


作業は夜を徹して続いた。


暴風は甲板を叩き、探照灯の光が揺れる。

それでも手は止まらない。


明け方。


風が次第に弱まり、東の空が薄く染まる。


補修が完了した。


再び張力計が静かに上昇する。

リールがゆっくりと回転を始め、船は前進する。


黒い線が再び海へ沈んでいく。


朝焼けが波間を照らし、海面は黄金色に輝いていた。


監督官が海図を見つめ、低く呟く。


「ここが大陸棚の端だ。これからだぞ。」


水深は急激に深くなる。

ここから先は、未知に近い深海。


だが、彼らは進む。


断たれても、繋ぎ直す。


沈んでも、再び伸ばす。


文明の神経は、簡単には途切れない。


 数十日後、


果てしなく続く青の彼方、水平線の上に小さな影が現れた。


最初は蜃気楼のように揺れていたが、やがてはっきりと船影になる。


「船影確認!」


見張りが叫ぶ。


双眼鏡の向こう、同じ敷設船。


互いに信号弾が打ち上げられる。

赤い光が昼の空に弧を描き、次いで白煙の合図。


応答の光。


それは、見えぬ仲間との再会だった。


二隻はゆっくりと接近する。

波を抑え、距離を詰め、ついに海上で静かに並んだ。


巨大な太平洋のただ中で、二隻の船が向かい合う。


甲板では、誰もが言葉少なだった。


これまで伸ばしてきた数千キロの線。

それぞれの海底に沈んだ黒い道。

いま、その両端が出会う。


作業員たちは息を止めながら、

それぞれのケーブル端を慎重に持ち上げる。


濡れた外装を拭き、

内部の銅線を露出させる。


波が船体を揺らす。

わずかな誤差も許されない。


金属の留め具がはめられ、

銅線同士が丁寧に結合される。


一重、二重、三重の絶縁。

熱収縮チューブの重ね巻き。

鉄線の溶接固定。


「……固定完了。絶縁、よし。」


静かな声。


「送信試験、開始。」


山番市の試験機が接続され、

信号が流される。


その瞬間、東京通信局の受信器がかすかに震えた。


ノイズ。

のような低音。


「こちら山番市通信局、聞こえますか?」


室内に緊張が走る。


即座に返答が送られる。


「こちら東京局、通信良好!」


その声が確かに届いた。


東京、羽合、山番市。

三地点を結ぶ一本の線。


各通信局で歓声が上がる。

帽子が宙を舞い、抱き合う者もいた。


嵐もあった。

断線もあった。


それらすべてを越えて、いま、線は繋がった。


海上では、作業員たちが互いに固く握手を交わす。


夕陽が西の空へ沈み、

海面を赤く染める。


一人の技師が、その光景を静かに見つめながら呟いた。


「この海の底には、俺たちの手で繋いだ言葉が流れている」


風が穏やかに吹き、二隻の船はゆっくりと距離を取る。


だが、海底では一本の線が、東と西を結び続けている。


こうして、太平洋の深淵を貫く通信線が完成した。


日本と新大陸が、初めて一本の線で結ばれた日。


夜の海に星がまたたく。


その下で、見えない神経が静かに鼓動していた。

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