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7/10

7:ひとつの予感


 それから、数日。

 エリセーヌは今日も、モヤモヤした気持ちを抱えていた。


 帝国での暮らしにも少し慣れてきたし、使用人とは顔見知りにもなってきた。次期公爵夫人としての仕事も、少しずつ始めている。


 だけど、リヒトとの関係だけは、雲を掴むようにまるで手応えがない。


(あの男、本当に理解しがたいわ……!)


 エリセーヌは心の中で叫びながら、中庭に出た。太陽の光が強く照りつけていて、さっと日傘を差してから歩き出す。


 広々とした敷地の中で、様々な植物や花が育てられている。自然溢れる環境が祖国を思い出させてくれるから、エリセーヌは空いた時間をここで過ごすのが好きだった。


 だけど今日は、リヒトのことが頭をちらついて離れない。


 初日にリヒトが言った『愛する努力』とやらは、実行している彼自身が楽しんでいるようにしか見えない。少なくともエリセーヌは――


「…………」


 エリセーヌの足が、止まる。


(……不快、ではないわね。腹立たしいも少し違う気がするし……)


 しっくり来る言葉が見つからない。

 エリセーヌは少しの間、日傘をくるくると回しながら言葉を探したけれど、結局思い浮かばなくて諦めてしまった。あんな男のために、穏やかな時間を浪費してしまうのはもったいない。


 リヒトの幻影を頭から無理やり追い出して、花を眺める。


 帝国は王国よりも温暖な気候だから、植生が僅かに異なる。王国ではなかなか見られない花たちを楽しんでいると、ふと、前方のトピアリーのすぐ横に、人影がしゃがみこんでいるのが見えた。


 風が一際強く吹いて、花びらを散らして舞い上がらせる。


(あの人は――)


 エリセーヌは目を瞬かせた。エリセーヌよりも少し年下、16歳くらいだろうか。

 少年もこちらに気付いたようだ。さっと立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。


 公爵邸の庭に、ただの少年がいるはずがない。そんな疑問は、彼の服を正面から見たことでたちまち吹き飛んでしまった。

 一見すると帝国風の作業着に見える。けれど襟から覗くのは、鮮やかな色の刺繍――王国風の装飾だった。


 どきんと、胸が大きく音を立てる。


「あなた、もしかして……王国の?」


 震える声で問いかけると、少年はこくりと頷いてみせた。


「はい、姫様。お会いできて光栄です」


 少年はエリセーヌを見て、はにかんだような笑みを浮かべた。その柔らかな表情につられて、エリセーヌも微笑む。


(……良かった)


 同じ国の出身というだけで、ずいぶんと気持ちが軽くなった。帝国に来てから伸ばし続けていた背筋から、やっと力を抜けるような感覚がする。


「ありがとう。でもね、私はもう姫様ではないわ」


「すみません、奥様……」


 少年があからさまにしゅんとしてしまったので、エリセーヌは慌てた。


「いいのよ。それより貴方、お名前は? どうしてここにいるの?」


 彼はエリセーヌの問いかけに少し悩んでから、おずおずと口を開く。

 

「僕はシャルルと言います。ここにいるのは、リヒト様が助けてくださったからです」


 思いもよらない名前が出て、エリセーヌは硬直した。


「…………あの人が?」


 日傘を持つ指に力が入る。


「どうして、王国の民である貴方が、帝国人に助けられることになるの?」

 

「それは――」


 シャルルは笑顔を引っ込めた。口に出すのを躊躇うように、視線が揺れ動く。エリセーヌが黙って待っていると、彼はおずおずと口を開いた。


「……5年前の戦争で、僕たち家族は住み処を失いました。その時です。リヒト様とはじめて会ったのは。……最初は、怖い人だと思いました。威圧的で、少しも笑わなくて」


 シャルルは言いながら、襟の刺繍に触れた。


「でも、違ったんです」


「……違った?」 


 エリセーヌは喉の渇きを覚えながら、問いかける。


「はい。リヒト様は僕たちを受け入れて、このお屋敷で仕事をさせてくれました」


(……え?)


 エリセーヌはまじまじとシャルルを見た。彼の瞳は真摯で、嘘や偽りの気配はどこにもない。


「それ以来、僕は庭師として住み込みで働かせてもらっています」


 シャルルは近くにある花に、そっと手を添えた。優しく、穏やかな表情だった。


(どういうこと?)


 エリセーヌは口まで出かかった言葉を飲み込む。シャルルは本気でリヒトに感謝しているのだと、彼の表情が何よりも雄弁に物語っている。


「……そう、なの……」


 それだけ言うのがやっとだった。

 王国では、リヒトは冷血男と名高く、蛇蝎の如く嫌われている。エリセーヌだって、最初はそれを頭から信じていた。


 だけど今は――わからない。

 性癖はともかく、彼はエリセーヌに酷いことをしない。そしてシャルルは、身分や素性を隠すことなくここで働いている。

 それらの事実が、リヒトが噂通りの人物ではないという証明のように思えた。


 居たたまれない気持ちになって、エリセーヌは視線を逸らした。リヒトはここにはいないのに。


「すみません奥様、そろそろ時間なので……」


「あ、ええ。引き留めてしまってごめんなさい。また話しましょう」


「はい!」


 シャルルは微笑んで、中庭を走り抜けていく。

 その背中が見えなくなるまで、エリセーヌはそこに立ち竦んでいた。

 

 風が吹いて、エリセーヌの日傘が煽られて吹き飛ばされそうになる。


(……私は)


 ひとつの予感に、ざわざわと胸が疼いた。


(あの人のことを、誤解していたのかもしれない……?)


 日傘をずらして、青い空を見上げる。

 降り注ぐ日差しは、先ほどまでよりほんの少しだけ、柔らかい気がした。

 

 


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― 新着の感想 ―
シャルルくんの登場で、リヒトの見え方が一気に変わりました…! 噂と実際のズレが、エリセーヌ視点で少しずつほどけていく感じがとても好きです。 (ささやかですが、応援の⭐️も入れておきました!)
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