18:攻防だらけの政略結婚
エリセーヌはリヒトを探して、城の中庭を訪れていた。青い月明かりに照らされる庭園に人気はなく、どこか静謐で神秘的な雰囲気を帯びている。
その片隅、影に溶け込むようにしてリヒトが立っている。まるでそれが、闇に溶けて消えてしまいそうで――エリセーヌはわざとさくさくと芝生を踏み分けて、彼に近付いた。
彼はすぐに振り向いてくれた。
「エリセーヌか」
強張っていた顔が、ふっと和らぐ。
「どうしてここに来たの?」
「……少し、ひとりで考えたいことがあった」
呟いて、リヒトは空を見上げた。月光の下で見上げる横顔に、翳りの色が見える。それが悔しいくらいかっこよくて、エリセーヌの心臓が大きな音を立てた。
「そうなの」
エリセーヌはリヒトの隣に並んで、同じように空を見上げる。雲ひとつない満天に瞬く星たちは、王国と帝国では少しだけ見え方が違う。
彼はもうどこにも行かず、ただ黙ってそこにいた。だからエリセーヌも黙っていた。大広間で人々が笑い合う声が、風にのって流れてくる。
エリセーヌはリヒトの手に、自分の指を絡めた。彼が驚いたようにこちらを見る。
「私がそうしたい気分なの。寒いから」
聞かれてもいないのに言い訳をした。彼の指がぴくりと動く。
「ね、何を考えていたのか、聞いてもいい?」
「……言ったら、君に負担をかける」
「なによそれ。皇帝とやりあうより負担が大きいことなんて、ないんじゃないかしら」
エリセーヌはくすっと笑った。リヒトはエリセーヌが勝手に絡めた手を、ぎゅっと握り直してくれた。伝わる温もりが嬉しくて、エリセーヌの表情がまた緩む。
「君には敵わないな」
「ええ、観念なさい?」
リヒトの表情は、仏頂面のまま崩れない。そこに少しばかりの寂しさが混じっているのを、エリセーヌは見つけてしまう。
「……あれは、君の本心だったのか?」
「あれ? あれじゃわからないわ。もうちょっと具体的に言ってくれる?」
エリセーヌはリヒトの顔を覗き込む。
「わかっているのに聞くのか」
「そうよ。……貴方の声で、聞かせて欲しい」
今日の夜空と同じ色の瞳を逸らされ、エリセーヌは笑った。こちらを包むリヒトの指に、力が籠る。
「君は、陛下に『彼を愛しています』と言った。それは……君の、本心だったのか?」
「そうね…………正直に言うなら、演技よ」
ふたりの間を強く冷たい風が吹き抜ける。目を閉じてそれをやり過ごしてから、エリセーヌとリヒトは見つめ合った。
「でもね、私は守りたいものを守るために戦ったの」
「王国か」
「違うわよ!……貴方よ」
エリセーヌの言葉に、リヒトは目を見開いた。
「貴方を守りたかった。皇帝に手出しさせないようにしたかった。だから、戦えたの。国のためだったら、あんな無茶はしないわ」
エリセーヌは潤みそうになる瞳を誤魔化すために、リヒトに近付いた。こてんと、彼の胸に額を押し付ける。
「貴方が隣にいて、支えてくれて、嬉しかった。……ねえ、これからも私を守ってくれる?」
「エリセーヌ……」
返事の代わりに、ぎゅっと強く抱きしめられた。そういえば、断りなく抱きしめられるのはあの毒針から庇った時以来、二度目だなと思い出す。
「だから、勝手に死なないでね。……リヒト」
エリセーヌは広い背中に腕を回した。ドキドキするのに安心できる場所。ここでだけ、エリセーヌはエリセーヌでいられる。
「わかった。生涯かけて、君を守ろう。俺は、君の隣に立ち続けることを選ぶ」
「あ、あのねぇ、そういうこと真顔で言うの、恥ずかしくないの?」
照れ隠しにそんな可愛げのないことを言ったら、リヒトは小さく笑ってくれた。
ちょうどその時、大広間から円舞曲が流れ出した。エリセーヌとリヒトは顔を見合わせて、少しだけ距離を取る。
言葉はなかった。どちらからともなく、足がステップを踏む。リヒトの腕に身を預けて、エリセーヌは大きく弧を描いた。ふわりとドレスの裾が翻る。
こちらを見下ろすリヒトの真剣な眼差しに、エリセーヌの心が跳ねた。熱いものが込み上げてきて、エリセーヌは口を開く。
「ねえ、一度しか言わないから、このまま聞いていてくれる?」
「エリセーヌ?」
「私ね……」
一度息を吸って、心からの笑顔を作る。
「貴方が、好きよ」
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