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16:偽りの愛


 帝都の夜景が、馬車の外を流れていく。エリセーヌは窓から瞬く光を眺めていたけれど、その光景は全く頭に入ってこなかった。


「緊張しているか?」


 向かい側に座ったリヒトが声をかけてくる。エリセーヌは窓の外を見るのをやめて、正面向きに座り直した。


「ええ。だって、帝国の舞踏会に参加するなんて初めてだもの」


 エリセーヌは今夜、あの日に仕立てたドレスを身に纏っていた。コバルトブルーのドレスの胸元は、白い花の刺繍で繊細に飾られている。


「でも大丈夫よ。ちゃんとお姫様を演じられるわ」


 帝国での初めての舞踏会。王国の代表であり、和平の象徴でもあるエリセーヌにとってそれは、戦場にも等しい。


(私が、しっかりしなくちゃ……)


 心の中で唱えて気合いを入れ直す。馬車の向かい側で、リヒトは眉を寄せた。


「心配だ。君は顔に出やすい」


「む。あのね、私だってちゃんと――」


 エリセーヌは反論しようとしたけれど、その瞬間、初夜の時点で演技が見破られたことを思い出してしまった。少し悩んでから、


「……き、気を付けるわよ」


 彼の忠告を、比較的素直に受け入れることにした。






 帝国の城は王国よりもずっと広く、きらびやかだった。国力の圧倒的な差に、エリセーヌは思わず顔をしかめそうになってしまった。先ほどリヒトに忠告されたばかりなのに。

 息を整えて、気持ちを落ち着かせる。

 

 改めて王女の顔を作ったエリセーヌは、リヒトに手を引かれて大広間に入った。既に会場入りしていた人々の視線がふたりに――エリセーヌに、集中する。 

 侮蔑やクスクス笑い。元敵国の王女に向ける目は、決して好意的とは言えないものばかりだった。


(……覚悟の上よ)


 エリセーヌは未来の平和のためにここにいる。手を握りそうになるのをぐっと堪えて、彼らにも慈愛の笑顔を向ける。それだけで彼らはたじろぎ、視線を逸らした。


「エリセーヌ」


 すぐ隣から、名前を呼ばれた。

 エリセーヌはリヒトを見上げる。彼は今まで見たことないくらい優しい顔で微笑んで、エリセーヌの腰を抱いた。


(なっ! 人前でっ……!)


 エリセーヌは思わず叫びそうになった。有象無象の招待客よりも、こちらの方がよっぽど強敵だ。

  

 リヒトはまるで『最愛の妻』にするように、エリセーヌの耳元に唇を寄せてきた。屋敷でも滅多にない距離感に、勝手に鼓動が早くなる。


「エリセーヌ。王女の仮面はどうした?」


 リヒトが笑っている。言い返したかったけれど、エリセーヌは顔が引きつらないようにするので精一杯だ。

 ぷるぷるしそうになる手を、リヒトの服を掴むことで無理やり封じ込めた。赤くなった頬は多分、人々からは別の意味で捉えられている。その証拠に、エリセーヌたちに向けられる視線は生暖かい温度に変わっていた。


「俺もいる。ひとりで戦おうとするな」


 リヒトが笑みを消して、囁く。こんな芝居をしてまで彼が伝えたかった言葉に、じわりと熱が広がる。

 この男のこういうところは、とても好ましいと思う。


(……ありがとう。でもね、私がひとりでやらなきゃいけないことなのよ)


 エリセーヌは心の中で呟いて、リヒトの胸に頭を寄せた。最愛の人に甘えるような動作とは裏腹に、エリセーヌの冷たい視線は遥か遠くにある壇上――この舞踏会の主催者である皇帝に向けられていた。






 エリセーヌとリヒトは、皇帝に呼ばれて壇上へと上がった。


(遠目からも思っていたけど、案外若い方なのね)


 皇帝への、エリセーヌの第一印象がそれだった。

 強大な帝国を統べる男は、リヒトより少し年上――30代前半ほどに見える。表情こそ微笑んでいるけれど、その眼光は鋭くエリセーヌを見据えている。


「エリセーヌ殿下、帝国での暮らしはどうかな」


 挨拶もそこそこに、皇帝はそう切り出してきた。隣に立つリヒトの空気が緊張したのが伝わってくる。


「お気遣い頂き、ありがとうございます。とても良くして頂いております」


 口と態度は王女らしく。けれど、エリセーヌの青い瞳には挑戦的な煌めきがあった。静かに皇帝と視線を交わらせ、閃光のような火花を散らす。


(こいつが、王国にリヒトを差し出した元凶)


 内心の苛立ちを完璧に隠して、エリセーヌは優雅に微笑んだ。


「王国で、リヒトは悪い噂ばかり流されているのだろう? だから、貴女が気に病んでいないか心配なんだよ」


(よく言うわ)


 エリセーヌは心の中で吐き捨て、もう今は何もない右の指に意識を向けた。大方、この皇帝はエリセーヌの意思を確かめに来ているのだ。

 

 ――リヒトを殺す意志が、あるかどうかを。


「お言葉ですが、陛下」


 エリセーヌは声を低くした。この戦場で守るべきものは王国。そして、リヒトだ。

 

 大切なもののためなら、何だって欺いてみせるし、どんな演技だってしてみせる。

 エリセーヌは笑みを消してから、改めて皇帝を見据えた。

 

「気に病むなんて、とんでもないことです。私は、彼を愛しています」


 偽りの、けれど必要な言葉。それを口にした途端に胸が軋むように痛んだが、平静を装う。


 エリセーヌの堂々とした宣言は、会場に響いた。談笑していた人々が、ひとり、またひとりとエリセーヌに注目し始める。

 

 皇帝は興味深いものを見るように、笑みを深めた。



 

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