13:エリセーヌは微笑む
エリセーヌは屋敷の中を駆け抜けた。
王女らしからぬ姿に唖然としている使用人を捕まえてリヒトの行方を尋ねたけれど、
「先ほどまで執務室にいらっしゃいましたが、一度休憩に行かれました」
との返答で、たいした成果は得られなかった。
こういう時、リヒトがどこに行くのかをエリセーヌは知らない。彼はエリセーヌのことを知ろうとしてくれたのに。自分の至らなさを痛感する結果となった。
「旦那様なら、中庭に向かわれましたよ」
メイドからそんな話を聞けた時にはもう、かなりの時間が過ぎ去っていた。焦る気持ちのまま、エリセーヌは走る。息が切れても、足が重くても 使用人に目を丸くされても、止まれない。
一番近くにあった通用口を開け放って、中庭へと飛び出す。遠く離れたところに、リヒトの長身がある。
走る。
「……貴方が殺したのは、本当、なんですよね?」
パメラの大声が聞こえる。垣根の向こう側にいる彼女は厳しい眼差しで立っていた。その手の中には例の指輪がある。赤い宝石が、ぎらりと強く輝いた。
「ああ、そうだ」
リヒトはパメラの問いに、はっきりと頷いた。
「……っ! 姫様を、これ以上惑わせないで……!」
パメラがくるりと指輪を回し、針をリヒトへと見せつけるように彼の方へと向けた。ゆっくりと、近付く。
リヒトは微動だにしなかった。彼の実力なら、何の訓練も受けていない侍女など、簡単に制圧できるはずなのに。
湖面のように凪いだ瞳で、小走りになったパメラを見据えている。その目を見て気付いてしまった。
――彼は、受け入れるつもりなのだと。
パメラの手の中で、銀色が閃いた気がした。
「リヒトッ!!」
エリセーヌは叫ぶ。そのまま、リヒトとパメラの間に割って入った。リヒトを庇うように、手を広げてパメラに向き合う。背中側から、リヒトが息を呑む微かな音が聞こえた。
パメラの表情が凍りつく。でももう、勢いがついた彼女の動きは止めることができない。
ぎゅっと目を閉じる。
「エリセーヌ!」
名前を呼ぶ声が聞こえた後、ふわりと体が浮遊感に包まれた。リヒトに後ろから抱き上げられ、そのまま彼と共に横へと倒れ込んだ。エリセーヌは目を開ける。
先ほどまでエリセーヌがいた場所をパメラが通りすぎ、勢い余って転んだ。その拍子に、手から指輪が落ちて地面を転がっていく。
「旦那様!」
衛兵や使用人たちが騒ぎに気付き、集まってくる。パメラは抵抗することなく取り押さえられた。
そこまで見届けてようやく、エリセーヌは自分がリヒトを下敷きにしていることに気がついた。彼の腕はエリセーヌの腰に回ったまま。
体勢を整えようと動いたら、間近で紺色の瞳と視線が交わった。リヒトは切なげに瞳を揺らした後、立ち上がろうとしたエリセーヌをきつく抱き締めた。
「無事か?」
耳元で囁かれた掠れ声に、エリセーヌの肩がぴくりと跳ねた。
「え、ええ、私は何ともないわ」
「良かった」
リヒトの返事と共に、腕の力が強まる。心臓も呼吸も苦しいのは、きっと抱擁のせいだけじゃない。
それでも、エリセーヌは彼から離れようとは思わなかった。リヒトの胸に体を預け、そのぬくもりを余すことなく堪能する。
「……どうして、避けなかったの」
つい、エリセーヌの声色は低く刺々しくなってしまった。本気で心配したのだから、このくらいの意地悪は許して欲しい。
目の前の人が、小さく身動ぎをする。
「してきたことの報いならば、受け入れるべきだと思ったからだ」
リヒトの返答を聞いて、エリセーヌは軽く彼の胸を小突く。
(貴方はもっと、狡く生きてもいいんじゃないの)
そう思ったけれど、声には出さなかった。代わりに、彼の体をぎゅっと抱きしめ返した。
やがて、どちらからともなく立ち上がった。
解放されたエリセーヌは真っ先に指輪を拾い、針を仕舞った。それから、拘束されているパメラに向き合う。
彼女は怯えた顔で、エリセーヌを見上げた。
「……貴女の気持ちは、わかる。でもね、これは許されないことよ」
「姫様……」
パメラはそれだけ言って項垂れた。
もう、エリセーヌから彼女にかける言葉はなかった。リヒトの手に、指輪を押し付けるようにして渡す。
「ごめんなさい。これ、貴方に預けるわ」
リヒトは黙ったまま指輪をいじり、針を出してまた引っ込めた。
「お父様……国王陛下から言われていたの。もしもの時は――」
「姫様っっ!!」
パメラが大声を出した。こんな状況でも守ってくれようとする侍女に、エリセーヌは泣きそうになりながらも、リヒトに向き合い続けた。
「貴方を、殺しても良いと」
エリセーヌの告白に、集まっていた使用人たちの間にざわめきが広がる。
「……だが、君はそれを使わなかった。いくらでもチャンスはあったはずだ」
「ええ。私がそうしなかったのは、王女として政略結婚を完遂しようとしたから。それだけよ」
エリセーヌは淡々と答えたのに、リヒトは何故か笑みを浮かべた。
「それなのに俺は、君を王女としてではなくエリセーヌとして見た」
「ええ。本当に最低な男だと思ったわ。でもね」
エリセーヌはすぐ近くにいるリヒトを見上げる。
この屋敷に来て、リヒトの本当の姿を知った。真っ直ぐで、誠実で、自分の罪を罪と受け入れているこの人を、ただ――
「私は、貴方を信じたの」
そう言って、エリセーヌは微笑んだ。




