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12/18

12:急転


 時刻は午後。うららかな日差しが降り注ぎ、あたたかくて過ごしやすい時間帯――だというのに、エリセーヌの部屋の空気は重かった。

 

 湯気の立つティーカップを置いて、エリセーヌは今日何度目かわからないため息をついた。

 

 エリセーヌは自室で休憩をしていたのだけれど、どうにも気持ちが乗りきらない。これなら仕事を続けていた方がマシだったかもしれない。


 もちろん、エリセーヌの頭の中を占めているのは、リヒトのことだった。気付くと、昨日の彼の台詞がぐるぐると頭を回っている。


 彼は噂を肯定した。

 その事実を、一晩経ってもエリセーヌはうまく消化できずにいた。


 朝食は一緒に摂ったけれど、どう接していいかわからなくて――エリセーヌだけでなくリヒトも何も言わないものだから、終始無言で過ごしてしまった。

 この屋敷に来て、リヒトとの間に漂う空気があんなに気まずかったのは初めてのことだ。


「姫様……」


 給仕をしてくれていたパメラが、心配そうにエリセーヌを見つめている。


「姫様を悩ませているのは、あの男……なのですよね?」


「……まあ、そうね。でもね、これは私の問題なの」


 そう、リヒトは最初からエリセーヌに誠実だった。変わったのは……エリセーヌの気持ちだけ。


「姫様、あの男に肩入れするのはもうおやめ下さい。姫様が傷付くだけです!」


 パメラの声が大きくなる。エリセーヌはそれでも、首を横に振った。


「傷付くとしたら、それは私が最初から彼を色眼鏡で見ていた証拠でしかないわ……」


「当たり前ではないですか。彼は王国の仇。彼の口からそれが事実だとお確かめになったのですよね? なら、友好的にするなど――」


「やめて」


 エリセーヌは静かに立ち上がり、はっきりとパメラに告げた。敬愛する主に強く否定され、パメラは怯えた顔で体を小さくする。


「かつて敵だった者とは友好的にできないのなら、敵国に嫁いだ王女はただの道化ね?」


「そ、そんなつもりでは……」


「ええ。だから、そんなことを言うのはやめてくれる? 私は、彼とわかり合いたいと、今はそう思っているの」


 もう一度着席する気にはなれなくて、エリセーヌは窓の方に近寄った。レースのカーテンを少しだけ捲って中庭を見下ろす。

 シャルルだろうか、少年が庭を手入れしているのが小さく見えた。


「パメラの気持ちは、わからないでもないの。私も王国では、彼の悪評をさんざん聞いていたから。でもね……」


 窓から目を離して、パメラを見据える。


「それでも、この屋敷で見た彼の姿を信じたい。私は、そう思ったのよ」


 勢いのままに言葉にしてから、エリセーヌはあ、と口を押さえた。

 案外、放ったそれがすとんと心に落ちてきた。モヤモヤと満ちていた霧が晴れて、道が現れるように。


(そう、私……彼を信じたいんだわ)

  

 彼が無抵抗の村人を殺したのは事実かもしれない。けれど、この屋敷でエリセーヌを見続けてくれた彼もまた、この目で確かめた事実。それを、信じたい。


 エリセーヌは、穏やかな表情で胸の上に手を添えた。


「それを、パメラにわかって欲しいとは言わないわ。貴女の両親は戦争で亡くなっている。それを水に流せなんて、言えるはずがない。でもね、私のためだと言わないで」


「姫様……」


 パメラがしゅんと顔を俯かせた。


「私、彼ともっと話したいし、知りたいと思うの」


 エリセーヌは少しだけ早く脈を打つ胸に手を当てた。


(あいつの前では、素直になれないけど……)


 脳裏にリヒトの笑みが浮かんで、慌てて振り払う。エリセーヌを観察したり、からかったりするから素直になれないのだ。問題はリヒト側にも大いにある。


「今夜こそ、絶対言い返してやるんだから」


 そんなことを思って笑顔になるエリセーヌとは対照的に、パメラは暗い顔をしていた。


「姫様は、変わってしまわれたのですね」


 小さな声。けれど確かに、その声が部屋の空気を一瞬で切り裂いてみせた。

 パメラはエリセーヌから視線を逸らした。


「すみません。少し席を外します」


 パメラは一礼して、部屋を出ていく。エリセーヌは止めなかった。彼女にも、きっと落ち着いて考える時間が必要だと思ったから。


 エリセーヌは再び椅子に腰を下ろし、冷めてしまったティーカップを手に取った。

 そういえば、昨夜、リヒトのところに髪飾りを落としてきてしまったままになっている。彼は部屋に入ってきた直後に髪飾りを見つめていたけど、何も言ってはくれなかった。


「……ちょっとくらい、誉めてくれてもいいのに」


 そんな文句と共に唇を尖らせたエリセーヌは、ふとドレッサーの方に目をやった。

 何か違和感がある。注意深く観察してみる。ドレッサーはいつも通り真新しく傷ひとつない。ほんの僅かに引き出しが空いているくらいで――


「……!」


 エリセーヌはすぐさま立ち上がり、引き出しを開けた。ひときわ目立つはずの、あの指輪がない。昨日の夜、確かに一番奥に仕舞ったはずなのに……。

 あの指輪の『本当の意味』を知っているのは、この国ではエリセーヌとパメラだけ。


(パメラ、まさか……!)


 ぞくりと、背筋を冷たいものが走り抜けた。先ほど出ていったパメラが何をするつもりなのか――それに思い至って、エリセーヌは無策で部屋を飛び出していた。



 

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