10:肯定
エリセーヌはいつも通り、リヒトのベッドの上に座って彼を待っていた。
パメラは最後まで納得いかなそうにこちらを見ていた。彼女を振り切って今、ここにいる。
彼に、どう切り出そうか。
決めきれずにいる間に靴音が近付いてきて、部屋の前で止まった。静かにノックされる。
「……はい」
上擦った声で返事をした。
扉が開く。入ってきたリヒトは、部屋に一歩だけ進んだところで立ち止まった。彼は髪飾りに目を留めてから、僅かに強張っているエリセーヌの表情へと視線を移動させる。
「エリセーヌ。何かあったのか?」
リヒトは真っ先にそう聞いてきた。
(本当に、この男は『私』をよく見ているのね)
いっそ笑ってしまいたいくらい、リヒトは実直な男だと思った。こんな男が、無辜の民を虐殺するなどありえないだろう。
そう確信して、エリセーヌはほんの少し、表情を緩めた。
「貴方に、聞きたいことがあるの」
「昼間の続きか」
リヒトは長い足で、エリセーヌに近付いてきた。どこで止まるだろうか、と思いつつ見守っていたけれど、彼の足は止まらない。
(えっ!)
気付いたら、エリセーヌのすぐ隣に座られていた。人ひとり分は空いているけれど、手を伸ばせば届いてしまう距離。
何故か高鳴る鼓動から目を背けて、空っぽの右指に意識を向ける。
昼間ならともかく、夜、寝室でこんな距離になるのは、初夜と翌日の夜以来。触れられたことを思い出して、エリセーヌは自分の肩を抱いた。
「……寒いのか?」
「違うわよ!」
リヒトが丸きり的はずれなことを言うので、思わずエリセーヌは叫んでしまった。
「だろうな。顔が赤い」
こちらをじっと見つめる彼は、小さく微笑んでいる。
(こいつ……!)
全部わかっていて、わざとこちらをからかって遊んでいる。それに気付いて、エリセーヌはぷるぷると拳を震わせた。
(やっぱり、加虐趣味はあるわよ、絶対!!)
と、何度目かのリヒト評を更新した。
エリセーヌは気を取り直して咳払いをひとつする。
「あのね、私は貴方と真面目に話したいの。昼間の続き」
ぴしゃりと言ったら、リヒトは笑みを消して姿勢を正した。
「わかった。聞こう」
そう改めて言われてしまうと、どんな風に切り出せばいいのかわからなくなる。彼が入室してきた直後に、何でもないように言えたら良かったのに……。
「貴方って――」
エリセーヌはカラカラの喉を振り絞って、声を出す。
「5年前の戦争に、参加していた……のよね?」
意識しすぎて、不自然に明るいトーンになってしまった。
「ご、ごめんなさい。こんなこと聞いて」
「いや。君の疑問は最もだ。俺は当時、確かに父に従って従軍し、武勲を上げた」
リヒトがエリセーヌの顔を覗き込む。
「……怖いか?」
「いいえ」
エリセーヌはゆるゆると首を横に振る。
「従軍していたのだから、目の前の敵を倒すのは当然のこと。そこに今さら、意を唱えるつもりはないわ。だけど――」
エリセーヌは一度、言葉に詰まる。確かめずにいられないのに、聞くのが怖い。
「貴方は王国で、国境の村を焼き払い、武器を持たない民を虐殺したと噂されているわ。それは……本当なの?」
腹に力を籠めて、震えそうになる声を抑える。エリセーヌはリヒトから視線を逸らさなかった。
この人は、そんなことをする人じゃない。そう思っていた。
リヒトは唇を引き結んでいる。答えはない。彼の瞳が言葉を探して彷徨うのを、エリセーヌは初めて見た。
嫌な予感が膨れ上がる。
エリセーヌの視界の先で、リヒトは手を固く握った。
「……そうだ」
短く告げられた言葉が、エリセーヌの呼吸を凍りつかせた。理由も、言い訳も、彼は言わない。ただ唇を噛み締めて表情を歪めるだけ。
痛みを堪えるようなその仕草が、彼の言葉が真実であると何よりも雄弁に物語っていた。
「貴方は……」
ひねり出した声は、ひどくか細いものだった。
「私に王女らしくしなさいって、今も言わない?」
エリセーヌは膝の上で組んだ手に視線を落とした。指先が、所在無さげに開いたり閉じたりしている。返事を待つ時間が、ひどく長く感じた。
「ああ」
「なら、私……」
エリセーヌは目をぎゅっと閉じてから、勢いよく立ち上がった。その拍子に蒼玉の髪飾りが外れて、リヒトのベッドに落ちた。小さな音が寝室を満たす。エリセーヌは振り向かない。
「部屋に、戻るわ」
言うが早いか、エリセーヌは走ってリヒトの部屋を飛び出した。無駄に長いナイトドレスの裾がもつれて、廊下で転びそうになる。
それでもエリセーヌは自室までたどり着き、勢いよくベッドに倒れ込んだ。
「否定、してよ……」
うつ伏せのまま、くぐもった声で呟く。小さく体を丸めた。暖炉に僅かに残った炎を受けて、ドレッサーの上で、小さな何かが煌めいた。
「ひどい、本当にひどい、男ね……」
エリセーヌの脳裏に浮かんだのは、忘れもしない、あの国境の村の光景。
4年前、14歳の時――エリセーヌは国境、かつてルアン村だった場所を慰問のために訪れたことがある。戦争の前までは小麦畑が広がるのどかな村だったというその場所には、もう何も残されていなかった。
焼け落ちた民家と思われる廃墟。雑草が好き放題に生える平原。住民が全員殺されたから、復興されることもない。
それを行ったのが、帝国軍に所属していたリヒト・フォン・ヴァルデン――エリセーヌの、顔も見たことがない婚約者様。
エリセーヌは西を見た。この平原のずっと向こうに、彼のいる帝国がある。
「私は、王女として貴方に嫁ぐわ」
決して届きはしない宣言を、帝国に向けて呟く。
もう二度と、この場所を踏み荒らさせないために。
(そう、私は最初から知っていたのに……なにを期待していたの)
エリセーヌはのろのろと立ち上がって、放置されていた指輪を手に取った。失くしたりしては大変なことになる。ドレッサーに備え付けられている引き出しの一番奥深くに仕舞って、引き出しを元通りに押し込んだ。
再びベッドに横になる。
エリセーヌとリヒトの間に、愛も情も必要ない。その筈だったのに、いつから狂い始めてしまったのだろう。王女のままでいられれば、こんな気持ちにならなくて済んだのに。
(私は……どうしたらいい?)
かき乱された心をもてあましたまま、エリセーヌの意識は眠りの縁へと落ちていった。




