表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
コード:ヴァニタス ~魔術絶対の階級社会を、魔術無効の「虚無」が飲み込む〜  作者: 上ノ空
ゼロの廃棄物

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/13

第4話:10年前の太陽、あるいは地獄への落下(前半)

いつも応援ありがとうございます。


最新話を更新しました。 最後までゆっくりとお楽しみください!


その記憶は、いつだって甘い匂いから始まる。


焼きたてのクッキーのような、あるいは天日で干したばかりのシーツのような。

鼻腔びこうをくすぐる、優しくて、どこまでも柔らかい香り。

それが、僕の世界の全てだった。


「……ニルス」


名前を呼ばれる。

それは音というよりも、温かい風のような響きだった。


「起きなさい、ニルス。今日は大事な日よ」


まぶたの裏側で、光が揺れた。

僕はゆっくりと目を開ける。


最初に飛び込んできたのは、金色の光の粒だった。

高い天井にある窓から、朝の陽射しが降り注いでいる。

その光の中で、ちりさえも宝石のようにキラキラと輝いて舞っていた。


そして、その光の中に、母さんがいた。


逆光で縁取られた母さんの髪は、溶かした蜂蜜のように透き通る金色。

僕を覗き込むその瞳は、空の色をそのまま切り取ったような、深いあお色をしていた。


「おはよう、私の一番星」


母さんが微笑む。

その笑顔を見ただけで、僕の心臓はポカポカと温かくなり、胸の奥が甘い蜜で満たされていく。


僕は、この笑顔が大好きだった。

世界中のどんな宝石よりも、どんな魔法よりも、母さんのこの顔を見ている時が一番幸せだった。


「……かあさん」


僕は寝ぼけまなこをこすりながら、両手を伸ばした。

母さんが、僕を抱きしめてくれる。

ふわリ、と。

花の香りが僕を包み込む。

母さんの体温が、パジャマ越しに僕の肌へと伝わってくる。


温かい。

ここには寒さなんてない。

飢えもない。

痛みもない。

ただ、絶対的な安心感だけが、僕を守ってくれていた。


(ああ、ずっとこうしていたい)


幼い僕は、母さんの胸に顔を埋めながら、本能的にそう願っていた。

この温もりが永遠に続くことを、疑いもしなかった。


「甘えん坊さんね」


母さんがくすりと笑って、僕の頭を撫でた。

その手のひらは、少しだけごつごつしていて、でも魔法みたいに優しかった。


「でも、今日はもう起きなくちゃ。父さんが待ってるわ」


「とうさん?」


「ええ。今日は『魔力選定の儀』でしょう? あなたがバベルの祝福を受ける日よ」


そうだ。

今日は、僕が五歳になる日。

そして、この塔に住む全ての子供たちが受ける、運命の検査の日だ。


僕は飛び起きた。

楽しみだった。

不安なんて、微塵みじんもなかった。

だって、父さんと母さんが言っていたから。

「ニルスは特別だ」「きっと凄い魔法使いになる」って。

二人が言うなら、それは絶対に正しいことなんだ。


***


準備を終えて外に出ると、世界は光で溢れていた。


第4層「天空庭園」。

バベルの上層に近いこの場所は、雲よりも高い場所にある。

見上げれば、吸い込まれそうなほど青い空。

太陽が、手を伸ばせば届きそうなほど近くで、圧倒的な輝きを放っている。


「うわぁ……!」


僕は思わず声を上げた。

何度見ても、この景色は綺麗だ。

道の両脇には、色とりどりの花が咲き乱れている。

赤、黄、紫、白。

それぞれの花が、競い合うように甘い香りを漂わせている。


「ははは! 元気だな、ニルス」


後ろから、大きな手が僕の脇を抱え上げた。

視界が一気に高くなる。

父さんだ。

僕をひょいと持ち上げ、そのまま自分の肩車に乗せてくれた。


「高いか?」


「うん! すごく高い!」


父さんの肩の上は、僕の特等席だった。

広くて、頼もしい背中。

ごわごわした父さんの髪の感触。

ここから見ると、世界はずっと遠くまで見渡せる気がした。


「いいか、ニルス。よく見ておきなさい」


父さんが、太くて低い声で言った。

その声には、隠しきれない誇らしさがにじんでいた。


「この美しい世界が、お前の住む場所だ。お前は選ばれた子なんだ。素晴らしい魔力を宿して、いつかこのバベルを支える立派な魔術師になるんだぞ」


「うん! ぼく、がんばるよ!」


僕は父さんの頭の上で、大きく頷いた。

父さんが喜んでくれるのが嬉しかった。

僕が「すごい子」でいれば、父さんも母さんも笑ってくれる。

それが何よりも嬉しかった。


「あらあら、二人とも。転ばないでね」


隣を歩く母さんが、日傘を回しながら笑っている。

その手には、道端で摘んだシロツメクサで作った花冠が握られていた。


「ニルス、ちょっとかがんで」


母さんが背伸びをする。

僕は素直に頭を下げた。

ふわり、と頭に軽い重みが乗る。


「はい、似合うわ。王子様みたい」


「えへへ」


僕は花冠に触れた。

くすぐったいような、誇らしいような気持ち。

通りすがる人々が、僕たちを見て微笑んでいる。

「おめでとう」「今日はいい日だね」と声をかけてくれる。


誰もが優しかった。

誰もが笑っていた。

世界は、僕たちを祝福するために回っているのだと、本気で信じていた。


会場である「水晶の広場」に着くと、そこは静寂に包まれていた。


巨大なドーム状の建物。

壁も床も、すべてが真っ白な大理石で作られている。

中央には、噴水があり、清らかな水音だけがサラサラと響いている。


その奥に、鎮座していた。

高さ数メートルはある、巨大な透明の水晶。

「選定の水晶」。

あれに触れることで、その人の体内に眠る魔力の量と属性が判明するのだという。


すでに何組かの親子が待っていた。

どの子も綺麗な服を着て、少し緊張した面持ちで並んでいる。

水晶に触れるたび、ボゥッと赤や青の光が灯り、検査官が「火属性、魔力B判定」などと告げる。

そのたびに、親たちが歓声を上げ、子供を抱きしめていた。


「次は、ニルス・アークライト」


検査官の事務的な声が響いた。

僕の番だ。


「よし、行ってこい」


父さんが僕を肩から下ろした。

トン、と背中を押される。

その手は大きく、力強かった。


「大丈夫よ、ニルス」


母さんがしゃがみ込み、僕の目を見つめた。

その碧い瞳に、僕の顔が映っている。

不安そうな、でも期待に満ちた僕の顔。


「どんな結果でも、あなたは私の大切なニルスよ。何も怖くないわ」


母さんはそう言って、僕の両手をきゅっと握りしめた。

母さんの体温が、僕の手に移る。

それは「お守り」だった。

この温かさがあれば、僕はなんだってできる気がした。


「うん!」


僕は力強く頷き、一人で歩き出した。

カツン、カツン。

僕の小さな靴音が、広い会場に反響する。

みんなが見ている。

父さんが、母さんが、後ろで見守ってくれている。


水晶の前に立つ。

近くで見ると、それは見上げるほど大きかった。

表面は鏡のように磨かれ、僕の姿を映している。

その奥には、神秘的な光の渦が見える気がした。


(ぼくの魔力は、どんな色かな)


父さんみたいに、かっこいい赤色かな。

それとも、母さんみたいに、優しい緑色かな。

どんな色でもいい。

きっと綺麗な色に光るはずだ。

そうすれば、二人はもっと僕を褒めてくれる。

今夜はご馳走ちそうだ。


僕は息を吸い込み、そっと右手を伸ばした。


指先が震える。

期待と、ほんの少しの緊張。

心臓がトクトクと鳴る音が、耳の奥で大きくなる。


(光れ……!)


願いを込めて。

僕は、その冷たい水晶の表面に、てのひらを押し当てた。


ピタリ。


皮膚が吸い付くような感触。

氷のように冷たい。

その冷気が、指先から腕を通って、心臓へと流れ込んでくる。


僕は目を見開いて、光が溢れ出す瞬間を待った。

まぶしい光が、僕を包み込むはずだ。

会場中から拍手が起こるはずだ。


一秒。

二秒。

三秒。


「…………?」


何も、起きなかった。

水晶は透明なまま、沈黙を守っていた。


(あれ?)


おかしいな。

触り方が悪かったのかな。

僕は一度手を離し、もう一度、強く押し当てた。

もっと強く。

もっと念じて。


「ひかって……」


小さな声で呟いた。

お願い、光って。

父さんが見てるんだ。

母さんが待ってるんだ。


しかし。

水晶は冷徹だった。

透明だった内部に、ゆっくりと変化が現れ始めた。

けれどそれは、僕が期待した輝きではなかった。


どす黒い、泥のような濁り。

光を放つのではなく、周囲の光を吸い込むような、不吉な灰色。

それが、ジワリと水晶の中心ににじみ出したかと思うと、一瞬で全体を塗りつぶした。


「あ……」


思考が止まった。

なんだこれ。

汚い色。

こんな色、見たことない。

他の子は、みんなキラキラ光っていたのに。


会場の空気が、凍りついた。

さっきまで聞こえていたさざめきが消え、完全な静寂が訪れる。

噴水の水音だけが、やけに大きく響く。


背中の後ろで、誰かが息を呑む音がした。

衣擦きぬズれの音。

ヒソヒソという、戸惑いの声。


「……エラーか?」

「いや、水晶は正常だ」

「なんだあの色は」


検査官たちが顔を見合わせている。

彼らの目にあるのは、驚きと、そして隠しきれない「嫌悪」だった。


僕は怖くなって、振り返った。


「とうさん、かあさん……?」


父さんは、立ち尽くしていた。

あんなに誇らしげだった表情が消え失せ、口を半開きにして、信じられないものを見る目で僕を見ていた。

その顔色は、死人のように青白かった。


母さんは、口元を両手で覆っていた。

その瞳が揺れている。

いつもの優しい笑顔がない。

恐怖に怯えるような目で、僕と、その背後の黒い水晶を交互に見ている。


「どうして……?」


僕の声が震えた。

なんでそんな顔をするの。

笑ってよ。

「大丈夫よ」って言ってよ。


検査官の一人が、一歩前に出た。

彼は手元の資料と水晶を何度も見比べ、最後に冷たい声で宣告した。


その声は、僕の人生を断ち切るギロチンの音だった。


「……信じられん」


「魔力反応、ゼロ」


「魔力回路の欠損……いや、完全なる『空洞ボイド』だ」


「こんな欠陥品は、バベル始まって以来だぞ」


欠陥品。

その言葉の意味は、五歳の僕にはよく分からなかった。

けれど、それが「悪いこと」だということだけは、痛いほど分かった。

空気が刺すように冷たい。

あんなに温かかった日差しが、今は肌を焼くように痛い。


「ち、ちがう……」


僕は首を振った。

違うよ。

僕は父さんの自慢の息子だ。

母さんの一番星だ。

だから、こんな泥みたいな色じゃない。

間違いだ。


「ぼく、できるよ……ちゃんとできるよ!」


僕は必死になって、水晶を叩いた。

ペチ、ペチ、と乾いた音がするだけ。

水晶は黒く濁ったまま、僕を拒絶し続けている。


「ひかってよぉ! おねがいだよぉ!」


涙が溢れてきた。

視界が歪む。

誰か助けて。

誰か、これは嘘だと言って。


その時だった。


ジリリリリリリリリリリリリリッ!!!!


耳をつんざくような、甲高い警報音が鳴り響いた。

それは、会場の静寂を引き裂き、平和な楽園の終わりを告げるサイレンだった。


「な、なんだ!?」

「緊急警報!?」

「異物混入のアラートだ!」


会場がパニックに包まれる。

天井の照明が赤く点滅し、白い大理石の床を血のような色に染め上げる。


ドカドカドカッ!


重々しいブーツの音が近づいてくる。

入り口から、武装した兵士たちが雪崩なだれ込んできた。

銀色のよろい

手には鋭い銃剣。

彼らの殺気に満ちた視線は、一点に集中していた。


水晶の前に立ち尽くす、僕に。


「対象を発見!」

「バベルのシステムを脅かす『エラー因子』だ!」

「確保しろ! 抵抗するなら排除しても構わん!」


兵士たちが、銃剣を向けて走ってくる。

ギラリと光る刃先が、僕の喉元を狙っている。


「ひっ……!」


腰が抜けた。

動けない。

怖い。

殺される。


「ニルスッ!!」


叫び声と共に、温かい何かが僕を包み込んだ。

母さんだった。

母さんが、僕に覆いかぶさるようにして抱きしめ、兵士たちの前に立ちはだかったのだ。


「か、かあさん……」


見上げると、母さんの背中が小刻みに震えているのが分かった。

それでも、母さんは逃げなかった。


「この子に触らないで!!」


母さんが叫んだ。

いつもの優しい声じゃない。

子供を守る獣のような、必死の叫び。


「離れろ! そのガキは汚染されている!」

「うるさい! 私の子よ! 誰にも指一本触れさせないわ!」


父さんも駆け寄ってきた。

僕たちの前に立ち、両手を広げて兵士たちを威嚇いかくする。


「待ってくれ! 何かの間違いだ! もう一度検査を……!」


「問答無用だ。排除命令が出ている」


兵士たちが包囲網を狭める。

冷たい刃の壁が、僕たち家族を閉じ込める。


僕は母さんの腕の中で、震えることしかできなかった。

さっきまでの幸せはどこへ行ったの?

花冠は落ちて踏み潰され、青い空は赤い警報の光に塗りつぶされている。


どうして。

僕が魔力を持っていないから?

ただそれだけで、僕たちは殺されなきゃいけないの?


その時。

赤い警報音を切り裂くように、軽やかな、場違いなほど明るい声が降ってきた。


「やあやあ、騒がしいねぇ」


その声を聞いた瞬間、兵士たちの動きがピタリと止まった。

まるで、神様の声を聞いたかのように。


僕は、母さんの腕の隙間から、声の主を見た。


そこには、太陽が立っていた。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、 下の【☆☆☆☆☆】評価や、ブックマークをいただけると執筆の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ