第2話:砕く感触、手のひらに残る友の欠片(後半)
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コトン。
麻袋の底で、乾いた音がした。
それは、広い廃棄場の中では、あまりにも小さな音だった。
けれど、俺の鼓膜には、断頭台の刃が落ちる音のように響いた。
俺の手が、空中で止まっている。
指先が震えている。
袋の底に沈んだ、白い小さな塊。
あれは、さっきまでレオの「肩」だった部分だ。
俺が疲れ果てたときに、頭を預けたことのある、頼りなくて温かい肩。
それが今、ただの「硬い石」として、袋の中に転がっている。
(入れた……)
事実が、遅れて脳を殴りつける。
俺は、レオを袋に入れた。
ゴミを拾うための、薄汚れた麻袋に。
吐き気がした。
胃袋が裏返るような、強烈な拒絶反応。
自分の手が、冒涜的な行為に染まっている感覚。
「うっ、ぷ……」
俺は口元を抑え、地面に膝をついた。
ダメだ。
考えちゃいけない。
これは「レオ」じゃない。
レオだった「モノ」だ。
魂はもういない。ここにあるのは、抜け殻としての資源だけだ。
そう自分に言い聞かせないと、次の動作に移れなかった。
俺は、大きく息を吸い込んだ。
肺に入ってくるのは、腐った生ゴミと廃油の臭い。
けれど、その奥に微かに、鉱物が割れた時の焦げたような匂いが混じっている。
レオの匂いだ。
「……次だ」
俺は掠れた声で呟いた。
立ち止まるな。
止まったら、二度と動けなくなる。
俺は再び、地面に手を伸ばした。
次に掴んだのは、ギザギザに尖った、長い破片だった。
上腕骨の一部だろうか。
鋭利な断面が、俺の人差し指に食い込む。
チクリ、とした痛み。
皮膚が切れ、赤い血の玉がぷくりと浮かび上がる。
血は白い破片に付着し、赤いシミを作った。
(痛い……)
その痛みが、なぜか心地よかった。
もっと痛くていい。
指なんて切り落とされてもいい。
あいつが感じた痛みに比べれば、こんなのかすり傷ですらない。
俺は指から流れる血を拭おうともせず、その破片を握りしめた。
強く。
破片が肉に食い込み、骨に届くくらい強く。
痛みが、俺が生きているという罪悪感を鮮明にさせる。
ゆっくりと、袋へ運ぶ。
チャリ。
さっきの「肩」の破片とぶつかり合う音。
硬質で、涼やかな音。
まるで、財布の中の小銭が擦れ合ったような音。
(……金の、音だ)
不意に、そんな連想が頭をよぎり、俺は自分の頬を殴りつけたくなった。
弟の死骸が出した音を、金と結びつけるなんて。
俺はどこまで腐っているんだ。
けれど、現実は冷酷だ。
この破片は、金になる。
換金所に持っていけば、重さを量られ、ランク付けされ、硬貨に変わる。
その硬貨で、俺は明日のパンを買うのだ。
レオの命を食らって、俺だけが生き延びるのだ。
「……くそッ」
俺は涙を堪え、作業のピッチを上げた。
思考を遮断しろ。
ただの手になれ。
拾って、入れる。拾って、入れる。それだけの機械になれ。
三つ目。
四つ目。
五つ目。
カチャン。
ジャリ。
コロン。
袋の中に、白い山が築かれていく。
音が重なるたびに、袋はずっしりと重くなっていく。
ある破片を拾い上げた時、俺の手がピタリと止まった。
それは、丸みを帯びた、小さなパーツだった。
五本の突起がある。
石化しているが、その形ははっきりと分かった。
手だ。
レオの、右手だ。
今朝、俺が布団の中で触れて、冷たさに絶望したあの手。
俺に助けを求めて、縋りついてきた手。
指先は握り込まれたまま固まっている。
まるで、何かを掴もうとしているかのように。
(レオ……)
俺の視界が歪む。
涙が、ポタ、ポタと、その白い手に落ちた。
涙が触れた場所が、一瞬だけ濡れて、生きていた頃の質感に見えた。
「握ってやれなくて……ごめんな」
俺は、その冷たい拳を、自分の両手で包み込んだ。
そして、額に押し当てた。
冷たい。
氷のように冷たい。
俺の体温なんて、ちっとも伝わらない。
(連れて行くよ)
心の中で誓った。
ここには置いていかない。
暗くて、臭くて、寂しいゴミ捨て場になんて、爪の欠片ひとつ残さない。
全部、俺が背負っていく。
俺は、祈るようにして、その「右手」を袋の中に滑り込ませた。
他の破片たちの上に、そっと置く。
痛くないように。
壊れないように。
もう、これ以上壊れることなんてないのに。
作業は続いた。
大きなパーツはあらかた拾い終えた。
袋はもう、半分ほど埋まっている。
だが、ここからが本当の地獄だった。
地面には、まだ無数の「粉」が残っていた。
俺が何度も鉄パイプを叩きつけたせいで、砕け散った微細な破片たち。
それらが、地面の黒い土と混ざり合い、斑模様を描いている。
「……これもだ」
俺は地面に這いつくばった。
両手で、土ごと掬い上げる。
ザリザリとした感触。
湿った土の冷たさと、乾いた石の粉の感触が混ざり合う。
指の隙間から、サラサラとこぼれ落ちそうになる。
「待って……落ちないでくれ」
俺は焦った。
こぼれたら、レオの一部がここに取り残されてしまう。
俺は必死に手をすぼめ、泥だらけのそれを袋に入れた。
もう一度。
さらにもう一度。
地面を爪で引っ掻く。
爪の間に黒い土が入り込み、指先がヒリヒリと痛む。
それでも、俺は地面を削り続けた。
白い色が、見えなくなるまで。
レオだったものが、一粒たりともこの場所に残らないように。
「はぁ……はぁ……」
息が切れる。
腰が痛い。
膝が泥だらけだ。
どれくらいの時間が経っただろうか。
十分だったかもしれないし、一時間だったかもしれない。
俺の周囲の地面は、獣が暴れ回った後のように、広範囲にわたって土が抉り返されていた。
もう、白い粉は見当たらない。
全部、袋の中だ。
俺は、震える手で袋の口を縛った。
紐をきつく、二重に結ぶ。
絶対に中身が出ないように。
「……終わった」
呟きは、ため息と共に溶けて消えた。
静寂が戻ってきた。
カラスの鳴き声だけが、遠くから聞こえる。
「アホウ、アホウ」と、俺を嘲笑っているかのようだ。
俺は、地面に置いた袋を見下ろした。
汚れた麻袋。
あの中に、レオの全てが入っている。
十年の人生も、思い出も、未来も、全部あの中だ。
「……行くぞ」
誰に言うでもなく、声をかけた。
そうしないと、立ち上がれそうになかったからだ。
俺は袋の紐を掴んだ。
グッ、と力を込める。
持ち上げた瞬間。
予想以上の重量が、腕にかかった。
「……っ」
重い。
レオの体重は二十キロちょっとだったはずだ。
でも、この袋はそれ以上に重く感じた。
物理的な重さだけじゃない。
「死」というものの質量が、そこに加わっている気がした。
生きていた頃のレオは、自分で立っていた。
自分で歩き、自分の重さを支えていた。
でも今のレオは、全重量を俺に預けている。
俺が支えなければ、地面に転がるただの石だ。
その事実が、腕の筋肉を通して、心臓に鉛を流し込んでくる。
(重いな……レオ)
俺は袋を肩に担ぎ上げた。
ゴツゴツとした硬い感触が、背骨に当たる。
痛い。
でも、その痛みが「レオはここにいる」という唯一の証明だった。
一歩、足を踏み出す。
ズリッ。
靴底が泥に滑る。
足が重い。
まるで、地面が俺を引き留めようとしているみたいだ。
「行かせねぇよ……」
俺は歯を食いしばり、泥を蹴った。
誰がここに留まるもんか。
こんな掃き溜め、俺の方から願い下げだ。
一歩、また一歩。
俺は歩き出した。
廃棄場の出口へと向かう、細く長い一本道を。
背中に感じる袋の中身が、歩くたびにジャラ、ジャラと音を立てる。
その音は、俺の耳元で囁く呪いのようだった。
『忘れるな』
『お前が壊したんだ』
『お前が殺したんだ』
「分かってるよ……!」
俺は小さく呻いた。
忘れるわけがない。
この背中の感触を、一生背負っていくんだ。
出口が近づいてくる。
錆びたフェンスの向こうに、第0層の街並みが見えてきた。
灰色のレンガ造りの建物。
薄汚れた路地。
死んだような目をして歩く人々。
日常だ。
俺たちが昨日まで生きていた、クソみたいな、でも愛おしかった日常。
そこへ戻っていく。
けれど、俺はもう昨日の俺じゃない。
不意に。
腹の虫が、グウと鳴った。
「…………」
俺の足が止まった。
静かな路地裏に、間抜けな音が響いた。
空腹だ。
あれだけの重労働をしたんだ。身体がエネルギーを求めるのは当然だ。
生物としての、あまりにも当たり前の反応。
けれど、それがたまらなく許せなかった。
弟を殺して、袋詰めにした直後に。
俺の身体は「腹が減った」と訴えている。
「早く飯を食わせろ」と要求している。
「……気持ち悪い」
俺は吐き捨てた。
自分という生き物が、悍ましくて仕方なかった。
この手でレオを売って、その金で飯を食うのか?
その飯を食って、栄養にして、俺は生き続けるのか?
(ああ、そうだ)
俺の中の冷徹な部分が、淡々と答えを出した。
食うんだ。
食って、生きるんだ。
でなければ、レオの死は本当に無駄になる。
ただの「無意味な破壊」になる。
それだけは、ダメだ。
俺が背負うと決めたんだ。
罪も、罰も、そしてレオの命も。
全部飲み込んで、血肉に変えて、地獄の底まで歩いてやる。
「……食ってやるよ」
俺は空腹の胃袋に向かって、殺意を込めて宣言した。
「全部、食らい尽くしてやる」
再び歩き出す。
さっきよりも、足取りは強かった。
迷いは、もうない。
あるのは、焼けつくような飢餓感と、冷たい怒りだけ。
路地を抜ける。
表通りに出る。
人々が、薄汚れた袋を担いだ俺を、避けるようにして通り過ぎていく。
誰も気にも留めない。
この袋の中に、ひとりの少年の死体が入っているなんて、誰も想像しない。
彼らにとって、これはただの瓦礫だ。
俺にとって、これは世界そのものだ。
通りの向こうに、目的の建物が見えた。
鉄格子のハマった窓。
薄汚れた看板。
『カロン商会・資源買取所』
あそこに行けば、この重さは「数字」に変わる。
レオという存在が、銀貨の枚数で定義される場所。
俺は、担いでいた袋を握り直した。
指の傷口が開いて、血が滲む。
その熱さを確かめてから、俺はその店へと続く階段を、ゆっくりと踏みしめた。
ギッ、ギッ、ギッ。
俺の足音と、背中の袋が擦れる音が、重なり合って響く。
扉の前に立つ。
ノブに手をかける。
冷たい真鍮の感触。
俺は一度だけ、深く息を吐いた。
肺の中に溜まっていた「人間らしい感情」を、全て吐き出すように。
そして、顔を上げた。
ガラスに映った俺の顔は、ひどく無表情だった。
泣き腫らした目は赤く充血していたが、涙はもう枯れ果てていた。
そこにあるのは、獲物を狙う獣のような、飢えた光だけ。
(いらっしゃいませ、だろ?)
心の中で、見えない店主に毒づく。
俺はドアノブを回した。
カチャリ。
扉が開く。
中から、カビと埃、そして欲望の臭いが漂ってきた。
俺は、一歩を踏み出した。
もう、後戻りはできない。
俺は今日、悪魔に魂を売る。
そして、その対価で――この腐りきった世界を買い叩いてやる。
背中の袋が、ゴトリと重く揺れた。
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