第21話:鉄の雨、あるいは吸血の終わり(後半)
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バチィィィィィィィィン!!!!!!
世界が、白く染まった。
俺の網膜が、強烈な閃光によって焼き尽くされる。
音ではない。
それは、大気そのものが悲鳴を上げているような、暴力的なエネルギーの奔流だった。
キナが掲げた機械の先端から、何千ボルトという高電圧が扇状に解き放たれる。
それは雷のような一瞬の輝きではなく、指向性を持った「光の津波」となって、俺たちの目の前に迫っていた黒い雲――蚊の大群へと襲いかかった。
ジジジジジジジッ……!!
空気が焦げる音。
水分が瞬時に蒸発する爆発音。
そして、無数の甲殻が内側から破裂する、ポップコーンが弾けるような不気味な音が重なり合う。
「消えろぉぉぉぉッ!!」
キナの絶叫が、放電音の中に混じる。
彼女は、ただスイッチを押しているだけではない。
その小さな身体で、暴れ回るエネルギーの反動を必死に抑え込んでいるのだ。
機械が唸りを上げ、過剰な電流が彼女の義手を伝って、火花を散らしている。
俺は、腕で顔を覆いながら、その光景を薄目で見た。
凄まじい。
これが、「科学」の力か。
魔法のような詠唱も、魔法陣もいらない。
ただ純粋な物理エネルギーの質量によって、生命を蹂躙する力。
黒い雲が、削り取られていく。
先頭を飛んでいた蚊たちは、悲鳴を上げる間もなく炭化し、灰となって崩れ落ちる。
後続の蚊たちが、本能的な恐怖を感じて急旋回しようとするが、電撃の速度には敵わない。
次々と光の波に飲み込まれ、バチバチと音を立てて火の玉に変わっていく。
「はぁ、はぁ、はぁ……ッ!」
キナの息遣いが聞こえる。
彼女の顔は蒼白だ。
だが、その目は笑っていた。
狂気的なまでに、勝ち誇っていた。
「見たか……! これが、私の……!」
彼女の叫びに応えるように、機械がさらに激しく明滅する。
キュィィィィィン……!!
異音。
限界だ。
バッテリーが、回路が、悲鳴を上げている。
「キナ、もういい! 止めろ!」
俺は叫んだ。
これ以上は、機械が爆発する。
だが、キナは止めない。
いや、止まらないのだ。
恐怖と興奮で指が硬直し、引き金を引いたまま固まっている。
「あと少し……! あと一匹も残さず……!」
バシュッ。
乾いた音がした。
キナの手元から、黒い煙が噴き出した。
プツン。
唐突に、光が消えた。
世界が、元の暗闇に戻る。
「あ……」
キナが、間の抜けた声を漏らす。
機械の先端が赤熱し、煙を上げている。
ショートしたのだ。
静寂が、訪れた。
いや、完全な静寂ではない。
パラパラ、パラパラ……。
雨のような音が、周囲に響いている。
それは、炭になった蚊の死骸が、地面に降り注ぐ音だった。
足元の泥沼が、黒い死骸で埋め尽くされていく。
終わったのか?
俺は、油断なく周囲を見渡した。
鼻をつくのは、強烈なオゾンの臭いと、タンパク質が焦げた嫌な臭い。
視界の限り、動くものはない。
あの圧倒的だった羽音の轟音も、今はもう聞こえない。
勝った。
俺たちは、生き残ったのだ。
「……はは」
キナが、力なく笑った。
彼女はその場に膝をつき、煙を上げる機械を抱きしめた。
「やった……。見た、ニルス? 全部、焼き払ってやったわ……」
彼女の声は震えていたが、そこには確かな誇りがあった。
自分の技術が、自分の武器が、この死地を切り開いたという実感。
「ああ。凄い威力だった」
俺は、正直に称賛した。
剣しか振れない俺には、逆立ちしても真似できない芸当だ。
「助かったよ、キナ」
俺は、魔剣を鞘に納め、彼女の方へ歩み寄ろうとした。
肩の傷が痛むが、そんなことはどうでもよかった。
彼女が無事なら、それでいい。
そう思った、その時だった。
ブゥン。
小さな、本当に小さな羽音が、俺の耳をかすめた。
「……ッ!?」
俺は弾かれたように振り返った。
全滅じゃなかった。
一匹。
たった一匹だけ、電撃の射程外に逃れていた生き残りがいたのだ。
それは、煙の向こうから、音もなく滑空してきた。
黒く焦げた羽根を必死に羽ばたかせ、最後の力を振り絞って。
その鋭利な口吻を、真っ直ぐに突き出して。
狙いは、俺じゃない。
魔力の光を放つ、キナだ。
「キナ、伏せろッ!!」
俺は叫び、手を伸ばした。
だが、距離がある。
間に合わない。
キナが、呆けた顔で顔を上げる。
彼女の瞳に、迫り来る黒い点と、銀色の針が映り込む。
「え……?」
彼女が反応するよりも早く。
蚊は、彼女の左腕――義手ではない、生身の腕へと到達した。
チクリ。
小さな衝撃。
羽音が一瞬だけ大きくなり、そして消えた。
蚊は、キナの二の腕をかすめるように飛び去り、力尽きて泥の中へ墜落した。
一瞬の出来事だった。
あまりにもあっけなく、静かな幕切れ。
「……キナ?」
俺は、彼女のそばに駆け寄った。
キナは、座り込んだまま動かない。
その右手は、自身の左腕を強く握りしめていた。
「おい、大丈夫か!? 今……」
「……平気」
キナが、俺の言葉を遮った。
彼女は顔を伏せたまま、短く言った。
「平気よ。……かすっただけ。蚊に刺されたのと変わらないわ」
彼女は、握りしめた左腕を、隠すように背中側へと回した。
そして、無理やり作ったような笑顔で、俺を見上げた。
「それより、ニルス。あんたの肩……血が」
「俺のことはいい!」
俺は、彼女の肩を掴んだ。
その体は、震えていた。
「見せろ。傷を」
「嫌よ」
キナが、頑なに拒絶する。
子供が、悪戯を隠すような仕草。
だが、その瞳の奥には、明らかな「怯え」があった。
「大したことないってば。……ねえ、早く行きましょ。また敵が来るかも」
彼女は立ち上がろうとした。
だが、その足元がおぼつかない。
ふらり、と体が揺れる。
「キナ!」
俺は彼女を支えた。
その瞬間、俺の手のひらに伝わってきた熱さに、息を呑んだ。
熱い。
さっきまでとは比べ物にならない。
まるで、皮膚の下に溶岩が流れているような、異常な高熱。
「……っ」
俺は、彼女の抵抗を無視して、背中に隠した左腕を強引に引き寄せた。
袖をまくり上げる。
そこには、絶望的な色彩が刻まれていた。
二の腕の中央。
針がかすめただけの、小さな赤い点。
だが、その傷口を中心にして、蜘蛛の巣のような血管が浮き上がっていた。
色は、ドス黒い紫。
それが、脈打つたびに範囲を広げ、健康な肌色を侵食していく。
毒だ。
ただの吸血じゃない。
獲物を弱らせ、確実に仕留めるための、強力な神経毒か、あるいは壊死毒。
「……あ、あぁ……」
キナが、自分の腕を見て、小さな悲鳴を漏らした。
隠しきれなかった現実に、彼女の表情が崩れていく。
「違う……違うの……」
彼女は、首を横に振った。
熱に浮かされた瞳から、涙が溢れ出す。
「これくらい……直せるわ。薬があれば、すぐに……」
彼女の言葉は、誰に向けたものなのか。
俺にか?
それとも、自分自身にか?
「私は……壊れてない。不良品じゃない……」
譫言のように繰り返す言葉。
その響きに、俺は胸を締め付けられるような痛みを感じた。
彼女は、痛みを恐れているのではない。
死を恐れているのでもない。
「捨てられること」を、恐れているのだ。
傷を負い、動けなくなり、足手まといになること。
それは彼女にとって、かつて「ゴミ」として捨てられた過去の再現に他ならない。
役に立たないものは、捨てられる。
それが、彼女に刻まれた呪いのようなトラウマ。
だから、隠したのだ。
自分の価値を証明した直後に、致命的な欠陥を犯した自分を、許せなかったのだ。
「……馬鹿野郎」
俺は、キナを強く抱きしめた。
俺の冷たい体温で、彼女の暴走する熱を少しでも冷やすように。
「誰が、お前を不良品だなんて言うんだ」
「でも……私、また……失敗して……」
「黙れ。……お前は勝ったんだ。あの大群を、お前の力で焼き払ったんだ」
俺は、彼女の耳元で囁いた。
彼女の震えが、少しずつ俺の体に伝播してくる。
「傷なんて、俺がいくらでも背負ってやる。……だから、隠すな」
キナの体から、力が抜けていく。
緊張の糸が切れ、毒の回りが加速したのかもしれない。
彼女の意識が、急速に混濁していくのが分かった。
「ニル、ス……」
彼女が、俺の服を弱々しく掴む。
「熱い……。体が、燃えるみたい……」
「ああ、分かってる」
「置いてかないで……。ゴミ箱は……もう、嫌……」
「置いていくもんか」
俺は、彼女の体を横抱きに抱え上げた。
軽い。
こんな小さな体で、彼女はずっと虚勢を張り続けてきたのだ。
「絶対に、治す。……何があってもだ」
俺は、森の奥を睨みつけた。
毒があるなら、薬があるはずだ。
この森のどこかに。
あるいは、この森に住む誰かが持っているはずだ。
俺は歩き出した。
泥に足を取られながらも、一歩一歩、確実に。
背中からは、まだあの不快な羽音が幻聴のように聞こえてくる気がした。
だが、もう迷いはない。
俺の腕の中には、守るべき「命」がある。
それは、かつて俺が守れなかったレオの命よりも、今の俺にとっては重く、温かい。
「……少し眠ってろ、キナ」
俺は、意識を失った彼女の額に、自分の冷たい額を押し当てた。
「目が覚めたら……また、俺を罵ってくれよ」
緑色の地獄。
その深淵へ向かって、俺たちは再び足を踏み入れた。
生存のための戦いは、まだ始まったばかりだ。
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