第17話:宣戦 獣王への電話、震える声と殺意
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「……狼煙だ」
俺は言った。
腹の底に溜まった熱い鉛を、無理やり言葉に変えて吐き出した。
その言葉は、破壊された重機兵の残骸に吸い込まれ、見えない電波に乗って、この工場の天井を突き抜け、遥か頭上の「どこか」へと届いたはずだ。
その直後だった。
ザザッ……、ザ……。
スピーカーから、乾いたノイズが漏れた。
それは、何かが擦れる音のようにも、獣が喉の奥で嗤わらっている音のようにも聞こえた。
『……クッ、ククク……』
笑い声。
低く、湿った、地響きのような笑い声が、俺の鼓膜を震わせた。
その瞬間。
俺の全身の皮膚が、粟立あわだった。
暑い。
ここは溶鉱炉の上だ。
髪の毛がチリチリと焦げるほどの熱気が渦巻いている。
なのに、俺の背筋には、氷柱つららを突き刺されたような悪寒が走っていた。
『狼煙、か』
男の声が、再び響く。
怒声ではない。
嘲笑でもない。
それは、面白い玩具おもちゃを見つけた子供のような、あるいは、檻おりの中で餌えさを見つけた猛獣のような、純粋な「愉悦」を含んだ声だった。
『いいだろう。……その火が消える前に、俺の元まで上がってこい』
俺は、唾を飲み込んだ。
喉が張り付いて、うまく飲み込めない。
声だけで、分かる。
こいつは、違う。
さっきまで戦っていた機械人形たちとは、次元が違う。
10年前に俺を見下ろしたヘリオスとも、また違う種類の圧力。
これは、「暴力」そのものの気配だ。
理屈も、感情も、慈悲も通用しない。
ただ圧倒的な力で、弱者をすり潰すことを肯定している、絶対強者のオーラ。
俺の本能が、警鐘を鳴らしていた。
逃げろ、と。
関わってはいけない、と。
生物としての「格」が違いすぎる、と。
俺の膝が、微かに震えようとするのを、大腿四頭筋に力を込めて無理やり抑え込む。
「……何がおかしい」
俺は、マイクに向かって呻うめくように言った。
声を張らなければ、震えがバレてしまいそうだったからだ。
「俺たちは、遊びでやってるわけじゃない」
『遊び? 違うな』
レグルスの声が、即座に否定した。
その声には、冷徹な響きが混じっていた。
『これは「選別」だ、ネズミ』
ザザッ……。
『この塔には、無駄なものが多すぎる。……壊れた機械、腐った人間、そして、牙を持たない弱者。……俺は、それらを掃除しているだけだ』
掃除。
その単語が、俺の脳裏に焼き付いたトラウマを刺激する。
清掃部隊。
ヘリオスの炎。
まただ。
こいつらは、いつだって俺たちの命を「ゴミ」としてしか見ていない。
「……ふざけるな」
俺は、マイクを握りしめた。
ミシミシと、プラスチックがきしむ音がする。
「誰が弱者だ。……誰がゴミだ! 俺たちは……!」
『吠えるな』
短く、低い一言。
それだけで、俺の言葉は喉の奥に押し戻された。
『吠えるな。……弱く見えるぞ』
心臓を、素手で鷲掴わしづかみにされたような感覚。
見透かされている。
俺の虚勢も、怒りの裏にある恐怖も。
この男には、すべてがお見通しなのだ。
『俺は第2層にいる。そこは俺の庭であり……最高の「狩り場」だ』
スピーカーの向こうで、何かが折れる音がした。
生々しい、骨の折れる音。
そして、短い獣の咆哮ほうこう。
こいつは今、何かを「狩り」ながら、俺と話しているのか?
『恐怖を連れてこい。……怯え、逃げ惑い、それでも牙を剥むく獲物だけが、俺を楽しませることができる』
『失望させるなよ、ネズミ』
ブツン。
唐突に、通信が切れた。
ノイズさえも消え、ただの無機質な沈黙だけが残された。
俺は、動けなかった。
通信機のマイクを握ったまま、石像のように硬直していた。
耳の奥に、あの低い声がこびりついている。
『弱く見えるぞ』。
その言葉が、呪いのように俺の思考を縛り付けていた。
熱い。
工場の熱気が、肌を焦がす。
なのに、俺の体の芯は、死人のように冷え切っていた。
(怖い……)
認めたくなかった感情が、濁流のように溢あふれ出してくる。
勝てるのか?
あんな化け物に。
姿さえ見ていない。
声を聞いただけだ。
それなのに、俺の体は、生存本能は、「死」を予感して縮み上がっている。
俺は、自分の手を見た。
重機兵のマイクを握りしめている右手。
その拳は、白くなるほど強く握り込まれているのに、小刻みに震えていた。
止まらない。
意志の力では、どうにもならない生理的な拒絶反応。
「……くそッ」
俺は、吐き捨てるように呟いた。
惨めだ。
散々「殺してやる」と息巻いておいて、いざ相手を目の前にしたら、この様だ。
俺は、行き場のない感情を、その右手に込めた。
グシャリ。
硬いプラスチックと金属の塊であるマイクが、俺の握力によってひしゃげ、砕け散る。
尖とがった破片が掌てのひらに食い込み、赤い血が滲にじみ出て、黒い油汚れと混じり合う。
痛み。
鋭い痛みが、麻痺しかけていた俺の感覚を、現実へと引き戻す。
ポタ、ポタ……。
握り潰した残骸の隙間から、血の滴しずくが落ち、熱い鉄の床で瞬時に蒸発した。
「……終わった?」
背後から、声がかかった。
キナだ。
俺は、ハッとして振り返ろうとした。
だが、体が動かない。
今の俺の顔は、どんな顔をしている?
怯えているか?
青ざめているか?
そんな顔を、彼女に見られたくない。
「……ああ」
俺は背を向けたまま、短く答えた。
声が、掠かすれている。
工場の轟音ごうおんだけが、俺たちの間の沈黙を埋めていた。
ゴウン、ゴウン、という機械の拍動。
それが、俺の乱れた心拍数と重なって、ひどく不快だった。
カツ、カツ、カツ……。
キナの足音が近づいてくる。
彼女は、俺の真横で立ち止まった。
そして、俺の血まみれの右手――まだ震えが止まらない拳を、そっと覗き込んだ。
「……震えてるわよ」
キナの声は、静かだった。
嘲笑あざわらうわけでも、過剰に心配するわけでもない。
ただ、事実を淡々と指摘する技術者の声。
「……分かってる」
俺は、隠すのを諦めて、震える拳を開いた。
砕けた部品が、バラバラと床に落ちる。
「怖いか?」
「ああ……怖いさ」
俺は正直に言った。
虚勢を張る気力さえ、あの男の声に削ぎ落とされていた。
「あいつは……化け物だ。今まで戦ってきた騎士や、このポンコツ人形どもとは訳が違う。……匂いがするんだよ。圧倒的な、『死』の匂いが」
俺は、自分の体を抱くようにして震えを堪こらえた。
「行けば、死ぬかもしれない。……いや、たぶん死ぬ」
それが、俺の偽らざる直感だった。
勝算なんてない。
武器は強化されたが、使い手である俺の心が、相手のプレッシャーに負けている。
「……そう」
キナは、短く相槌あいづちを打った。
そして、俺の顔を見上げた。
彼女の大きな瞳が、ゴーグルの奥で俺を射抜く。
「で? どうするの?」
「……え?」
「 死ぬかもしれないんでしょ? ……じゃあ、ここで尻尾を巻いて、あのダクトから第0層へ逃げ帰る?」
逃げる。
その選択肢が、頭をよぎる。
あそこなら、少なくとも今日すぐに死ぬことはないかもしれない。
ゴミの中で、息を潜めて生きていくことはできるかもしれない。
でも。
俺は、懐ふところに入れた「石」の感触を確かめた。
レオの遺骨。
あいつは、逃げなかった。
石になる最後の瞬間まで、俺を見ていた。
そして、10年前の記憶。
父さんと母さんの背中。
逃げたら、どうなる?
俺は一生、あの薄暗い天井を見上げて、自分を「ゴミ」だと認めて生きていくのか?
あいつらに、「やはりお前は弱者だ」と笑われたまま、終わるのか?
「……ふざけるな」
俺の口から、自然と言葉が漏れた。
「嫌だ。……もう、見上げているだけなのは、嫌なんだ」
俺は、顔を上げた。
視線の先。
工場の蒸気の向こうに、上層へと続く巨大なエレベーターシャフトが見える。
その先には、レグルスがいる。
ヘリオスがいる。
俺からすべてを奪った、理不尽な世界の頂点がある。
「やっと、届いたんだ」
俺は、震える手を強く握り直した。
爪が食い込み、新しい血が流れる。
その痛みが、俺の輪郭をはっきりとさせる。
「今まで、雲の上の存在だった連中が……今は、俺の言葉を聞いている。俺に殺意を向けている。……殺し合える『距離』に、やっと立てたんだ」
恐怖はある。
足はすくんでいる。
でも、それ以上に。
俺の魂の奥底が、歓喜していた。
俺は、無視されていない。
俺は今、世界と敵対している。
その事実が、たまらなく嬉しくて、震えが止まらないのだと気づいた。
「俺は、止まらない」
俺は、キナを見た。
彼女の顔には、煤と油がついている。
でも、その瞳は、工場の溶鉱炉よりも熱く、美しく輝いていた。
「俺は行くぞ、キナ。……地獄の底まで付き合う義理は、お前にはない」
これは、俺の復讐だ。
彼女を巻き込む権利はない。
ここで引き返すなら、それも正解だ。
キナは、俺の言葉を聞いて、きょとんとした顔をした。
それから、ふっ、と息を吐き出した。
彼女の口元が、ゆっくりと吊り上がる。
それは、美しい少女の微笑みではなかった。
悪戯いたずらを成功させた子供のような、あるいは、爆弾のスイッチを押す瞬間のテロリストのような、凶悪で魅力的な笑み。
「……馬鹿ね」
キナは言った。
「誰が降りるって言ったのよ。……言ったでしょ? 私は見たいの。このふんぞり返った塔の、『中身』を」
彼女は、俺の手を――血と油にまみれた汚い手を、自分の両手で包み込んだ。
義手の冷たさと、生身の温かさ。
二つの温度が、俺の震えを物理的に止める。
「あんたが震えるなら、私が支えてあげる。……その代わり、あんたは剣を振るいなさい。私の前に立ち塞がる、すべての理不尽を叩き斬るために」
「……キナ」
「共犯者でしょ? ……最後まで、骨の髄まで付き合ってやるわよ」
俺は、彼女の手を握り返した。
強く。
骨がきしむほどに。
恐怖は消えない。
レグルスの声は、まだ耳に残っている。
でも、一人じゃない。
このイカれた相棒がいれば、俺は恐怖さえも燃料にして、前に進める気がした。
俺たちは、同時に前を向いた。
視線の先には、エレベーターシャフトのゲート。
そこには、緑色のランプが点灯していた。
『第2層行き』のサインだ。
「……行くか」
「ええ」
俺たちは歩き出した。
重機兵の残骸を踏み越え、溶けかけた鉄の床を踏みしめて。
ゲートの前に立つ。
俺は、ボタンを押した。
重い駆動音と共に、扉が開く。
その向こうには、第1層とはまた違う、湿った風が吹いていた。
植物の匂い。
そして、濃密な魔素の気配。
レグルスの庭。
獣たちの狩り場。
俺は、ニヤリと笑おうとした。
頬が引きつって、うまく笑えたかは分からない。
でも、心の中では、確かに笑っていた。
「言っちゃったわね」
エレベーターに乗り込みながら、キナが楽しそうに言った。
「『狼煙』だなんて。……あんな大見得切って、もう後戻りできないわよ」
俺は、魔剣ヴァニタス・カスタムを肩に担ぎ直した。
背中の排熱ダクトから、シュッ、と白い蒸気が噴き出した。
剣も、やる気だ。
俺は、閉まりゆく扉の向こう、第1層の景色を見据えて答えた。
「望むところだ」
ガコン。
扉が閉まり、俺たちの身体がふわりと浮き上がった。
上昇。
地獄の釜の底から、次なる死地へ。
俺たちの反逆は、もう誰にも止められない。
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