第8話:戦闘 物理で殴る、魔力なき者の殺し方
いつも応援ありがとうございます。
最新話を更新しました。 最後までゆっくりとお楽しみください!
「ギョオオオオオオオオオオッ!!」
咆哮が、空気を殴りつけた。
それは音というよりも、物理的な衝撃波だった。
巨大なアビス・ワームの口から放たれた振動が、俺の鼓膜を震わせ、内臓を揺さぶり、立っている岩盤さえもビリビリと共振させる。
生臭い。
腐った魚と、溶けた鉄を混ぜ合わせたような、強烈な口臭が突風となって吹き付けてくる。
俺は思わず顔をしかめ、吐き気をこらえた。
デカい。
あまりにも、デカすぎる。
見上げても全貌が把握できないほどの巨体。
列車ほどの太さがある赤黒い胴体が、天井の穴から無限に湧き出し、鎌首をもたげて俺を見下ろしている。
その先端にある口。
目はない。
あるのは、直径数メートルもの円形の口腔と、その内側にびっしりと並んだ、回転ノコギリのような鋭い牙だけ。
粘液が糸を引いて滴り落ち、地面の岩をジュウ、と溶かしている。
(……勝てるのか?)
俺の本能が、そう問いかけてきた。
相手は深層の掃除屋。
この地獄の生態系の頂点に立つ怪物だ。
対する俺は、魔力ゼロの「落ちこぼれ」で、ついさっきまで泥の中で溺れかけていた死に損ないだ。
普通なら、勝負にすらならない。
一飲みにされて終わりだ。
恐怖で足がすくみ、失禁して、食われるのを待つのが正しい反応だろう。
けれど。
(……震えが、止まった)
俺は、自分の手を見た。
白い包帯で腕と一体化した、異形の魔剣。
その冷たさが、恐怖という感情を物理的に凍結させていた。
怖い、と感じるよりも先に、絶対零度の冷気が神経を麻痺させる。
そして、代わりに心臓の奥から湧き上がってくるのは、焼けつくような「殺意」だった。
ドクン。
右腕が跳ねた。
剣が、脈動したのだ。
白い包帯の下で、何かが蠢き、俺の腕をギリギリと締め上げる。
言葉はない。
だが、伝わってくる。
強烈な「食欲」。
目の前の巨大な肉塊を、魔力の塊を、喰らいたくてたまらないという、純粋な飢餓感。
「……そうか」
俺は、凍りついた唇を歪めて笑った。
白い息が漏れる。
「腹が減ってるんだな。……俺もだ」
その瞬間。
ワームが動いた。
ズドンッ!!
巨体が、鞭のようにしなったかと思うと、音速に近い速度で頭上から振り下ろされた。
質量による圧殺。
単純だが、回避不能な暴力。
(速い……!)
思考する時間はなかった。
俺の身体は、意思よりも先に反応していた。
剣が俺の重心を強引に引きずり、回避行動を取らせたのだ。
タンッ。
右足が岩を蹴る。
泥で滑るはずの地面を、確実にグリップし、身体を真横へと弾き飛ばす。
ドガァァァァァンッ!!
一瞬前まで俺が立っていた場所が、粉々に粉砕された。
岩盤が砕け散り、土煙が舞い上がる。
その衝撃波だけで、俺の身体は木の葉のように吹き飛ばされた。
「ぐっ……!」
俺は空中で体勢を立て直し、数メートル離れた岩の上に着地した。
靴底が滑り、バランスを崩しかける。
だが、右手の剣が「重り」となって、強引に重心を安定させた。
(……動ける)
俺は、自分の身体を見下ろした。
軽い。
異常なほどに軽い。
筋肉の一本一本が、悲鳴を上げる限界ギリギリまで収縮し、爆発的なパワーを生み出している。
剣が俺の「熱」を吸い取る代わりに、過剰なほどのアドレナリンを脳に送り込んでいるかのようだ。
死に近づくほど、生が加速する。
命を削って、力を得る。
なんて効率の悪い、狂ったシステムだ。
「ギシャアアアアッ!」
攻撃を外したワームが、苛立たしげに鳴いた。
長い胴体がうねり、周囲の遺跡をなぎ倒していく。
崩れる石柱。
舞い上がる粉塵。
その混沌の中を、赤い影が迫ってきた。
尻尾だ。
丸太のような太さの尾が、俺の横腹を狙って薙ぎ払われる。
避けられない。
範囲が広すぎる。
(なら、受ける!)
俺は、剣を盾のように構えた。
白い刀身を、迫り来る肉の壁に向ける。
ドォォォォォンッ!!
激突。
軽自動車が正面衝突したような衝撃が、俺の全身を襲った。
「が、ぁ……ッ!!」
骨がきしむ音がした。
足元の岩が蜘蛛の巣状にひび割れる。
内臓が潰れそうな圧力。
重い。
圧倒的な質量差。
普通なら、腕ごと持っていかれて即死だ。
けれど。
「……止めたぞ」
俺は、食いしばった歯の間から唸った。
止まったのだ。
俺の細い腕と、この白い剣一本で、あの巨体の突進を完全に受け止めていた。
剣は、ピクリともしなかった。
まるで、空間そのものに打ち込まれた杭のように、理不尽な運動エネルギーをすべて吸い込み、無効化している。
ただ、俺の腕に食い込んだ包帯が、ミシリと音を立てて肉を締め付けただけだ。
「これくらい……食ってみろッ!」
俺は剣を押し返し、その反動で後方へ跳んだ。
距離を取る。
ワームが、体勢を立て直す。
その口元から、ダラダラと粘液が垂れている。
俺という「獲物」が、予想外に硬い異物であることに戸惑っているようだ。
「どうした? ただのゴミじゃなかったか?」
俺は挑発した。
心臓が、早鐘を打っている。
恐怖ではない。
興奮だ。
戦えている。
あのバベルの頂点に立つヘリオスと同じ「魔力持ち(エリート)」の怪物を相手に、泥まみれの俺が渡り合っている。
その事実が、俺の脳髄を痺れさせた。
(もっとだ……もっと寄越せ!)
俺は、剣の柄をさらに強く握りしめた。
包帯が腕に食い込む。
痛い。
冷たい。
でも、その痛みが「力」に変わる。
その時。
ワームの様子が変わった。
ズズズズズ……。
空気が震える。
ワームの喉の奥が、カッ、と明るく発光し始めた。
緑色の、不気味な光。
周囲のマナ(魔素)が、渦を巻いてその口元に吸い込まれていく。
(魔法だ)
俺は直感した。
あの光は、ただの発光現象じゃない。
高密度の魔力を圧縮し、放出しようとしている前兆。
深層生物特有の、「酸のブレス」。
触れたもの全てを溶かし、骨さえ残さない必殺の溶解液。
普通の人間なら、ここで絶望する。
魔法使いなら、防御結界を張るだろう。
だが、俺には魔力がない。
結界も張れない。逃げ場もない。
死ぬ。
常識的に考えれば、確実に死ぬ。
けれど。
ドクンッ!!
俺の右腕が、大きく跳ねた。
剣が、歓喜に震えている。
さっきまでの静けさが嘘のように、刀身が熱を帯びるほどの興奮を伝えてくる。
『美味そうだ』
『あれを寄越せ』
『あれを食わせろ』
言葉ではない。
だが、そんな明確な欲望が、電流のように俺の神経を逆流してくる。
「はは……」
俺の口から、乾いた笑いが漏れた。
狂ってる。
迫り来る死の光を見て、ヨダレを垂らすなんて。
でも、俺も同意見だった。
あの光が、ひどく魅力的に見えた。
あいつの魔力を奪えば、俺たちはもっと強くなれる。
「行くぞ、ヴァニタス」
俺は、剣を正面に構えた。
切っ先を、ワームの光る口に向ける。
逃げない。
隠れない。
「真正面から……頂く!」
ワームの口が、限界まで開かれた。
緑色の光が、視界を埋め尽くす。
ドシュッ!!!!
発射音。
それは空気の破裂音だった。
高圧の酸の奔流が、レーザービームのように一直線に俺へと放たれる。
岩を溶かし、空気を焼き、全てを無に帰す死の光。
その光の中に、俺は自ら飛び込んだ。
***
「う、おおおおおおおおッ!!」
俺は叫びながら、光の濁流へと突っ込んだ。
肌がチリチリと焼ける。
酸の飛沫が頬をかすめ、ジュッという音と共に火傷を作る。
熱い。
痛い。
だが、直撃コースにある剣の切っ先だけは、違っていた。
ゴウッ……!
音が消えた。
いや、吸い込まれたのだ。
酸のブレスが、剣に触れた瞬間。
まるで、巨大な掃除機に吸い込まれる煙のように、渦を巻いて刀身の中へと消えていく。
「な……!?」
ワームの目が(もしあれば)、驚愕に見開かれたはずだ。
必殺のブレスが、届かない。
どれだけ吐き出しても、俺の手前で消失してしまう。
剣が、光る。
白かった包帯が、緑色の燐光を帯びて輝き出す。
吸った魔力を、そのまま自分のエネルギーへと変換しているのだ。
ドクン、ドクン、ドクン!
剣の脈動が激しくなる。
歓喜の絶叫が、振動となって俺の腕を揺らす。
そして、そこから溢れ出した余剰エネルギーが、俺の身体へと流れ込んでくる。
熱い。
凍えていた指先に、爆発的な熱量が戻ってくる。
いや、これは体温じゃない。
奪った魔力の奔流だ。
他者の命を燃やす、略奪の炎だ。
「消えろぉぉぉッ!」
俺は、ブレスの中を駆け抜けた。
剣を振り回し、残った酸の霧を払いのける。
目の前には、無防備になったワームの顔があった。
ブレスを吐き尽くし、隙だらけの無様な顔。
「こっちは、物理だ」
俺は、右足を強く踏み込んだ。
地面が陥没する。
その反動を使って、ワームの懐へと跳躍する。
魔法は通じない。
なら、どうする?
簡単だ。
硬いもので、殴ればいい。
「砕けろッ!!」
俺は、剣を振りかぶった。
斬るのではない。
この異常な重量を持った鉄塊を、全速力で叩きつける。
ガゴォォォォンッ!!
鈍い音が響いた。
金属バットでスイカを殴ったような、湿った破壊音。
剣が、ワームの下顎に直撃した。
鋼鉄よりも硬いはずの外殻が、飴細工のように粉砕される。
緑色の体液が噴水のように飛び散り、俺の顔を濡らす。
「ギ、ギャアアアアアッ!?」
ワームが悲鳴を上げた。
痛覚。
魔法生物である彼らが、久しく忘れていた「物理的な痛み」。
「痛いか? ああ?」
俺は着地もせずに、二撃目を叩き込んだ。
今度は横薙ぎ。
遠心力を乗せて、胴体を殴りつける。
バギィッ!
肋骨が折れる感触が、手に伝わってくる。
気持ちいい。
この、肉に食い込み、骨を断つ、生々しい感触。
これこそが「戦っている」という実感だ。
光を飛ばし合うだけの魔法使いには決して味わえない、命のやり取りだ。
「痛いよな! 俺も痛かったよ!」
俺は吠えた。
三撃目。
四撃目。
「寒かったよ! 重かったよ! 悔しかったよ!!」
俺の叫びに呼応するように、剣も加速する。
一撃ごとに重くなり、一撃ごとに鋭くなる。
ワームの巨体が、サンドバッグのように揺れる。
魔法障壁を展開しようとしても、剣が触れた瞬間に霧散してしまう。
一方的な蹂躙。
魔力を持たない俺が、魔力の塊である怪物を、ただの暴力で圧倒している。
「ざまぁみろ……!」
俺は、空中で身体を捻った。
トドメだ。
ワームが苦痛にのたうち回り、頭を下げた瞬間を逃さない。
「死んで、俺の糧になれ!」
俺は、剣を逆手に持ち替えた。
そして、ワームの脳天目掛けて、全体重を乗せて突き立てた。
ズブゥッ!!
嫌な感触。
分厚い皮を貫き、頭蓋骨を砕き、その奥にある柔らかい脳漿へと刃が到達する感触。
「ギ……、ギィ…………」
ワームの動きが止まった。
断末魔の呻きが漏れ、そして糸が切れたように巨体が崩れ落ちる。
ズゥゥゥン……。
巨大な肉塊が、地面に横たわった。
地響きが収まると、そこには静寂だけが残った。
俺は、ワームの頭の上に立ち尽くしていた。
剣はまだ、脳天に突き刺さったままだ。
そこから、ワームの残りの魔力が、シュルシュルと音を立てて剣に吸収されていく。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
俺は荒い息を吐いた。
白い息が上がる。
全身が返り血(緑色の体液)で汚れている。
右腕は感覚がなく、氷のように冷たい。
でも、立っている。
俺は、生きている。
「……勝った」
呟いた瞬間、膝から力が抜けた。
ドサッ、とワームの死体の上に座り込む。
勝ったんだ。
あの化け物に。
魔力ゼロの、ゴミ捨て場の俺が。
震えが来た。
今度は恐怖ではない。
歓喜の震えだ。
俺は、自分の手を見た。
汚れた、血まみれの手。
でも、今の俺には、この汚れが勲章のように見えた。
魔法使いの綺麗な手よりも、ずっと価値のある、力を掴み取った手だ。
手の中の剣が、静かに明滅している。
満腹の獣が喉を鳴らすような、微かな振動。
包帯の隙間から漏れる光は、どこか満足げに見えた。
俺は、頭上を見上げた。
天井に開いた大穴。
そこから、微かに風が吹き込んでくる。
生温かい、腐ったゴミの臭いのする風。
第0層の空気だ。
「……帰れる」
俺は立ち上がった。
剣を引き抜く。
ヌチャリ、と脳漿が滴る。
「帰ろう、ヴァニタス」
俺は、血に濡れた剣を肩に担いだ。
「あのクソったれな日常へ」
俺はワームの死体を足場にして、天井の亀裂へと手を伸ばした。
その目は、もう被害者の目ではなかった。
獲物を狙う、捕食者の目をしていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、 下の【☆☆☆☆☆】評価や、ブックマークをいただけると執筆の励みになります!




