9話 “転移”、今運命を孕んで。
結界を抜けて界斗を初めに襲ったのは、危険地帯の濃い魔素だった。
目まぐるしいほどに色鮮やかな森の中の奇妙な植物も、きっとこの魔素に当てられ姿を変えたのだろうと、魔導書を読み知識を得た界斗は思う。
魔素、それはまだ魔力になっていない空気中を巡る微細な魔力の元である。これを魔術刻印を通すことで、魔素を魔力に変え、人々は魔術を使用している。エルフであろう女に魔術刻印があったことを考えると、きっとドワーフにも同じものがあるのだろう。
魔素、一見これは魔力に変えれば魔法になる無害な物に見えるだろう。しかし、魔素のおよぼす影響はそれだけではない。
魔素の能力、それは植物や動物、虫達の魔獣化である。魔素は、それを変換することができない魔術刻印を持たない生物達にも影響を与える。しかし、魔素は有害なものであり、魔力に変換しない限り濃い魔素に身体を晒していると、生物であればどんなものでも魔獣となる。それは同様、人間も同じである。
が、今の界斗にはそんなことを気にしている暇はなく、目に映る未知の植物や生物に、興味津々だった。けれども、魔素にその身を晒し魔獣となった獣達は、悠長に目新しい世界を楽しむ界斗を許さない。
先手をしかけたのは、蜂のような怪物だった。しかし、その姿は明らかに界斗が元居た世界の物とかけ離れていた。図体の大きさは界斗の頭一個分はあり、その姿で持った針は、お馴染みの黒と黄色の模様でも、比べ物にならない恐怖を与える。それだけではない、元はあまり存在感を持たなかった腕にも、尻尾と似たような針がある、初めて見る怪b津の姿に、界斗は少し身体を震わせる。
―― これが、異世界……
界斗が実感するのは、元居た世界との違い、身体を震わせ、恐怖を感じながら異世界であることを実感する。そしてだからこそ、界斗は異世界のやり方で、怪物どもに抗う。
巨大な蜂の針が、界斗めがけて迫る。目の前まで迫ると、威勢を張っていた界斗も、それには身体が動かないように感じる。が、今の界斗はもう蹂躙されるのを見ているだけの凡人ではない。抗う力を持った、魔法使いである。
「世界巡る魔素よ、我が四肢巡りて魔力を成せ」
反撃に備えるため、詠唱を初めながら蜂の一撃をかわす。
「その姿、敵散らす炎の咆撃へと変え、貫き燃やせ
放て 《火砲》」
自らが仕留めるつもりで放った一撃をかわされた蜂は、強めた勢いを抑えることができず、界斗の放った一撃に間に合わない。
蜂にできた大きな隙。それを狙った界斗は、《ブロート》を付けた掌を面構え、蜂をめがけて炎の砲撃を放つ。
放たれたのは炎の砲撃、構えた掌から一直線に蜂の魔獣めがけて放たれたそれは、逃げることができなかった蜂を、簡単に塵に変えた。
―― これって、身体の一部を落としたりするんじゃないのか。いや、ゲームじゃないんだし、そういうのはないか、
ゲームで偏った知識では、どうしてもそれによった思考になってしまう。界斗は少し思考の偏りを気にしながら、奇怪な森の中を、迫りくる魔獣たちを退けていった。
勢いは順調そのそのものだった、奇怪な森のんかを進みながら、迫りくる魔獣たちを魔法で殺していく。蜂を焼き尽くしてしまった事を少し後悔しているのか、小さい敵には下級の魔法を使い、大きさが自分と同じくらいになると、界斗は中級以上の魔法を使用していた。
しかし、順調とは言っても、万事うまく行っているわけではない。
腕時計の進み具合は、今で30分ほど、それに対して、界斗の魔力量はさほど残っていなかった。
魔力量という単語は、魔素から魔力を変換してしようする存在にとっては遠い物のような気もするだろう。だからといって、魔法刻印が無限に魔素を魔力に変換できるというのもおかしな話だ。
魔力量とは、一日で魔法刻印が魔素を魔力に変換できる総量のことだ、これは一定の上限値は定められているものの、努力と自らの魔法刻印と共に過ごした時間によって徐々に大きくなっていく。それは人口刻印である《ブロート》も同様だ。が、今の界斗は魔法を使う努力はしてきたものの、魔力量はそこまで増えていない。それは、《ブロート》の使用期間が短いことが原因に挙げられる。
魔力量の限界値、それは魔法使いにとってではなく、生物としての危機を表す。なぜならば、限界値を超えた後も、詠唱を行えば、痛みを伴うものの、魔素は魔力に変換できる。しかし、ここに問題が生じる。限界値を超えた魔素の変換は、一定数の魔素を魔力に変換できず、そのまま身体に流してしまう。これはつまり、動物同様、人間も魔獣化する可能性があることを表している。
―― 30分……ギリギリかな。
頭の中でそう呟く。思考の通り、界斗は30分この森の中で過ごすにはギリギリな状態だった。今は魔力量にも余裕があるが、30分戦闘をさきほどまでのように続けるとなると話が違う。それを界斗は感覚で実感していた。とはいえ、今から逃げたり隠れたりして30分を過ごすという考えも今の界斗には無い。戦い抜く、それが界斗の答えだった。
そして、森もまたその威勢に答える。
魔力量と現状の確認のため木々の影に姿をひそめていた界斗は、それが終わると茂みから顔を出した。
その瞬間だった。
木々の影から界斗が姿を出したその刹那、空から巨大な棍棒が界斗の目の前に降ってくる。
「巡る魔素、この身流れ魔力を成せ。その姿、我を守護する防壁へと変え、数多の攻撃から我を守れ 防げ 《土ノ盾》」
間一髪でやってのけた詠唱の簡略化、とっさの判断であり、簡略化に成功したのは一節目だけである。しかし、それでも魔法を習って一週間でそれを成すのは異常。界斗の異常は、未曽有の敵からの一撃を防いだ。
しかし、それは“ただの一撃”であることを、界斗は攻撃を放った怪物を目にして悟る。
目に入った怪物の姿は、明らかに界斗よりも大きい。界斗の二倍は優にあるだろう、それは界斗自身も瞬時に理解した。
土の盾が攻撃を防いだ隙に茂みから飛び出し相手の顔を伺うと、それは巨大な鬼だった。
頭には一本の角を生やし、巨大な棍棒を肩に当て、こちらを見下した目で眺めている。
―― 鬼? オーガってやつ? まぁ、節約は……指せてもらえ無いよね。
相手の姿を目に入れてそう悟ると、界斗は気持ちを入れ替え戦いに身を投じる。
「巡る魔素よ、この身流れ魔力を成せ。その姿、敵穿つ土の砲撃へと変え、その身を持って貫き砕け散れ
放て 土砲」
目の前の鬼がその巨体を使って棍棒を振りかざす。それは、一度界斗が防いだ攻撃、しかし、今回は状況が違う。しっかりと攻撃の動作が、界斗の目に入っている。
界斗は棍棒を避けながら魔法の詠唱を行う。放たれた土の砲弾は界斗を外した棍棒のせいで、地面に当たった衝撃を喰らう鬼へと向かった。
土属性中級攻撃魔法 《土砲》、それは鋭い土の砲弾であり、貫いた敵の身体の中で砕けることで、二段構えのダメージを与えるはずの技だった。
しかし、それを放った界斗の目に入ったのは、土の弾丸にできたのはせいぜい少し傷をつけた程度で、鬼の内側で砕けるはずだった砲弾は、鬼の外側で勢いなく砕けた。
―― 節約、どころの問題じゃない……
簡単に防がれてしまった……いや、防がれることなく意味を成さなかった自分の攻撃の姿に呆気を取られていると、どうやら鬼の様子がおかしい。
―― 怒った……とか?
残念なことに、それは正解だった。
攻撃を受けた事で、その顔を赤くした鬼の様子は、さきほどよりあきらかに激昂していた。
「出血大サービス……ってやつですよ!!」
界斗はひとりでにそう呟くと、目の色を変え、さらに強い魔法を放つ。
「巡る魔素よ、この身流れ魔力を成せ。その姿この地と混ぜあわせ、地面揺らし砕き割れ。変わって、その姿さらに我を守護する防壁へと変え、数多の攻撃から我を守れ。
防ぎ、割れろ 土属性連立攻撃防御魔法 《地懐》&《土ノ盾》」」
激昂する鬼の攻撃を防ぐことは、今の界斗には難しかった。それを自分でわかっているからこそ、おとりとして盾を作り出し、少しの時間を稼ぐ。
ほんの数秒、わずかにできる時間、その隙に鬼の両足の隙間を潜り抜ける。
その瞬間だった。鬼の棍棒が、盾と共に地面を叩いた瞬間。唱えていた魔法が発動する。
土属性上級攻撃魔法《地懐》、その効力は、地面を揺らし割ること。今の界斗では、範囲は少し短い。が、それでもこの鬼を覆う程度の距離はある。
さらに、魔法の発動で割れた地面に鬼が棍棒を叩きつけた衝撃が加わる。
界斗の罠にまんまとはまった鬼の身体は、少し浮く。その隙を、界斗は見逃さない。
「巡る魔素よ!! この身流れて魔力を成せ! その姿風の砲撃として、目前の敵を貫け
放て 《風砲》」
それは、本来敵を貫くための魔法であった、しかし界斗はそれを別の使用方法で運用する。
「重いなぁ!!」
気張りながら魔法を放つ界斗は、風の砲弾を鬼との間にこすりつけ、鬼の身体を空高くに弾き飛ばす。
大きな隙を生んでしまった鬼に、それを防ぐ術はない。
打ち上げられた鬼に、さらに界斗の魔法が忍び寄る。
界斗は手から、戦闘中に拾った小石を空に弾き上げ、詠唱を始める。
「巡る魔素よ、この身流れ魔力を成せ。その姿敵貫く一撃、我放つもの石。矮小な石でさえも天高く飛ばし大いなる一撃へと変える天よ!! 今ここにその力を発揮したまえ!!
穿て 風属性上級攻撃魔法 《天撃》!!」
詠唱が終わった瞬間、界斗が弾いた小石が空高く、雲をかすめそうな高さまで突き上げられる。
風属性上級攻撃魔法 《天撃》、それは発動者が命じたものを空高くまで飛ばし落とす魔法。
それが刃物などであれば効力は大きく跳ね上がるが、生憎、界斗はそんなものを持ち合わせていない。選ばれたのは落ちていた小石。それでも、空を舞う鬼に降りおりるその一撃はたしかに強力な必殺と言えるほど威力だった。
鬼に加わるのは、その身を穿つ高速の小石による一撃と、それに連れられ高速で地面に身を打ち付ける衝撃、二重の衝撃は、たしかに鬼の息の音を止めた。
―― 終わった……のか?
界斗の問いかけに終わりを告げるような優しい風が、ふきつける。
しかし、そこで終わるはずだった、界斗の試験はまだその真価を発揮していなかった。
時計を確認すると、時間は残り10分ほど、試験の終わりにちょうどいい時間、あとは帰るだけのはずだった。
―― って、結構遠くまで来たな。
時計に着いた来た道をたどる機能を眺めながら、少し帰り道の遠さにうんざりする。
その時、ふとあたりを見回すと、少し行った先は、綺麗な草原だった。
美しい花々が色鮮やかに咲き誇っており、そよぐ風に花弁がその身を流している。
少し見惚れてしまった。少し気になってしまった。思うがままに、草原に向かって足を動かした。
草原に近づくに連れて、少し香りも強くなってきた気がする。魔素の濃度も心なしか薄い。
あと一歩で草原に足を踏み入れると思ったその時だった。
突如、花弁を流していたはずの風が、その流れを止める。
その光景に疑問を持った刹那、界斗の目に、見覚えのある光景が浮かび上がる。
何かが、空気と入れ替わる。それは元居た世界、怪物が“転移”してきたのと同じ光景だった。しかし、ここは異世界、“転移”してくるのは、界斗が元居た世界の“人間”である。
目の前に現れたのは、茶髪の髪を、ショートカットにした少女だった。ブレザーを着た姿をみるに、学校帰りなのだろう。初めて見る“転移”の瞬間、普通ならば、現れた少女が誰であれ、助けて祷慈の元に送るべきなのだろう。しかし、突如“転移”した少女の姿に、界斗は動揺した。
なぜならば、界斗はその姿に、見覚えがあったのだから。
「相園さん……?」
花弁を流す風は、再び草原に吹き始めた。