6話 魔法の正体
「すまねぇな。少し汚ねぇが……」
祷慈がそう言いながら少し錆びれたドアを開けた先に広がっていたのは、確かにお世辞にも綺麗と呼べる部屋ではなかった。
家があるのは、さっきとは違う森の中。この家もまた、木々の中にその姿を隠していた。
部屋の中はといえばゴミが散らかっているわけでもないが、部屋の隅に貯まった埃や、使い古された食器や家具からは、清潔感などを感じることができなかった。
「お、お邪魔します」
界斗はその部屋の雰囲気に少し引きつりながら、扉の中に足を踏み入れた。
扉の先の部屋には、玄関と思われる場所がない。界斗は慣れない部屋の間取りに困惑していると、後から部屋に入った祷慈が土足のままリビングに向かったのを見て、恐る恐る靴を履いたまま部屋の中へと入った。
「そんなにびくびくしてんなよ。これからはここがちょっとばかし家になるんだ」
そう優しく祷慈が言っても、界斗はくつろぐ気にはならなかった。
―― 汚い……
目の前の薄汚い家具たちを前に、界斗は少し震えていた。別に界斗が綺麗好きなわけでもないが、埃がついたままだったり、少しべとべとしていそうな部屋に住むというのは、少し気が引ける。
「あ……あの、掃除する魔法……とかってないんですか?」
界斗は恐る恐るそう問いかけてみる。助けてもらった人に汚いなんて言うのが無礼なのは界斗自身理解しているが、それだけで許容できるものではない汚さが、目の前には広がっていた。
「掃除する魔法だ? んなもんねぇよ…… でもまぁ、最後に掃除したのは半年前だし、汚いか」
反応は思ったより明るいものだった。界斗は最悪怒鳴られても仕方ないと思っていたのだが、祷慈は予想以上に気前のいい人らしい。
祷慈が自分の部屋を見回して「汚いか」と呟くと、界斗はそれに答えるように勢いよくうなづいた。その反応を見て、祷慈が笑う。
「うし、じゃあまずは掃除か」
そうして界斗は、初めて入った家の掃除を手伝うことになった。
掃除する魔法なんていう夢のような物が異世界には、掃除機なんて文明の利器が在るわけもなく。二人は雑巾やほうきを使って部屋の汚れを隅々まで落としていった。
「掃除機……だっけか? そんなのがあったらいいんだけどな。あいにくこっちは魔法に頼りすぎなんだ。辛いもんだよ、魔法があるのも」
掃除機、まさかその単語が祷慈から出てくるとは界斗は思いもしなかった。自分と同じ転移者だという父親から聞いたのだろうか。そんな疑問を、掃除し終えて綺麗になった椅子に座りながら頭に浮かばせた。
「転移者って、珍しくないんですか?」
元居た世界での単語が出てきたことに釣られて、話題の方向は“転移”を捉える。
「別に珍しくはねぇな。年々増えていってる。まぁ、それが問題でもあんだがな」
少し暗い雰囲気で、祷慈はそう呟く。が、それにどんな意味があるのかは、界斗にも分からなかった。
「色々説明しなきゃならねぇこともあるが、まずはその耳の奴からだな。
それは、《ブレイ》って呼ばれてる翻訳機だ。仕組みとしてはそいつ自身が小型の魔道具になってる。お前が話す言葉をこっちの世界の言葉にしてくれたり、その逆もってわけだ。」
祷慈はなぜか自慢げに《ブレイ》という名の機器の説明するが、未だ異世界人との会話をはたしていない界斗にはその効力が分からなかった。
「異世界人と話せる……か、あんまりまだ効き目分からないですけどね」
「いつか分かるよ、そいつのすごさがな」
少し物足りなそうに界斗が言うと、なぜか祷慈はまたも表情を曇らせてそう言葉を返す。
界斗はその事実にまだ築いていないが、ところどころ表情を曇らせる祷慈は、何かを界斗に隠している様子だった。
「まぁまぁ、今はそれより大事な話がある。界斗、お前には、この世界で生き抜く力を付けてもらう」
祷慈の言葉に、界斗がピンと来たのは、森で殺した怪物だった。
この世界で生き抜く力、それはつまり、この世界で蔓延っているであろう怪物たちと渡り合う力ではないのだろうか。それが、界斗の見出した答えだった。
そして、それを口に出す。
「あの怪物達を、殺す力ってことですか……?」
言葉を放つ界斗の声は震えている。きっと、脳裏に映る虐殺の景色が彼の脳裏を震えさせているのだろう。今、なんでもないように生きていても、彼の心はまだ、あの死体達を忘れようとはしない。いや、忘れたいとも思っていない。
なぜならば、今も彼が生きていられるのは、彼らが代わりに死んだからなのだから。
しかし、これからは界斗の代わりに死んでくれる人間などいない。いや、そんな存在、界斗すら願っていない。だからこそ、祷慈の言う「この世界で生き抜く力」に、「怪物を倒す力」を答えとして出したのだ。
「まぁ、半分は正解だな」
界斗の出した答えに、祷慈はそう言う。何が半分なのかはわからない、説明する間もなく、引き出しから一着の手袋を取り出しながら、祷慈は言葉を続ける。
黒い布に紋章が描かれた手袋、界斗がそれに目に入れた時、頭の中で重なったのはさきほどの女の腕にあった紋章だった。
「人口魔法刻印だ。普通の転移者は、それがないと魔法が使えない。」
祷慈のその言葉に、界斗は動揺する。
普通の転移者は、目の前の手袋がないと魔法が使えないらしい。
―― でも、僕は魔法を使ってたはずだ……
祷慈が語る事実とは裏腹に、界斗の頭に浮かぶのは、確かに目の前の怪物達を殺した自分の使った魔法だった。
「そんな……僕は魔法を使ってたはずじゃ。」
「そうだ。お前は森の中で、あの化け物どもを殺すために魔法を使ってる。が、それは普通じゃあない。」
――は?
頭の中では疑問が浮かんでしまったものの、界斗の心の中には自分だけの特別な力なるものに少しだけ心を躍らせた。
が、そんなやわな希望はすぐに打ち破られることになる。
「さて、じゃあちょっとうれしそうな界斗君に試験だ。使った魔法をここで使ってみろ。
俺を拘束してもいい、貫いてもだ。俺には防げる。」
界斗は少し不安だった。目の前の恩人に向けて、怪物とはいえ生物を殺した魔法を放つ。もし殺してしまったら、そんな不安が、彼の頭の中にはあった。
しかし、目の前には余裕そうに刀に手もかけていない祷慈、その姿に少しだけ安心し、心を決める。
「いきます!」
威勢よく魔法を発動した時、一つの疑問が、界斗の頭の中を埋めつくす。
―― どうやって魔法を使ったんだ?
界斗は自らがどうやって魔法を発動したのかを理解していなかった。
威勢のいい界斗の声が響き渡った部屋の中、魔法らしきものは、いつになっても現れない。
祷慈の目の中に映るのは、魔法が使えないことに焦る界斗の姿だった。
―― 植物が……木がない……あれを、触手にしないと……
「使えないか?」
鼻で笑うような祷慈の言葉に界斗は少し腹を立てると、焦りを隠しながら口を開く。
「外でやってもいいですか?」
フッとにやけると、祷慈はうなづいて家の外へ出る。
街から少し外れた森の中に建てられた一軒家。外見だけならば、金髪の女がいた家とさほど変わらないだろう。
界斗の頭の中で、その光景は確かに怪物を殺した時のものと重なる。
魔法によって起きた事象を、強く頭の中で思い返す。
触手へと姿を変えた枝。怪物を貫いたそれを、頭の中で描く。
界斗自身、魔法の使い方など分からない。怪物を殺せたのは、怒りに身を任せたからであって、自分が何をしたのかも分からない。だが、界斗のそれに世界は姿を変えようとする。
徐々に、周りの木々がその身を揺らし始める。
一帯の雰囲気は徐々に暗くなり、木々は枝を少し伸ばす。触手へと変わるかと思い、祷慈も刀へと手を当てたその時、世界の変貌に追いつかなかったのは界斗の方だった。
木々が姿を変える中、界斗は一人地面に崩れ落ちる。
それと同時に、木々は元の姿へと戻り、何事もなかったかのように、一帯の雰囲気は元に戻る。
「大したもんだ」
祷慈はそう言いながら刀に置いていた手を離すとそう呟く。
森の風に乗ってどこかへと飛んでいったその言葉は、意識を失ってしまった界斗の耳に入ることはなかった。
「まぁ、てなわけで。あの力はまだお前には早いってわけだ。まぁそもそも、使えたところでアレは俺の教えられる代物じゃねぇんだが」
部屋に響く祷慈の言葉を、聞いているのはベットで寝込む界斗だった。
少し悔しそうな顔をしながら身体を上げると、うんともすんとも言わずに祷慈の言葉を聞く。
「お前、さっき魔法を使おうとした時何考えてた?」
「あの怪物を殺した時の記憶を振り返って……出ろー、出ろーって」
どこか抽象的すぎる返答に、祷慈は少し呆れた顔をする。
頭に手を置いて落ち込んだかと思うと、すぐに顔をあげ口を開く。
「いいか? 魔法の発動には詠唱がいるんだ。俺たち魔法刻印を持つ奴は、年齢が上がるに連れて魔力との親和率ってのがあがって、ある程度は詠唱を削れるが、お前にはまだ早い。」
どこか呆れた口調で祷慈は言葉を続ける。
「その手袋は、そもそも空気中の魔力を吸収し、魔法への変換ができない転移者用に作られてる。いわゆる対外器官と思ってもいい。それがないと、お前たちは魔法を扱えない。」
その声に、界斗は疑問を浮かべる。魔法が使えないのが、魔力を使えないからだとすると、自分がさっき使ったのは何だったのか、そもそも魔法ではなかったのか? と思い、口を開こうとすると、疑問が表情に出た瞬間、祷慈が口を開く。
「お前のアレは専門外だ、なんで使えるのかも知らねえし、魔力なしでも魔法が使えるやつがいるとしか俺は聞いてねぇよ。」
祷慈が誰からそれを聞いたのかは分からない。が、祷慈の言葉に、界斗は自分だけの力はおあずけと言われたようで少ししょぼんとしていた。
「まぁまぁ、てことで。アレは無しだ。だから、お前には、ちゃんとしたやり方で魔法を使う修行をしてもらう。」
しょぼんとした顔をしても、やはり魔法という魅力満ち溢れた言葉に、界斗は目を輝かせた。