5話 悲劇の終結。
「お父……さん?」
界斗は、目の間で煙草を吸う男の姿に、そう言葉をこぼしてしまった。
ここは異世界、元居た世界とは違う。“転移”でもしていない限り、父親がいないことは知っている。いや、“転移”していたとしても父親が魔法を使えるわけがない。
が、未だ濁ったままの視界の中で、映り込んだ男の雰囲気は、数回だけ目の中に捉えた父親と似ていた。記憶の中の父とどこか似た男を、自然と頭で重ね合わせてしまう。
もしかするとそこには、界斗の父親に助けてほしかったという願望が隠れているのかも知れない。が、そんな感傷を目前の男は知らない。
「父さん? こいつらはもう死んでんだ。ビビってんのもそれくらいにしとけよ」
男からそう言われたのと同時に、濁っていた視界が元に戻っていく。
元に戻っていく視界の中で、徐々に輪郭を帯びていく男の姿は、やはり父ではない。
でも、目に映る男の雰囲気はどこか父と似ていた。
ここは異世界だ、もしここが元居た世界のパラレルワールドなら、似た人がいてもおかしくない。が、その可能性を否定するのは、男の異常性だった。
そう、男は異世界に生きる人間としては、どこか浮世離れしていた。
全身を色褪せたスーツにつつみ、話している言葉も、界斗が元居た世界のものを流暢に扱っている。
異世界人としては、さっきの女や助けてくれた男よりこちら側に近い男に、界斗は一筋の希望を持つ。
「もしかして、僕と同じ……」
少しの希望を抱きながら、界斗が口にした言葉は、言いかけたところで遮られる。
「悪いがな、俺はこっちの人間だ。お前らと同じ転移者じゃない」
その言葉を耳に入れた時、界斗は予想していたよりもダメージを追わなかった。
脳裏に浮かんだ希望とは裏腹に、界斗自身どこかで分かっていたのだろう、自分と男の違いに。まるで生まれた時から魔法を知っていたものと今この場で魔法を知ったものの漠然とした差が、そこにはあるのだから。
「まぁ、半分はそっち側の人間なんだがな」
半分はそっち、つまりは半分は異世界人のハーフという事である。が、それを聞いた界斗に訪れたのはそれに対する安堵よりも、疑問だった。
もしハーフというのであれば、目前の男は両親のどちらかが界斗と同じ転移者だったのだろう。その事実は、界斗に少しの恐怖を与える。
男ですら自分より一回りほど上の年齢の容貌なのに、その両親に転移者がいるとすれば、“転移”とは一体いつからあるのか、そんな漠然とした恐怖が、界斗の心を奪っていった。
界斗の心を奪った恐怖を前に呆然としていると、突然男がポケットから取り出した何かの装置のような物を投げ渡してくる。
「とりあえずそれ、耳につけとけ。機能は色々あるが、とりあえず言えるのはひとつ。言葉が分からねぇは辛いだろ」
その言葉一つで、界斗はその装置の意味を理解した。
―― これをつけたら……言葉が分かるのか?
耳につけただけで言葉がわかるようになるという、元居た世界でもないような夢の機械に少し疑問を持ちながらも、男に言われた通り、恐る恐る耳に装置をつける。
言われた通りに付けても、特段変化は見られない。
気になって男に話しかけてみる。
「すみません、名前を、教えてもらってもいいですか?」
「あ、名前か? そういや自己紹介もまだだったか、俺は、祷慈・ローベルだ。そっちは?」
「歪 界斗です。」
装置の試験として男と話して、界斗はお互いに名前だけの自己紹介を交わしたが、そもそも男は元々彼の知る言葉を話しているので、結局意味はなかった。
それでも諦めきれずに、この装置がどんな代物なのか気になり、耳を済ませると、森の奥から男の声が響いてくる。
自分が倒れていた時、僕を助けてくれた男の声だ。聞こえた瞬間にそうだと分かった。
何を言っているのか気になり、耳をすませてみると、まだ何を言っているのかは分からないが、少しだけ声が低く聞こえる気がする。それにどこか焦っている。
もう一度耳を済ませようとした時、祷慈がそれをはばむ。
「それ、外して隠しとけ。」
いきなりの祷慈の言葉に、界斗は慌てて問い返す。
「なんで、ですか?」
「いいから取っとけ。今からする会話は、ガキにはまだ早いってだけだ。」
そう言って笑っても、祷慈の額からは静かに汗が流れている。
界斗は一応言われた通り耳から装置を外してポケットの中に入れるが、徐々に大きくなる声の方に目をやると、あることに気が付く。
男の声が聞こえた方向。祷慈が汗を流しながら見つめる視線の先、それは、界斗の逃げてきた方向でもあった。
そして界斗は、そこに何があったかを思い出す。
―― あの人の死体を、見つけたんじゃ……
界斗の脳裏に浮かんだそれは正しかった。だからこそ祷慈は額に汗を流し、界斗から装置を外させた。犯人に最も近くなってしまった界斗を、男が持つであろう怒りから遠ざけるために。
「―――! ―――! 、――……――、―――――――」
現れた男は、やはり普通より身長が低く、それにしては異常に筋肉がついてる。界斗は目に入ったその姿に、ある種族の名を思い出す。
――ドワーフ……
初めてしっかりと見るその姿に、目を凝らして男を見ると、その顔は怒りを抱いていた。が、それ以上に、瞳から流れ出した涙が、界斗には印象的だった。
男のその顔を目の当たりにすると、例えどれだけそれが真実だとしても、「あなたの奥さんに殺されかけました」だなんて、こんな顔をする人間に言う気にはなれなかった。
「――――――!!、――――――――――……」
「――――――――――――。―――――――――。――――――――? ――――――
――――――――――――――?」
怒りの混じった男の言葉に、祷慈も異世界の言葉で返答する。
異世界の言葉を話す姿を見ると、やはり自分とは違うのだという感覚が、界斗を一人にする。
「――――、―――――――――――――――――――――――――。―――、―――――――。――――――――」
祷慈がまた何かを言う。慰めたりしているのだろうか。殺された瞬間を見ていた、自分のせいじゃなくても、その瞬間をみていた、なにも関係のない話ではない。が、言語の違いが、界斗を自分には関係ない話だと思い込ませてしまう。
次の瞬間、そんな界斗の顔に向かって、男の拳が向かってきた。怒りを孕んで強く握られた拳が、確かに界斗をめがけて放たれる。
が、それは界斗の顔にあたる間際で、祷慈によって止められる。
「―――――、――。―――――――。」
拳を受け止めた祷慈は、ゆっくりとその拳を離すと、未だ怒りのおさまらない拳は、祷慈めがけて放たれる。が、祷慈はそれを止めることなく、何発も何発も、自分をめがけて向かって来る拳を受け入れた、まるでそれが自分の罪滅ぼしだと言わんばかりに。
「――――、―――――――――、―――――――――――。――――――、―――――――。」
拳が止まったかと思うと、涙を流しながら立ち尽くす男は言葉を放った。
やはり界斗にはそれが何を言っているのかは分からない。が、それが許しではないことを、心のどこかで実感した。
「界斗、行くぞ」
祷慈は、殴られた箇所を気にすることもなく、頬を少し赤くしたまま、界斗に向けて言葉を放つ。
界斗はその光景に言葉を発せないまま、自分は部外者ではなかったのだということを理解して、その場を後にした。
「色々、ありがとうございました。」
界斗は森を抜けた平原で、祷慈に向けて一言呟いた。
初めて森から抜け界斗の目に映った平原は、またしても彼に異世界を感じさせる。
草木の見た目は、元いた世界のなにも変わらない。よく見ると変わるのだろうが、目に入れるだけなら、あまり変わらなかった。
が、異世界ということを界斗に感じさせるのは、その広大さだった。
見渡す限り一帯が開けたその景色は、界斗の目に初めて映るものだった。
元居た世界でも、探せば似たような景色はあるのだろう。しかし、自分の生まれた街から出たことがない彼にとって、そんな景色は初めてだった。
「おう。まぁ、それが俺の仕事でもあるからな」
礼を言った界斗に、祷慈は優しく言葉を返す。
もう、界斗に逃げ道は存在しない。あの場で死ぬという選択肢は自ら消し去ってしまった。
ここからはこの異世界で生きていかなければいけない。広大な平原を目の前に、界斗はその事実を噛みしめた。
異世界語解説。この話の異世界語での会話シーンの内容は、女が死んだことに激怒するドワーフの男性が
、死んだのは界斗のせいだと述べ、界斗をかばうため、女が死んだのは間に合わなかった俺のせいだと祷慈が言っています。