1話 転移は希望だったのに。
書き直しました。
たった一人の親友は、ある日僕の目の前で姿を消した。
たった一人の父親は、僕ではなく天才科学者を子供として選んだ。
たった一人になったのは、僕だった。
――“転移”か……
公園のベンチでうつむく少年、歪 界斗の頭は、“転移”という言葉で埋まっていた。
冬の冷たさを織り込まれた風が、界斗の身体に強く当たっても、彼はそれを気に留めることもなく、一人“転移”を願っている。
“転移”それは、一年ほど前、ある一人の天才科学者の実験記録映像と共に世間に広まった怪奇現象だった。いや、もはやそれは怪奇現象ですらないのだろう、なぜならば証明されてしまっているのだから、“転移”は存在すると。
時は2025年。界斗を含め、世界中の人間が魅せられた映像の中で、実験中の科学者は一人その姿を空気に置き換えた。
何かが科学者を包むことも無く。まるで最初から何もなかったかのように、科学者であった男は、スッと姿を消してしまった。
世界中で“転移”なんて呼ばれているが、それが異世界へ行ける“転移”なのかは、誰一人として知らない。もしかしたら新手の殺人兵器で、跡形も残さずにヒトだけを殺せる優れモノなの知れない。それでも、今もなお世界中で起こり続けるその不可解な現象に、人々はその先にある未来を信じてこう呼ぶのだ、“転移”と。
そして、一人ベンチでうなだれている界斗自身も、“転移”に魅せられている人間の一人だった。
それが、決して明るいものじゃないとしても。
18歳という年齢にして、早くも界斗に生きる場所がなかった。母親には嫌われ、父親に息子として扱われたことなどなかった。学校に行っても、友達はおらず、彼を人間として扱う級友はいない。それは、界斗が一人の人間を殺したと思われているからだった。
殺されたことにされた少年の名前は村乃 時雨、界斗のたった一人の親友だった。そして、彼もまた“転移”の被害者だった。
界斗と遊んでいた時雨は、映像の中の科学者と同じように、界斗の目の前でその姿を消した。しかし、それが起きたのは10年前、“転移”などまだおとぎ話の時代、姿が消えた時雨をどうにかした候補の中に、界斗が入ってもおかしくはない。
八歳の少年が事件の犯人に上がるなんておかしな話だろう。しかし、それがまかり通るのがこの年齢だ、なにせ事件特定に望むのは同じ八歳の少年少女、おもしろおかしく話を広げ、友達の輪へと流していくのだ、それが事実であろうとなかろうと。
界斗にとって“転移”は唯一の希望のはずだった。新しい世界でなら生きてゆけるだろう、もしかしたら時雨だっているかもしれない。それが界斗の“転移”に願う未来だった。実際に“転移”に遭う、数分前までは。
界斗の目に入る公園は、隅のほうで小さな机を立てて陰気臭い老人が占いをしていること以外は平日昼間の普通の公園。
子供や親が一緒になって楽しそうに遊んでいた。子供の降りた後、余力を使って一人でに動くブランコを捕まえて、新しい子供が乗りこむ。なんてことのない風景を界斗は立ち止まって見ていた。
楽しそうに滑り台を滑る子供を抱き上げて捕まえて笑いあう親子。自分になかった親子の姿に彼は見とれてしまっていた。
ちゃんと親子してたのであれば、“転移”と呼ばれるこの事象を、自分は求めたのだろうか、そんな思考が界斗の頭によぎる。
親子が分からない、愛情が、感謝が、感動がわからない。自分は、何を求めたのだろうか。
公園の片隅で立ち止まり、彼は見とれながら考え込んでいた。自分自身のこれまでを。
公園ではそんなことを知る由もない子供たちがはしゃぎまわり、噴水の近くで走り回っては服を濡らす。それを軽く注意しながら笑う母親、彼にはないものばかりだった。母親も父親も誰からも愛情を向けられたことのない彼にとって、それはあまり気持ちのいい光景ではなかった。でもなぜだか、どこか見とれてしまう、どこかとても美しいと、界斗は思っていた。
しかし、その風景は一瞬で地獄にかわった。噴水の周りの子供はどこかに行ってしまい、さっきまで子供が乗っていたはずのブランコがまたひとりでに揺れていた。さっきとは違い、ひとりでに揺れるブランコからは、どこか殺伐とした雰囲気を感じる。そして、また次の乗員がきた。でも、どこか雰囲気が異なっていたそれはどこかみていると愛着の湧くかわいらしい子供ではなかった。
界斗の目の前に現れ、ブランコをつかんだのは見たこともないような怪物だった。水のような液体を纏った熊に似た怪物。それは、空気と入れ替わるように現れた。
その姿に、界斗は言葉を失った。
当たり前のように空気と成り代わり、それがまるで普通であるように、ブランコや滑り台は何も変わることはなく、その怪物は現れた。
界斗の目の前で“転移”は起きた。彼の求めた“転移”は、彼の知らないものとして、目の前に現れた。それが、人々が願った“転移”の先での未来を否定するものだとしても。
見たこともない怪物の、おぞましい姿に指の先まで震えさせている間にも、転移は次々と行われる。明らかに友好的ではないそれは、現れてすぐに、公園で遊んでいた子供たちを、それを見守っていた親を、襲い始めた。
まだ、ランドセルも知らない背中を、軽々と爪で切り裂く。
子供を守ろうとした親に、ためらいもなくかじりつく。
界斗が願った“転移”は、一瞬にして地獄を作り上げた。
「蛇!! 蛇! の神が信託を下されたのだ! この世界に! これも全て貴様のせいじゃ愚者! わしゃ、わしゃ言ったぞ。この結末を! わしゃ言った……ぞ」
耳には子供達の悲鳴、親の断末魔と共に、さきほどの占い師の最後の言葉が耳に入ってくる。
ここはもう、彼の知る世界の理屈が通用する世界ではなくなってしまった。
頭でも、身体でも、心でも、逃げなければいけないことを分かっているのに、踏み出そうとする足は、小刻みに震える指は、それを聞いてくれない。
震えることしかできないままに、界斗は目の前の地獄を眺めることしかできなかった。
人が殺されていく、子供が、大人が、年齢も、体格も関係なく、いとも簡単に襲われ、死んでいく。
――僕のせいだ。
界斗の目の前に現れた“転移”は、彼の望んだ形をしてはいなかった。それを理解するころには、界斗は目の前の光景を、背負ってしまっていた。
普通ならばこの状況に疑問を持つのが正しいのだろう。
なぜ怪物が“転移”してくるのか、“転移”はこちらからの一方的なものでは、なんていうのが、今の界斗の状況におかれる一般人の思考だろう。
しかし、幼少期から他者の死を背負わされたものにとって、自分が願った“転移”で人が殺されゆく光景は、その罪を願望者に背負わせることになる。
――僕が“転移”を願ったせいだ。僕がこんなにも“転移”を願ってしまったから、こんなことが起きてしまったんだ。僕が殺したんだ、僕が……僕が……僕がぁぁぁぁ、殺したんだ。
脳裏に焼き付いていく地獄に、奇しくも奇跡は映り込む。
襲われた人々の死体が、逃げ惑う人間が、その場で空気と混ざり合う。彼の願った転移は、時を遅くして現れた。
――僕が殺した、僕が殺した……なのに、僕だけ生き残る……
目の前に怪物の爪が近づく。界斗の頭より大きいそれは、彼を餌として見ているのだろうか。
殺した彼らも、ただの餌だったのだろうか。
そう考えていると、視界が濁りだす。空気というコップから、界斗は別世界へと注がれる。
当たり前に起こってしまうそれに、抗うこともできない彼を、殺人者の看板を自らその背中に背負ってしまった彼を、占い師の落としたカードたちが嘲笑う様に見ていた。
界斗は、望んだ“転移”を、手に入れてしまった。
それが彼の願っていた姿でなかったとしても、界斗は自らに殺人者の名札を縫付けながら、異世界へと足を踏み入れた。
その先にある未来に、希望を感じることができないままに。