月との因果関係
「――たしかに、あなたには水の属性が強く表れていますね」
言って、《空》神は目の前に立つハイエルフ族の少年をまじまじと見る。
さらにその奥――少年を形成するもうひとつの属性を見分するように、じっと、不思議な空色の眼差しを向けたまま、
「けれども、水ほどではありませんが、光の属性も見受けられる」
「光……」
「ええ」
《空》神はうなずく。
「光は……そうですね、陽光ではありません。静寂で神秘的に美しいあなたにふさわしい、月光です」
「月光? それって、お月さまの光のことだよね」
「ええ」
ハイエルフ族の少年は光と水が融合した自然から誕生し、ヒトの姿――人化――に落ち着くまでは、ずっとこれらが混在する不思議なかがやきの珠の姿で過ごしていた。そうハイエルフ族の周囲から聞かされている。
もともとハイエルフ族は自然の融合から生まれ、最初は誰もかがやく珠の姿で過ごすので、このこと自体を彼らは不思議だとは思っていない。
ただ、それぞれの自然の融合には意味がある。
――光と水に祝福されし、至高の存在。
少年の誕生にはこのような由来があり、生まれながらにしてハイエルフ族の長、ハイエルフ族が調和で統べる世界最高峰の存在として位置づけられて、その冠と玉座を与えられた。
――代々継承するその名は、白の皇帝。
《空》神の前に立つ少年は、ヒトの感覚でいえば一三かそこら。
ハイエルフ族特有の白い肌と長く尖った耳を持ち、何にでもすぐに興味が向いてしまうようすをあらわす眉目は表情とともによく動き、水色の瞳はかがやいて大きい。
空の色とも水の色ともとれる色の髪は不揃いだが長く、大人しく座っていれば神秘的に美しいが、落ち着きがないようすも年ごろらしく愛らしい。
「でも、自分じゃよくわからないの。何か不思議な力を持っているのかって言われても、俺はそういうのを持っていないし……」
その証を見せてみろ、と誰かに言われたことはないが、あらためて自分がどのように誕生したのかをふと思い、疑問ほどではないが、小首をかしげるていどに考えて、それをこの世界で誰よりも詳しく知っているだろう相手に問うて、そうだと返答されると、自分は不思議なのか、いや、そうでもないのかと、よくわからなくなる。
白の皇帝の頭のなかは「?」のマークでいっぱいになってしまう。
「私はあなたたち種族を存じ上げないので、融合する自然の影響や個々に得意とする力の加減はわかりかねますが、――そうですね、白の皇帝がときどき何か不安に駆られてどうしようもなく落ち着くことができなくなる。それはひょっとすると、月の満ち欠けが影響しているのかもしれません」
「月の満ち欠け?」
「ええ。あなたは月の光を受けてお生まれになられたので、幾分かは左右されることもあるでしょう」
断定はできないが、可能性もある、と《空》神は言う。
「私も実際にその影響を深く考えたことはないのですが、空を見上げたとき、浮かぶ月はつねにかたちを変えていますよね?」
それは新月からはじまるそれを順に追うと、新月、三日月、上弦の月、十三夜の月、満月、
「円が満たされると、つぎは欠け月へと向かいます。更待月、下弦の月、有明月。そのまま新月を迎えて、また、月は三日月へと進みます」
「え、えっと、ちょっと待って!」
心の準備もなく、いきなり勉学のような言葉を並べられても、すぐにそうだと思える理解も、何となく分かるような気がする、そんな感覚も追いつかない。
満月や三日月だったら、すぐにその形状は思い浮かべることができる。
だが、あとは名称とかたちが即座に一致しない。
見てはいるはずなのだが、さて、どうだっただろうか。
――月にはそんなに呼び方があったとは……。
「お願い! すぐにいっぱいにしゃべらないで。俺、頭がこんがらがっちゃうよ」
白の皇帝があわててしまうと、その懇願が可愛らしく思えてしまい、《空》神は、くすり、と笑ってしまう。
「申し訳ございません。私はどうも、分かるところから話す癖がありまして」
苦笑しながら《空》神が謝ってくるので、白の皇帝はあわてて頭と手を振る。
「ううん、それはいいの。ただ、光と水が融合した自然から俺は生まれて、その光は月だってことがわかったのはいいけど、その、影響とかそういうのは……」
「存じ上げなくてもよろしいでしょうか? でしたら、とくにはお話ししませんが」
「う~ん……」
これは知るべきか、それとも知ればさらにややこしく考えてしまうかもしれないから、知らないほうがいいのか。
どちらを選べばいいのだろう、と白の皇帝は知らず腕を組んで、眉間にしわを寄せてしまう。
□ □
白の皇帝の前に立つ《空》神は、外見はすでに成人を迎えている青年だった。
上背はかなりあるが、均整の取れた身体に大柄と印象はなく、容姿も気配も穏やかに澄んでいて、威圧など感じるものはないのだが、あまりにもごく自然と悠然としたようすにかえって威風を感じてしまい、彼を見ればひと目で本能が圧倒されてしまう。
髪も瞳も空の色のようで、どこかくすんだようにも見える風合いを持ち、肩にかかる髪はまばら、唯一特徴的に耳元付近で髪を細い縄編みのように結っている。
むしろ、彼の外観でもっとも特徴があったのは、ハイエルフ族ほどの長さはないが、ヒトよりもやや大きく、先端が尖っている耳だった。
これは竜族特有の象徴のひとつだ。
――竜族、とは。
世界は最初、一匹の竜の咆哮から誕生……創世された。
その竜は世界の《祖》であり、世界最初の種族である竜族の《祖》。
名を《原始》といって、世界を構築する自然をすべてひとりでコントロールしようとしたが、持つ力があまりにも強大のため、《原始》は自身の自然を《空》、《水》、《風》、《火》、《地》の五つの元素に分け、それを司る最初の竜たちを「竜の五神」と定め、ともに彼らを「神」として世界創世をはじめた。
――いまは、その世界創世期の真っただ中。
この時代よりもはるか後世……「久遠の明日」と呼ばれるほどの悠久の彼方から、ハイエルフ族の少年である白の皇帝はひょんなことから迷い込んでしまい、彼ら竜族「竜の五神」たちに保護され、蜜月のような寵愛を受けている。
――《空》神は「竜の五神」の筆頭で、世界創世の瞬間、最初に《空》の自然元素として誕生した、天上の頂点だ。
加えて特筆すべきはその背丈で、竜族の上背は総じて人の感覚でいうと雄は二〇〇センチ、雌も一八〇センチを平均としている。「竜の五神」は一族のなかでもさらに大きくて、《空》神は最長の二三〇センチを有している。
その上背で足の踝が隠れるほどの長衣を着て、青色の系統が美しい多様な鳥の羽根で織られたローブを纏った姿はまさに圧巻だ。
――そんな彼のそばで、会話をするとき。
八〇センチ近くも身長差がある白の皇帝は、ほとんど垂直に顔を上げなければ《空》神と目を合わすこともできない。
最初はそれでもいいが、途中からはさすがに疲れる。
なので、わずかに二歩ほど引いたのだが、
「……お願いです、そのように怯えずとも……」
「え……?」
白の皇帝にとって、このときの後ずさりは単に彼を見上げる身体の姿勢を楽にできないものか、そのていどだったのだが、
――私はまた、この少年を怯えさせてしまったのか?
《空》神はそう勘違いをして、身長差がありすぎる少年を見下ろしていた自分に気がついて、恭しく膝をついて向き直る。それでようやく、白の皇帝のほうが《空》神を見下ろすかたちとなった。
だが、白の皇帝は後世の時代においてこそ世界最高峰の存在であるが、《空》神は「竜の五神」――。
いついかなるときでも「神」である彼が、いまは一種族の少年でしかない白の皇帝に膝をつく必要はないのだが、これは身長差を埋めるしぐさ……配慮であり、後世の時代における少年の立場に敬意を表するのと同時に、ひれ伏してもかまわないほど白の皇帝に心を奪われ、愛してしまった証を示す、《空》神なりの不器用なしぐさでもあった。
「申し訳ございません、立ち話をさせてしまいまして」
「ううん、……えっと、気にしないで」
――怯えないで、と言われたとき。
白の皇帝は内心、どきり、とした。
この世界創世期の時代に迷い込んだとき、右も左もわからぬ少年は苦労と不遇の連鎖に苛まれた。
それでも自分を助けてくれた「竜の五神」たちと意思の疎通ができるようになって、保護された生活にも慣れてきたのだが、もっとも出会うのが遅かった《空》神にひと目で見染められたとき、極度の独占欲に駆られた彼に手籠めにされてしまい、以降、《空》神と会うのが正直怖かった。
それは態度でも、気配でも隠すことができず、こうして普通に会話をするぶんには逃げ腰になることも減ったが、《空》神が自分に愛情を向けようとする気配を察してしまうと、白の皇帝は手籠めにされた恐怖を思い出してしまい、自然と距離を取ってしまう。
――そんなつもりはなかったけど……。
やはり《空》神も自身の暴走を悔やんでいるのか、白の皇帝の気配を微細に気にしている。
白の皇帝はどうしたらいいのかわからず、わずかに息を吐いた。