第二章 2
壁の外が滅んでいるから、食料はどうするのかと思ったが、完全な自給自足らしい。家畜としての鳥と、畑で採れた野菜で賄うそうだ。百人もいるのに、賄えるのか心配になる。畑はそれなりに広いが、一度収穫してしまえば、しばらくは採れない。家畜だって鳥一羽を百人で分けるわけにもいかない。でも、食料で困ったことは、一度もないらしい。
まだ外は明るいが、リズと食事をすることになった。キッチンに行くと、大きな鍋の中に、料理が出来ていた。火を使っているが、ガスや電気ではなく、薪を燃やしているみたいだ。竈というのだろうか、昭和か大正時代の薪を燃やすシステムが置かれている。キッチンの窓は大きく、換気も十分に行われていた。魔力で風を送っているのだろうか?
鍋の中は、スープだった。芋や根菜や葉菜や鳥の肉が沢山入っている。それを木製のお椀によそって、吹き抜けの広間のテーブルに移動した。そこでは、数人が既に食事をしていた。テーブルや椅子は沢山あるので、その人たちとは離れて座る。リズがその場所を選んで、その向かいに座っただけだが。
木製のスプーンでスープを飲むと、何とも言えない味だった。
調味料で味付けはされておらず、野菜や肉を水で煮込んだだけだの、自然で優しい味だった。芋や根菜や鳥の肉も、元の世界と食感も味も似ている。鳥の肉は、鶏より歯ごたえがあったが、その分、肉本来のうま味も強かった。塩を振れば更に美味しくなるだろう。
自炊はするが、ポテチやコンビニのホットスナックなども好きなので、味付けは濃いのが好きだ。だから、素材の味をダイレクトに味わうこの料理は、不味くはないが、物足りなさがある。
海に面していないから、塩がないのだろう。胡椒や香辛料に費やす畑のスペースもないだろうし、そもそも、育つ気候なのかは、わからない。
外から届けるにも、この壁には、門らしきものが一つもなかった。それに、壁の外が滅んでいるのなら、届ける人もいないのではないか?
ただ、ここを造ったヤンミャクドクタデブリは、ここにはいないそうだ。つまり、壁の外にいる。なら、人が生活出来る場所も、残ってはいるのだろう。
食事を終えて、風呂に入ることにした。シャワーは無く、お湯が張ってあるだけの場所だった。別の人がいたので、その人を真似た。桶で体を流すだけで、湯船にはつからないようだ。お湯の温度は高くも低くもない。元々、湯船につかる習慣がなかったので、それでも不満はなかった。シャワーはあった方が、何倍も楽だけど。
先にいた男は、風呂場の端に置いてある粉みたいなものを、お湯で薄めてそれを浴びて、タオルで体を擦っていた。その後、ただのお湯を頭から浴びて、脱衣所に出て行った。
その粉を見る。乾燥させた草をすり潰したものみたいだ。見た目は、お茶っ葉に近い。匂いを嗅ぐと、いい匂いがした。石鹸か香水の役割を果たすのだろう。同じようにお湯で薄めて頭から浴びた。体からいい匂いがする。洗い流す前に、石鹸の要領で体を洗った。その後、お湯を頭から浴びて、体を乾かして着替えた後、部屋に戻った。
お湯で流しただけじゃなく、体中の汚れや油がスッキリと落ちた感覚がある。あの粉のお陰だろう。体を匂うと仄かにいい匂いがする。わざとらしくなく、匂いが弱いわけでもない。
窓の外を見ると、まだ明るいままだ。太陽も南の高い位置にある。
…?
太陽が、まだ、高い位置にある?
初めてこの世界に来た時と、太陽の位置は殆ど変わっていない。あれから数時間は経過したはずだ。あれは、勘違いだったのだろうか?
リズが戻って来た。髪が少し濡れている。半ズボンにTシャツとラフな格好だ。彼女からは、天気のいい日に干した服みたいな匂いがした。リズは椅子に座った。
「壁の外で生きている人はいるのか?」俺はベッドに腰かけている。
「いるよ。当たり前じゃん」
「国とか社会は機能している?」
「わからない」
「忘れた記憶を補うには、マリオネットの学習プログラムと書庫のどちらがいいとかある?」
「どっちも利用すればいい」
「まぁ、そっか。それじゃ、書庫に行こうかな」俺は立ち上がった。
「今から?」彼女は少し驚いた。
「まずい時間帯だった?」
「違う。別にいつでもいいけど、いつもだったら、寝る時間だから」
「こんなに明るいのに?」窓の外を見る。
「ああ。そっか」リズは高い天井を見上げた。「なんか調子が狂うな。記憶喪失っていうか、何も知らない子どもに近い。魔力の使い方もそうだけど、そんなに綺麗さっぱり忘れるもの?」
「…そうらしい」
リズは疑った目で見ている。
「壁の内側は、時間の流れが壁の外とは違う。外での十年は、ここでの一年になる。だから、コドクノシロでは、太陽が出ている五日間と、夜のままの五日間が交互にくる。ここでの十日が、外での一日だから」
「時間が……」あまりのことに言葉を繰り返した。
外と比べた時に、時間の流れが違う?だから、太陽の位置は、殆ど変わっていないのか。外から見れば、ここの住人は、十倍速で忙しなく動いているのだろう。『精神となんとかの部屋』みたいなものか。
「なんで、そんなことになってるんだ?」俺はきいた。
「ヤンミャク様の力の一つ。時間操作の魔術を扱うから」
「そんなチート能力を持っていても、厄災には勝てないのか?」
「厄災は狡猾だから。本来、魔術師は霊脈から力を得る。それで自分の魔力を増幅させるけど、厄災は、世界を滅ぼし、その資源を枯渇させた。ヤンミャク様を恐れたから、力の元を、先に絶ったわけ」
「スケールのデカい話だ。もしかして、畑や家畜があれだけで賄えるのも、時間操作のお陰?」
「そう。川の名前は三途。三途の川の向こうは、時間の流れが更に十倍違っている。だから、ここの一カ月で、畑や家畜小屋は十カ月進んでいる。比べた時に、作物の育つ速度が速くなる」
「そっちで過ごした方が、さらに効率がいいんじゃないか?」
「外の世界の一年が、三途の向こうは百年になる。それほどの出力の魔力を浴びているから、体がおかしくなる。家畜の鳥も平均寿命の四分の一しか生きられない。人体への影響も大きい」
「収穫の時に、やばくないか?」
「ずっといたら、影響が出る。短時間なら、少し気分が悪くなる程度。あとは、魔力で防衛する」
「ここもまずいんじゃないか?」
「ここは、影響は出ないように、ヤンミャク様が、細心の注意を払っている」
俺は頷いた。
その言葉を、どこまで信用していいのだろうか?でも、信じるしかない。レントゲンを受けた後のような、感覚的な気持ち悪さが残る。
それにしても、凄い世界だ。アインシュタインがこの世界に生まれていたら、頭を抱えていただろう。
「コドクノシロがなかったら、私たちは呑気に訓練なんて出来ない。ここで力を蓄えて、厄災を討つの」