第一章 2
「とりあえず、服を着替えよう」彼女は提案した。
「ああ」俺は立ち上がる。
視線の高さがいつもと違う。百七十センチ程あるんじゃないか?手も大きくなっていた。目の前の彼女よりも、背が高い。
彼女は城の方へ歩きだした。その後に付いて行く。もしかして、彼女は王女なのだろうか?それとも、自分が王子なのだろうか?
前任者の記憶は一切残っていない。彼女やこの景色に、何の見覚えもない。懐かしいとか、そういった感情も湧かない。でも、彼女は、俺を知っているようだ。
前任者の記憶というか、魂がどこにいったのかはわからないが、今は、俺の魂がこの体を支配している。
心配なのは、元の世界に戻る可能性だ。つまり、前任者が気を失っている間だけ、この体を支配出来るのなら、シトと呼ばれていた前任者が目を覚ました時に、俺の魂は弾き飛ばされ、元の世界に戻るかもしれない。それどころか、その間に元の体が腐っていたなら、俺は帰る体を失い、そのまま死んでしまうかもしれない。
このあたりは、どういった原理でこうなったのかがわからないので、確かめようがない。異世界と現実世界を行き来する作品は、存在している。それと同じように、次に眠ったら、現実世界で目を覚ます可能性だってある。
わからないことばかりだが、一つ確かなことは、この異世界で死ぬのは、御法度だろう。それが良い方向に進むはずがない。
城の近くまで来た。近くまで来ると、その高さに圧倒されてしまう。城の左側にだけ塔がある。左右非対称だ。塔の高さは百メートル程で、その半分程の高さが、城の高さになるが、それでも圧倒される。更に、近くで見ると彫刻のように細かな装飾が壁に施されていた。
鉛筆のように尖がっている部分が、何カ所もあり、壁には幾何学模様や人間や悪魔を模した彫刻が数えきれないほど並んでいる。信じられない労力と財力を掛けて建てられたのだろう。
塔を省いた城の横幅は、百メートル程ある。塔は円柱形で、屋上にスペースがありそうだ。塔の横幅は二十五メートル程。つまり、建物全ての横幅は百三十メートル近い。
バカデカいとしか形容出来ない。圧倒されて見上げている俺を、彼女は振り返って珍しそうに見ていた。都会のビルに圧倒されたお上りさんを見るような目だ。
城の入口は、塔部分を省いても少し右に寄っていた。建物の横幅が百メートルとするなら、右から四十メートル程の位置に、入口はある。玄関の大きな扉は閉まっていた。二人で中に入る。
中に入ると、見上げずにはいられなかった。
吹き抜けの広い空間が、十字路のように広がっている。長方形の建物の四隅にそれぞれ部屋があり、それ以外の場所は、全て吹き抜けとなっていた。
天井の高さは五十メートル近い。アーチ状の天井で内部の壁も装飾が施されている。建物の奥行が五十メートル程あり、建物反対側の壁が吹き抜け正面に見える。その壁には細長い窓ガラスが幾つもあり、そこから自然光を取り入れている。また、正面には、大階段があり、反対側の壁に突き当たると踊り場となり、左右にわかれ、四隅にある部屋の二つへと通じている。入口の反対側の壁、大階段の左右には、外へ通じるドアもあった。
入って来たドア側の壁にも、勿論、同じようにガラスがあり、自然光が入っている。建物内は、少し薄暗いが、壁の近くには、間接照明のような光源があり、全体を見渡すことが出来た。天井まで伸びる太い柱が何本もある。その柱にも彫刻が施され、その近くに光源が埋め込まれている。
中に入ってすぐの左右には部屋があり、五メートル程進むと、吹き抜けの空間へと繋がっている。
つまり、高さが五十メートル程のアーチ状の天井の部屋が、横に百メートル、広がっている。神秘的というか、誰が何の為に、この建物を建築したのか、考えたくなる。その空間にあるのは、天井まで届く太い柱と、食堂のような長テーブルがいくつかある程度だ。
この建物の高さが五十メートル、横幅が百メートル、奥行きが五十メートル。間取りは、建物の四隅にだけ、部屋らしきものがある。つまり、吹き抜けの空間は、フィンランドの国旗や、十字架のようになっている。入口からは、五十メートル反対側の外への壁が見えたが、左右に部屋がある為、外と面した壁の幅は、二十五メートル程だけだ。
塔を左手に見た時、玄関から見て、建物の右側には、横幅二十五メートル奥行五メートルの部屋が二カ所あり、左側には、横幅五十メートル奥行五メートル程の部屋が、二カ所ある。それが四方にあることで、吹き抜けの空間は十字架、もしくは、十字路のようになっている。吹き抜けの奥行は、部屋がある部分は、四十メートルで、玄関から大階段側の窓が見える壁までは五十メートル。横幅は、部屋がある部分は、二十五メートルで、それ以外は百メートルだ。
吹き抜けの空間の床面積を求めるのは小学生でも出来るだろうが、目測が誤っている可能性もあるから、正確に計算するのが面倒だった。
勿論、吹き抜けの四隅にある部屋は、一部屋だけじゃなく、扉が幾つも見える。小さな部屋が幾つも並んでいるのだろう。
それに、入口から見て、右手側は上下二階建て。左手側は、上下三階建てだ。城自体の高さは同じなので、右手の部屋の方が天井は高く、左手の部屋は天井が低くなっている。低いと言っても相対的に低いだけで、単純計算で高さ五十メートルを三分割した高さはあるから、一般的な住宅よりはずっと高い。
それによって、反対側にある大階段の高さも、左右非対称になっている。右側の方が高い位置に二階があるからだ。少し気になるのは、大階段からは、左側の三階へは通じていない。二階や三階の廊下は、キャットウォークのようになっているので、吹き抜けから見渡すことが出来る。
壁や柱の装飾は右手側の方が細かい。更に、右手側の奥の壁には、ステンドグラスが嵌め込まれており、壁自体も曲線だった。ここが協会なら、そちらに神父さんが立つのだろう。装飾をしっかりと見たかったので、どうせなら細かい方がいいと思い、そちらへ歩いて行った。
「ダメ」彼女の強い声が、広い空間に響いた。柱や壁や彫刻にも、その声が響いただろう。
俺は驚いて振り返る。
「なにやってるの?西側エリアはランカしか入れない禁止区域だよ。まさか、それも忘れたとか言わないよね?」彼女は眉を寄せる。
「まさかだ」俺は答える。「ちょっと記憶が、曖昧で」痛くもない頭を触る。
どうやら、俺が王子という可能性は消えたようだ。
「しっかりして」彼女は吹き抜けの空間を左に進んだ。
そちらが東なのだろう。ステンドグラスのある方が西。入って来た入口は北となり、大階段は南となる。
彼女の後ろを付いて行く。高い天井を、柱や壁の装飾を、見ずにはいられない。入口から東へ進む、吹き抜けの途中には、長テーブルが幾つも並んでいる場所があった。学校の食堂みたいな並べ方だ。こんな場所で食事が出来るなら、毎日が楽しいだろう。
「ランカって言ったっけ?」俺は前を歩く彼女にきいた。彼女の赤色の髪は、肩の辺りまで伸びている。歩く度に艶のある髪は揺れている。それも綺麗だと思った。
「言った」彼女は振り返らずに答える。
「その人はどこにおるんだ?」
「おるんだ?」彼女は立ち止まり、振り返って眉を寄せた。怪しまれたか?前任者がどんな喋り方なのかは、知らないから、仕方がない。ただ、記憶喪失でも、喋り方は変わらないだろう。
「学修棟の闘技場。今、決闘をやってるから。それも忘れたの?」彼女は首を傾げる。
「ああ。えっと、ホントに何も覚えてない。ここには、何人も住んでるのか?」
「ちょっと、もしかして、私たちの目的も忘れたの?」
「目的?」
「ヤンミャクドクタデブリ様も忘れたの?ホントに私の名前もわからない?」彼女は段々と近づいて来て、最後には顔の距離が十センチ程になった。彼女の方が小さいので、こちらを見上げる姿勢だ。
「忘れた」彼女の綺麗な赤色の瞳を見たが、恥ずかしくなり、ずっとは見ていられなかった。
「嘘はついていないみたい」彼女は呟いた。そして、一歩離れて大きく息を吐いた。
「私はリズ。ここは、ある目的の為に造られた施設。私たちは、その目的を果たす為に、集められた。百人の子どもたちが集まり、日々、ここで研鑽している。闘技場で行われている決闘もその一環ね。目的を果たすのが、ここを創ったヤンミャクドクタデブリ様の願い」
「その目的って?」
「世界を滅ぼした元凶である、厄災と呼ばれる四人を殺すこと」