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エースはまだ自分の限界を知らない ~白い軌跡~  作者: 草野猫彦
第二章 高校一年生・夏

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45 偶然の産物である奇跡はおおよそ努力に由来する

 スーパースターが持っているもの。それは能力でも成績でもない。

 伝説だ。


 おそらく歴史に残るような投手戦において、先制点を取られたすぐ後に、同点の機会が巡ってくる。

 ここで凡退するような人間では、いくら能力を秘めていても、それが実戦で発揮されることはない。

 多くの偶然や、それより多くの必然がグラウンドには転がっているが、結実するにはそれに相応しい人間が必要となる。

(つまり、俺だ)


 吉村には緊張はない。

 いや、心地よい闘志が、緊張感をコントロールしている。

 そしてその中心には、冴え渡る冷静さが鎮座している。


 二死一・三塁。

 わずかではあるが、ここで駆け引きが使える。

 一塁ランナーをどう動かすかだ。


 さほど俊足とは言えない二番だが、ここで代走は出せない。あと一度は打席が回ってくる。

 その時にジャイロに当てるためには、経験している打者でないと無理だ。

 わざと盗塁させてキャッチャーから二塁に投げさせ、その隙に三塁ランナーが帰るという方法はある。

 だがおそらく、そういったプレイは、このバッテリーには通用しないだろう。




 あのジャイロは打てない。

 しかし第一打席のように、それ以外を打てばいい。

 と、考えるのは浅薄である。

(あんなラッキーなヒットが、一試合に二度もあると考えるなら、野球やめた方がいいな)

 吉村はコンパクトな素振りを続ける。


 一塁ランナーをどう動かすか。

 それによって、あの魔球投手の球種を絞れないか。

(つか、決め球多すぎだろ。カーブはえぐいし、ジャイロはやばいし、時々フォームまで変えてくるし……)

 せめて一死なら、読み合いでスクイズを試みることが出来る。

 もっともジャイロを上手く配球されたら、バントでさえ空振りする可能性があるが。


 ならば後につなげることは出来ないか?

 主砲であるクロちゃん先輩なら、なんとかなるのか?

 ならない。現実は非情である。

 黒田は間違いなく勇名館の誇る四番だが、相手が悪すぎる。

 このピッチャーは、あまりにも異質であり、そして端的に言えば、自分よりも格上だ。

 自分の球を打つ自信が、吉村にはない。

 ならば自分よりも格上の投手の球も、また打てないのか?


 そうは限らない。


 打席に入った吉村に、第一球はいきなりジャイロ。

 見送る吉村。

(うん、やはり打てない)

 足元を固めて集中する。そして二球目は大きく外れるスローカーブ。

(一打席目の反省か。そこは無理に打ってもファールだな)

 第三球。ジャイロ。見送り。

 第四球。スライダー。ボールを見送り。


 ストライク先行のカウント。

 舞台は整えた。

 普通の強打者や、地獄の特訓をこなしたというだけでは備わらない。

 集中力。繊細なプレイをその瞬間に成立させる、最も偉大な才能。

 それを、吉村は持っている。

(一年坊、これが上級生の意地だ!)

 投じられたジャイロ。タイミングが分かっていても、まともには打てない。その前の球のイメージが頭に残っている。

 だが当てることは出来る。


 吉村のバントと同時に、サードランナーはスタートした。




 セーフティスクイズ。内野はやや深く守っていた。

 吉村がジャイロ以外を打った時、着実にゴロで殺すためである。

 しかしピッチャーの、それもここまで構えも見せたことのない吉村が、まさかバントとは。

 それにこれは、吉村が生き残らないと成立しない。


 だが、おそらく白富東のバッテリーも、重要視していなかったのだろう。あるいはそこまでは知らなかったのか。

 吉村の50mダッシュのタイムは、前川と同じなのだ。


 スリーバントで、差し込まれやすいジャイロ。これが三塁線に転がる。

(どっちだ!?)

 北村はボールに集中。三塁線への見事なバントだ。ラインは切れない。

 三塁ランナーは俊足で、ホームで刺すのは送球がずれる。

「一つ!」

 右手で捕球した北村は、そのまま送球。体勢不充分なため、ファースト前でワンバウンド。


 ヘッドスライディングをした吉村の方が速い。

「セーフ!」

 同点。


「よっしゃあ!」

 立ち上がった吉村が吠える。


 一点を取られたそのすぐ裏に、点を取られたピッチャーが走って一点をもぎ取る。

 勇名館スタンドから、怒涛のような応援の声が上がった。

 音量が大きすぎて、それはもう音と言うよりは、ただの圧力だ。

 しかしその全てが、吉村一人に向けられていた。




 流れが一気に勇名館に傾いた。

 ツーアウトながら、ランナーは一・二塁。

 そして迎えるは四番の黒田。

(まあ流れは確かに向こうにあるんだろうけど、それを渡る方法はあるのかね?)

 そう考える直史の周囲に、内野陣が集まってきた。

「どうしよ? 敬遠する?」

 珍しくも計算の立ってないジンの台詞である。

「いやいや、ランナーを三塁に進めるわけにはいかないでしょ」

 それは直史の言う通りなのだが、なにしろ打者が黒田なのだ。


 白富東の打線が、やや吉村を捉えつつあるのは確かだ。

 おそらく次の打席こそ大介は、ホームランを打ってくれるだろう。

 吉村が勝負してくれたなら、だが。


 今の勇名館は吉村もだが、勝利への執念に全てを捧げている。

 それにここまで二本の長打を打たれていて、勝負する方が愚かであろう。

(俺なら普通に敬遠してるだろうけど、大介の場合、足もあるからなあ)

 大介がランナーに出て、盗塁してもらって犠打で帰る。普通にありえる展開だと思うのだが。

「なんだよ?」

 直史の視線を受けた大介が、質問してくる。

「いや、まあピンチだなと思って」

「当たり前だろうが!」

 大介ではなく、二年の先輩がキレていた。


 これは、まずい。

 まだ同点で、しかも今日は完全に抑えられている黒田。それをどうして怖がるのか。

 直史の視点からでは、むしろ吉村の打席よりは楽になっているはずだが。

(サードランナーとでも言えばいいのかね)

 無神経な直史だが、これが危機的状況だということは把握している。

 中学時代はこの空気になると、自分一人が何をしても、もう勢いが覆ることはなかった。


 この状況は、吉村の状況よりも有利なはずなのに、精神的にはこちらの方が追い込まれているようだ。

 何よりまずいのは、ジンが精神的に揺れている。

 いや、ジンだけではないのか。

 内野を見るに、まともに動けそうなのは、大介と、おそらくはキャプテン北村。

 さささっと頭の中では計画が出来るが、これを実現できるかどうか。

(まあ、失敗しても点は入らないしな)

「とにかく慎重にいこう。最悪歩かせることも覚悟でな。東郷まで回ったら、足がないからバント戦法は使えないし」

 具体性のない、ジンの後ろ向きな発言だった。

 全国を経験していても、おそらくこんな大観衆の前で、戦ったことはなかったのだろう。

 しかもこれは、甲子園を決める戦いだ。


 去っていく味方が背を向ける。

「大介」

 呼び止めると大介が普通に振り向いた。

「お前のとこに行くから、頼むな」

 大介はそれに対し、軽く頷いた。直史が出した、そのサインを、はっきりと見て。




 四番、黒田に対するピッチング。

(とにかく、一球は外そう。何か嫌な雰囲気だ)

 ジンの消極的なリードに、直史は素直に頷く。

 神経質にランナーを気にし、一度プレートを外す。


 それから普段より念入りにロージンを使ったが、投げた球は外角に大きく外れた。

 さすがにジンも捕球したものの、背中に冷たい汗が流れる。

(くそっ、ナオでさえやばいのかよ。俺が……なんとかしないと……)

 ジンが胸元に返球したボールを、直史は落としそうになった。




 崩れている。

 両チームから、そう見えた。観客席からもそう見えた。

 完璧に近い投球を行っていた、一年生のエースが、一つの死球から崩れている。

 崩れかけたのが、点を取られたので決定的になった。


 あれだけのパフォーマンスを見せていた投手が。

 あれだけ三振を取って観衆を湧かせてくれた選手が、倒れようとしている。

 それは野球に詳しくない瑞希の目から見ても分かるほど、球場全体を覆う空気が、直史を押しつぶそうとしている。

 瑞希はただ祈る。頑張ってと。


 だが直史は、別に頑張る気などさらさらなかった。




 敵味方の双方が、投手の一挙一動に注目する。

 直史はプレートを外し、またロージンを取った。

 その表情は苦痛に耐えるようでいて、強打者と対決する勇気を失ったように見えた。


 誰もが直史の表情を見ていた。

 だから彼は牽制球を投げた。

 二塁ランナーの背後から動いていた大介が、それを受け取った。

「え」

「ほいタッチ」

 そして虚を突かれた二塁ランナーにタッチをする。


 審判の宣告が遅い。彼の頭の中でも、ルールブックが捲られている。

 これは、プレートを明確に外している。踏み出しも問題ない。投球姿勢に入っていなかったことも明らかだ。

 二塁への送球であり、偽投も関係ない。そう、実際に投げているのだ。

 二塁ランナーが塁を離れすぎ、それに対してショートがベースをカバーし、気付いた投手が送球した。そしてタッチ。事実としてはそれだけだ。

 ルールには何も問題がない。ただの、ナイス牽制だ。

「――あ、アウト!?」

 間違っていない――はずだ。




 球場全体がざわめきに満ちた。

「さあさあ、攻撃だよ!」

 わざとらしく大声を上げる直史が、味方ベンチに引き上げる。大介一人は首をかしげているが、他のナインはいまだに詐欺にあったかのような顔をしている。

 そう、この大観衆の前で、とても地味なファインプレイが行われたのだ。

 ただの牽制が、流れを断ち切った。


「な、なあ、お前ランナーも目に入らないほどびびってなかったか?」

 疑問が最も重かったであろうジンが、代表してそう尋ねた。

 実のところ、直史にも微妙なところなのだ。

 思考の間隙と言うか、直史の初球の暴投で、完全に観衆や選手の目が、直史と黒田に集中していたのが分かった。

 目だけではなく、全てがそうだったと言うべきか。

 だからそれを利用して、単純な手を使ったのだ。

 打者と勝負しなくてもアウトが取れる、リスクの低い手を。


 直史はどうしようもないエラーを防ぎ、なんとかして走者でアウトを取りたいと、中学時代に苦心したことがある。

 その中の一つには、相棒である捕手の反応も騙す必要があった。むしろ騙されてくれなくてはならなかった。

 そんな状況でしか成立しなかったと言ってもいい。

 

 ここで必要なのは、投手の思考を受け取ってくれる、二塁手か遊撃手。

 ちなみにこれの発展形に、二塁への牽制を野手が受け取りそこね、それを見たランナーが三塁へ進塁開始。しかしカバーしていたセンターからの送球でアウトというものがある。

 もしセンターの手塚にライトの岩崎ほどの肩があれば、こちらを使っていたかもしれない。


 説明を受けた白富東一同は感心するが、直史は苦々しい顔をするだけである。

「いや、熱中してたお客さんはともかく、プレイヤーは冷静でいないとさ」

 いやいや、あの状態で冷静だったのは、勇名館側にも誰もいなかっただろう。

 だからこそあんなプレイが成立したのだろうが。

「けどお前、むっちゃあせって……あれ全部演技だったのかよ……」

「見事な頭脳プレイだったろ?」

 騙された。

 敵を騙すにはまず味方からと言うが、完全に味方も騙された。


 悪魔的な頭脳プレイとも言えるが、では大介はどうだったというのか。

「大介、ナオからのサインはあったの?」

「普通に牽制のサイン出してたぞ。あの集まってから解散する時に。まあこいつのことだから注意してたら、二塁ランナーが塁から離れてたしな」

 しかしそれはあの状況で、大介も冷静さを保っていたということではないのか。

「お前、よくあそこで体が動いたな」

 北村が感心して言うと、大介は少しぶすっとした顔をした。

「ひでー誤審から始まったから、次の打席でホームラン打つことは決めてたしな」

 その自信もまた、すがすがしすぎる。

 己の力に対する自信から生まれる余裕。

 それが白富東を救ったのだ。


 とにかく、確かなことは一つ。

 生まれかけた決定的な流れが、一つのプレイで断ち切られたということだ。

 残り3イニング。戦いはまだ終わらない。

珍しくドヤ顔でベンチに戻るナオフミ=サン

ちなみに当初予定では直史がもっと悪辣な牽制をし、あまりにもひどすぎて勇名館側が完全に戦意喪失し、試合が決定してしまうところでした。

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