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エースはまだ自分の限界を知らない ~白い軌跡~  作者: 草野猫彦
第二章 高校一年生・夏

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42/298

42 諦めない者にしか勝利の可能性は残されていない



 無言でベンチに戻った黒田は、力なくバットをしまうとヘルメットを置き、グラブを持って守備につこうとする。

「黒田!」

 古賀の声に反応して、黒田だけでなく全員の動きが止まる。

「いいかお前ら、あのピッチャーは春も、トルネードのサイドスローをワンポイントで使ってきた。今のサブマリンも一球だけだ」

 切れていた回路がつながるように、勇名館ナインの顔色が良くなる。

「もちろん春よりずっと厄介になってることに違いはないが、それ以上にいやらしいのは、ああいうワンポイントの隠し球を用意してることだ。春はキャッチャーが途中退場して、首を振りまくって自分で配球を考えてた。分かるな?」

 そう、あのピッチャーは、打者の心理を翻弄する。

 速いストレートは持っていないが、それ以外の全てを持っている。単純にピッチャーとしての能力だけでなく、選手として相手を欺く手段まで。

「今は耐えろ。まずは守れ。攻略法は俺が考える!」

 そう、目の前のことから、一つ一つ。

「東郷、お前が吉村を支えるんだぞ」

 頷く東郷が背を向けて、グラウンドに出て行く。


 それを見送った古賀は、ベンチの奥で頭脳班の二人を両脇に集めた。

「おい、どう思う? なんとかなるか?」

「少なくとも夏のここまでの試合では、普通のスリークォーターで投げてますよね。右打者にそれなりに使えそうなサイドスローも使用0です」

「だよな?」

 ほっとする古賀。

「まあ相手が弱すぎて、使う必要もなかったんでしょうけど」

「そうか」

 むむむ、と悩む古賀。


 普通ピッチャーのフォームというのは、一つに固定化している。

 それは器用さがどうとかではなく、一つのフォームに固定しないと、制球も定まらないしパワーの無駄も多いからだ。必要でない筋肉がついてしまうこともある。

 そもそもこのピッチャーの厄介さの一つにも、スリークォーターの固まったフォームから、全く同じ腕の振りで、様々な変化球を投げてくるというのがある。

(いや、上、中、下とはっきり分けたら、むしろ身につけやすいのか? ……いやいやんなアホな)

 とにかく非常識なピッチャーをどう攻略するか、頭を悩ませる。


「ボールフォア!」

 と目を離した隙に、吉村がこの試合初めての四球を出してしまっていた。

(うわ~、アンパイなのに~。頼むぞ東郷~)

 内面ではあせりながらも、表面は泰然自若とした態度を崩さない。

 そして配球は、東郷に丸投げである。




 この試合、両軍合わせて初めての四球に、東郷はマウンドへ歩み寄る。

 大丈夫か、などという月並な言葉はかけない。

「……あいつらほんと、化物みたいなやつらだな。正直ここまでとは思わなかった」

 全国レベルのチームとも、練習試合ではいくらでも対戦したことがある。

 バスに乗って一週間の遠征試合。得たものは多かったはずだ。


 甲子園常連校とも戦ったし、新チームではあるが夏の優勝校とも戦ったこともある。だがそれらと比べても、この試合は圧倒的にシビアだ。

 練習試合は、もちろん負けるつもりでなど戦っていないが、勝たなければいけない試合ではない。

 負けたら終わる。そんなプレッシャーの中で投げるなど、どんなピッチャーでもそうそう体験するものではない。

「岩崎は長打があるからな。ストレートは見せ球にして、変化球でカウントを取るぞ」

 東郷の指示に、吉村は力強く頷く。


 まだ試合は終わっていない。得点すら奪われていない。

 諦めるにはまだ早すぎる。


 ストレートを外して見せ球にして、変化球をカットさせてカウントを稼ぐ。

 ツーストライクからなら、多少外れているところでも、バットを振ってくる。

 岩崎もまた、センスで打っている人間だ。実際にホームランも打っている。

 だが好打者ではない。白石はもちろん、四番の北村よりも下だ。

 高めに大きく外れたストレートを打ち損じ、キャッチャーフライに終わった。




 七番は送りバントを失敗させて内野フライ。そして迎える打者は八番の佐藤直史。

 前の打席では全く打つ気を見せなかったが、今度はちゃんと構えている。

(打席数が少ないから、あまり参考にならないんだよな……)

 それでも準決勝で細田から打ってるので、打撃が悪いわけではないのだろう。

 まずは外角にボールになるスライダー。これは当然のように見逃される。

(じゃあインハイはどうだ? 投手なら怖いだろ?)

 そう考えて制球重視のゾーンに入ったインハイを、直史は軽くライトに流し打ちした。


 これは読まれていたのだろう。そもそもキャッチャーが頼りなければ、自分で投球を組み合わせるやつなのだ。

(甘かった……。今のは俺のミスだ。吉村、切れるなよ……)

 東郷はそう願いながら、九番の打者を迎える。

 確か他の試合では、もう少し上の打順に入っていたはずだ。意図をもって今日は下位をいじっている。

 だがそれでも、吉村を打てるものか。


 ゾーンにストレートを。力で押せ。

 頷いた吉村が投げる。それに対してバッターはバントの構え。

 ファーストとサードのチャージ。バッターはバットを引く。


 当然だ。二死からのセーフティで、しかも打者に足があるデータはない。

 だが、とことん吉村を揺さぶってくれる。

(本当に、強えーよ。ここまでこっちの投手をいじめてくるかよ)

 一年生が主体のくせに、こういったプレイを仕掛けてくる。

 吉村を休ませないつもりなのだろう。確かにそれは有効だ。

 有効だが、結果は出せない。出させない。


 遊びのない三球勝負で、バッターは内野ゴロに打ち取られた。




 ベンチに戻った吉村は、深く座って肩で息をしている。

 疲れている。まだ球数も少ないし、イニングも多くはないのに。

 昨日の疲れが残っているのかとも思うが、やはりこれは白富東の、白石大介の圧力が原因だ。

(俺たちがなんとかしないと!)

 そう決意して打席に立つ東郷だが、気迫だけではどうにもならない。

 表情を変えない敵投手は、まるで機械のようだ。

 そして単なる機械ではなく、こちらの意図を見抜いて適切に対処してくる。


 カーブを主体とした緩急の組み合わせに、最後はジャイロではない普通のストレート。

 アウトローにしっかり制球されたそれを、東郷は見逃してしまった。

 ジャイロか、あるいはスライダーなら、ボールとなっていただろう球。

 それを期待した東郷を翻弄するような、大胆だが計算された配球。


 キャッチャーのリードも上手いが、迷わずに投げ込んでくるピッチャーもすごい。

 三年間苦しみながらも、乗り越えてきた野球漬けの日々。

 だがその三年間で、こんなリードを投手に要求するようになれただろうか。

(いや、単に俺が舐められてるだけか)


 東郷は思う。勝ちたいと。

 もちろん甲子園がかかっているから、勝ちたいのは当然だ。負ければ東郷の高校野球は終わるのだから、勝ちたいのは当然だ。

 だが純粋に、この強いチームに、勝ちたい。


 それでも、想いだけで、甲子園には行けない。

 続く打者二人を平然と三振で封じ、直史はマウンドを降りる。




 観客席のどよめきが鳴り止まない。

 瑞希がこんな現象を体感したのは、生まれて初めてだった。

(すごい……胸がどきどきする……)

 マウンドから軽い足取りでベンチに戻る直史へ、万雷の拍手が送られる。

「すごいなあ。本当にすごいなあ。三者三振だろ? もういくつ三振取ったんだ?」

 隣では瑞希そっちのけで、興奮している父がいる。


 味方側のスタンドからは、黄色い声が直史の名前を呼ぶ。いや、叫ぶ。

 だが直史はそちらをちらりとも見ず、ベンチの中に引っ込む。

(すごい、集中してるんだ)

 昨日の試合も凄かったが、今日はそれとも比べ物にならない。

 人の声で建物が揺らぐことがあるだなんて、今まで瑞希は知らなかった。


 三振、三振だと周囲で周囲で騒いでいる。

「11三振だ! まだ五回で11奪三振だぞ!」

「ちょっと記録見ろよ! 調べろ!」

「待てよ! え~と……くそ! 参考記録はいらないんだよ……」

「え~と……新潟……って上杉の記録は別にして、千葉千葉千葉……21! でもこれ二回戦だ。決勝での記録は……いや、また上杉かよ。千葉は……参考記録しか出ねえ!」

「とりあえずあと四回、全部三振なら新記録か……」

「まあさすがにないな。向こうもバントとかしてきたし」

「今まで一安打ってのも惜しいな。当たりそこねだし」


 周囲の騒ぎを正確に瑞希が理解することは出来なかったが、マウンドで投げる直史が、とんでもないことをしているのは伝わる。

 彼の周りは、静かだ。

 淡々としていて、ガッツポーズもなければ、己を鼓舞して叫ぶこともない。

 だが彼の積み上げていく数字が、人々を興奮させる。


(すごい……。かっこいい……)

 瑞希はこれまで、スポーツというのは興行、あるいは娯楽だと思っていた。

 もちろん学校の部活動で汗を流す、スポーツに対して文句があるわけではない。

 スポーツを通じて体を鍛え、技術を研鑽するというのは、勉学とは違った形ではあるが、努力の結晶だ。


 だが、これは違う。

 文章からでは分からない、この熱量。

 これは絶対に、感じなければ書けないものだ。


 しかしそれはそれとして。

「ナオく~ん!」

「直史く~ん!」

(名前を呼ぶのが気安すぎると思う!)

 佐倉瑞希はまだ、その感情を嫉妬と呼ぶのだと知らない。 

やっと決勝戦のラストまでのプロットが完成しました

次話「俺はキャプテン」


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