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エースはまだ自分の限界を知らない ~白い軌跡~  作者: 草野猫彦
第十二章 三年目・盛夏 大甲子園

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119 筋書きのないドラマ

 瑞雲が負けた。

 片足がバッターボックスから出ていたとか、打順を間違って打ったとか、ベースの踏み忘れとか、そういうこともない。

 渾身のガッツポーズのままベースを回る屋敷に対して、瑞雲の選手は呆然である。

 悪夢のようだ。

 そしてそれをテレビで見ていた白富東も、悪夢ではないかもしれないが夢だとしか思えない。


 地方大会で打率二割を切っていた、もちろん夏の地方大会でもホームランなど一本も打っていない、八番打者がホームランを打った。

 ピッチャーにとってキャッチャーは女房役と言うが、これは内助の功が大きすぎる。

 整列し、礼をする二校。

 石垣工業の校歌が流れ、どうやら本当にどんでん返しもなく、三回戦の相手が決定した。


 ひとしきり騒いだ白富東のメンバーであったが、具体的な言葉は出てこない。

 瑞雲の敗北はそれだけの衝撃であったのだ。

 なので口に出したのは、この場で最も客観的にものごとを見ようとしていた少女であった。

「あの、次の試合、相手のエース投げられるんですか?」

 昨日から同じ旅館で、イリヤと共に宿泊していた瑞希の言葉で、一行のフリーズが解除される。


「最後、どっか痛めてたのは間違いないよな?」

「試合中ならアドレナリンとかで痛みを感じにくくてもおかしくない」

「それでも球速が落ちていったんだから、完全に故障だろ」

「純粋にコントロールが利かないほどの痛みなんだから、間違いなく故障してるはず」

「すると二番手ピッチャーをうちに出してくるのか?」


 ありえない。

 金原は沖縄大会でさえ、自分一人で投げてきたピッチャーだ。それが誰かに交代する? 甲子園で? 白富東相手に?

「もし、金原が先発できたら」

 秦野はどこか、悲しみさえたたえた声で言った。

「全力で速攻で叩き潰してやれ。まあ投げてこないのが一番なんだろうけど」

 最後の夏、戦う相手は覚悟を決めた強豪ばかり。

 そう考えていた白富東は、何かがずれた感じがした。




 安易すぎたのか、と武市は考える。

 九回の裏、もちろんサヨナラの機会は相手にしか与えられていない。だから注意すべきだとは分かっていた。

 しかし打撃には全く期待出来ない、地方大会でもホームランを打ったことのない、八番のキャッチャーがあそこで打つ。

 内角高めにびしりと決まる球であり、あそこで仰け反らせてから残りのツーストライクを簡単に取る予定であった。


 相手のピッチャーがパンクしているのは分かっていた。

 ストレートが制御出来ず、140kmがせいぜいとなった時点で、ガソリン切れと言うよりは故障だとも分かっていた。

 ならばここでさっさと打って、終わらせてやるのが良いことだと思ったのだ。


 油断、もしくは傲慢。

 相手は最後まで諦めず、一撃に賭けていた。

 インハイのストレート。あのコースだけを。

 坂本が余裕をもって投げているのは分かっていたが、それでも夏の消耗を避けたかったのだ。

 相手に読み負けたのは確かだ。

 一番厳しく決めるインハイは、逆に読んで当てるなら一番簡単だ。

 それでもまさか、とは思う。


「まあ、終わっちもうたんは仕方ないきに」

 キャッチャーボックスで立ち上がれない武市に、坂本は手を差し伸べた。

「次を考えんと。アギは大学でも野球するゆうちょったが」

「そうじゃけど……」

「まあアシはあと一年、のんびりさせてもらうがよ」


 負けたのだ。本当に負けたのだ。

 泣いている者がいないのは、まだそれを認められていないから。

 相手校の校歌が流れても、甲子園の土をつめても、インタビューを受けても、まだ終わった気がしない。

 相手のピッチャーが優れていたので、その対策もしていた。球数を放らせて、体力を削ることもした。

 負けたことが、実感出来ない。


 武市のショックは、他の全員にもつながる。

(どうせ次の試合は投げられんのに、アシらに譲っといた方がよかろうに)

 坂本は悲しみも悔しさもなく、ただ諦念の中に身を委ねていた。




 石垣工業監督喜屋武の元を訪れたのは、金髪の小柄な女性であった。

「確かあんたは……」

 金原を何度か見にきていたので、しっかりと憶えている。

「金原君を診せる病院、あるんですか?」

 笑顔を浮かべながら悪魔のように、セイバーは囁きかけた。


 金原の異常は喜屋武も分かっていたが、迷いがあった。

 全てのチームメイトが、金原を中心にまとまったチーム。

 一点を取り、一点を防ぎ、エラーなしで勝つチーム。

 もっとも今日、ついにエラーが出てしまったが。

 それでもこのチームは、金原を中心とした守りのチームだ。


 だが誰から見ても、今日の終盤の金原のピッチングは異常であった。


 瑞雲はスラッガーと呼べるような選手はいないが、簡単に打ち取れるバッターもいない厄介なチーム。

 金原は170球ほども投げたが、それは単なる球数ではなく、どれだけ全力で投げたかが問題なのだ。

 肘をかばったピッチングだとは、喜屋武も気付いていた。

 アドレナリンがガバガバ出る状態でも、それでも耐えられない痛みがあったのだ。

「内密で診てもらえる病院があります。診断も即日です。どうですか?」

 喜屋武監督としては、これを拒絶する選択はなかった。


 そして案内されたスポーツドクターのいる専門病院では、はっきりと診断が下される。

「靭帯ですね」

 やってしまっていた。

「まあ軽度のものなので、治癒するまでに三週間、そこからゆっくりリハビリして二ヶ月というとこかな」

 医者の言葉は死刑宣告であったが、それでもこれで喜屋武は、金原を降ろす理由になってほっとした。


 同席していたセイバーは問いかける。

「将来的にトミー・ジョンなどをする必要は?」

「いや、それは確かにそれをすれば、強靭にはなりますけど、彼の場合はそもそも、靭帯周りのインナーマッスルが足りていないんですよ」

 医者の言葉は金原の将来性をあっさりと看破した。

「車で例えればアクセルはガンガン上がるんですけど、ブレーキが不充分で体に負担がかかる。腱や靭帯を守るための筋肉が必要なんです。野球強豪校とか大学、プロなんかはそのへんもきっちりとしてるんでしょうけど」

 それでも金原は諦めない。

「なんとか次の試合に出られませんか」

「出ても意味がないでしょう。満足なピッチングは出来ませんよ。まともにスピードも出ず、コントロールもきかず、そしておそらく致命的なダメージになる。そうなればもうトミー・ジョンです」

 体の他の部分からの靭帯移植。

 現在のプロではメジャーな治療法ではあるが、完治してマウンドに戻るまで、おおよそ二年は必要となる。それも前と同じ球が投げられるとは限らない。

 プロに入る前の高校生が、受けるような治療ではない。


 医者がそう言ったのだ。ドクターストップを監督が無視するわけにはいかない。

 石垣工業の甲子園は、事実上ここで終わった。




 その夜、大阪の端の居酒屋で、セイバーと秘書の早乙女が、一人の男と会っていた。

 大京レックスのスカウト、大田鉄也である。

 沖縄はさすがに彼の担当ではないのだが、話を通すには簡単だ。

「一年目は完全に基礎トレからやり直しか」

「それでも今日のピッチングを見ていたら、取りたい球団はあるんじゃないですか?」

「まあ今年は白石がいるからあれだが、外れ一位で指名されてもおかしくないかな。ただ怪我持ちをそうそう取るところもないか」

 ピッチャーはどの球団も、何人でもほしい。それも下位指名で能力の高いピッチャーならなおさらだ。

「大学という選択肢は?」

「この夏までは無名に近かったですからね。まあ知ってる人は何度も怪我をしていると知ってるわけですから、大学も特待生は難しいかと」

 にこにこと笑うセイバーであるが、ここから金原の復活、そして新生には、協力が必要だ。


 大京レックス。この球団の特徴としては、選手のコンバートによる再戦力化が上手いとされている。

 バリバリの先発であった投手が中盤で打ち込まれては、それをクローザーとして活用して復活させたりもしている。

 怪我からの復帰率が高く、そもそも怪我をする選手が比較的少ない。

「けれどこの段階じゃあ、まだ指名を諦める球団は少ないだろうなあ」

 下位指名で狙ってくる球団は、かなり多いのではと思われる。

「それはまあ、東京での復帰のトレーニングと引き換えに、条件を出してきましたから」

「条件?」

「次の試合が終わるまで、左手を吊って投げられないことをアピールするようにと」

「うわぁ……」

 思わず本音が出てしまう鉄也である。


 金原は、おそらくこれで指名されない。

 指名するとしても育成枠で、念のために取っておくかという程度になるだろう。

 セイバーは金原の体を一から作り直すと共に、自分で囲い込もうとしている。

「というわけで、下位でも指名はお任せします」

「また面倒なことを」

 金原の実力とポテンシャルは間違いなく高いが、怪我持ちというこの物件は、どうやって編成班に話を通すか。

 たとえ本物の選手であっても、鉄也の目からというだけでドラフトで獲得するわけにはいかない。


 だが、金の卵は、間違いなくそこにある。

 社会人の世界では、単に結果を残すよりも、プレゼンテーション能力の方が必要とされるのだ。




 第一試合から波乱の大会六日目であったが、もちろんその後にも試合は残っている。

 第二試合では北北海道の洛南と熊本商工の試合で熊本商工が勝利。

 第三試合ではこの日一番の注目とされていた帝都一と仙台育成の試合で帝都一が勝利。

 そして第四試合では青森明星と春日山の試合が行われ、春日山が勝利していた。


「まあ他は順当と言えば順当なのかな?」

「このブロックはやっぱり帝都一が上がってきそうだな」

「帝都一もベンチに三人も一年入れてるのか」

「名門で一年の夏から背番号って、かなりすごいよな」

「春日山は順当か? でも青森明星も強かったよな」

「津軽極星もそうだけど、青森って星の漢字が入ってる強豪が多いような」


 良くも悪くも、瑞雲の敗北は予想外であった。

 チーム力としては間違いなく瑞雲の方が高かったし、それに終盤の金原のピッチングは、明らかにどこかを痛めていた。

 石垣工業の県大会のスコアを見ていて、秦野は気付いた。

 トーナメントが進むごとに、金原の四球が増えてきている。


 おそらくは、甲子園の前からどこかを痛めていたのだ。

 それを騙し騙し使ってきて、ついに甲子園の初戦でパンクした。

 はっきり言ってしまうと、金原の投げない石垣工業など敵ではない。

(どうにか緊張感を取り戻させないとな)

 おそらく石垣工業戦は、楽な試合になる。

 しかしその後に準々決勝で強いところと当たれば、そのギャップで脆くも崩れてしまうかもしれない。


 緊張感を保つのは、難しいことである。

 トーナメント戦はプロのリーグ戦と違って、一度も負けることなく緊張感を保つ必要がある。

 秦野の指示で夏の大会は春ほど圧倒的な大差が少ないのは、その緊張感をほどよく保つために必要だったのだ。

(なんていうか、勝ち方を知ってる人だよな)

 ジンの秦野に対する評価は高い。

 純粋に技術的なものや、試合における采配も悪くはないが、コーチ陣や上級生を束ねて、一二年のメンタルを安定させていることが一番凄いのではないかと思う。

(金原が復活して、それなりに緊迫した試合になった方がいいのかな)

 そうとまで思うジンであった。




 大会七日目。

 この日は初戦全てが終わり、甲子園で二戦目を戦うチームが出てくる。

 第一試合は佐賀の弘道館が勝ち、上杉と江藤の本格右腕の対決が実現した。

 チームの選手個人の力量では、全国制覇バッテリーの春日山の方が上なのかもしれないが、弘道館の鍋島監督は実績のある監督だ。ほぼ互角の戦いになってもおかしくはない。


 第二試合は理知弁和歌山と、春日部光栄の対決。

 理知弁和歌山は基本的に、常に打撃のチームである。

 勝つときは盛大に勝つが、負けるときはあっさりと負ける。

 対する春日部光栄は、全体的なチーム力が高い。

 センバツにも出ているのでその経験の差が優ったのか、割と平均的なスコアで春日部光栄が勝利した。


 第三試合は一回戦を不戦勝だった東名大駿河と、島のいる城東の戦い。

 やはり左のエースの力は強く、センバツベスト8の力を見せ付けた。3-1とロースコアで確実に勝っている。

 甲子園での試合経験の差か、公立校が私立を破っていた。


 そして第四試合は、いよいよちゃんと一回戦を勝った同士の戦いとなる。

 岩手の花巻平と、福岡の岩屋高校の戦い。

 大滝は抑え気味のピッチングであったが、それでも当たり前のように150km台を連発し、岩屋を散発五安打で完封した。

 同じパワーピッチャーではあるが、石垣工業の金原とは違い、抜くところでしっかり抜いて投げて、4-0なのだから恐ろしい。

 実際に戦う選手や監督はともかく、マスコミなどでは最強右腕として誌面を飾ることになる。


 これらの試合を白富東は、リアルタイムでは見ていない。

 地元のチームとの練習試合に加え、合同練習をしていたからだ。

 白富東の練習時間の短さには驚かれたが、実際は体を動かしている時間は、他のチームの練習も同じ事なのだ。

 だから問題は、待っている側も動いて、効率的な練習を行わないといけない。練習時間は短いが、練習量は同じ。これが重要なのだ。


 もっとも白富東も、ある程度基礎のある選手にだけこれは行わせているのであって、自主練の時間はそこそこ長い。

 ただ大会中は調整が主であって、今更技術の向上などは求めない。


 瑞雲の負けた影響は、少なくとも表面には出ていない。

 あとは石垣工業と戦った時が注意であろう。

(弱いチームを強くするのは簡単だけど、強いチームで確実に勝つのは難しいんだな)

 それが秦野の正確な感想であった。

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