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エースはまだ自分の限界を知らない ~白い軌跡~  作者: 草野猫彦
第十一章 三年目・夏 世界で一番 熱く光る夏
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102 情報戦

 この試合、先発の直史への指示は三つ。

 一つはスルー禁止。まあ今までの試合でも、時々言われたことである。

 二つ目はツーアウトまでに相手にランナーを出すこと。意図的にピンチを作り出し、守備で失点を防ぐ。

 そして三つ目は、奪三振禁止である。


 さすがに秦野の正気を疑った直史であるが、その表情は真剣であった。

「公式戦で守備練習するつもりですか?」

「あとはもう一つ、お前の投げる試合って、打線の援護が薄くなるじゃん」

 それは確かにその通りなのだ。


 岩崎はそれなりに。武史も安定感が微妙なので、味方は積極的に点を取っていく。

 だが直史の場合はピッチングへの信頼感が強すぎて、守備はともかく打撃では気が抜けている。だから大介の一発が目立ったりしてしまう。

 これは単なる印象ではなく、数字から確実に見えている事実なのだ。

 プロ野球なら、防御率は優れているのになぜか勝ち星がつかないピッチャーに似ている。


 そもそもピッチャーが絶対的なチームは、得点力が低くなる傾向にある。

 もちろん自分の成績が大事なバッターはその限りではないのだが、下手にチームバッティングを徹底していると、守備の方に思考が向きがちだ。

 これが上杉や武史のように三振を取っていくピッチャーならともかく、直史は出来れば二球以内に打たせて取るタイプなのだ。味方が五点取ってくれるなら、相手にも二三点は取らせて要所だけを抑えたい。

 攻撃力を維持させるのは、監督の役割である。

(ナオが調子が悪くても、勝てるという覚悟を決めないとな)

 直史に限らず、エースが万全でないと勝てないチームでは、今後が困るのだ。




 三番も同じくセカンドゴロでの進塁打。

 そして四番はピッチャーフライと、先頭にいきなり打たれたものの、どうにか無失点で初回の表を終えた。

(難しいもんだな)

 直史は剛速球でバンバンと三振を取るタイプではないが、追い込んでからの三振はそれなりに多い。

 また意図した三振だって、その気になればかなり奪えるのだ。

 確実に相手に打たせてアウトを取るのは、逆に難しい。

 そもそもフライにしろゴロにしろ、エラーの可能性はキャッチャーの後逸よりはよほど高い。

 特にゴロは捕球ミス以外に、送球ミスだってあるのだ。

 だから三振を取るというのは、ピッチャーにとって一番勝ちやすい条件なのだ。


 孝司としても計算外だ。

「球、走ってないのか?」

 ベンチに戻ると隣に座ったジンがひそひそと聞いてくる。

「球威もそうですけど、制球も微妙ですね。こんなことって今までありました?」

「いや……」

 ボール球先行のピッチングをしたことはあるが、あれは他に意図があってのものである。

 孝司としても四番相手には、ストレートで三振を取るつもりだったのだ。それが思ったより伸びがなかった。


 ベンチの直史は落ち着いて見えるし、監督の秦野も動じていない。

 下手に騒げば全体に影響する。

「球威も制球もいまいちだけど、変化球は多い。そういう投手だと考えてリードしろ。出来るよな?」

「出来ます」

 孝司の意思は強い。


 そして次は監督の隣に座る。

「このまま行きますか?」

「三回までは様子を見る」

 秦野には迷いはない。

「それとさっき、あちらはノーアウト一塁からの場面で、二番に打たせてきましたけど」

 結果的には進塁打になったが、白富東を相手にしたら、まず確実に一点をバントで送ってくるだろうと思った。

「勝つ気なら送ってきただろうな」

「え? 勝つ気ならむしろ強振してくるんじゃ?」

「絶対に勝てそうにない試合なら、バントじゃなく振っていきたいのが人情だろ」

「そういう考えもありますか」

 せっかくの思い出が送りバントというのは、それなりに切ないものがあるだろう。




 この試合、攻撃側にも制約がかけられている。

 初球を振らないというものだ。

 ヒットならばOKであるが、もしも振って凡退したら、その場で交代というルール。

 最近はちゃんと見ていくバッティングが出来ているので、そこまでやる必要があるかと思ったジンである。


 先頭のアレクはボール球が続いた後の球を打ってクリーンヒット。

 二番はスタメン出場の哲平である。

 初球からアレクが盗塁して、ノーアウト二塁。

(ゲッツーはないから、打ってくるだろう)

 そう考えたバッテリーであったが、哲平の選択はセーフティバントであった。

 深めに守っていたためサードが間に合わず、一塁三塁の両者セーフ。


 強打のチームであるから、打ってくると思っていたところへのセーフティ。

 せこいと言うよりは、容赦がない。


 そして迎えるは三番の大介である。

 だがここは完全に敬遠。さすがにランナー二人を置いて勝負するバカではない。


 ノーアウト満塁となり、四番の鬼塚。

(初回だから長打狙いでもいいんだが……)

 外野はかなり下がっている。クリーンヒットやタッチアップの一点は仕方がないと割り切っているのが分かる。

(内野ゴロだと一点は入ってもゲッツーの可能性があるのか。外野まで飛ばせば、最低でもワンナウトで一点は入る)

 じっくりと見ていった後、低めのカットボールをライトへと運んだ。

 深く守っていたライトは危なげなくキャッチしたが、アレクにとっては余裕のタッチアップ距離であった。




 一回の裏は結局、二点を奪って終わった。

 そして二回の表、ワンナウトは簡単に内野ゴロで奪ったものの、五番打者にはフルカウントからのフォアボール。

 普通のピッチャーなら普通にありえる程度のピンチなだけに、下手にマウンドにも行けない。

(でもまあ、これはこれで面白いな)

 孝司は直史の調子を正しく把握する。


 まずストレートにキレも伸びもない。ただ制球はかなりしっかりしている。

 変化球はキレも精度もいまいちだが、変化しないほどに極端には悪くない。

 なんと言うか、全体的に二回りほど悪くなっている。


 守備のいいスタメンで良かったと思う孝司であるが、同時にさっさと五回コールドで勝ってしまいたいとも思える。

 それを他のメンバーも意識してきたのか、確実に相手のピッチャーを攻めて得点を重ねていく。

 カットボールを手元で変化させて、打たせて取るピッチャーであるが、空振りが取れるほどの大きな変化ではない。

 強く打てばゴロになっても、内野を抜けていっておかしくはない。


 カーン!


 大介のホームランも出た。

 いくらランナーがいないと言っても、低めというだけのゾーンに投げてはいけない。


 毎回ランナーを出すが、得点には結びつかない。

 点差はどんどんと開いているが、三井西の守備にも攻撃にも、投げやりなところは出てこない。

(ピッチャーの調子が良くないってだけで、こんなに緊迫した試合になるもんなんだな)

 ジンはこの試合の守備が、まるでシートノックのように思える。

「そいや今、球数は?」

「48球だな」

 スコアラーとしてベンチに入っているのは、女子マネではなく研究部の菱本である。

「四回が終わってか。ナオにしては多いな」

 それでも11点の差がついたので、五回の表を抑えれば余裕で81球以内の勝利である。


 体の動きを見た感じでは、どこかを怪我しているという感じではない。

 おそらく今までの似た症状から推察するに、指先の感覚が微妙なのか。

 致命的な何かであれば、直史は無理には投げない。あるいは、最悪ならば左で投げるという選択肢もあるだろう。

(つーか今までが問題なさすぎただけで、普通はこういう試合もあるか)

 そこを考えてリードしている孝司は立派なものである。


 ヒットで出たランナーを併殺に取り、ツーアウトランナーなし。

 相手の三井西からは、思い出代打のバッターが出てくる。

(まあこの打者も変化球で内野ゴロに)

 そう思った孝司のサインに直史は首を振り、自らサインを出した。

(え? でも今日の調子じゃ)

 そう思ったものの、直史はアウトローぎりぎりにストライクを投げ込み、インハイへカーブを投げ込み、インローへスプリットを落とし、三振でしとめた。


 ゲームセット。これでまた、一つのチームの夏を終わらせた。

 結果的には完封とは言え、ヒットは四本打たれて、四球も一個。

「え? 三振は最後の一個だけか」

「そうみたいだな」

 確認してジンと菱本は驚くのだが、間違いない。

 と言うか最後の一人に対しては、いつも通りのピッチングを行っていたと思える。


「あいつまた試合で練習したのか」

 苦々しく思いながらも、それで勝ってしまうところが直史なのだろう。

 そして秦野は、最後の打者相手には三振を奪ったところに、さすがの直史でもフラストレーションが溜まっていたのだな、と逆に安心する思いであった。

 直史も根本のところでは、ピッチャーの魂を持っているのだ。




 試合後ミーティングは、主に守備のことが話題となる。

 直史の調子が悪かったのはともかく、確認しておかなければいけないこともある。

 守備位置がどうだったのかとか、シフトが良かったのかどうとか。

「てか調子悪いように見せかけてたけど、何を縛りプレイしてたんだ?」

 遠慮のない発言は大介である。彼には直史が手加減したとかではなく、なんらかの条件を念頭に投げていたのだと分かるのだ。

「まあ色々と考えてはいたけど」

 直史としては秦野の意図を口にするわけにはいかない。


「それに関しては俺のほうから話そう」

 秦野としては知らせていいことと悪いこと、そしてその背後の計算まで、監督として話しておかなければいけない。

「今のこのチームは、はっきり言って正面からぶつかれば、どのチーム相手でも勝てると思う。逆にぶつかる相手側からしたら、どう戦うと思う? はいキャプテン!」

「え……まあ正面からは戦いませんね」

「そういうことだ。だからこちらも正面から以外のぶつかり合いを考えるか、相手が正面からぶつからざるをえない状況を作る」

 ふむふむ、と頷く部員たちである。

「お前らはまあ、データを正しく分析して活用しているところは出来てると思うよ。だがせっかくなら、そこからさらに一歩進んで考えてほしい」

 一歩? と首を傾げる者も多い。


 分からないでもない。

 秦野だって昔はここまで考えていなかったし、そもそもそんな戦略を採る余裕はなかった。

「前任の山手監督は、MLBを基準にしていたから、どうしてもビッグデータを専門にしていた。それはもちろん間違ってないんだが、ぶっちゃけプロと高校野球では、戦い方が違うんだ」

「絶対値とか、突出した力ってやつですか?」

「そういう言い方もするのかもしれないが、俺が考えているのは、戦力を煙幕で誤魔化すってことだな」


 年間100試合以上も行われるプロの世界に比べれば、高校野球は大前提が違う。

 同じチームと当たることはせいぜい年に数度であるし、それも公式戦で当たる回数はもっと少ない。

「たとえばこの予選、岩崎のピッチングの場合な」

 突然名前を呼ばれる岩崎であるが、別に責めるつもりはない。

「追い込んだ相手は必ず内角のストレートでしとめに来るというデータがあれば、相手はそれを念頭に攻略してくるよな」

「そりゃそうですけど、そもそも内角のストレートだけで決めるのは……ああ、たとえ話ですか」

 そう、あくまでも例え話だ。

「今日の佐藤みたいに、力を誤魔化して勝つというのは、県予選レベルだからこそ出来ることであり、甲子園では通用しない」

 まあそうだろう。あの出来では大阪光陰のみならず、桜島などにも大量得点を許していたはずだ。

「相手のデータを正しく分析するのも重要だが、誤ったデータを向こうに取らせるのも重要なんだ。特にこの短期決戦のトーナメントでは」

 おお、と一同が頷く説得力がある。


 もちろんそんな小手先のごまかしが、何度も通用するようなことはない。

 だがそのたった一度の策が、甲子園の決勝で使えたなら、間違いなく必殺の一撃となる。

「今日で言うなら打撃陣も、一球目から打っていくことはほとんどなかっただろ? それが活かされたのが、白石の打席だ」

 ああ、あれか。

 確かにあそこまでは、徹底して初球は打たなかったので、大介相手に初球から低めのストライクを取りに来たとも言える。

「てか、そんな高度な情報戦をするなら、春の大会から言ってくれれば良かったのに」

 思わず岩崎はそう言うが、それにもちゃんと理由がある。

「だって全国制覇をした直後の選手にそんなことを言っても、耳を素通りしていくのが分かってたからな」

 これには岩崎も黙ってしまう。


「この県大会から撒き餌をしだした理由は?」

 ジンとしてもそこは把握しておきたい。

「一つは、これが公式戦の最後のトーナメントということだな。三年生は甲子園で優勝するために、全ての奥の手を、極端な話、最終打席なり最終打者になりに使う」

 それはさすがに極端すぎるのだろうが。

「去年の夏だって、データの活用不足と、データに囚われていた部分があったからな」

 白富東の過去のデータを調べて、秦野は気付いたのだ。

 勝敗はともかく、データを相手に活用されすぎている。


 決勝戦。敗北した春日山戦。

 あの試合、春日山はデータになかった攻撃をしてきた。

「セーフティだ。普通に考えるなら、あそこまで抑えられていたそこそこ足の速い打者が、あれを選択することは想定していないといけない。だがあそこまで、セーフティのデータはなかったんだよな?」

「はい」

 致命的なミスとも言える試合だった。

「あの試合は樋口にリードを読まれてホームランを打たれたのが敗因に思えるが、あの時の岩崎の球だったら、頭の隅にでもセーフティの可能性があったら、樋口に回る前に試合を終わらせることが出来たんだ」

 あの試合、確かに樋口に打たれた。

 だから樋口まで回していなかったら勝っていたというのは確かなのだ。


 それにまだある。

「準決勝の大阪光陰戦もな。継投の後の真田だったけど、あいつの分析をもっとしっかりしてたら、延長に入る前に一点ぐらいは取れていてもおかしくはない」

 4-0で勝った試合であるが、確かに延長まで戦ってやっと得点したというのは、白富東の攻撃力からすると、信じられないほど低い結果だろう。真田の凄さは置いておいて。

 あれは大阪光陰が、白富東の打線を、完全に分析完了していたからとも言える。




 白富東はここまで、最先端のトレーニングを取り入れてきたし、作戦の判断なども正しいものを選んできた。

 だが正しいことだけをやっていては勝てないことはある。

 それにイレギュラーへの対策だ。怪我にしても他に代えがいないならともかく、センバツの決勝戦、倉田は代えのキャッチャーだったのだ。

 結果オーライではあるが、あの選択は完全にミスであったとは、自分たちも分かっている。


 情報の取捨選択と、状況での判断。

 それはさすがに、色々と勉強をしているジンでも間違うことがある。

「まあお前らは、戦力的には全国制覇は出来るよ」

 一つだけ不確定要素があるとしたら、他の代表校の中の、即戦力の一年生ぐらいだろうか。

「情報のない相手と戦うことの怖さを、一二年はもう分かっただろうしな」

 う、と下を向いてしまうのがほとんどの一二年生である。


 全く相手の情報を持っていなければ、敗北する可能性は高い。

 さすがに甲子園に来るまでのチームであれば、ある程度の情報は出てくるのだが、それでも隠し球というものがあってもおかしくはない。

 たとえば大阪光陰ならば、守備が全然ダメで足も遅いが、打つことだけは天才的な選手がいてもおかしくはない。

 地方大会レベルなら使わなくても勝てるので、いきなり対戦する可能性はある。


 夏の甲子園は戦力の削りあいだ。

 最後の最後まで余裕を残していた方が、最後の一刺しが出来るものだ。

「とまあ次の試合からも、フェイクは入れていくからな。小手先の奇襲かもしれないが、その一撃が最後の一押しになる可能性もある」

 こくこくと選手たちは頷く。

 秦野の言ったとおり、春の関東大会までで、白富東の戦力は、かなり知られてしまっている。

 一年生をいきなり出場させるのは、経験を積ませるという点ではいいのかもしれないが、夏の大会では対策されるということでもあるのだ。

「それじゃあ弱点を潰していくか」

 もうほとんどない弱点であるが、完全にはなくならない。

 そこをどうにか消すか、隠してしまうのが監督の仕事である。

 白富東と秦野の相性は、セイバーの考えていた以上に良さそうであった。

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