46 ストレートの魔球化
極限までの脱力から、一気に筋肉を爆発させる。
この、明らかに他の球種とは違うと分かる投げ方で、直史は142kmが出せる。
ちなみにコントロールも悪化せず、他の変化球もこのフォームで投げることは出来るのだ。だがもちろん欠点がある。
「どうなの?」
ジンの質問への答えは簡単だ。
「うん、やっぱり試合の終盤以外には使いたくない」
疲れるのだ。
直史の投球は、全てセットポジションから始まる。
なぜかと言えばワインドアップとセットとの二つで投げれば、それぞれの投げ方を完璧にしなければいけないからだ。
そんなことに労力をかけるなら、一つのフォームだけにして、そこからのバリエーションを増やした方がいい。
さらに言うなら常にクイック気味にして、バッターのタイミングを崩したい。
そこで考えられるのは、セットからのフォーム改造なのだが、今の試した投げ方には欠点がある。
牽制がしにくいとか、盗塁されやすいとか、そういったものも一つであるが、何よりも肩にかける負担が大きい。
直史は変化球投手の常として、肘の炎症は起こしたことがある。
だが肩の故障は一度もない。その肩に対して、負荷が大きくかかるのだ。
肘への負担もそうだが、まず肩だ。
「故障しない肩の作り方は難しいよな」
さすがに悩む直史である。
白富東にはセイバーの手配してくれたピッチングを見てくれるコーチがいる。
元はMLBでプレーしたこともあり、アメリカでは大学のコーチをしてきたことが多かった。
最初は英語しか喋れなかったものだが、今ではかなり日本語も理解出来る。
彼の告げる球速を増す方法は、ごく簡単に言えば、高校生の間は試合では投げず、練習だけをするというものだ。
高校時代の試合での投手の酷使は、おそらく故障の原因の最も大きい物だと。
限界を超えて投げてしまう。だから故障するのだ。
そんな彼は現役時代はほとんどピッチャーであったが、直史と同じくキャッチャーの経験もある。
元はキャッチャーをやっていて、そこからピッチャーに転向したので、かなり技術論からピッチングを習うことになった。
ピッチングの正解というのは一つではない。極論を言ってしまえば、四球を出さずにアウトを取れれば、それで全てが許されるのだ。
ピッチャーとして生まれた人種には本能的に反発されるだろうが、直史はすごく納得する考えである。
セイバーの指標では、守備機会を少なくする三振の方が、ピッチャーの能力としては重視されるが、これまた極論を言ってしまえば、ホームラン以外はピッチャーの責任ではない。
直史に対しても、色々と単純に球速を増す方法なら複数提案出来た。
しかし今までの長所を消すことなく、球速を確実にアップするというのは、お手軽な手段ではなさそうだ。
「トルネードだとさすがにコントロールが利かないね」
「サイドスローだと決まるんだけど、球種が限定されるよな」
「それに肘の負担も大きいかな?」
「それは投げ込んで鍛えるしかないけど、投げられる球種が減ったら本末転倒だし」
直史は速いストレートがほしいのではない。選択肢をさらに増やしたいのだ。
そのためにストレートを速くすれば、他の全ての変化球の効果が上昇するというだけだ。
やはり疲れるのは覚悟の上で、全力投球フォームを微調整していくべきか。
全力投球フォームからでも遅い球は投げられるので、投球の幅が広がるのは間違いない。
本来直史はスタミナに優れた選手ではなく、それが延長でも平気で投げられるのは、球数を少なくすることと、全力投球をしないからだ。
この全力投球フォームを使うならば、体力の底上げが必要になる。
しかしこれは、勇気が必要になる。リスクも高い。
直史はある意味、今の時点で既に完成されたピッチャーだ。
そこからもう一つ上のランクに上がるというのは、一度そのスタイルを捨てることになるかもしれない。
下手をすれば全体的な完成度は下がってしまうかもしれない。
「単にピッチャーとしてのレベルを上げるなら、左投げを伸ばすのが簡単じゃないかな」
「お前ね、投げてるのが俺だから簡単そうに言うけど、左でスクリューとか投げるのは難しいんだぞ」
そう言う直史であるが、実は左から投げると、チェンジアップの変化が右よりも多種類になることを発見している。
ただ左はスピードの絶対値が低いので、どうしても緩急が利用しづらい。
やはり地道にインナーマッスル強化によって、腱や靭帯周りを守っていくべきか。
「まあ、今年の練習はこれぐらいで」
「そだね。年末年始はどうするの?」
部室に向かいながら二人は話し合う。野球部は今日で年納めである。
「うちはほら、年末あいつらが紅白に出るから」
「あ~、そっか。考えてみれば甲子園に出るより、紅白に出るほうが希少価値高いよね」
「ああ。そっちはどうするんだ?」
「うちは三が日までは父親が珍しく家にいるから、色々と研究するつもり」
「……野球一家だな。お袋さんは何か言わないのか?」
「うちの母は男の仕事に理解があるから」
野球を中心に回っている一家である。
明日から年末と三が日は休みということで、誰もが今日は限界まで体力を使った。
ロッカーで着替えながら、既にうつらうつらとしている者もいる。
「そう言えばさ、春までに屋内練習場も作ってもらえるってさ」
ジンの言葉に、盛り上がる一同である。
「よっしゃあ! これで梅雨でもバッティング出来る!」
「そりゃ公立でもあるところはあるもんな! 出来ればあと一年早く欲しかったけど!」
「でも土地はどうすんだよ、土地は。セイバーさんが作れなかったのそこがネックだろ?」
そう、もうこの辺りに適当な空いている土地はない。
「道向かいの畑の家さ、お爺さんがやってたろ? 年でもう無理だから、農地から転用して売りに出すんだと」
なるほど。
向かいの畑の老人は、確かに高齢であった。
屋内練習場が出来るのは嬉しいが、見知った風景がなくなるのは、なんとなく寂しい。
「形の悪い野菜とかタダでくれてたもんなあ」
「そんだけ俺らに期待がかかるわけか」
「そいや来年の受験倍率ってどうなってんだろ」
手続き的に間に合わなかったのは仕方ないとは分かっているのだが、体育科がもう一年早く出来ていれば、もっと戦力は強化出来ただろう。
「それより先に、新監督だよな」
「四月からはシーナも選手で出られるんだよな」
「アレク、監督とは面識あるんだよな?」
「うん、ラストイニングのポッポみたいな人だよ。でも見かけはもっとキレイかな」
鳩ヶ谷監督への風評被害発生である。
コーチング技術も持っているし、育成、戦略、戦術、指揮と、監督しての力量も高い。
だから問題は白富東と合うかどうかである。
「年始とかどっか皆で行くか?」
「うちはパスだな。悪いけど妹たちが紅白に出るから」
「あ~、そういやそっか。NHKホールには行かないのか?」
「親戚と一緒に爺ちゃん婆ちゃんの方の家で見るんだ。その後も親戚づきあいが多い」
「芸能人だな。大介は?」
「うちはあちらの家族と一緒に過ごす予定」
「あ、そっか。もう会ったんだっけ?」
「妹には会ったけど、姉の方はまだ」
「妹ちゃんどこのガッコだっけ?」
「三里。だからけっこ最初はぎくしゃくした」
「野球好き?」
「三里は今年無茶苦茶夏に盛り上がったし、センバツもほぼ決定してるから、校内で急激に野球部人気が高まったんだってさ」
三里は白富東とは、一番仲がいいチームかもしれない。
どうやら野球部はモテ期が到来しているそうで、妹ちゃんの押しは星らしい。
「ホッシーって母性そそるタイプじゃね?」
「あ~、でもホッシーって下手すりゃジン以上の野球バカっぽいよな」
「あと古田は彼女出来たとか言ってたよな。さすが関西人は手が早い」(風評被害
「しっかし今年はほんと、めっちゃ色々あったよな」
去年も夏の決勝で負けてから、色々と周囲が騒がしくなった。
秋に勝ち進んでセンバツがほぼ決定となってからは、さらに騒がしくなった。
しかし今年、実際にセンバツが決まってからは、その騒がしさはそれまでの比ではなくなったと言える。
センバツでの敗北。それから新戦力の加入に、春の大会の優勝。
夏は予選はほぼ楽勝であったが、甲子園の決勝では負けた。
ワールドカップでは直史と大介が大活躍し、国体で優勝し、神宮までもずっと無敗であった。
その間、大介は家庭の方で、色々と変化があった。調子を落としたが、それでも普通の四番以上には打ってきた。
「そいや大介って名字変わるのか?」
「いや、俺はこのまんま。今更名字変わったら、混乱するやついるだろうし」
確かに。
「来年の今頃は何してるのかなあ」
「そりゃ受験勉強だろ」
「考えたくねー」
「進路決まってるやつはいいよな」
「まあ怪我さえしなけりゃな」
来年の今頃は、もう今の二年生も引退しているのだ。
高校野球を過ごす時間は、もう八ヶ月を切っている。国体とアジア選手権に出るなら別だが。
「将来は、こういうチームの監督やりたいなあ」
ジンはそう呟くが、すぐにツッコミが来る。
「え~、俺だったらぜったいやだ」
「つーかこんなチーム、高校野球史上他にないと思う」
「ナオの指導とか絶対やりたくない」
「俺はおとなしいだろうが。めんどくさいのはタケとかだろ?」
本人に自覚はないようである。
現在の一年生にとっては、最初から驚くべき一年であった。
ほとんどの野球部員は、去年の夏と秋を見て、白富東に入ってきたのだ。
甲子園は当然狙っていたが、まさか出場どころかあと一歩で全国制覇のところまで勝ち進むとはさすがに思わなかった。
しかも国体と神宮は優勝しているので、現時点では実績的に日本一と言っても間違いではない。
春日山は戦力の低下が著しく、即戦力の一年が複数入らない限り、今年ほどの強さは発揮しないだろう。
大阪光陰は神宮の結果を見る限り、現時点の戦力では相手にならない。全体的な素質はともかく、バッテリーが未成熟過ぎる。
帝都一や神奈川湘南はチーム力を落とし、各地区の強いチームも、白富東ほどタレント揃いではない。
冬の間の成長を考えても、センバツは優勝出来るのではないだろうか。
そして春の新戦力も、少数だが力になりそうな者がいる。
武史とアレクで投手を回したら、おそらく再来年も甲子園には行ける。全国制覇まではさすがに無理だろうが。
この後も、自分たちが卒業した後も、白富東の野球部は強いままでいられるのか。
甲子園に出場する母校の試合を見て、昼間からビールを飲むような、そんな夏を過ごせるのだろうか。
あるいはOBとして、甲子園球場への応援に向かったり。
「北村さんは大学卒業したら、うちに戻って監督やるつもりなんだろ?」
「秋のリーグ戦、ちょこちょこ出て打ってたよな。一年の時から通じるんだから、やっぱ北村さんってすごかったんだな」
二年の間ではそんな話題も出る。
東京六大学の秋のリーグ戦、かつて白富東を一人で引っ張っていた北村は、代打と守備固めに少し出て、ちゃんと点を取っている。
周囲の部員はほとんどが甲子園経験者だろうに、一年から活躍するのはさすがと言えよう。
「北村さんなら大学でもう少し鍛えれば、プロから声もかかるんじゃね?」
白富東が決勝で敗れたあの夏、唯一の打点を上げていたのが北村であった。
北村がいた時は何も心配せず、ジンも好き勝手ができたものだ。
あの人には、本当の意味でのキャプテンシーがあったのだ。
プロ野球。
大介がいることで、それはとても身近に感じられるものになった。
こいつを基準にしては考えられないが、岩崎も、そしてアレクも野球を仕事にすると決めている。
「確かに北村さんならそこまで伸びるかもしれないけど、俺はああいう人にほど指導者になってほしいんだよな」
「それも分かるわあ」
「なあジン、お前ってほんとにプロは目指さねえの?」
「プロのスカウトの親に、はっきり言われてるからね。俺がプロに行っても、ブルペンキャッチャーかコーチにしかなれないって」
それはそれですごいことなのだが、ジンの目指すものは違う。
そもそも最初は野球選手を、確かに目指していたのだ。
しかし父が故障してプロを諦めたと知ってからは、その理不尽さをどうしても許せなくなった。
選手を故障させる指導者は無能だ。シニアの監督やコーチの方が、よほど高校や大学のコーチよりも、選手のためを考えているような気がした。
実のところシニアの監督などは強いチームを作るよりも、良い選手を育てて高校に供給するのが役目とさえ言える。
もっとも小中学生相手では、さすがに無理がきかないということも分かっていたのだろうが。
そうやってせっかく高校入学の時点で才能に満ちていた存在を、潰してしまうバカがいるのだ。ジンはそれが許せない。
ジンは野球が好きだ。そのためには裾野を広げないといけないし、新規参入が簡単でいけないといけない。
しかしユニフォームなど、サッカーに比べて野球は、必要なものが多すぎる。それに慣例となっている保護者の雑務も多い。
そんな中で故障などによって、野球から離れる人間を一人でも減らしたい。
「俺の生きてるうちにワールドシリーズが、日本代表とアメリカ代表の決定戦になってるといいなあ」
そこで自分の育てた選手が活躍するのだ。
「ジン、お前の野望って、ある意味すんげえスケールだよな」
誰かがそんなことを言った。そして誰もが同意した。