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エースはまだ自分の限界を知らない ~白い軌跡~  作者: 草野猫彦
第七章 白い軌跡 二年目・秋 うつろう世界
184/298

32 天才

 白富東は八回の表の攻撃で、暴れ馬のような岡田から一気に四点を奪った。

 鬼塚、大介の連続ホームランに、倉田のタイムリーである。

 その後にまた死球があったが、ここでの四点追加は決定的だった。


 七回までパーフェクトの直史は、ここで誰かに継投という選択もあった。

 しかし打算が働く。神宮大会でのパーフェクト達成は、大学のスカウトの目にも鮮烈な印象を与えるだろう。

 球数も少ない。七回の終了時点で59球である。

 直史の理想と言える、81球以内でのパーフェクトが現実味を帯びてきていた。


 もちろん対する瑞雲は、そんな記録を作らせるわけにはいかない。

 かと言ってセーフティバントなども、ピッチャー回りにしてもフィールディングでアウトにしてしまう。


 佐藤直史には隙がない。

 しかし瑞雲は諦めない。


 直史は自分が投げる時のセーフティリードを六点としている。

 どれだけ慎重なのか、それとも臆病なのか、あるいは計算高いのか。

 しかしそのセーフティリードの六点でも、今日の試合は最後まで繊細に投げる。


 一番怖いバッターである四番の武市には、スルーでボテボテのゴロを打たせた。

 その後に続くバッターも、スルーを交えて抑えていく。

 どうやら直史の投球から、投げる配分の多い球種に的を絞って打とうとしていたらしいが、カーブでも数種類を投げる直史は、それでは攻略出来ない。


 坂本はベンチでがやがやと責められたが、そもそも狙い球を絞るというのは投手攻略の基本である。

「まあこれで、次に当たった時は攻略の糸口になるがよ」

 どうやら坂本は狙い球を絞っても、今日の試合では捉えきれないと最初から思っていたらしい。

 武市たちにしても、ここまで点差が開いてしまえば、逆転は難しいと分かる。


 九回の表、白富東はさらなる追加点を得るべく、先頭打者は一番のアレクからである。

 荒れ球の岡田は、巧打の打線には意外と打たれない。しかし白富東はそういうタイプではない。

 センターの中岡と再度交代の方がまだいいかと武市は悩むが、一度集中力の切れた中岡では、おそらく岡田よりもひどい結末になる。


 ここで瑞雲のベンチが動いた。

「坂本、本気で投げんでええぞ」

「分かっちょります」

 岡田をショートに戻して、遂に坂本がマウンドに登ったのである。




 お前、肩が痛かったんじゃないのか、とは武市ならずとも思うところである。

 それを肯定するかのように、坂本の投球練習は、キャッチボール並のスローボールだ。


 肩が痛いというのは嘘だったのかと思った武市であったが、確かに坂本は肩を作ろうとはしていない。

 つまり速球は投げられないのは確かだ。

 遅い球で、どうにか相手をしとめる。

 坂本の制球力と球種なら、それが出来る。

(しかし手の内を見せないのが天童の計画じゃなかったのか?)


 武市の読みも間違いではないが、坂本は本能的に悟ったのだ。

 このまま一方的に負けたのでは、逆にセンバツで当たったとしても、こちらは既に試合前から負けているだろう。

 一矢報いる、というのとは違う。鋭い牙で爪あとを残さなければいけない。

 だからここで三人を打ち取る。自分であれば出来る。




 投球練習が終わり、いよいよ坂本との対決となる。

 アレクは坂本のデータを思い出す。

 MAXは144km、球種はスプリットとカット。打たせて取る技巧派。

 内野ゴロ製造機と言われるぐらいだから、おそろしくコントロールは良く、手前で小さく曲がる球を投げるのだろう。


 そう思っていたアレクへの第一球は、チェンジアップであった。

 いや、ただのスローボールであった。

 手元で沈むなりなんなりの変化をすると思ったアレクは、思わず見送ってしまった。

(なんだこれ)

 ほとんどキャッチボールだったとは言え、投球練習が足りていなかったのか。

 しかしこれで貴重なストライクを取ったのは確かだ。


 二球目。さすがに今度は打つと決めたアレクに投げられたのは、山なりのカーブ。

 落差があるのでボール判定かと思って見送れば、ストライクのコールである。

(面白い人だなあ)

 高打率に加え長打も打てるアレクに、こんな球を平然と投げてくる。

 要求するキャッチャーも、もちろんたいしたものなのだが、顔色も変えずに投げてくるピッチャーのメンタルは異常だ。

(さすがに次は速い球か?)

 三球目、真ん中に入ってくる。

(スプリット?)

 ただの遅いストレートで、アレクは内野に打ち上げてしまった。




 武市としては心臓に悪いとしか言いようがない。

 坂本は武市のサインに頷いているが、要求通りの球を一球も投げなかった。

 しかし抑えるのに成功した。

(分かったきに、好きなように投げい)

 そうは思う武市であったが、ちゃんと考えてサインは出す。

 次打者の鬼塚も、ほんのりと落ちるスプリットで内野ゴロに倒れた。


 しかし三番は、白石大介だ

 この打者だけは、小手先でどうにかなるものではない。

 ネットに出回っていた情報によると、身内の不幸で一時期は成績を落としていたらしいが、既に復調している。

 神宮の一回戦でも、軽々とホームランを打っていた。

 既に国内ではなく、海外でもその名を知られている小さな巨人。

(こいつをどう抑えるかで、この試合の意味は決まる)

 武市は緊張していたが、坂本はにっかりと笑っているのだった。


 大介は坂本の姿に、一年の夏に戦った細田を思い出した。

 左の長身で細い。それだけなのだが、ホームランを打てなかった。

 もちろん打点は上げていたので、負けたわけではない。しかしこのツーアウトで自分に回ってくるというのが、いかにも計算されたくさい。


 その大介への初球は、落差こそ大きいものの、ど真ん中に入ってくるカーブであった。

 しょんべんカーブとでも言うべきか、打つのに苦労するような球ではなかった。だがだからこそ逆にと言うべきか、打つのを迷ってしまった。

 タイミングを外してくる程度なら、ピッチャーとしてはいないわけではない。だがこの坂本は、意識の外にあるボールを投げてくる。

 二球目もカーブ。

 振った当たりは鈍く、バックネットに反るように当たった。下手をすればキャッチャーフライだ。


 気付けばツーストライクと簡単に追い込まれている。

 おちょくってくるならボール球を振らせて三振か、審判の目を惑わせてボール球をストライクとコールさせるか。

 しかし坂本の投げた三球目は、今日初めてのまともなストレートであった。

 凡庸なスピード。打てる。

 振りぬいた大介のバットの上を、ボールは通過していった。




 大介が三振した最後のストレードのスピードは、わずか138kmであった。

 スピードと回転軸、そしてスピン量が不自然だったのだろう。このバランスの悪さで、大介を三振に取ったのだ。

 しかし大介がストレートを空振り三振するのは何時振りだろうか。


 九回の裏、マウンドに登った直史は、坂本という選手に注目せざるをえなかった。

 大介から三振を取るのは、直史であってもかなりの布石を打ってからでないと難しい。

 それを簡単そうにやってのけた。内心ではどうだったかは分からないが、ベンチに戻る坂本はしてやったりといった笑みを浮かべていた。


 大介は憮然とした表情であったが、かすかに笑ってもいた。

(台湾のヤン……いや、そういうタイプじゃないな。似てる投手がいない)

 お前に似てるんだよ、と大介であれば言ったろうが、直史にその認識はない。

 本来の球威が戻ってくれば、さらにバリエーション豊かな投球をしてくるだろう。注意すべき投手であることは間違いない。


 それはともかくとして、直史は26個目のアウトを内野ゴロで取っていた。

 パーフェクトピッチング。直史は珍しく意識的に狙っている。

 そしてその27人目の打者が、九回に代わった坂本であった。


 データによると、そこそこバッティングも良い。長打力もある。

 だがそこそこだ。傑出しているわけではない。

(なんか不気味なんだよな。ホームラン打たれてもいいから探っていくか)

(マジ? 打たれてもいいの?)

(いいよ。この気持ちの悪いやつ、探っておきたい)


 初球インハイのストレートを、坂本は見送った。

 打とうと思えば打てる球だったろう。しかし平然と見送ったのである。

 ならば変化球かとカーブを低めに決めても、それにも反応しない。


 これは、打者としてはあえて勝負しないのか。

 そうとも考えられるが、本当にこいつは何を考えているのか分からない。

(じゃあとりあえずスルーでしとめておこう)

(見せるのもちょっと気味が悪いけどな)

 追い込んでからのスルー。あるいはここでセーフティかとも思ったが、坂本は振ってきた。

 伸びながら沈んでいくスルーを、アッパースイング。

 引っ張った高いフライは、ライトの頭上を越える。


 入った。

 ライトへのホームラン。

「マジか」

 直史は呟いたが、ジンの方は言葉も出ない様子であった。


 スルーでも、打たれる時はある。だがそれはタイミングを外されて、ゴロが内野を上手く抜けたとか、内野の頭を少しだけ越えたとかで、クリーンに打たれたことはない。

 それがクリーンヒットどころかホームランである。

 初対決はピッチャーが有利。それが常識であるのに、初見のスルーを打たれた。

 こんなこともあるものなのか。




 坂本の観点からすると、初見だからこそ打てたとも言える。

 打席ではなくベンチから、スルーが投げられるタイミングを計っていた。

 他の球が来れば全て見送るつもりで、三振も覚悟していた。


 ホームランは出来すぎだが、変に惑わされず最初のタイミングを持ったままで打てた。

 佐藤直史から点を取ったというのは、それだけでももちろん凄いことであるが、重要なのはスルーを打ったということだ。

 スルーでも打たれる。この意識を植え付けることが重要であった。

(スルーだけを狙って、スルーのタイミングを忘れなければ、まあ打てんこともないっちゅうことぜよ)

 ベンチの前でバシバシと叩かれながらも、坂本はしてやったりの思いであった。


 これでイップスにでもなってくれればありがたい。

 無敵の魔球を投げるマンガの主人公が、打たれた魔球を封印して新しい魔球を開発するのは、古い魔球に自信を持てなくなるからだ。

 魔球になぞ頼るより、打者の裏を書いて抑えることの方が、よほど健全である。

「よっしゃ、まだこれからあ!」

 ベンチの空気が甦る。野球はツーアウトからのゲームである。




 やっと打たれてくれたか、と直史は思った。

 この精密なジャイロボールは、これまでほとんど無敵の球であった。それがいつまでも続くのは、むしろ不自然だと思っていた。

 どうせあと一人と切り替える直史であるが、むしろジンの方が呆然としている。

(ナオがホームラン打たれるって……いつ振りだ?)

 デビュー戦で黒田に打たれたが、あれ以来は打たれていなかったのではないか。


 そう、直史は大介にさえ、紅白戦でもほとんどホームランは打たれない。

 ヒット自体はそこそこ打たれるが、点を取られることは少ないのだ。

(瑞雲の坂本……)

 瑞雲の坂本。

 彼の名前がプロのスカウトの頭に、はっきりと刻まれた試合であった。


 ちなみに直史は次の岡田をあっさりと内野ゴロに打ち取り、試合は白富東が勝利した。

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