21 栄冠は君に輝く
九回の裏の攻撃を考えれば、ウラシューはここで確実に三者凡退に抑えておきたい。
逆に三里としては、ここで追加点を取れれば大きなプレッシャーを与えることが出来る。
もちろん狙って点が取れるわけではない。しかもウラシューも動いてきた。
芳賀をベンチに引っ込めて、エースの成田がマウンドに登った。
ここで負ければ明日はない。そして三者凡退、出来れば三者三振で打ち取って、裏への勢いをつけたい。
それが分かっている東橋は、追い込まれてからも二球ファールで球数を投げさせて、内野ゴロに終わった。
四番の古田に対しては国立も明確な指示を与えている。
ホームランは狙わなくてもいいということだ。
三里の中で狙ってホームランが打てるのは、古田だけである。ここで一点を取れれば、印象としては二点差となって勝利に近付くだろう。
だが国立の経験と直感が言っている。
ここでは下手に試合を動かさない方がいい。
二点差となると、ホームラン一本では追いつけない。
ウラシューのこれまでの戦術が、極端に変わってくる可能性がある。
古田もそれを理解した。もちろん国立ははっきりとそれを口にしたわけではないが、膠着状態の一点差のままの方が、変に集中力が切れる可能性がなくていい。
それだけシビアな試合を、古田は知っている。
つまり国立の考えの通り、ヒットを打って相手を勢いづかせず、それでいて得点までは取る必要はない。
本当に追加点が必要ないのかは、古田でも判断がつかない。おそらく国立でも確実にそうだとは言えないだろう。
しかし、試合の流れを変えないことは、いいことのはずだ。
(だけど、そんな狙って凡退なんて、していいのか?)
本能が、打算を上回った。
外野の頭を越えて長打。ワンナウトながら二塁と、追加点のチャンスとなった。
スタンドもベンチも、この追加点のチャンスに盛り上がる。
だが三里の打撃による得点力は、一番から四番までがほとんどで、そこからは作戦による得点が高い。
(このまま試合を動かさずに九回の裏を迎えるか、それとも何か手を打つか)
せっかく古田が打ったのに、ここで何も動かないという手はない。
国立が出したサインは、送りバント。
しかしバカ正直に一球目からは行わない。
マウンドの成田は、打者としてもウラシューの中心だ。
九回の裏は、一人でも出れば成田に回る。それも考慮に入れて考えなければいけない。
初回は星の技ありバントで得点機会を作ったが、あれほど上手くいくのは珍しい。
他の打者が出来るのは、普通の送りバントだ。
バント練習は単にバントを決めるためではなく、球筋をしっかりと見るための練習でもある。
カウントツーツーまで粘ってから、送りバント成功。ウラシューのバントシフトが機能しなかったのは、初回の星のプッシュバントの影響もあったろう。
二死三塁。何か一つでもミスがあれば追加点という状況。
国立はここでも動いた。
成田の球は、おそらく事前にちゃんと登板の心構えを準備していれば、三里にとってはもっと驚異的なものだったのだろう。
だがこの九回の表に、ただこちらの勢いを止めるために登板というのは、彼にとって予想外だったはずだ。
芳賀を引っ張りすぎた。もちろん追加点をやらなかったことで、彼はまた成長したかもしれない。
ウラシューは強い。間違いなく三里より強い。
いつでも逆転出来る展開で、しかし現実には逆転出来ていない。
その三里の弱さが、逆にウラシューの計算を狂わせた。
強いから勝つのではなく、勝ったものが強いのだ。
ワンストライクから、セーフティスクイズ。
成田のボールをまともにヒットにするのは、古田でも厳しい。
意表を突いた三塁線へのゴロを、成田は自分で処理する。
わずかの差で、一塁はアウトとなった。
二点目は入らなかった。
しかしウラシューの正田監督が狙ったような、成田の投入で流れを変えるということは防いだ。
一年と少し前までは、現役選手として試合を行っていた、国立の嗅覚が優った。
九回の裏、最後の守備。
ここを守りきれば、甲子園に行ける。
緊張する選手たちに、国立は軽く声をかけた。
「怪我をしないように、気をつけて」
真剣な顔ではあるが、それだけを注意した。
最後の守りにつく三里のナインは、肩の力が抜けた。それが国立の狙いであった。
「行こう」
星の言葉に頷いて、最後の守備へと駆け出す。
この回のピッチャーは、最初から星。
交代したら、もう一度の登板は認められない。
打順は一番から。これまでは東橋に少し投げさせていた。
だがもう、子供だましの手は使わない。
最後は星に投げさせる。
先頭打者は星の球に慣れていないが、スタミナが尽きかけた星の球は、棒球になりつつある。
これを打って、ノーアウトのランナーが出た。
痛い。
ノーアウトで俊足のランナーが一塁。
星のクイックは素早いが、盗塁が出来ないほどでもない。
無死二塁になれば、送りバントで三塁に送っても、一死三塁。
内野ゴロでも外野フライでも、なんでも一点が取れる状況だ。
ここが最後の山場だ。
懸命に腕を振って、星はアンダースローのストレートを投げる。
落差の少なくなってきたその球を、二番打者はバントした。
星はボールへ駆け寄り、捕球して一塁へ投げる。
アウト。ウラシューはクリーンナップに全てを任せるため、アウト一つでランナーを二塁に送った。
一気に逆転するのではなく、まず一点を取って同点に追いつく。
それは一回以降まともにチャンスを作れていない三里を相手にするには、確かに有効な手だろう。
追いつけば、間違いなく勝てる。
そしてバッターは、今日二安打の三番。
次の四番の成田をまた敬遠するとしても、この三番を歩かせると、逆転のランナーが二塁へ進む。
この三番を歩かせダブルプレーが出来る状態にしても、次のバッターが成田なのだ。
そこをまた歩かせると、一死満塁となる。少しだけ守りやすくはなるが、逆転のランナーが二塁にいることになる。
成田を歩かせるにしても、このバッターとは勝負しかない。
オーバースローからのカーブを、打者は軽く見送る。
低い。ボール。見極められている。
正田監督の読みは間違っていない。この異常な継投を行って、ピッチャーは三人全員がとても疲れている。
特に星だ。難しいところを一番多く任されていて、その任された本人が、ぎりぎりのところで間違いなく抑えている。
しかし精神力と体力は別だ。体が上手く動かなくなってきている。
古田に代わった方がいいのではないか。ベンチの中にさえそういう気配があるが、星は一度もベンチの、国立の方を見ない。
バッターに集中している。その集中を、国立は乱したくない。
もし星がベンチの方をチラとでも見たなら、ピッチャー交代を告げていたかもしれない。
だが星は、戦うことを選んだ。ならばもう、監督の出来ることは、見守るだけだ。
選手たちから見えないように、国立は手を組んだ。
野球の神様。
もしもいるのならば、それに相応しい者へ、相応しい結果を与えてください。
祈るだけではなく、必死で努力してきた、あの野球の大好きなだけの少年へ。
星の二球目。
アンダースローから投じられた外角への球を、打者はジャストミートした。
ピッチャー返し。そのままセンターへと抜ける弾道。頭の上に出した星のグラブが、そのボールを捕る。
振り返った星は、二塁へ送球。やや飛び出していたランナーは手から戻る。
そしてセカンドもショートもベースカバーが遅れて、星の送球を捕れない。
最後の最後で、よりにもよって星の悪送球。
セカンドランナーは三塁へ。それに正田監督は大声で叫ぶ。
「戻れ!」
歓声の中、その声は聞こえない。
二塁ベースの上を通り過ぎたボールは、前進守備であったセンターの西が受け取る。
(これで――)
「っらあああぁっ!」
三塁への矢のような弾丸。三里において古田の次に肩のいいのが西なのだ。
ストライク送球がサードのグラブに収まり、そのまま滑り込んできたランナーへタッチ。
「アウト!」
塁審は間違いのない宣告をし、スリーアウト。
三里高校はまたも、一回の一点を守って勝利した。
簡単なトリックプレイだった。
外野の守備を考えれば、前進したセンターがカバー出来る状態から、三塁へ走るなどありえないことだった。
しかしこの極限状態の中、正しく頭を使ったのは、星と西であった。
まだ三里が弱かった頃から。
二人はずっと、たくさんのトリックプレイを語り合ってきたのだ。
それがこの結果だ。
最後の最後で、二人の以心伝心のプレイが試合を決めた。
センターから西が走ってきて、星に抱きつく。
こういうのは普通、キャッチャーとピッチャーのやるものなのだろうが、このチームを導いてきたのは、このセンターラインの二人だ。
優勝したかのような喜びようであるが、公立校がベスト8に残ったのだ。
ここまでほとんどの試合をロースコアで競り勝ってきた三里が、センバツに選ばれることは確実だろう。
だがそれがなくても、甲子園常連校を倒したのは、三里の選手にとって大きな喜びであった。
選手整列して、礼。
アルプススタンドの応援団にも礼をして、選手たちはベンチに戻ってくる。
一番疲れているはずの星が、一番先頭になって。
国立もベンチを出て、選手たちを迎える。
甲子園に行ける。
これで甲子園に行けるのだ。
「楽しかったかい?」
「はい!」
星一人が、一番早くそう返事した。
「よし、帰ろう。ミーティングをして、それから今日の疲れを取ろう」
それに対しては、全ての選手が、はいと答えた。
秋期関東大会二回戦、三里は前の試合の疲労もあってか継投が上手く機能せず、古田が多くのイニングを投げることとなった。
東橋と星は合計一イニングずつを投げて、それぞれ一失点。
古田も残りのイニングで二点を取られ、攻撃も上位を徹底的にマークされ、完全に封じられる。
それでも守備は機能し、4-0というそれなりのスコアで敗北した。
千葉県立三里高校、ベスト8にて姿を消す。
しかし優勝した白富東を除けば唯一の公立校であり、21世紀枠はもちろん、通常の選出方式でも、選ばれる可能性は高い。
関東大会を優勝した白富東は、神宮大会でも優勝。
関東の選出枠を一つ増やしてくれた。
11月に行われる関東地区の21世紀枠としても、三里は第一に選ばれた。
21世紀枠はこれまでほぼ公立の高校が選ばれており、これは全く不思議ではない。
もっとも通常の選出方法であっても、その失点の少なさから言って、選ばれる可能性は高かっただろう。
そして年が明けて一月の23日。
県立三里高校は創立して103年目にして初めて、センバツ出場の栄誉に輝いたのである。
後から聞いた話ではあるが、三里の選出については、21世紀枠で選ぶか、通常の枠で選ぶかがまず話し合われ、どちらにしろ選出されるのはすぐに決まったらしい。
むしろ色々と物議をかもしている白富東が「出来れば選びたくないけど選ばざるをえない」と思われていたそうな。
学校中が喜びに湧き、野球部は地元のスターとなった。
国立は三里高校のグランドで、胴上げされた。
目の前に広がるのは、まだ観客の入っていない、夢に見た聖地。
何度かは観客として来た。しかし出場する立場としては初めてだ。
改めてみると、広い。
応援席も、あの広いマリスタよりも、さらに広い。
「練習時間は30分か」
それはあまりにも短いように思えるが、試合に勝てば、もっともっとたくさん、この場所にいられる。
「監督」
感慨深い表情でグランドを見つめていた国立に、星が声をかける。
「よし、行こう」
国立の声に従って三里の選手たちはグランドに飛び出した。
冬の間に鍛えられ、確実に強くなった三里の選手たち。
なんという広い球場だろうか。
高校野球の頂点を決めるために作られた、アマチュアの大会のためとは思えないほどに広い球場。
実際の競技に使われる範囲の広さ、両翼やセンターなどの深さはそれほどでもないのだが、ファールゾーンが本当に広い。
大学で話した級友たちの言葉が甦る。
甲子園では時間の経過するのが早い。あっという間に試合が終わってしまうと。
もっともセンバツは比較的、長く感じるらしい。
勝って、もっとここで野球がしたい。
一番甲子園に行きたいのは、選手ではなく監督だというのは、本当のことかもしれない。
軽快に動く三里の選手たちに、国立はノックを打つ。
夢の舞台に今、自分たちは立っている。
そして夢はまだ終わらない。
間章 了
世界大会編は諸事情によりカクヨムのみでの発表となっております。
第三部「白い軌跡」の開始については少々お待ちください。