SP2 甲子園があるのは大阪ちゃうんやで~
甲子園。全高校球児たちにとっての聖地! ……などと言ったら、軟式野球の人々に怒られるであろうか。
真夏の酷暑の中、まだ未成年である高校生に、過密日程で過酷な試合をさせる恐怖の舞台。
過去にこの場にて、限界を超えたプレイをして選手生命を絶たれた者は多く、特に投手にそれが顕著である。
全ては甲子園のためにという価値観の下、多くの未成年の人生が歪められ、人権は蹂躙され、その放送利権はとてつもなく大きいものにもかかわらず、主役である選手たちに還元されるものはない。
アマチュアスポーツとしては明らかに異常であり、実際に昔は大学野球なども、甲子園やプロ野球とはまた別の価値を持っていた。
むしろプロ野球の人気は、大学野球に劣るとさえ言われていた時代もあったのだ。野球ばかりしているような人間は、頭の方は疎かだろうという思想があったのかもしれない。
「将来は法曹に携わろうとしている人間からすると、これは未成年の人権に抵触するレベルのものだと思います」
直史は特に得意そうでもなく、ただ淡々と言っていた。その甲子園の大舞台の、入場行進を眺めながら。
「そうですね、アメリカのスポーツでは大学の大会が盛り上がるものも多いですが、高校でここまでというのはありませんね。選手の人権が侵害されているというのも分かります」
マジメにそれに返すセイバーであったが、彼女の見てきたアメリカのアマチュアスポーツと比べても、日本の高校野球は異常である。
公共放送が全試合を放送し、全都道府県から代表が集まり、たった一つの球場で大会が行われる。
投手の連投制限や球数制限にしても、MLBのシリーズを比較にするのもなんだが、あまりにも過酷過ぎる。
ラグビーの花園やサッカーの国立競技場と比べても、動員観客数などは桁違いだ。
経済的に与える影響や、甲子園を中心として経営を考える学校の存在など、セイバーの目から見て健全とは思えない。
御題目になっているスポーツマンシップや健全性などは、実際に問題に対応したセイバーからしたら官僚の答弁にも似た偽善性を感じさせる。
そもそも彼女が本当に手段を選ばなければ、甲子園に来るのは簡単であった。
勇名館の野球部員を、適当に犯罪に巻き込めば良かったのだ。
マスコミに手を伸ばせば、事件の揉み消しが難しくなっているこのご時勢、情報はあっという間に拡散し、出場辞退となっていただろう。
そしたら千葉県代表は、自然と繰り上がりで白富東となってしまう。
もちろん甲子園出場というのは、そういう手段でかなえては目的が変わるので、実際に行うことはない。
ただ調べていくうちに、トーナメント戦を勝ち抜く手段という以上に、高校野球の持つバックボーンのあまりの黒さに、嫌悪感を覚えたのは事実である。
一部の野球強豪校の生徒達の鍛え方は、まるで軍隊だ。と言えば軍隊に失礼だろう。
これでも今はまだマシになっているようだが、過去には練習中に死亡事故もあり、現在も間接的に死者を出している事実がある。
そして甲子園出場まではともかく、全国制覇に至るのは、そういった過酷な練習を課している学校が多い。
セイバーが求めているのは、勝率を高めるためのロジックではなく、短期決戦を制するためのロジックだ。
それは確かに現在の結果を出しているやり方も、一つの手段ではあるのだろう。
だが結局それは、金満球団が金に任せて戦力を整えるのと変わらない。
ここに、偶然揃ってしまった才能に、莫大な資金を背景とした、高度なトレーニングをつける環境が整ってしまいつつある。
そういったチームが全国制覇を達成できるなら、セイバーの求めているものに合致するのではなかろうか。
(出来れば単なる全国制覇ではなく、連続した全国制覇が望ましいですが)
ジン以上に貪欲な結果を求める彼女は、頭の中で様々な計算を行っていた。
甲子園観戦初日。
一行はとりあえず荷物を持ったまま、甲子園球場になんの感慨もなく入った。
「いや、何度見ても選手宣誓は笑えるな」
「手塚さんならどう言います?」
「え、俺?」
手塚はわずかに考えたが
「普通にやろう、としか言いようがないよな」
なるほど、彼らしい、つまり白富東らしい言葉である。
セイバーから見ても、白富東の強さは、実はそのマインド、メンタルにあると思う。
甲子園に人生の全てを賭けてしまうような人間は、強いようで弱い。
彼女はアメリカで野球に限らず、成功した天才を見ているが、日本の高校野球と比べて一番違うと思うのは、彼らがそれにのめりこんでいるかどうかだと思う。
もちろん全ての人間は、集中することによってその分野で成功する。
だがその集中力が、天性のものか後天性のものか、そして環境によって育まれたものか、強制的に鍛えられたかで決まる。
白富東には、彼女の目から見ても才能のある選手がいる。
大介が強打者であることを疑う者は、少なくとも千葉県には誰もいない。そして直史だ。
よく彼は、球速以外の全てを持っていると言われるが、彼ほどのメンタルを有した人間は見たことがない。
メジャーの職人系の選手の中には似たような者がいないでもなかったが、彼女の知っているスポーツ選手の中では……意外なことに、元NBAのデニス・ロッドマンを思わせるところがある。もちろん行動は正反対だが。
部員四人とセイバー、そして普段は通訳をしている早乙女が、宿に荷物を置いて向かう先。
それは彼らにとっては最も意識すべき敵ではあるが、同時に親しくもある関係のチームだ。
「それにしても、どうして早乙女さんまでいるんだろ?」
「なんかセイバーさんの秘書もメインでしてるらしいからな」
「そいや、何処で知り合ったとか聞いてないな」
タクシーで向かった先のグランドでは、甲子園を賭けた決勝で対戦した、勇名館が練習をしていた。
セイバーと勇名館の古賀監督が話し、その間にグランドに招かれた部員達は、死闘を繰り広げた対戦相手とお喋りなどしていた。
「どうでした? 甲子園」
ジンが話しているのは吉村であった。
「ん~、武者震いって言うか? うちはゴルゴとクロちゃんがこれで最後だから、来れて良かったとは思ったよ」
吉村はリラックスしているようだ。体のキレも悪くない。
「三年は最後ですからね」
「いや、単純に次のセンバツと来年の夏は難しいからさ」
吉村は強気で俺様なところはあるが、戦力分析が出来ないバカではない。
「お前ら主力が丸々残ってるだろ? うちはキャッチャーがなあ」
あまり遠慮せず大きな声で言うので、当のキャッチャーに丸聞こえである。
苦笑する二年キャッチャー。吉村は溜め息をつく。
「本物のキャッチャーじゃないんだよ。コンバートされたやつだから。来年の一年にそこそこいいのはいるみたいだけど、お前ぐらいのやつじゃないだろうし」
良い投手に認められるというのは、捕手にとっての最大の喜びの一つである。
「勇名館は候補に入ってましたよ。あと東雲も。ただ将来的に考えると、学力の高い学校に行きたかったんですよ」
「まあうちの野球部はバカ多いけど、将来ってプロ目指してんの?」
ここでジンはまた、己の将来について語る。
「大学かあ。俺はもうプロ目指すつもりだけど、ゴルゴは大学行くみたいだしな。クロちゃんは甲子園で目立たないと、上位指名は厳しいだろうし」
プロ野球。ジンの父が目指して、果たせなかったもの。
甲子園とはまた違った、野球少年たちの夢であろう。
「ぶっちゃけお前、選手としてのプロは難しいかもしれないけど、練習用のキャッチャーなら普通に球団職員になれない?」
練習に参加するのみのキャッチャーは、ちゃんと給料が出る。選手としての成績が求められるわけでもないので、引退するまでの期間は長い。何より再就職先に困らない。
「そういうのもありかもしれないけど、やっぱ指導者になりたかったんですよね。俺のシニア時代の監督は良かったんですけど、リトル時代のやつがすんげーバカで」
「ああ、そういうこともあるのか」
吉村は納得した。
中学生の頃、当然ながらピッチャー志望であった吉村だが、あまりにノーコンであったため、足と肩を活かした外野にコンバートされかけた経験がある。
バカな監督やコーチは、敵よりも恐ろしい。ある程度の素質を持つ選手が、特に初期に感じるものだ。
「それじゃあ後でトシちゃん、ってのはうちの監督なんだけど、話していけば? そっちの監督はかなり特殊だし」
「あ、嬉しいですね」
そして手塚と直史、大介は主に黒田と東郷と会話していた。
「肘はもう大丈夫なのか?」
まず黒田が心配したのは、直史の肘のことであった。
決勝の最後の一球で故障したとは人伝に聞いていた。
「ええ、まあもともとちょっとした炎症程度だったんで」
ほっとする黒田である。敵同士であった時はともかく、一人の選手としてみた場合、これほどの才能が失われるのは惜しい。
「じゃあまたプロで対戦するかもしれないな。俺がちゃんとドラフトで指名される必要があるけど」
黒田としては、直史にはどこかでリベンジしたかった。
決勝での成績は、結局全打席三振であったのだ。
「いや、俺はプロには行かないですけど」
『なんで!?』
黒田と東郷の声がハモった。
何度これと似たやりとりが繰り返されただろう。
「俺はやるとしても大学までです。大学も勉強優先しますから」
「なんで? ひょっとして親父の会社を継がないといけないとか?」
黒田が微妙なネタを突っ込んでくるが、直史には伝わらない。
「まあ長男ってことのもありますけど、単にプロに興味がないし、やりたいことが他にあるんです」
「やりたいことって?」
大学には行くつもりの東郷には少し興味がある。
「法曹の国家試験を通って、弁護士になるつもりです」
『弁護士ぃっ!?』
またも声がハモった。
既に今から勉強を開始しているという直史の言葉に、驚愕の三年生二人である。
文武両道を謳い、勉強でもテストの赤点は避けさせるために補習を行う高校はある。
しかしながら……本人が学業優先と言って、それで甲子園を目指すというのは、ない。ありえない。
確かに東大出身のプロ野球選手などもいないわけではないが、ガチで学問を最優先にするなら、確かにプロはありえないだろう。
野球が嫌いなわけではなさそうだが、それに全てを賭けてはいない。
ほとんど才能だけであの投球が出来たのかと、黒田は唖然とした気持ちになる。
被安打三、四死球二、自責点一、奪三振18。
それが直史の、敗北した決勝戦での内容だ。普通なら負ける数字ではない。
「なあ佐藤」
だから、もう二度と勝負する機会はないかもしれない。
「俺とここで、勝負してくれないか?」
「嫌です」
黒田の必死の懇願は、にべもなく一蹴された。
え、ここは空気を読んで対決場面じゃないのと、東郷もだが味方の手塚や大介も思った。
「まだ肘が痛むのか?」
「まあ、一応まだ安静の期間ではありますし、全力を出せない投手と対戦しても、意味がないでしょう?」
確かに、正論である。
「スルーは投げられないのか?」
「決勝から一度も投げていません」
魔球スルー。マスコミにも広がったその変化球を、古賀はジャイロボールだと説明していたし、理論的には正しいのだろう。
しかし理論的に説明出来るにもかかわらず、他に投げようと試す者はいない。
「そうか、無理か……」
「肩を作る程度の球速で良ければ投げましょうか?」
「頼む!」
割とサービスのいい直史であった。
スパイクもなく、ウォーミングアップもろくにない。
それでも直史は10球投げて自分の体の状態を把握すると、ぴたりとセットで構えた。
そしてキャッチャーボックスには東郷。
直史の球を、正確にはスルーを、一度は捕ってみたかった。
他の誰も投げられない、黒田を三振に仕留めた、キャッチャーも捕れなかったほどの球。
これを捕らずして、何がキャッチャーか。
グランドが静まり返る。
甲子園出場校の練習を見に来ていた、観客や取材陣も息を飲む。
予選とは言え、そして参考記録とは言え、七回までをパーフェクトピッチングに抑えた投手。
勇名館と白富東の決勝は、地方大会の決勝としては、今年最高の一戦だったとさえ言われている。
実際に全国紙にも載ったものだ。
「でもスパイクも履いてへんで。グラブははめてるけど」
「変化球投手って言われとったけど……それで18個の三振は取れへんよな?」
「そもそも故障してたとかネットには書かれてたけど」
「え、それ知らん。どこ情報や?」
「いや、普通に大会直後の見に行った人の書き込みで、腕吊ってたとかあったから」
「故障やなくて怪我かな? まあ投げるってことはさすがに軽いものやったんやろ」
「投球練習自体は、まあ普通やんな」
熱心な高校野球の追っかけは、そうやって情報交換などをしていく。
「スルーって球やろ? 実際どんなんなんやろ」
「テレビ見た限りでは、スプリットか縦スラやと思うんやけどな」
「振り遅れが多いってことは、高速のスプリット?」
「いや、スプリットがそもそも速い球やん」
魔球。それはある意味、高校野球ファンのみならず、全て野球ファンの夢。
誰だって見たい。俺だって見たい。そういうものだ。
一打席勝負。
キャッチャーがジンではないので、基本的に直史が配球を組み立てる。
そして直史としては、もう二度と対戦しないであろう黒田相手なら、サービスのしようもあるものだ。
初球からいきなりスルー。
黒田はそれをファウルチップ。やはり球のキレ自体が戻っていない。
だが軸は正しく、回転もかかっている。
第二球。
直史の体が沈みこんだ。
アンダースローからの、フェザーカーブ。
横から見ている分には、ものすごく遅いスローカーブに見える。
県大会で一度見た限りではあったが、今度は手が出る。ファウルで逃げる。
三球目はチェンジアップ。セオリーどおりに外角へ外し、打者の目を遅さに誘導する。
そして第四球。
スルー。あの日打てなかった球。
黒田は鋭く打ち返したが、それは直史のミットに収まっていた。
ほとんど激励と見学だけになったが、なかなか面白いものであった。
東雲や帝都一との練習でも思ったが、レベルの高い者はやはり、何か突出したものがある。
色々と感じるものはあったが、直史はひたすら考え込んでいる。
同じ車内には大介とジンが乗っていて、勇名館について話していた。
帰り際に黒田は言っていた。あの日の試合、本当に勝ったなどとは思っていないと。
だからせめて、全国で二番に強いチームにはなってみせると。
「ジンの予想だとどこまで行けると思う?」
大介としては普通に、同じ県の代表として、出来るだけ上にまで勝ち残って欲しい。
「そりゃ対戦相手によるけど、ベスト8の力はあるかあ」
甲子園にはシードがない。
優勝候補同士が一回戦から争うこともあり、実際に明日は、優勝候補の春日山と、帝都一の試合がある。珍しく厳しい組み合わせだ。
春には帝都一のBチームに白富東は負けており、同じ春日山はベストメンバーで、帝都一のAチームに僅差で敗北している。
どちらも確実にベスト8の力があるにもかかわらず、どちらかが一回戦で負ける。それが甲子園だ。
「そいや明日の試合だと、どっちが勝つかな」
どちらとも対戦成績がある白富東。もっとも春日山と戦った時は、ピッチャーが上杉弟に代わっていたのだが。
選手層ではやはり、まだ帝都一の方が上だと、ジンは思う。
「春日山だろ」
直史は断言した。
「なんで?」
ジンは確定出来ない。
春日山の上杉兄は、確かに化け物であるが、センバツ後の春は調子を落としていた。
夏の予選にはまた化物振りを発揮していたが、弟と仲良く登板イニングを分け合っている。
「そりゃ、一回戦なら本気で投げても、次まで休めるだろ」
「ああ、消耗してない状態で当たれるわけか」
直史の説明には、ジンも納得である。
これが決勝とかであれば、また話は違ってくるのだろうが。
「それで、ナオは何考えてたのさ」
「うん、スルーをもっと、上手く使えないかって」
「そりゃお前、あのデキなら打たれるだろう。
ここ数日、直史はゆったりとしたシャドウから投球を再開している。
はっきり言って黒田に投げたのは、プロには行かないと決めている直史の、彼独特の義理の通し方でしかない。
しかしそれが打たれたことによって、己の技術の進化を考えるあたり、この男の思考ははかりづらい。
「もう一つ、何かほしいな」
「欲張りなヤツだな。自分しか投げられない魔球を持っていて、文句なしに全国屈指の投手が、まだ上を目指すかね」
「誰だって上は目指すだろ。大介だって全打席ホームラン打てるように、ずっと考えてるんじゃないか?
「まーな。つか最近は、どうやって勝負をさせるかを考えてるけど」
これである。
ジンも野球が好きだ。上手くなりたいとは常に思っている。
だがこの二人は、それは前提の上で、何かを考えている。
「スルーの改良」
だからジンも、全力でそれに協力する。
彼は、直史と組んでバッテリーなのだから。
「スルー自体にまだ、欠点と弱点があるからな。そこをどうにかする方向でどうだろう?」
考え込む直史である。
「ま、とりあえず明日の試合は楽しもうぜ。公式戦で生上杉を見れるわけだし」
それは大介には重要なことだ。
現在の高校野球において、一番の投手は誰か。
この質問をすれば100人中100人が、上杉の名前を挙げるだろう。
そしてこの質問の答えは、二年前からずっと変わっていない。
帝都一との試合で見せた、調整期間ではない上杉。
珍しく直史も、それを楽しみにしていた。
次話「軍神 上杉」