表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エースはまだ自分の限界を知らない ~白い軌跡~  作者: 草野猫彦
第六章 二年目・夏 一度きりの夏
120/298

67 終曲

本日四度目、ラストの投下。

 静かだ。

 応援の声も音も、何も聞こえない。

 マウンドの上は、こんなに静かな場所だっただろうか。

 いや、鼓動が聞こえる。

 打席に入った初柴の鼓動だ。

 激しい音。


 それじゃあ打てないだろう。

 投じられたカーブはピッチャーフライ。

 あと二人。


 五番は加藤の代わりに代打が出てきた。

 そして一塁走者である後藤にも代走が出る。

 データを踏まえて、しかしデータに絶対の信頼は置かない。


 直史はバックの方を向いた。

 この静かな世界を、自分が破る。

「どんどん打たせていくんで! よろしくお願いします!」

 直史だって、こんな大声は出せるのだ。




 代打の選手の打球が、今日初めてまともに外野に飛ぶ。

 やや深めに守っていた手塚がダイビングキャッチ。あれほど無理はいけないと言っていたのに。

 ただアレクがカバーしているので、最悪の事態にはならなかったろう。

 これでツーアウト。


 最後の打者も代打だ。

 この大舞台で、最後の打者が代打など、大阪光陰も苦しいことだ。

 カーブのあとのストレート。

 鈍く当たったボールは、キャッチャーの頭上へ。


 もう二度と失敗しない。


 ジンのキャッチャーミットに、最後のボールが吸い込まれた。

 スリーアウト。ゲームセットだ。


 直史はマウンドに両膝をついた。

 そして両手を天に上げる。

 右手は強く握っていた。


 終わった。

 終わったのだ。

 佐藤直史の、夏が終わった。




 その後のインタビューを、直史はほとんど憶えていない。

 ありがとうございますと、分かりませんを繰り返していたように思う。

 しかしそれが事実だった。


 もうどうでも良かった。

 自分たちが勝ったのだ。


 セイバーもまた、特に言うことがない。

 直史が投げて、大介が打った。

 それ以外には何も言うことが……一つだけあった。

「エラーが一つもなかったのが勝因ですね」


 大介にも質問が殺到していた。

 しかし彼には答えられない。


 集中すると、まず音が消えるらしい。

 それがさらに深くなると、色も消えるらしい。

 そしてそれが極限まで極まると、どうやら記憶が飛ぶらしい。

「甲子園の場外まで運んだのは、初めてとのことですが?」

「それは、たまたま俺が最初の一人だったんですね」

 桜島の応援が言っていた。

 場外を狙って打てと。


 何も憶えていなかったが、おそらく考えていたのはただ一つ。

 どこまでも飛ばす。それだけだ。




 送迎バスへ乗り込んだ白富東一行は、ようやく一息つけた。

 終わった。やっとそう言える。

 いや、まだ決勝戦が残っているが、最大の難関は突破した。

 直接戦ってみて分かったが、やはり大阪光陰はSランク以上のチームであった。

 真田もなんだかんだ言って意図的な四球以外は、大介に打たれたのが唯一のヒットでありホームランであった。


 気が抜けているのはベンチだけでなく、セイバーもシーナもである。

 延長に入ってからはずっと、相手のサヨナラの危機に晒されていた。

 それまでずっとノーヒットだったピッチャーが、一本のホームランで負けるというのは、野球を見ていれば珍しくない。

 直史は頑張った。

 最後に決めたのは大介だったが、最後まで封じたのは直史であった。


 直史が投げ、大介が打つ。

 最後の最後で、そのパターンが出た。

「あ、なんか今日の試合、完全試合と認めるかどうかでもめてるみたいだな」

 スマホを扱っている手塚が、そんなことを言う。

「一応ルール上は完全試合じゃなくて、ノーヒットノーランだよ。でもこれを完全試合と認めないのは、ちょっと無理があるよな」

 水島もそのあたりは調べていたので、すぐに答えが出せる。

「ネットがすごいことになってるよ。正式に完全試合と認めるべきだとか、参考記録でも充分とか、むしろ普通の完全試合よりすごいとか」


 分かる。

 タイブレークになってからは既にランナーが出ている状態から始まるので、攻撃側の採れる作戦がずっと多いのだ。

 それを完全に封じたのだから、直史の達成したことは、控え目に言っても偉大である。

(でもこいつ、根本的なところでは自分しか信じてないよな。いや、まあ本当に投手っぽいのか)

 直史は投手っぽさとか、あるいは高校球児っぽさを備えていないように思える。

 しかし根本的なところ、試合を自分で決めようという部分は、やはり投手だ。

 外野には飛ばないように、ゴロさえもまともに打たれないように、ジンに要求してきた。


 その完璧主義者の投手は、最後尾の席に横たわって眠っている。

 電池が切れたように落ちた。肉体的な疲労よりは、精神、そして頭脳を使いすぎたのだろう。

 ジンも極限のコントロールを要求したが、その意図を理解して、それこそ球速さえ意思を込めて投げていた。

 おそらくこんなパフォーマンスは、直史も二度と出来ないだろう。

 しかしこの舞台でこれをやってしまうのが、直史の直史らしさだ。


 メンタル。それは集中力の極限なのか。

 奇跡は起きた。

 だがその奇跡を起こしたのは、神ではなく人間だった。

 延長14回、打者42人に対して、三振29、被安打0、与四球0。

 ルールの上でどうなっていようと、誰もが認める完全試合であった。




 宿へ戻ると、これまたすごい騒ぎになっていた。

 報道陣はさらに増えて、警察が交通整理に出てきている。

 お巡りさん、ありがとうございます。


 眠ったままの直史を、疲労のないベンチメンバーが両脇から支える。

 ずっと右手にタオルを持ったままなのは、ライナスの毛布に通じるものがあるのであろうか。

「お、ちょっと待て」

 寝顔を晒すことを嫌う直史は、普段も目の上にタオルを乗せて寝ている。

 この状態で写真に写るのは嫌だろう。


 ジンにタオルを頭からかけられた直史が降りる。

 間断のないシャッターの音。完全に疲労困憊した直史を、隠すように一行は歩く。

 その後ろから、俺を映せと言わんばかりに、大介が派手にのしのしと歩く。


 直史もとんでもないことをしたが、大介もとんでもないことをした。

 これまでの日本の野球において、プロを含めてさえ、甲子園に場外弾を放った者はいない。

 いつかはやるんじゃないかと思われていたやつが、今日やってしまった。

 しかもどうやって打ったのか憶えてないと言う。


 大介は変に隠したりもったいぶったりする人間ではない。

 あの真田のストレートが放たれた瞬間から、脳は記憶する機能を止めて、全てを演算に回し、神経が全てを振ることに回した。

 二人の天才が人生最大のパフォーマンスを、同じ試合で残したのだ。

 だから勝てた。そこまでしなければ勝てなかった。




 一部屋特別にとってもらって、布団の上にタオルケットを敷き、直史を寝かせる。

「そんじゃ瑞希ちゃん以外の女子は出ていってね~」

 そう言いながら双子が直史のユニフォームを脱がせていく。

「待て! スラパンは待て! それは武士の褌だ!」

 必死で武史が止めて、瑞希は目を隠すふりをしながらもしっかりと見ていた。

「……スラパンの下って、何も履いてないんだね……」

「いくらお兄ちゃんのでも、見たくなかった……」

 双子の目が死んでいる。

 寝冷えしないように上にもタオルケットを被せて、一同は出て行く。


「あ~、脱がすのは瑞希ちゃんにやってもらった方がよかったね」

「そうだね。あたしたちは大介君専用だもんね」

「いや私も、まだそんなとこまでは……」

 素直に瑞希が白状してしまうと、双子は大袈裟に振り向いた。

「え! まだしてなかったの!?」

「付き合ってもう、どんだけたってるの!?」

「お前らそういうデリケートな話は部屋の隅でしろ!」


 珍しく武史の意見に従って、瑞希から色々と聞きだすべく、廊下の隅に向かう双子。

 それに背中を向けて、武史は大部屋に集まる。

 既にもう一つの準決勝は始まっていた。

「どう?」

「四回終わって1-1。かなり健闘してるな」

 鬼塚が簡単に現状を述べてくれた。


 チーム力では帝都一の方が上だが、本多は抜けた球を放ることが何度かあるし、上杉兄に鍛えられた春日山は、単なる速いストレートなら打てる。

 ヒットは時折出るが、それに足やバントを絡めてホームを狙う、オーソドックスな戦い方だ。

 しかし帝都一の強力打線を相手に、上杉も素晴らしいピッチングをしている。

「ん~、ちょっとここまでのスコア見せて」

 スコアラーの一年からスコアを見せてもらって、思わずうなるジンである。

「樋口が覚醒してる……」

「ほ?」

「球数少ない。ゲッツー既に二つって、帝都一相手にありえん」


 バッターを併殺で殺すのは、キャッチャーにとって難しく、それでいて目指し甲斐のあるプレイだ。

 相手の能力や状況、感情までも把握して、ピッチャーに球を投げさせるのだから。

(一日休養日があると言っても、向こうは上杉一人だからなあ)

 こちらも直史は完全にダウンしているが、なんとか一日でそれなりには回復するだろう。

 しかし、樋口は本当に大変そうだ。


 春日山が上杉という超高校級ピッチャーを抱えながらも、甲子園の頂点を目指せなかったのは、キャッチャーが弱点だったと言われている。

 樋口が加入してから、練習試合の強豪との対戦でも、確実に勝てるようになったのだ。

 それに去年は一年から四番として活躍し、今年も不動の四番である。

 一応キャプテンは三年の本庄だが、実質的に引っ張っているのは樋口と上杉の二人だろう。

(同学年だってのに……くそっ)




 試合は進む。

 一進一退と言うよりは、帝都一の攻撃を春日山が上手くいなしているといったところか。

 スコアは2-2と変わり、八回の表、二死ながら三塁にランナーを置いて四番の樋口。

 ここで決めないと、春日山は苦しくなるだろう。


 ここで樋口が採った手段は、実に予想外のものだった。

 セーフティスクイズ。

 深く守る内野の虚を突いて、サードに転がす。

(あれ? 樋口って走塁のデータは――)

 盗塁を刺しているデータは多かったが、樋口自身の走力には覚えがない。

 遅いというイメージはなかったが、盗塁などはしていないはずだ。


 帝都一はサードの送球も乱れて、致命的な追加点を奪われた。


 その後の裏、そして最終回の裏。

 帝都一は揺さぶりをかけながらも、その強打で春日山に追いつこうとしたが、最後まで上杉が切れなかった。

 むしろヒットの数は春日山よりも多かったにもかかわらず、最終的に3-2で春日山の勝利。

 三年連続、三度目の決勝進出であった。

次話「最後の晩餐」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ