62 決戦
本日二話目。
甲子園の準決勝第一試合は、10時にプレイボールである。
そこから逆算して、体が完全に覚醒することを考えると、朝の6時には起きていないといけない。
「い~う」
「はよ、どうよ」
「ほ~?」
「眠れなかったやついね~が~?」
どうやら緊張で眠れなかったという者はいないらしい。
「う~、おはようございます」
「瑞希ちゃん、あんまり眠れなかった?」
「あたしたちいびきとかかいてた?」
「そんなことないよ?」
……少なくとも選手の中には、いなかったようである。
起きて着替えたメンバーの中に、普段通りの直史を見つける瑞希。
どうやら安眠できたようで、その神経の太さがうらやましい。
もっともこれは瑞希の勘違いで、直史は初めての瑞希とのデートの前日、なかなか眠れなかったものである。
直史にとって、野球は瑞希よりも優先度が低いだけだ。
そんな直史に対して、少しだけ瑞希は意地悪をする気になった。
「直史君、ちょっと」
と手を引かれて、部屋の隅に移動。
「昨日のこと、今日ノーヒットノーラン出来たらね」
「え」
珍しく真顔になってしまう直史であるが、にっこりと笑った瑞希はさささと去っていった。
(おいおい)
直史は瑞希のことが好きである。
別に隠すでもなく、どれぐらい好きかと言えば、ものすごく好きで将来は結婚して家庭を持って、ずっと仲良く長生きして、同じ墓に入りたいと思うぐらいに、重い愛を持っている。
そんな彼にしても、瑞希の要求は無茶であった。
完封するつもりではいる。それぐらいの気持ちでないと、大阪光陰には勝てないだろう。
だが、ノーヒットノーラン?
準決勝で大阪光陰相手にそれとは、どれだけの無茶ぶりだ?
まあ決勝でノーヒットノーランをしてしまうスーパースターも中にはいるが。
(でもまあ)
にちゃり、と直史は笑った。
(達成したら、絶対に逃げられないよなあ)
ある意味前向きな直史であった。
もう二週間以上もお世話になっている宿の皆さんに見送られて、白富東のメンバーは球場へ向かう。
一台のバスでは足りないので、分車してある。このバスにいるのは監督とシーナを除けばベンチ組だけだ。
「おいジン、基本的に今日はノーヒットノーラン目標で行くからな」
やや小さい程度の声で、直史は前の席のジンに告げる。
当然ながらその大きさでは、ほぼ車内全部に届いた。
「いや、そりゃまあこの試合に限らず、俺はいつでもそのつもりではあるけど……」
直史の目標は、勝つことだ。記録などには興味はないはずだ。
「本気で目指すつもりでないと、大阪光陰は抑えられないぞ」
「……分かった」
よし、最大の味方には認識させた。
「そんで内野ゴロはそこそこ多くなるだろうから、普通によろしく。特に大介のとこには打たせるし」
「分かった」
大介は短く応える。彼も気合は充分のようだ。
「外野は出来るだけ飛ばさないつもりだし、もし飛んじゃったら無理にアウトにしなくていいから」
「え、期待されてないの、俺ら」
手塚は微妙に傷ついた。
「いや、下手にハッスルしてダイビングキャッチされるよりは、その後を抑えたほうがいいんで」
直史は冷静である。
ノーヒットノーランを狙うつもりにはなったが、それでも勝利が優先だ。
「まあ大阪光陰はバントヒットを狙ってくるでしょうから、そこが問題になるでしょうね」
セイバーは言う。だから今日のサードはダッシュ力と小回りの利く武史になっている。
準備は万全だ。
これで勝つ。
何かのアクシデントもなく、選手たちは球場に到着する。
相変わらずと言うか、ここまで来て最大の人数が集まっているのではないだろうか。
準決勝。大阪光陰。
おそらくほとんどの観客は、白富東以外は、大阪光陰には勝てないと思っている。
残ったチームでは、春日山は格下であるし、帝都一も戦力分析では下だ。
白富東の投打の要が、大阪光陰を攻略する鍵となる。
「あ、降ってきたな」
朝はまだ曇っていただけなのだが、小雨になってきた。
日光のない曇りが一番直史としてはありがたいのだが、球が抜ける可能性は、あちらのピッチャーにとっても同じはずだ。
勝利にも敗北にも、面倒な理由はいらない。
ただ、勝つ。
皆が落ち着いている。
先攻は白富東。そしてメンバー表を交換する。
一番 (右) 中村 (一年)
二番 (捕) 大田 (二年)
三番 (遊) 白石 (二年)
四番 (三) 佐藤武 (一年)
五番 (左) 鬼塚 (一年)
六番 (二) 角谷 (三年)
七番 (中) 手塚 (三年)
八番 (一) 戸田 (二年)
九番 (投) 佐藤直 (二年)
結局セイバーの提案した偏った打線は採用されなかった。普段どおりにやろうと決めた。
そして大阪光陰のメンバーも確認する。
一番 (遊) 堀 (三年)
二番 (二) 小寺 (三年)
三番 (一) 後藤 (一年)
四番 (三) 初柴 (三年)
五番 (右) 加藤 (三年)
六番 (投) 福島 (三年)
七番 (左) 大谷 (二年)
八番 (中) 浅野 (三年)
九番 (捕) 竹中 (三年)
先発に福島、スタメンのおおよそは三年生。
その中で三番の後藤の存在が異質だ。
打席のデータも少ないので、一番注意すべき相手かもしれない。
「竹中をラストに持って来るのかよ」
「木下監督、かなりの勝負師だな」
クリーンナップを打てるキャッチャーを、ラストバッターに持って来る。
それだけ今日の試合のリードは重要だと考えているのだろう。
大阪光陰の守備練習を見ている限り、動きに変なところはない。
ファーストの守備はそれほど慣れていないかもしれないと思った後藤だが、長身もあってむしろ悪送球を防いでくれそうだ。
あと守備の穴というか、本職でないのはライトの加藤だが、それなりに慣れていることもあって、都合のいいミスは期待出来ないだろう。
それぞれのメンバーが整列し、監督と記録員もベンチから出て、お互いに対する。
大阪光陰のメンバーで、白富東を甘く見ている者はいない。
桜島との初戦は大味であったが、二回戦の名徳相手には正面から戦って勝ち、三回戦の伊勢水産には危なげなく勝った。
福岡城山との試合でも、ミスらしいミスはなかった。
こいつらに勝てば、全国制覇は目の前だ。
四期連続。おそらく二度と達成されないであろう記録を、ここで刻みつける。
去年の夏、大阪光陰は春夏連覇という偉業を達成しながらも、全くそれを讃えられることはなかった。
全ては上杉のせいだ。上杉のせいで夏の甲子園、特に打者は活躍できず、人生設計が狂った者も多い。
現在のプロで活躍する姿を見れば、原因はバッターの方ではなかったのは明らかだ。
上杉とは二度と甲子園で対戦できない。
だが剛の上杉に対して、柔の佐藤。こいつを滅多打ちに出来れば、少しは気が晴れる。
対する白富東にも、絶対王者に対して臆することはない。
春の敗北を、天候だとか運だとか、そういったことを理由にはしない。だが、とにかく負けない。
勝負だ。
福島の投球練習。
既に春、体験してはいるが、基本的にはストレート一本。
決め球としては他にフォークを使う。だがこの夏にはどうやらツーシームを憶えてきたらしい。
そして特徴としては、球質が重い。
先頭打者のアレクが打席に入り、プレイボールのサイレンが鳴る。
ブラバンの応援。狙い打て。
準々決勝の決勝打となったホームランを、忘れている者はいない。
初球のアウトロー。ストレートをいきなりアレクが叩いた。
センターへと伸びていく打球。俊足の浅野は追いつく。
ライトに引っ張れればフェンス直撃だったかもしれないが、球の威力にバットが押された。
ベンチに戻ってきたアレクは肩をすくめた。
「重い球でした。でも次はヒットに出来ます」
「初球から打っちゃうんだもんなあ」
武史が言って、笑いが洩れた。
とりあえず言えるのは、アレクの打撃であれば、福島は対応の範囲内ということだ。
なおその初球は、ビジョンによると152kmが出ていたらしい。
初回から全開である。
アレクが初球から打ってしまい、ランナーもいないので、ジンのやることは決まっている。
ピッチャーに多く投げさせて、球種をちゃんと引き出す。そしてあわよくば四球で出塁。
福島は同じ150kmコンビと言われて、一応最速は加藤よりも速いのだが、フィールディングや球種、制球などで微妙に劣る。
出来れば福島の間に、先制点を取っておきたい。
しかし打者としては安牌のジンに対して、バッテリーは無駄な球数は使ってこない。
全力投球ではない程度のストレートで、すぐに追い込まれてしまった。
(しまったな。気の抜けたストレートを打っていけばよかった)
ジンも自分がいつまでも、つなぎの打力でいていいとは思っていない。
そんな考えでいては、最後の一年を倉田にマスクを取られてしまう。
最後のストレートには力が入っていたが、これをジンはカットする。
手が痺れるほどの球威だ。こういうタイプのストレートは、他にはあまり体験したことがない。
ツーシームを投げてきた。だが球速が違うので、対応可能だ。
(う~ん、遅いストレートとツーシームを混ぜられたら、上位じゃないと難しいかな)
それでもストレートを連続でカットしたので、福島の雰囲気が変わる。
(フォーク、来い!)
ストレートのタイミングで待っていたジンに、決め球のフォーク。
完全に空振りして、三振となった。
次の打者の大介に、球質だけ伝えて、ジンもベンチに戻る。
「どうせ継投されるんだから、初球から狙っていった方がいいです。いつの間にか俺ら、普通に150km打てるようになってますよ。てか、福島の150kmは打ちやすいです」
打ちやすい150kmというのはパワーワードの気がするが、ジンが言うならその通りなのだろう。
大阪光陰は継投を基本として、投手に無茶をさせないので、確かに抜いた球が来るなら早めに打っていってもいい。
そんな小さな違いは関係なく、大介の第一打席である。
ブラバンの応援は、今日も今日とてブライガー。情け無用の打撃を期待する。
白石大介は、初球でも甘く入ったら打ってくる。
本能型の打者であるが、コンビネーションで打ち取ろうとしても無駄だ。
センバツでセンターフェンス直撃を打たれたのは、福島のいい戒めとなっている。
アウトコースのボール球、球一つ外した程度では、反応すらしない。
あのコースでも打つ時は打っているので、投手によっては対応を変えているのだ。
この怪物。
上杉が去った甲子園に、この怪物はやってきた。
上杉が超人、鉄腕などと呼ばれていくのに対し、こいつは最初から決まっていた。
小さな巨人。
単なる強打者というにはあまりにも豪快な飛距離。
そして三振の数が少なく、出塁率は異常。
下手に外した程度では、簡単に外野の奥までは運んでいく。
地方予選では何本も場外弾を生み出していた。
竹中としては正直、こいつだけはランナーがいなくても敬遠したい。
正々堂々と敬遠だ。座ったままの明らかな敬遠よりも、よほど明快だろう。
しかし木下監督は、どうにかしてくれと言ってきた。
どうにかしろではなく、どうにかしてくれだ。
監督にそこまで言われれば、竹中としても知略を駆使して対応するしかない。
二球目は膝元、これもボールでいい。
割と内寄りに立っていた大介だが、これもぴくりとも動かず見送る。
とりあえず打ってヒットではダメなのだ。
後続の武史と鬼塚では、確実にヒットを打つのは難しい。四打席あれば一度ぐらいは打てるだろうが。
ツーアウトで打席が回ってきたら、ホームランを狙う。
第三球、竹中の要求したのは、初球よりもボール半分内に入るストレート。
福島はそこまで制球に優れたピッチャーではないのだが、この試合においては集中して投げている。
(よし! いいコース!)
そう思った瞬間、竹中の目の前で、大介のバットが消えた。
打球音。ボールは高い弧を描いて、センターへと伸びていく。
最初から深く守ってはいた。普通に外野の前に打たれるなら、それで充分だと最初から判断していたのだ。
浅野がセンターフェンスに背中をつけて、打球を見守る。
大介はゆっくりと一塁に走りながらも、舌打ちしていた。
仕留め損ねた。
力んでしまったのだ。もう少し懐に呼び込んでレフトに流せば、入っていた。
つまりこのセンターへの打球は――。
『センター浅野、ぎりぎりで打球をキャッチ!』
こういうことだ。
ベンチに戻ってきた大介は、不本意そうな顔をしていた。
「悪い。でも打てるのは間違いないぜ。さっさと加藤を引っ張りだそう」
グラブを受け取った大介は、乾いた唇を舐めると水を一杯飲んだ。
大介でさえ、この試合はいつも通りにはいかないらしい。
「ゆっくり料理してくれればいいさ。こっちは一点もやらないだけだ」
直史が言って、ベンチを出る。
勝負はまだ始まったばかりなのだ。
ジャンル別年間一位の背中が見えてきました。
なんとか第二部完まで、応援のほど、よろしくお願いします。
現在65話まではほぼ完成していますので。
次話「理想の投手」
本日はあと一回投下。
日曜日は狂気の連続投下になります。
あとカクヨムでは第二部は分かれて同時投下となっています。