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エースはまだ自分の限界を知らない ~白い軌跡~  作者: 草野猫彦
第六章 二年目・夏 一度きりの夏
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56 消えるもの、残るもの

色々と、ありがとうございました。

 佐藤直史という少年が、野球においてなぜああも強靭な精神性を保てたのか。

 高校時代に主にバッテリーを組んだ大田仁は、かなり後になって一つの推論に到達する。


 直史は、実のところ野球の勝敗など、どうでも良かったのではないか。

 もちろん北村のために、大介のために、大阪光陰に勝つためになど、それぞれ勝つための理由は存在する。

 しかしそのどれも、心の底から勝ちたいわけではない。事実敗北した時も、全く感情を見せなかった。

 大阪光陰に最初に負けた時だけは、やや苛立ったものがあったが。

 彼にとっては勝敗ではなく、その結果がもたらす物が重大であった。

 もちろんその結果が勝敗につながっているのだから、試合にプレッシャーを感じないというのはおかしいのだが。


 単に強靭な精神性と言うなら、同じチームの大介や、それこそ対戦は出来なかった上杉などが優れていただろう。

 後になって気付いたのは、似たような人間をもう一人見たからだ。

 春日山の天才キャッチャー、樋口兼斗。

 彼もまた勝利に対して、全力は尽くすが執念の薄い人間だったと思える。


 もっとも一つ一つのプレイは別だ。

 俯瞰して冷徹な目で見た上で、その場の最善を尽くす。

 直史と樋口は、その意味でも似たもの同士であった。




 九回の裏、点差は三点、二死一二塁。

 ホームランが出れば同点というこの場面、織田はさすがにプレッシャーを感じていた。

 プレッシャーは悪いものだけではない。上手くすれば集中力を増すのに都合がいいツールとなる。


 名徳のメンバーの中で最も状況を冷静に把握していたのは、最初に歩かされた二塁ランナーの明智であったろう。

 佐藤直史は、舐めたことをしているが、こちらを侮ってはいない。

 明智と池田という、代走を出すには難しい、比較的足の遅い者をランナーに出した。

 塁に出れば即座に代走に代える打者は始末し、自分と池田という延長を考えれば代え難い者を残した。

 ここはホームランが出れば同点という場面だが、後続でサヨナラを打つのは難しいだろう。

 そして10回の表は、白富東は大介に回る。


 ホームランではなく、長打を打ってランナーを残す。ランナーを使って白富東にプレッシャーを与えてミスを誘う。

 おそらくそれが、わずかでも勝利につながる道。だが織田がそんな意見を聞くとは思えない。

(キャプテン、力んだらそこで負けですよ)




 織田も奇妙に冷静な思考の中で、考えてはいる。

 ここで自分と勝負する。どのような意図があろうと、その背景は一つ。

 勝つ自信があるのだ。

 ならばその自信を打ち砕く。


 織田に対する初球はいきなりスルー。

 現代の魔球と言われているこの球を、打席で見るのは初めてだった。

(なるほど、これは打ちにくい)

 普通の球が減速するが故に落ちるのに対し、スルーは減速しないどころか、加速するようにさえ見えながら下に伸びていく。

 もちろん錯覚なのだが、脳がこの錯覚に騙されている。


 だが織田は、直史の底、もしくは甘さを見抜いた気がする。

 この決め球は、初見殺しだ。それは間違いない。

 色々研究はしたものだが、実際に打席に立って実感すると、最初の一球は絶対に打てない球だ。

 それをファーストストライクを奪うのに使ってしまうところが、甘い。


 二球目は縦の遅いカーブ。これは打っても長打にならない。

 見逃してツーストライク。一見すると追い込んだように見える。

 しかしそこから直史は、スルーを二球連続で投げてきた。しかもゾーンではないコースへ。


 佐藤直史のコントロールは、ストレートも変化球も特筆すべきレベルだとは分かっている。しかしスルーだけは別だ。

 回転軸のコントロールにリソースを割り振っているせいか、割と甘いコースにもくるのだ。もっともそれでも打てない球だが。

 だが、一打席に三球も見せたのは失敗だ。

 勝機だ。


 直史の攻略には、スルーを打つかそれ以外を打つかの選択がまず存在する。

 単純に打つだけなら、それ以外を狙った方がいいのだろう。しかし直史の球種は豊富で、コントロールは絶妙だ。

(後のバッターに投げにくくするためにも、あえてスルーを打つ!)

 幸いスルーは早いタイミングで待つ球だ。そこからなら他の球がきてもカット出来る。

 ゾーンにスルーが来れば、打つ。

 自分なら打てる。いや、これが打てるのは自分しかいない!




 そんな織田の考えを、バッテリーは完全に見通していた。

 ジンは織田が少しだけ可哀想になった。

 自分も割りと相手の裏をかくのは好きだし、それが悪いと思ったことはない。

 だが直史の立てた織田の処刑プランは、完全に相手の力量と思考を読みきったものだ。

 織田は素晴らしい打者だ。それは数字が証明している。

 しかし直史の異質さは――彼の想像の外にあるだろう。


 第五球。直史の投げるスルー。

(来た!)

 同じピッチトンネル。脳の錯覚にごまかされないように、タイミングはリリース時に合わせている。

 コースは膝と腕の調整で合わせる。この一打に、三年間の全てを――。

(――来ない!?)


 バットが泳ぐ。球が来ない。

 体が泳ぐ。どうしようもない。

 空振りして倒れこんだ織田。沈んでワンバウンドしたボールをキャッチしたジンは、ミットでタッチする。

 スリーアウト。ゲームセットだ。




 整列して礼をする。校歌が流れて応援席に挨拶に行く。

 甲子園のお立ち台には、勝者も敗者も立つ。

 だがこの試合、監督の言うべきことはさほどない。

 セイバーは相変わらずのこんにゃく的回答であるし、名徳の監督も直史のことはともかく、試合の流れ自体は自然なものだった。

 おおよそ岩崎が崩れずに我慢強い投球をし、名徳がそれを打ち崩せなかったことは確かだ。


 そして織田には酷な質問が飛ぶ。

「最後の球はなんでしたか?」

 あれだけ泳いで、無様に三振してしまった球。

 考えるに、チェンジアップなのだとは思う。しかし織田は混乱していた。


 直史は同じ質問に、チェンジアップだと普通に答えていた。

「全国でも有数の巧打者である織田さんに投げるので、少し緊張しました」

 その言葉の前半は事実であろうが、後半は絶対に嘘である。

 いつになく殊勝なことを言った直史に、呆れた顔をするジンであった。




 バスの中に入った直史に、まずシーナが毒づいた。

「あんたわざと歩かせたでしょ。いったい何考えてんの」

 それに対して直史はジンに対したものと同じ説明をしたが、最後の一球のからくりを知っているシーナは溜め息をついた。

「敵ながら織田さんが可哀想だわ。あんたみたいなピッチャーを相手にして」

 対してセイバーは事実をそのままに受け止める。

「直史君、最後のはスルーチェンジですか?」

「そうです。向こうは完全にスルーにタイミングを合わせてましたから」


 フォーシームやツーシームといったように、ボールの握りで縫い目の回転を調整し、微妙な回転を与えたり与えなかったりするファストボールがある。

 これまで直史が投げてきたスルーは、減速しにくいという特性を活かすように縫い目を握って減速しない回転をつけてきた。

 当たり前だ。落ちるのに伸びるという特性なのだから、その特性を伸ばす減速しにくい回転をつけるのが当然である。


 しかし先日、三里の国立は不完全ながらも、スルーの攻略法の糸口を示した。

 タイミングを無視して、反応で打つ。もちろんそんな打ち方をすれば、強い打球を放つのは難しい。

 もう一つ考えられた打ち方は、完全に先にタイミングだけを合わせておいて、来た球をミートするというものだ。

 織田が咄嗟にやったのがそうであり、普通のスルーならあれで打てたはずだ。ちゃんとヒットにまでなったかは別として。

 だが今日の最後のスルーは、減速する握りのスルーだった。

 つまりチェンジアップだ。直史は何も嘘は言っていない。


 これまでこのチェンジアップを使わなかったのは、単にチェンジアップを使うなら他のチェンジアップの方が簡単に投げられるからだ。制球の難しいこれを投げる意味はない。

 だが今回の場合、織田はスルーを狙い打ちにしようとしていた。というか、わざとボール球のスルーを見せて、それが打てるものだと思わせた。

 そこにこのスルーチェンジである。いくら織田でも、完全にタイミングを崩されて打てはしない。

 おそらく他にもスルー攻略を考えていたチームはあるだろうが、これでその攻略法が使えなくなった可能性は高い。

 そもそもスルーを攻略しようという考えだと、直史は打てない。

 直史には無数のバリエーションのボールがあるのだ。

 ピッチングとはコンビネーションだ。


 とりあえず、これで勝ちは勝ちだ。

 中三日空いて、いよいよベスト8を賭けた戦いが始まる。




 またバズった。

 今年の甲子園は面白いと、野球に興味のないところでまで言及されている。

 主に白富東、その中でも大介と直史のおかげ、あるいはせいである。


 大介はまた一本放り込んだので、これでホームラン数は歴代単独二位に浮上した。

 決勝までの四試合で二本放り込めば、歴代タイとなる。まあかなり桜島のおかげではあるが。

 そして直史は、あえて織田と勝負したあの打席が、その前後と切り取り合わせて何度も動画再生されている。

 去年の千葉県予選決勝の寝転がりなど、過去の悪行まで出てきて面白いことになっている。

 幸いと言うべきか、野球部の中心選手は、あまりそういったものを気にしない。


 桑田と清原がKKであったのに対し、佐藤と白石がSSなので、SSコンビとまで言われている。おそらくこれは定着してしまうだろう。

 直史がどちらかと言うと陰キャのヒール扱いで、大介はスーパースターだ。直史が計算高いのは確かで、大介が底抜けに明るいのは確かだ。

 まあ直史の他人を舐め腐った行為を見ていれば、巨人入団時に散々叩かれた桑田に、どこか重なるものがあるかもしれない。

 桑田ほど野球に誠実な選手は珍しかっただろうに。直史は野球に対して真面目だが、断じて誠実ではない。


 しかし、白石大介がSNSのトレンドになるのはいいにしても、その家庭の事情まで暴露されているのは困ったものだ。

 父親が元プロ野球選手だったとか、離婚して母方の実家に戻っているとか。

 母子家庭で貧乏であったが故に、シニアにも入れなかったし強豪の私立にも入れなかった。

「いや、そもそもシニアなんて入るつもりもなかったんだけどな」

 なお中学時代に大介をまともに使わなかった監督は、すさまじい勢いで叩かれている。野茂が活躍した当時の鈴木監督以上であろうか。

 ……ただの中学部活の顧問なので、少し可哀想ではあるが、大介の未来を細くしたのは確かだ。

 もっともその細い道の先に、素晴らしい舞台が待っていたのだが。

 この細い道は、結果論で言えば最高の近道だった。

 それにしてもセンバツの時はこれほどではなかったのだから、夏はやはり特別だ。


 直史のほうはまだいい。あまり特筆すべきことはない。

 だが地雷が一つ設置してある。双子の存在だ。

 佐藤家のツインズは、芸能人の卵である。

 というか、歌手だ。同時に踊れもするのだが、イリヤが彼女たちに求めているのは歌だけだ。

 幸いと言うべきか、今のところ歌手のS-twinsと佐藤家の双子を結びつけている者はいない。

 むしろ双子に関しては、頭脳明晰で運動神経抜群という、良い面ばかりが取り上げられている。

 中学時代に起こした騒動が明らかになれば、ものすごい勢いで叩かれるかもしれないが……あの小さな田舎の中学で起こった事件を吹聴したら、双子の報復をくらう可能性がある。

 それはもう、物理的に命が危ない。


 まあ、スタンドで踊っている双子の美少女なのだから、目立つのも当然だ。

 一応イリヤは本格的な音楽活動は、高校を卒業してからやる予定らしいので、なんとか隠し通せるだろう。

 テレビ出演が決まっても、化粧を塗りたくれば誤魔化せるはずだ。そもそもその路線の計画はないらしいし。

 芸能畑に詳しい記者がいれば、イリヤの線からばれるかもしれないが、化粧をしない彼女を知っている者は、あまりいない。




 さて、そんな周囲の騒動はともかく、三回戦の相手は大方の予想を裏切って、三重県代表の伊勢水産高校に決まった。

 代表校が全都道府県決まった時点で、おおよその野球雑誌は戦力を分析してチームをランク付けするのだが、伊勢水産はCランクであった。

 まあAランクだった白富東が、Sランクであった名徳を破っているので、あまり事前のランキングには意味はない。


 三回戦までは中三日。

 二回戦で100球ちょっと投げた岩崎も、充分に回復する。

 練習グランドではアレクと直史は朝の早い時間にだけ練習し、昼間は宿に戻って寝ている。

 水島が持ってきたアニメを見たり、手塚のノートPCでエロゲーをしたりもしている。おい、18歳未満。

 岩崎も調整程度のピッチングしかしない。

 元気なのは大介と武史である。


 そんな武史の扱いが悪い。

 一年生サウスポーの150kmなど、それこそ三年前の上杉以来の衝撃だろうに、桜島で点を取られすぎたのが悪い印象になっている。

 途中で本気を出してからの連続三振なども、けっこう甲子園では珍しいはずだが、素直に「ホームランを打たれまくって九点も取られた人」という扱いだ。

 まあ見る人が見れば、その素質は分かるのだ。

 体力の消耗を考えて休む直史と違い、武史はまだまだ元気だ。

 技巧派の兄と違って、先がまだ見えない楽しみがある。プロも大学も、武史への注目は急激に高まっている。

 まあそれも二年後に問題となることだ。


 しかし白富東は、割と運が悪い。

 対戦相手が強かったこともあるが、一試合多い山な上に、三回戦と準々決勝が連戦になる。

 大会10日目までにベスト8に勝ちあがったのは、立生館、大阪光陰、春日山、津軽極星の四校であり、この四校とは準々決勝で対戦しないことが決定している。

 準々決勝第一試合は 春日山 対 津軽極星 第二試合は 大阪光陰 対 立生館 ということになった。

 あとは三回戦の勝者同士が戦うことになるのだが、白富東が勝ち残った時点で、第三試合か第四試合のどちらかに入ることになる。

「大阪光陰とは準決勝か決勝か」

「あちらが勝ち上がってきたらだけどな」

「あとうちが三回戦と準々決勝に勝ったとして、残りの一校は……福岡城山か帝都一かな?」

 帝都一も三回戦と準々決勝を勝ち上がる必要はあるが、残る中では唯一のSランクチームである。春季大会では白富東に負けているのに。


 雑誌の当てにならない戦力分析だと、春日山はA、津軽極星もA、大阪光陰がS、立生館はBという扱いになる。

 福岡城山はAだ。

「これは……どうしましょうかね」

 最初から全てのトーナメントが決まっていれば、戦力運用にセイバーが頭を悩ませる必要は少なくなる。

 しかし興行的な面を考えてか、準々決勝以降は試合の決着後に、その都度相手が決まるのだ。

 データや試合の映像を見る限りでは、伊勢水産には余裕を持って勝てるだろう。

 問題は次の対戦相手だ。セイバーの統計以外では、帝都一がS、福岡城山がAとなっていて、残りはBとなっている。

 正直なところ、帝都一と福岡城山が潰し合って、残りのBランクのチームと戦いたいものである。


 もっともBランクといっても、ほとんど甲子園の常連校であり、ここまでの消耗具合では下克上はありえる。

「一番嫌な組み合わせだと、準々決勝で帝都一、準決勝でAのチームのどこか、決勝で大阪光陰か」

 ジンの言葉に、うへえとなる一同である。

「けどマシな組み合わせでも、準々決勝がBチーム、準決勝はSかAチーム、決勝もSかAチームになるぞ」

 直史が指摘し、やはりたいして変わらないと思う一同。


 相手が分かっていないと、投手をどう運用すべきかが分からない。

 だがとりあえず三回戦は、全力を出さずに勝ちたい。

 そんな舐めたことを言っていると、またとんでもないことになりそうだが。


 誰も口にしないが、内心では分かっている。

 帝都一か大阪光陰と戦うなら、直史が投げないとかなり苦しい。

「とりあえずは、ご飯を食べてから考えましょう」

 セイバーの提案は逃避にも似ているが建設的ではあった。 

抽選の部分が事実と違いますが、修正が大変なのでスルーしてください。

次話「全国ベスト8」


あ~、かぐや様素晴らしかった!(ここは私の日記メモ帳であるw

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