48 甲子園 ああ甲子園 甲子園
直史は基本的に野球が好きである。
だが根本的には高校野球は嫌いであり、特に甲子園は嫌いだ。負けてもっと嫌いになった。
だからその嫌悪感を払拭するために、また自分の将来のためにも、とりあえず大阪光陰は倒さなければいけない。
完全に自分の幸福な将来のため、甲子園制覇を果たすと決めている。ただこれは公の利益にもつながる。
これほど内面が傲岸な高校球児は「強そうだったから戦ってみた」と言った上杉勝也にも通じるかもしれない。
なおプロデビュー一年目の上杉は、この甲子園開幕直前で、新人王どころかハーラーダービーのトップを走っている。
「帰ってきたで~、甲子園に~」
なぜか似非関西弁になる大介。バスは甲子園前を通過して、宿へと進む。
千葉県代表の常宿となっているのは、和風の旅館である。ここで、長ければ三週間の逗留となる。
「春に続いて、お世話になります」
手塚がさすがに、ここは真面目に頭を下げる。女将さんはにこにこ顔で一同を招く。
「疲れてはりますやろ? 部屋に案内させますさかい」
言われて一同は部屋に向かう。なにしろ大所帯なので、大部屋をいくつも借りている。
もちろんマネたちは女子でまとめて別部屋である。コーチたちも別の部屋。このあたりの追加予算は、全てセイバーのポケットマネーだ。コーチ枠で双子が来ているのはご愛嬌。
ちなみにセイバーは早乙女と二人部屋を取ってある。
荷物を置いて落ち着いた早乙女は、外の景色に面した椅子に座って、庭の合間から見える海に目をやる。
「夏だねえ……」
去年も過ごした夏。
だがセイバーにとってさえ、この夏は何か違う気がする。
「なんかもう、今から一杯飲みたいわね」
「えっこはザルよねえ」
苦笑するセイバーに、早乙女も、笑う。
「今年で最後にするんでしょ?」
「そうね。後釜もちょっと調整すれば来てくれるし。五年ぐらいしたら北村君が、教員として戻ってきたいって言ってるから」
今年で、セイバーは白富東を離れるつもりでいる。
本当なら、春にでもこの検証は終わらせても良かったのだ。だが、情が湧いてしまった。
あとは単純に、このチームがどこまで行けるか見てみたくなったというのもある。
夏が終わって、秋季大会や神宮大会が終わって、練習試合禁止期間に入る。
その辺りで、自分はアメリカに戻る。一応来年の春までは、コーチ陣は留めておく予定だ。
問題は引き継いでくれる監督だが、春のセンバツに出場したら、それには間に合わない。だがこちらもちゃんと考えてはいる。
データと、その計算システムさえあれば、自分は必要ない。大人は高峰がいるし、ジン、直史、シーナあたりが考えれば、最善の戦術は採れるだろう。
「お金の件も、どうにかなりそうだし」
セイバーが資金投入して、この甲子園期間中に、大規模な施設は作っておく予定だ。
出来ればもう一つグランドを作りたいくらいだったが、さすがに維持費まで考えると無理だ。
今回の甲子園出場で、地元からの寄付も多く集まった。
それにまさか、彼女が協力してくれるとは思わなかった。
イリヤ。最初は直史を見るはずだけだったのに。
音楽に愛された少女は、天上から降りてきてその詩想をペンに走らせている。
彼女も変わった。
誰が変えたのか? 直史? 双子? それとも意外なところが出てくるのかもしれない。
まあ、それはこの大会が終わってからだ。
明日の組み合わせ抽選が終わってから本格的な分析は始めるが、いくつかは今のうちから見ておかないといけない。
特に春に敗北した大阪光陰。今年の夏も優勝候補の大本命であり、去年の夏、優勝したのに敗北したようにさえ報道されたのを、屈辱と感じて奮起してくるだろう。
あのチームに勝たない限り、優勝はない。
「さて、いよいよ明日、三回戦までの組み合わせが決まりますが、それまでに大阪光陰のことだけは予習しておきましょう」
データを渡されたジンは、事前に自分でも調べておいたことと重ねて言う。
「まあ相変わらず打線は極悪で、投手は豊富、守備は鉄壁と隙がないように見えるけれど、春に負けた試合がある程度は参考になる」
屈辱。
負けて飄々とする直史でさえ、リベンジは誓っている。十倍返しだ。
「まあ、打力はそれほど追加要素ないんだけど、投手がね」
うんうんと頷いているのは、鷺北シニア出身の人間だ。
全国でベスト8まで勝ち上がった鷺北シニア。そのエースであった豊田が、ついにベンチ入りした。
シーナには150km出たぞというメールがあったらしいが、それが本当なら大阪光陰は、150km投手を三人も抱えていることになる。もっとも計測で出たとしても、試合でコンスタントに出せるとは限らない。
「でも俺たち鷺北シニアメンバーにとっては、追加された一年の方が不気味なんだよな~」
「え? なんで?」
大介が素直に疑問の声を洩らすが、鷺北シニアのメンバーにとっては分かりきったことなのだ。
「俺たちが三年の時、鷺北シニアは全国ベスト8に進んで、そこで上杉弟の春日山シニアに負けた。そんでその春日山は準優勝だったわけだけど、その時優勝したチームの投手が、大阪光陰に入ってるわけ」
選手名鑑が既に雑誌で出ているわけだが、その中から大阪光陰のページを探す。
あれだけ厚い選手層なのに、今年はベンチに三人も一年が入っている。
「三人もいるけど、どいつよ」
「真田ってやつ。ちなみにそいつ、去年もシニアで連覇してたから」
つまり、中学二年生でシニア日本一になったのか。
そして連続して日本一。上杉があれだけの成績を残しながらも優勝できなかったのとは、対照的にさえ思える。
「ついでに世界大会でも、先発した試合は全勝してるしな」
つまり中学時代は、世界最強の投手であったということだ。
「で、どういう投手よ?」
早速大介が興味を示す。ほとんど戦闘民族のノリである。
「まあ、ストレートがえげつないほど速いのと、あとはカーブだね。それとそのストレートが何種類かある」
それは負けた後の分析で気付いたことだ。
「ストレートの種類?」
「速度が変わるわけじゃないけど、追い込んだ時はキレが増すんだよ。握りなのか、スピンなのかは分からないけど」
なるほど、と大介よりはむしろ直史が納得した。
ストレートだけで抑えることは、春先から直史も考えていたことだ。
故障しないように、全力ではないストレートを投げる。それで三振に取るか、詰まらせてゴロにする。
変化球で肘などに負担がかかることを考えれば、それだけで抑えられるならありがたい。
「とりあえず大阪大会の決勝、理聖舎との試合を見てみましょうか。この試合の先発です」
一年生で理聖舎相手に先発。
いくらなんでもそれはと思った直史であったが、真田は圧巻の投球を見せた。
身長はそれほど高くない。マウンドの高い所から投げてくるタイプではない。
だがジンの言うように、ストレートの軌道が凄い。見ていて分かるが、伸びていく。おそらく打者にとってはホップするぐらいに見えるのだろう。
球速表示は147kmと出てる。それに――。
「おい、ストレート主体とか言わなかったか?」
「う~ん……成長率が異常」
画像で見ていても分かるのは、えげつないほどにスライドする横スラと、左打者の胸元、右打者には逃げていく、あれは高速シンカーだろうか。
「しかもサウスポーって……」
そう、サウスポーなのだ。
身長に比較すると手が長い。これでしなるように球を投げてくる。
荒ぶるようなストレートが、見事にゾーンの四隅に吸い込まれる。
そして、遅いストレート。
この、球速120km程度のストレートの、下をバッターは振っている。
「チェンジアップの、どうして下を振るの?」
「遅いくせに落ちない?」
「何それ、魔球?」
「理論的には火の玉ストレートなんだろうな」
研究している直史には分かった。
あ、と直史の球を打っている部員たちも気付く。
「バックスピン最優先で、球速に力を配分してないわけか」
手塚も悟る。なるほど厄介だ。遅いのに落ちない球というのは、落ちるのに速い球のスルーに通じるものがある。
「でも俺なら打てる」
大介は断言した。
あの理聖舎のイケイケ打線、しかも監督がちゃんと指揮したにも関わらず、七回を被安打一で〆た。その後を豊田が二イニング投げて終わり。
結果は5-0の完勝である。
だが、春にも感じたことだが、弱点というか一つだけどうにかなりそうな部分はある。
「俺がパーフェクトに抑えるから」
直史は言った。
「大介、とりあえず一点だけ取ってくれ」
「全打席敬遠さえされなかったらな」
大介もそのつもりである。
大阪光陰は、打率の高いホームランバッターがいない。
初柴、小寺、堀などの高打率打者は多いし、初柴もホームランは打っている。
だがその数はそれほど多くない。
むしろピッチャーの加藤と福島の方がホームランは打っているのだが、こちらは打率があまり良くない。
逆にそれが、下位打線でも安心出来ない理由にはなるが。
それ以外は異常な投手陣に加えて、守備も走塁も隙がない。
打線をパーフェクトに抑えて、ホームランで一点を取る。
これが一番確率の高い勝ち方だろうが、なんというガバガバな戦略であろうか。
しかしそんな力技でもない限りは、このチームには勝てないだろう。
他のチームと比べても、選手層が厚すぎる。主砲がいないのを除いては。
なお初柴あたりは普通の甲子園常連校では、主砲と呼ばれるのに相応しい成績は残している。
野球はチームプレイのスポーツであるのは確かだが、究極的には個人の力を必要とする。
「提案」
直史はぴっと指を上げた。
「大介を一番打者にして、その後に打率のいいやつと進塁打を打てるやつを並べる」
大介を敬遠させないためだけの、極端な考えである。
「後で検証してみます」
セイバーは頷いた。
絶対的な自信、全くブレない精神。
一流になるために必要なもの。それを間違いなく持っているのは、このチームでも直史と大介だけだ。
たとえば総合力ではそれに次ぐアレクなどは、試合に負ける悔しさを知らない。
考えてみれば今年の一年は、紅白戦を除いて練習試合も公式戦も、一度も負けがない。
負けるのを覚悟で戦った相手、負けてもいいと思って戦った相手、両方に勝ってきた。
勝つために戦うのは当然だが、どこかで敗北を経験させた方が良かったかもしれない。そう思うセイバーであるが、彼女はあまり自分の直感は信じない。
王者と戦うのは、早い方がいいのか、遅い方がいいのか。
それは選手層の薄い白富東に関しては、早い方がいいに決まってる。
明日の組み合わせ抽選は、かなり大事なものになる。
「ふむふむ」
「なるほど、なるほど」
同じ顔を二つ並べて、練習用グランドを眺めているのは、佐藤家の双子であった。
その視線の先にあるのは、大阪光陰の戦力。
彼女たち以外にも、ほぼ地元と言っていい超強豪を、偵察、あるいは見学する者は多い。
甲子園ギャルと一般に言われるおっかけも、かなりの数になる。
もちろんこの二人はそんなミーハーなものではなく、純粋に偵察に来たのだ。
本来なら野球部に所属していない二人だからこそ、自立して行動することが出来る。
「やっぱり、打つ方はどうとでもなりそうだね」
「大介君が敬遠されなければね」
天下の大阪光陰の投手陣であっても、双子の基準は大介であるため、それほど脅威とは思わない。
加藤と福島。一年の夏からベンチに入っていた投手であり、両者とも試合の終盤で150kmを投げるような、ペース配分まで考えた投球を行うピッチャーである。
もっともこれは、そんなことが可能なチームの選手層の厚さがあるからだ。
「でもあの子は別格だね」
「う~ん、大介君ならともかく、あたしたちでも無理かな」
二人がそう評するのは、年々大型化するピッチャーの中では、割と普通の身長の選手だ。
事前情報で知っている。彼が真田真之だ。
鞭のような左手から投じられるボールは、球速はともかく球質で、はるかに先輩投手の上を行く。
「お兄ちゃんにちょっと似てる?」
「それと上杉選手に似てるんだろうね」
二人が知る限り、大介が口に出して認めているピッチャーは、現在プロで活躍する上杉勝也だけだ。
あと口には出さないが、兄である直史も認めているのは分かる。
極論すればこの二人以外に、大介は負けると思ったことはないということだ。
しかし双子の目から見ても、真田という投手は……かなり凄まじく見えた。
アレクのようなスライダーを、それよりも速いスピードで投げ込んでくる。
そしてストレートはそれよりも更に速い。
「お兄ちゃんほどじゃないけど、タケよりはちょっと上?」
「それぐらいだろうね」
投手は、大介なら打てる。
ならば打線の方はどうなのか。
セイバーは大阪光陰の選手は、ホームランを狙って打つスラッガーはいないと言った。
しかし打率こそ低いが加藤と福島は下位打線でホームランを狙えるし、外野の奥にまで飛ばせる打者は多い。そもそも打率が低いと言っても、他の打者に比べればの話なのだ。
地方予選における平均得点14.1というのは、強豪ひしめく大阪の中でも信じられない。これは来年以降を考えて、ベンチの選手にも機会を与えた上での数字だ。
「あの人かなあ。竹中治郎」
「それと小寺孝司」
二人とも配球から考えて打つタイプの高打率打者だ。
ジンの配球が読まれれば、打たれる可能性はある。
さてそうなれば、と考えたところで二人に声をかける者がいた。
「ねえ君たち、ちょっと雰囲気違うけど、どこから来たの?」
背の高い、大阪光陰の練習用ユニフォームを着た少年がそこにいた。
ナンパであろう。
双子は一方的に、彼のことを知っている。
「あたしたちは千葉です」
「え!? まさか俺の応援だったり、はしないか。俺も千葉出身なんだよね」
「知ってます」
「背番号11の豊田選手」
「ああ、千葉からここまでおっかけてきたの?」
明るい少年だ。それに明るさの中に力強さを感じる。
なるほど、エースの雰囲気を持っている。
「いえいえ、あたしたちは偵察ですよ」
「そうあたしたちこそは」
ここで即席のユニゾン動作が出来るのが、佐藤家の双子である。
「白富東の」
「偵察部隊」
「桜と」
「椿の」
『佐藤家ツインズ!』
『ばーん』
効果音まで自作して、二人も名乗る。別に隠しておくことでもない。豊田はわずかに引いた。
「は~、じゃあジンたちのことも、いや、佐藤? まさかあの?」
「佐藤直史はあたしたちのお兄ちゃんです」
「ちなみに背番号18の武史も、あたしたちの兄です。遺憾ながら」
さりげに武史をディスる双子であった。
「ふうん。まあ残念だけど、年代が悪かったね。俺から見ても今年の大阪光陰は、史上最強だよ。はっきり言って、負ける要素がない」
「ありますよ」
「おおありです」
そう、双子にとっては自明のこと。
「お兄ちゃんがデッドボールとかで退場にならない限り、負けません」
「大介君が全打席敬遠でもされない限り、必ず勝ちます」
そのあまりにも断固とした口調に、豊田は少し鼻白む。
「へえ、じゃあ賭けようか? うちが勝ったら、そうだなあ、一日デートでも――」
「いいでしょう」
「あたしたちの貞操を賭けます」
逆に吹いてしまった豊田である。
いや、そこまでは。
豊田は女の子大好きで、おっぱいの大きな美少女には当然ながら興味があるが、いくらなんでもいきなりそこまでは求めない。
「だいたい、俺は何を賭けるんだよ」
「そうですねえ」
ここで双子は鏡合わせのように、わずかに考え込む。
「あまり公になっていない、隠した戦力とかは?」
ああ、と豊田は頷く。
隠しているわけではないが、あまり出ていない情報が一つある。
「怪我で予選にはぎり間に合わなかったけど、一年の後藤。春の大会では代打で三打席に出て、三安打の二ホームランだったな。まあ隠し球としてはそれぐらいかな?」
「なるほど」
「契約成立です」
え、マジでその約束するの? と割と人のいい豊田は思った。
「では、お兄ちゃんが死球やラフプレイで退場にならず」
「大介君がほとんど敬遠の四球で勝負されない場合を除いて」
「大阪光陰が勝てば、あたしたちが一晩お相手をするということで」
「確実に、お約束しました」
本気かよ、と思う豊田であるが、これはおっかけギャルの一種なのだろうか。
まあ天下の大阪光陰の選手を狙う、肉食の女の子は確かにいるのだが。
去っていく二人の背中に、逆に不気味なものを感じる豊田であった。
私は本来筆が早いわけではないので、この物語との相性がよほど良かったのかなと思ったり。
インプットにもかなり時間をかけてるのですが。
次話「開幕!」