第3章
自宅に着いて、そのままシャワーを浴びにいく。
シャワーを浴びながら今日の出来事を振り返る。
私は…強くなれるだろうか。
翌日。
朝のホームルームでアンジェが担任から紹介を受けた。
アンジェは私を見つけると、軽くウィンクしてくれた。
それから昼休み。
私はいつも昼は屋上に行ので、移動の為席を立とうとした時に男子生徒から声をかけられた。
クラスメイトの一ノ瀬君だ。ちなみに席は隣。
「何?」
私は男子とはあまり話し慣れていないので、無表情、無感情で答える。
「もしよかったら、一緒に昼どう?」
「え?一ノ瀬君と?」
「うん。あ、他は誰も来ないから。ダメ?」
こういうのは苦手だ。
すると一ノ瀬君といつも行動している飾理君もやってくる。
「花音ちゃん!三人で楽しくランチしようぜ!」
坂上先輩みたいなノリだ。
「…あの、ごめん。一人で食べたいから。」
「え~?いいじゃん!行こうよ!なっ?」
飾理君が馴れ馴れしく肩を触る。とても不快だ。
「水無月さん、行こうよ。」
一ノ瀬君に追い打ちをかけられる。
「ほらほら。」
飾理君が腕を引きはじめる。
「カノン!」
アンジェが状況に気付いてくれたのか、足早にやってきた。
「カノン嫌がってますよ?ニッポンダンジはもっと紳士だと思っていたのですが。」
「嫌がってねぇよ。照れてるだけだよね?花音ちゃん?」
するとアンジェが耳元で私に囁く。
「強くなりたいんでしょ?カノン。」
それは何を意味するかはすぐ理解できた。
そうだ。強くならなきゃ。ここで何も出来なかったら、未来なんて変えられるわけない。
「飾理君ごめん。断るわ。」
引かれた腕を振り払う。
「一ノ瀬君もごめんなさい。」
「俺はいいんだけどさ、一ノ瀬と二人でもダメか?」
だから今断ったのに…。
「飾理、もういいって…。水無月さん、ごめんね。」
二人はあっさり引き上げた。
「何だったんだろう…?」
「カノン、男の青春ですよ。ふふっ。」
「え?何それ?」
「さあ。お昼、一緒にどうですか?」
「うん。屋上に行こうよ。」
アンジェは再び一ノ瀬君を見て軽く微笑んでいた。
アンジェは私が気付かない何かに気付いたようだ。
何だろう?気になる…。
それより、色々あって忘れかけてたけど、シナリオが昨日から大きく変わってる。
雪月さんは確か記憶が無くなるって言ってたからシナリオを変えれないはず。
もし記憶が失われてなかったら?
そんな可能性も頭をよぎる。
誰かがシナリオを変えているのだろうか?それとも、時間が戻っても過去と同じ事を繰り返すとは限らないのか。
「カノン、危ない!」
「え?きゃっ!」
誰かにぶつかった。
「ごめんなさい。あっ。」
「花音…。何やってるの。」
百合ちゃんだった。
「気をつけなさいよ。もう~。」
百合ちゃんが髪を整える。
「ごめんね、百合ちゃん。」
「屋上行くの?」
「うん。百合ちゃんも一緒にどう?」
「いいわね。行くわ。」
「カノン、お友達ですか?」
「夏目百合よ。よろしく。」
私が紹介する前に百合ちゃんが自ら挨拶していた。
「アンジェって呼んでいいわよね。」
「はい。よろしくお願いします、ユリ。」
「行きましょうか?」
こうして三人で一緒にお昼を食べる事になった。
―――――――――
屋上到着。
他の生徒もあまりいない。
「あ、水無月ちゃん!」
「神杜先輩に坂上先輩。橘先輩もいる。」
「橘先輩“も”って何よ!」
懐かしいなぁ。この人。
「何よ、懐かしむような目で見て~。キー☆」
キー☆って…。怒ってるのか笑ってるのか分からないリアクションだ。
こうして図書委員会のメンバーとお昼をする事に。
「水無月、横の人は?」
「これは失礼しました。アンジェリカ・レーニエと言います。今日から交換留学という事で転校してきました。」
交換留学?昨日は留学としか聞いてなかったけど。
「アンジェ、交換留学だったの?」
「はい。昨日言いませんでしたか?」
「誰と交換したんだ?」
と坂上先輩。
「人身売買とは…。学園長おそるべし。」
と言わずともそのとおり。橘先輩。
「橘、あなたほんとにバカね。」
百合ちゃんはストレートだ。
「バカっていうほうがバカなんだぞ~☆」
「いちいち“☆”付けるのやめてくれない?疲れるから。」
「きー☆」
一同苦笑い。
「で、誰と交換したの?」
「実波よ。あの子は外来語は首席らしいからね。」
私は思わず百合ちゃんに掴みかかる。
「何で!?実波ちゃんは海外なの!?」
「何でって言われても困るわ。」
百合ちゃんに優しく引き離される。実波ちゃんが海外留学…。どうなってるの。
「カノン?どうしました?」
心配そうに覗き込むアンジェ。
職員室で事実を確認するしかない。
「私、職員室に行ってくる!」
思い切り屋上の出入口に走る。
「わお☆花音ちゃんは純白の白ね☆」
「今“白い”を二回言ったわよ。バカばな。」
などといつもの他愛ない会話をよそに、私は嫌な予感がしてならなかった。
急いで実波ちゃんのクラスの担任に声をかける。
「どうした水無月?そんな血相を変えて?」
「先生!実波ちゃんが海外留学したって本当ですか!?」
「あ、ああ。アンジェリカと交換留学だ。」
「いつ帰ってきますか?」
「1年後だ。交換留学はうちでは1年間ってなってるから。」
ツーイーの試運転当日に実波ちゃんはいないという事になる。
仁科さんが実波ちゃんの変わりにやれるとは思えない。それ以前に仁科さんは実波ちゃんと関係はないと言っていたし。
仁科さんがこっそり実波ちゃんから盗んだと話した電波除去装置をポケットの中で握りしめる。
「どうした?水無月?」
「いえ。失礼しました。」
……。
「どうなってるの。」
「花音。」
百合ちゃんが職員室前で待っていた。
「百合ちゃん…。」
「生徒会室で話しましょうか?誰も来ないから。」
「うん。ありがとう。」
百合ちゃんと生徒会室へ向かう。
一体シナリオはどこへ向かっているのか。過去では実波ちゃんがいた。今はいない。
それならば、私は誰を救うの?時間を戻ってきた意味は?
分からない。
「花音?」
ドガッ。
考え事をしていたせいで生徒会室のドアにぶつかってしまった。
「痛い。」
「何やってるの?本当に大丈夫?」
「うん。ごめんね。」
生徒会室のドアに会議中のプレートを下げ中に入る。
暗い。
「百合ちゃん、何で暗幕?」
「薄暗い感じが好きなのよ。今開けるから。」
暗幕を引き、部屋に日差しが降り注ぐ。
「で?どうしたの花音?」
「…うん。ちょっと。」
椅子に腰掛ける。百合ちゃんにすべてを話したい。
もう私には何も分からなくなっていた。
百合ちゃんは向かいに座って私が話しを切り出すのを待っている。
「百合ちゃん、時間って何だろうね。」
「時間?」
「うん。時間は戻らない。今の現在は1分後の過去って言うけど、それって本当なのかな。」
「花音、時間は無限ではないわ。有限だからこそ価値があるのよ。」
「有限?」
「ええ。私たち人間にとっては有限よ。生を終えてその人の時間も終わるの。」
でも、私の時間はあの地下室で死んだ。
今は過去を生きているんだから。
「未来を救うんでしょ。しっかりして。」
「うん。ありがとう。」
…って待てよ。私、百合ちゃんにまだ何も話してないよ。
過去から来た事も何もかも…。
「百合ちゃん、なんで知ってるの?」
「え?この前話したじゃない。」
「嘘だよ。私はまだ百合ちゃんに何も話してないよ。何で知ってるの。」
すると百合ちゃんはため息をついた。
「花音、私も…時間だけ戻ったの。」
「百合ちゃんも!?」
「ええ。私はね。あの地下室で本当はあのあと死んだらしいの。」
「!!」
「雪月さん…と言えば分かるかしら?」
「…うん。」
「私も、花音を守りたいから同じ取引をしたのよ。」
「私を守る?」
「花音、今度は私と取引して。」
「何で百合ちゃんと取引するの?」
「花音、もうあなたがシナリオを変える為に密かに努力しなくていいの。もう未来に戻りなさい。」
「…未来に戻る?」
「私は花音に幸せになってほしいの。」
「私は、百合ちゃんも実波ちゃんも坂上先輩も守りたいの!」
「私も花音と同じ気持ちで過去に戻ったわ。でも…。」
「百合ちゃん?」
百合ちゃんが泣いている。
「でも、花音は苦しんでる。未来と今の狭間に。きっとこれからも…。」
百合ちゃんはコルクの十字架のアクセサリーを胸元から取り出すと、それを私に見せる。
「これは魔法のコルクよ。花音のも出して。」
素直に差し出すと百合ちゃんは受け取りポケットにしまう。
「花音、よく聞いて。私が未来が良くなるようにシナリオを変えてあげるから、あなたは本当の未来を歩んで。」
「…百合ちゃんは?」
「私は未来に戻っても死しかない。だから、この時間に残ってみんなを救う。」
「ダメだよ…私も百合ちゃんとこの時間で手助けしたい。」
「それは駄目よ。生きた人間が長時間過去にいると、知らぬ間に死の世界に飲まれてしまうわ。」
「ねぇ花音。」
「…ん?」
「私たちは結局普通の女の子としての未来は与えられてないみたいね。」
自嘲な笑みを浮かべた。
「…そうみたいだね。」
「でも、私は未来には戻らない。雪月さんにもまだここで出会ってない。」
「無理よ。花音はもう魔法のコルクを持ってない。だから出会えない。」
「それに…もうこの時間に留まれない。」
瞬間、世界が真っ白になった。見えるのは百合ちゃんだけ。
「百合ちゃん!?どういう事!?」
「何も知らなくていい。ばいばい、花音。」
「嫌だよ!百合ちゃん!私を置いて行かないで!!お願い!!」
どうして。
ただただ分からない。
百合ちゃん!!
「百合ちゃん!嫌だよ!どうして!百合ちゃんはそれで平気なの!!」
「…じゃない。」
「平気なわけないじゃない!!」
今まで聞いたことのない口調で叫んだ百合ちゃんは、私を強く抱きしめる。
「私は…私は花音を置いて死にたくない。一緒に…生きたかったよぉ。私だって嫌だよぉ。」
「百合ちゃん…。」
私も強く抱きしめる。意識が急速になくなりつつある。きっと強制的に未来に…地下室のあの場所に戻されるんだと悟った。
「花音…今までありがとう…。私はあなたに会えて幸せだった。」
「ダメ!一緒に…」
百合ちゃんが唇を人差し指で押さえる。
「私は最期に花音とこうして話せてよかった。」
「嫌だよ。百合ちゃぁん…。」
「…あなたはただ現実に戻るだけ…。何も悲しむ事はない。それと…」
「実波を恨んじゃ駄目よ。私は実波を恨んでない。今度は実波と共に仲良く生きて。」
「…百合ちゃん。」
こうして、意識を保てなくなり世界が完全に真っ白になった。
百合ちゃんもその白い霧に飲まれて消えた。
―――――――――
【視点変更:夏目百合】
「よかったのですか?これで。」
いつの間にか生徒会室にはアンジェがいた。
「ええ、アンジェ。これでよかったのよ。」
「…ユリ、あなたはやさしいですね。」
「そうかしらね。でも、悔しい…。花音と一緒に……生きられなくて。」
「ユリ…。」
「ごめんなさい、我が儘よね。…分かってるわ。」
「…私はあなたの我が儘に自ら立候補したんですから平気です。」
「ユリ、あなたにこの時間のシナリオは任せます。」
「ありがとう。未来で花音の事、お願いね。」
「妹は情深く愚かでしたが、私はただ見守るだけにします。悲劇を繰り返さない為に。それでもよければ。」
「雪月さんは愚かじゃないわ。でも、ありがとうアンジェ。」
私はアンジェと握手を交わす。
もう涙はない。
幸せになって、花音。
「ユリ、またいつかあなたが転生し花音に会える事を祈っています。」
「ええ。ありがとうアンジェ。」
「では、アリヴェデルチ、ユリ。」
「…ばいばい、アンジェ。」
目の前からアンジェは精霊のように消えた。
実はもうシナリオを変える必要はない。
花音に電波除去装置も持たせたし、実波も一時的に海外留学させた。
ツーイーの試運転で妨害する人もいない。
幸せな未来を歩いてね。
花音――。
【視点変更:水無月花音】
目が覚める。
「水無月ちゃん、大丈夫!?」
気付くと神杜先輩に抱き抱えられていた。
「…ここは?」
ここはツーイーの試運転があった駅。ツーイーもいるという事はプチ旅行の当日のようだ。
「大丈夫?貧血かな。」
「はい。大丈夫です。」
「中止だってさ。」
坂上先輩が頭の後で腕を組みながら残念そうにツーイーを眺めていた。
「中止?」
「そうだよ。何か機械トラブルで試運転は中止になったみたいだ。」
「…そうでしたか。」
……百合ちゃんのおかげかな。
すると携帯電話に着信が入った。お母様からだ。
「もしもし。」
「花音、落ち着いて聞いてほしいのだけれど。」
私は想像がついた。きっと百合ちゃんのことだ。
「百合ちゃん、さっき持病の発作で病院に運ばれたそうよ。」
「…そう。」
「…それでね花音、百合ちゃんは病院に運ばれる途中に…亡くなったそうよ。」
「…分かった。ありがとう。」
返事を待たず電話を切る。これ以上は聞きたくなかった。
「水無月ちゃん?」
「神杜先輩、百合ちゃんが…。」
「百合ちゃん…が…。」
涙が溢れてくる。分かっていても気持ちはまだ実感として受け入れてはいないみたいだ。
神杜先輩は察したのかやさしく抱きしめてきた。
「いいんだよ水無月ちゃん、何も言わなくても。」
「…ありがとうございます。」
百合ちゃん、本当にありがとう。
でも、一緒に生きたかった。
一緒に笑いあったあの日のこと。
喧嘩したあの日のこと。
泣いたあの日のこと。
無茶をして怒られた日のこと。
同じ学園での日々のこと。
忘れない。
失って初めて気付いたこと。
いつも側にいることが当たり前すぎて気付かなかった。
百合ちゃんの存在がこれほど大きかったということに。
私はもっと百合ちゃんにしてやれたことはなかっただろうか…。
私は思い切り泣いた。
神杜先輩はずっと黙って抱きしめていてくれた。
今回のプチ旅行は中止となった。
――数日後。
百合ちゃんの告別も終わり、私は自室に帰ってきていた。
制服のままベットに寝そべる。
私は百合ちゃんの生徒手帳を貰った。百合ちゃんのお母様が貰ってほしいと私に差し出してきたものだった。
生徒手帳の身分証欄を見つめる。
百合ちゃんの顔写真。少し軽く微笑んでいる。
『氏名 夏目百合 Yuri Natsume』
私は、夏目百合の部分をやさしくなでた。そして、1ページ目を開く。
そこは空白。
学園規則のページをパラパラめくってゆく。すると、どこかのページから1枚の写真が落ちた。
私と百合ちゃんが写っていた。これは私もフォトスタンドに飾っている。私の入学式に二人で正門で写した写真だ。
私と百合ちゃんが腕を組み笑いあっている。学園ではクールキャラだった百合ちゃんが唯一見せた本当の百合ちゃんだ。
さらに生徒手帳のページをめくる。
スケジュールには細々と予定が書かれている。園内行事の進行の仕方とか、生徒会関連のメモがきれいな文字で書かれていた。
それと、最後のページのメモ欄を見て私は目を疑った。
『未来の花音に、幸せな日々を。』
これはきっと、最期に会ったあの時以降に過去で書いたものだろう。
あれはやっぱり夢じゃなかったんだ。
現実だったんだ。
私は百合ちゃんに誓う。
「私、百合ちゃんの分まで幸せに生きるよ。」
だから…。
ずっとそばで見守っててね、百合ちゃん…。
―――――――――
『ゆりちゃんは、おおきくなったらなにになりたい?』
『わたし?う~ん、およめさんかな。』
『ゆりちゃんかわいい!ならわたしもおよめさんになる!』
『なら、どちらがさきにおよめさんになれるか勝負だね!』
『うん!……あははは。』
『あははは。』
『かのん。』
『ゆりちゃん。』
だ い す き だ よ 。
ず っ と 、 一 緒 に い よ う ね 。
ふと、そんな昔のある日の会話を思い出して、また私は泣いた。
泣きつかれて眠るまで…。
【視点変更:坂上秋伸】
数日後。
今日は水無月と図書当番をする日だ。カウンターへ隣同士で座り、来室客を待つ。
「…誰も来ないな~。」
「来ないですね。」
そのまま返事を返す水無月。
「坂上先輩。」
「何だ?」
「私はまだ落ち込んでいます。慰めてください。」
「ブッ!」
思わず吹いてしまった。
「…どうしました?」
「唐突だな、相変わらず…。」
それでも水無月は無表情だ。
「んで、水無月はどうしてほしんだ?」
水無月はこちらを振り向かないので感情はいまいちよく分からない。
「……私と向かい合ってください。」
椅子をくるりと回し、俺のほうを向いた。
水無月と向かい合う。何となく上品な座り方だ。色っぽいというか、ほんとお嬢様という感じがする。
「…下着が見えなくて残念ですか?」
「ブッ!ば、ばか!見てないし!」
「見たいですか?」
そりゃ、男ならなあ。なんて言えるわけがない。
「見たくねえよ。」
「…それはそれで、ちょっとショックです。」
どうしろってんだ。
「大丈夫、水無月は見せなくても可愛いからさ。」
「坂上先輩が最後に女の子の下着を見たのはいつですか?」
スルーされてるし。
「ん~、分からん。」
確かちこの足を消毒した時だったような気がする。
「神杜先輩ですよね?」
「…なぜそうなる?」
「以前神杜先輩が、坂上先輩の寝室に救急箱があると言っていたので。」
「言っとくけどな、俺とちこは別に付き合ってるとかそういう関係じゃないからな。単に幼馴染な関係だよ。自然に仲がいいってやつだよ。」
「そういうものなのですか。」
「そういうものなんだよ。」
「…つまらないですね。」
何だよそれ。
「少し百合ちゃんの話をしていいですか?」
「ああ。」
「実は百合ちゃんにも幼馴染がいたんです。風紀委員長の村井先輩です。」
「まじか…。」
「…まどか。」
それは口にすると危ないから…。しかも、それマギカじゃん……ってなんの話だよ…。
「ちなみに逆です。」
「そうだな…。」
「水無月、最近橘先輩に似てきたな。」
「それはとても遺憾です。」
少々脱線したが、話を本題に戻す。
「でも恋愛関係にはならなかった。百合ちゃんが拒んだそうです。」
「何故だ?」
「お互いを知りすぎてるから、わざわざそんな事をしなくても一緒にいるのが自然体だからいいんじゃないかって言ってました。」
「夏目先輩がか?意外だな。」
「でも私は思うんです。」
水無月は右手を口元にあて、照れくさそうに言った。
「それは既にお互いが気付かないうちに恋愛関係にあるのではないか…と。」
「坂上先輩もそう思いますか?」
「ああ。」
「では、たった今から坂上先輩と神杜先輩は恋人同士です。」
恋人同士ですじゃねーよ。
「水無月は何でそんなにちことくっつけようとするんだよ?もしかして…。」
「…もしかして、なんですか?」
「俺に惚れてんのか?」
「すみません、聞こえませんでした。もう一度お願いできますか?」
く、またそんなスルーをするか。
同じ手で負ける俺じゃないっていうところを見せてやるぜ。ここで更に反撃をくらわす。
「だから、俺に惚れてるんだろって言ったんだよ。」
「誰がですか?」
「水無月が。」
「私が?」
「ああ、水無月花音が坂上秋伸に惚れてるのではないですか?」
「……。」
「……。」
何か言ってくれよ。なんかマジ告白みたいな感じで気まずくなってきたんだけど。
「…坂上先輩。それは本気で言っているのですか?」
「えっ?」
おいおい、水無月は頬が赤くなり始めている。冗談では済まされない領域に入ってしまったのかもしれない…。
「本気ですか?」
ずいっとこちらに身を寄せてくる水無月。可愛い。
肩くらいまでのショートヘアに、不思議と落ち着くようなコロンの香り。
「…えっと。」
困っていると助け舟が現れた。図書室の閉館時間の本鈴が鳴り響く。
「じ、時間だ。帰ろうぜ。」
「誤魔化しましたね?」
「ま、いいじゃねーか。なっ。」
「くすっ。」
水無月が珍しく笑みをこぼす。
「冗談です。坂上先輩と話していると飽きなくて楽しいです。」
「そりゃどーも。」
少しずつ、元気を取り戻してほしい。俺はこの時本気でそう思った。
「なあ水無月。」
「花音。」
「え?」
「花音と呼んでもかまいませんよ。」
「花音、お茶して帰らないか?」
「…はい。いいですよ。」
こうして俺たちはちょっと寄り道して帰ることになった。何かいままで水無月って呼んでたから名前で呼ぶのは照れくさい。
「あの、坂上先輩。」
「何だ?」
「私も、秋伸先輩と呼んでいいですか?」
え?それって。
「それとも、あっちゃん先輩のほうがいいですか?」
「それはやめてくれ。」
お互い笑った。こいつ笑えば可愛いのに。
もっともっと笑ってほしい。
今日は何となく俺と水無…、花音との距離は多少縮んだような気がした。
「で、どこでお茶しようか?」
誘ったはいいが、場所までは決めていない。
「…秋伸先輩が誘ってくれたのに、私に聞くのですか?」
はあ~とため息をつく花音。
「今日はカフェテリアにでも行きませんか?」
「それはどこにあるんだ?」
「商店街の少し外れにある隠れた名所です。」
言われるまま二人肩を並べて歩く。ちこ以外の女の子と歩くのはこれが初めてのような気がする。
花音は無表情で歩き続ける。
「花音も普通の女の子じゃないか。」
「?急にどうしたんですか?」
「前に、言ってたじゃないか。」
「秋伸先輩がそう言うのなら、そうなのかもしれませんね。」
花音の歩みが止まる。
「どうした?」
「なんでもありません。」
こうしてしばらく歩くと、少し外れた場所に確かにカフェがあった。
「ここは紅茶の専門店なんですよ。」
「へ~。そういえば花音は紅茶好きなんだっけ?」
「はい。特にアップルティには目がありません。」
カランカラン。
入り口のドアを開けると、心地いいベルの音ととてもいい香りが室内を満たしていた。
「いらっしゃいませ。」
エプロンを着けた女性が雑誌を片付けながら挨拶する。どうやらこの人しか店員はいないようだ。
「あら花音ちゃんじゃない。今日は彼氏と一緒?」
どうやら花音はこの店の顔なじみらしい。
「彼氏ではありませんよ。」
「あら?そうなの?男の子と来るのは初めてなんじゃないの~?」
花音はカウンターへ腰かけたので俺も隣に座る。クラシックな曲が流れる店内はとても落ち着く雰囲気を出している。結構いい。
「秋伸先輩、メニューです。」
「あ、おう。」
パラパラとメニューを眺める。確かに紅茶しかない。どれがいいのかよく分からない。
「私はアップルティでお願いします。」
「そちらの彼氏さんは?」
「俺もアップルティで。」
「はい、お待ちくださいね。」
店員はカウンターで紅茶を作り始める。
「桜子さん、今日は何か嬉しそうですね。」
花音が桜子さんと呼んだので、その店員はきっと店主なのだろう。
「まあね。花音ちゃんが久々に来てくれたからね。」
「あの…。実は…ゆ…」
すると、桜子さんはその言葉をとても悲しそうな顔でさえぎった。
「知ってるわ。いいのよ、話さなくて。」
きっと、夏目先輩のことだろう。先輩もこの店の顔なじみだったのかもしれない。
「すみません。」
「はい、おまたせ。」
俺と花音の前に出来立てのアップルティが置かれる。
「いただきます。」
花音はそう言うと上品に飲み始める。さすがはお嬢様。テーブルマナーすら危うい俺とは全然違う。
「秋伸先輩もどうぞ。」
「あ、ああ。」
一口飲む。口の中に広がるアップルの風味。少し酸味もありとてもおいしい。いつも花音が魔法瓶に入れてくるものとはちょっと違う。
「これ、この味はどうしても私は真似できません。」
「えへへ。オリジナルブレンドだからね。配合は企業秘密よ。」
女の子同士の会話というものだろうか。割り込むのが悪い気がして話を伺う。
「秋伸先輩はおいしいですか?」
「ああ。おいしいよ。花音が入れてくるアップルティとはまた違う味だな。」
「そうなんです。どうしてもこの味が出せないんです。」
「そんなに難しいものなのか?」
「はい。この風味を出すのは素人ではまず無理です。」
「へ~。」
紅茶とはいえ、コーヒーにも様々味があるように奥が深いようだ。花音は味の配合を確認しながら味わっているのか、少し上目遣いな仕草に思わず鼓動が高鳴る。
「あらら?彼氏が見とれてるわよ花音ちゃん。」
「ちょ、違いますよ!桜子さん!」
「…すみません。ついアップルティに気を取られてしまって。」
謝る花音。
「気にするな。配合は分かりそうか?」
「難しいです。」
「あ、そうそう。実はこの味の配合を見極めたお客さんが今日来たわよ。」
桜子さんが残念そうにつぶやく。
「どんな人ですか?」
「ブロンド色の髪に、赤い瞳をした女の子よ。花音ちゃんと同じ制服を着てたわよ?」
「アンジェ?」
「え?ああ、何かアンジェリカさんって言ってた。花音ちゃんのお友達?」
「交換留学生で、クラスメイトです。」
「うちの学園に留学生がいたのか?」
「秋伸先輩は知らなかったんですか?」
「俺は2年だからな。連絡とかでは何となく言ってたような気もするけど。」
「何か秋伸先輩はホームルームで話聞いてなさそうですしね。」
「失礼なやつだな。」
…ま、大方間違ってはいないんだけどな。
「今度アンジェに聞こう。」
「あ、だめよ花音ちゃん。バレたらうちのお客さん来なくなっちゃうわ。」
「ふふ。冗談です。」
花音が軽く笑みをこぼす。俺は、花音を誘ってよかったなと満足心に浸っていた。まあ、店を選んだのは花音なんだけどな。結果オーライってやつだろう。
しばらく雑談してカフェを後にする俺たち。店先で花音の迎えを一緒に待っていた。
「なあ、アンジェってどんなやつなんだ?」
「秋伸先輩。女の子と二人きりなのに違う女の子の話をするつもりですか?」
花音はこちらを振り向かない。相変わらず無表情だ。
「秋伸先輩はハーレム狙いですか?」
「アホか!そんなんじゃねーよ。」
「冗談です。」
「そういえば、今日は神杜先輩は一緒ではなかったんですか?」
「あいつは今日はクラスのやつと買い物に行ったから平気さ。」
「お二人が別行動を取るというのは意外です。」
「俺達はそんなに四六時中べったりじゃないさ。」
そのまま空を見上げる。いつの間にか雨が降ってきそうな雲行きになっている。
「秋伸先輩。」
「ん?」
「先輩は、今の日常に満足していますか?」
満足?急にどうしたんだろう?でも花音は俺の目をしっかりと捉えていて真剣だ。
「どうしたんだよ?急に。」
「私は百合ちゃんを失ってから気付いたんです。」
「気付いた?」
「はい。百合ちゃんは私の為に色々やってくれた。でも私はその恩を返していない。もっと百合ちゃんにしてやれたことがあったのではないかと後悔しています。」
「後悔先に立たず。後悔という気持ちがあるから人は成長するんじゃないのか?」
「そうだといいのですが…。」
ぽつ。ぽつ。
雨が降り出した。花音は数歩歩き出しその雨を浴びる。
「私は……いえ、私たちは一緒に幸せになろうと過去に誓い合いました。」
「夏目先輩とか?」
「はい。でも、私だけがずっと幸せだったんです。」
雨はだんだん強くなってくる。まるで花音の涙のように。
「私は百合ちゃんという存在があるだけで幸せだったんです。それに今頃気付くなんて。私は…、私は最低な人間です。」
「そんなことはない。最低な人間はそんな感情を持ってないはずだ。」
必死にフォローする。
「先輩はやさしいですね。」
「そりゃどうも。」
「花音、濡れるぞ。こっちに戻って来い。」
「雨に濡れたい気分なんです。平気です。」
まだ本降りではないが、花音の体は雨に濡らされてゆく。
「花音…。」
「はい。なんですか?」
「夏目先輩も、お前という存在があったから幸せだったと思うぞ。」
「…そうだと嬉しいです。」
悲しみの表情にそっと笑みが浮かぶ。瞳から流れているのは雨だろうか。それとも涙だろうか。
雨はその勢いを増し、花音は完全に濡れてしまっている。
「完全に濡れたな。」
「はい。でもそういう気分なんです。」
「風邪引くぞ。早くこっちに戻れ。」
「風邪をひいたら看病してくれますか?」
「ああ。任せろ。」
「秋伸先輩。」
「なんだ?」
「実は私…今日は迎えの車は来ないんです。」
「は?お前今呼んだんじゃないのか?」
「呼んだふりです。」
「どうすんだよ?ずぶ濡れじゃねーか。」
「いいんです。」
すると花音は俺の前に歩み寄り手を差し出す。
「先輩が看病してくれるんでしょう?」
その手は俺も濡れろと言っているようだ。俺もその手を取り、雨に身を投げる。
冷たい。5月とはいえ、まだ濡れると肌寒い。
でもいい。俺は花音の手を握っているから。
その温もりを感じることができるから。
お前のその悲しみを受け止めてやりたいから。
花音と一緒に雨の中歩きだす。
雨はとうとう本降りになった。
水無月財閥のお嬢様。そのお嬢様は今、普通の女の子になっていると思う。
心に深い深い傷を負った、小さな小さな女の子。
雨の降りしきる中、俺達は傘もささず濡れたまま道を歩く。
「家の前まで送ってってやるよ。」
「ここまで来ればもうすぐそこなので大丈夫です。」
「そうか。また明日な。」
「はい。また明日。」
花音の後姿が見えなくなるまで見送る。
「あっちゃん?」
不意に後ろから声がかかる。
「どうしたの?あっちゃんずぶ濡れだよ?」
ちこだった。なぜか傘をさしている。
「ちこ、お前なんで傘持ってるんだよ?」
「商店街で買ったんだよ。今帰りだよね?」
「ああ。帰るか。」
「うん。」
俺はちこの傘にちゃっかり入ろうとすると、ちこはそのまま傘ごと避ける。
「入れてくれないのかよ…。」
「だってあっちゃん濡れてるじゃん。くっつくと私も濡れちゃうもん。」
「お前最低だな。」
「冗談だよ。はい。」
傘を差し出す。
「…それとも、私も濡れて帰ろうかな。」
「風邪引くぞ。やめとけよ。」
俺が代わりに傘を持って、相合傘しながら帰路につく。今日はなぜかちこは口数が少ない。
しばらく歩き続けるが、ちこは黙って歩いている。俺は思わずちこの横顔を見る。
「ちこ?」
「…。」
「ちこ。」
「え、あ?ごめん、何?」
「どうしたんだよ?ぼんやりして?お前らしくないな。」
するとちこは立ち止まる。
「あっちゃん…。」
「何だ?」
「水無月ちゃんの事……好きなの?」
語尾はほとんど力なく吐き出すような口調だった。
「何…言ってんだよ。当番の帰りにお茶しただけだよ。」
「そうなんだ。」
「ああ。」
「でも、どう思ってるの?」
「別に…。花音は同じ委員会の後輩としか思ってないよ。」
俺と花音は友達だと思う。でも、だからと言ってお互いが好きというわけではないと思う。
「花音?」
しまった…。
「あっちゃんはいつから花音って呼ぶようになったの?」
「そう呼べって今日言われたんだよ。」
「そうなんだ。」
先ほどと同じ返事をして、またとぼとぼ歩き出す。急いで俺もそのあとを追う。
「どうしたんだよ、ちこ?」
いつものちこらしくない。
「あっちゃん、私はあっちゃんに恋人ができても別にかまわない。でも、それでも私はあっちゃんの側にいたいんだよ。」
もしかしたら、さっき花音と一緒に手をつないだところを見られたのかもしれない。
「ちこ…、心配しすぎだ。」
頭を撫でる。
「えへへ。」
嬉しそうに微笑む。やっぱりちこは俺のこと…。
「あっちゃん。」
「ん~?」
「私は、あっちゃんの側でこうしているだけで幸せ。」
ドクン。
心臓が大きく鼓動する。俺は『幸せ』という言葉に過剰に反応してしまった。さっきの花音の話を思い出した。
『私は百合ちゃんという存在があるだけで幸せだったんです。』
俺も、こいつと一緒にいるのが当たり前すぎて気付いていないのだろうか。
『たった今から、坂上先輩と神杜先輩は恋人同士です。』
花音の言葉がまたひとつ蘇る。花音があんなこと言うから、妙に意識してしまってるのかもな。
「ちこ。心配すんな。俺はいつも一緒にいてやるからさ。」
「うん。」
ちこと雨の街を歩く。
さっきまでは花音と歩いていた道。
俺は、もしかしたら花音の事を意識し始めてるのか?ちこの思いを知りながら。
俺とちこは付き合っているわけじゃないけど、なぜか自分が最低な人間に思え罪悪感を覚えていた。
「あっちゃん、家でシャワーして行く?」
もう間もなくマンションに着こうかとしたところで、ちこが大胆な発言をする。
「俺の部屋はちこの部屋の上なんだから、自分の家でするからいいよ。」
「だってご飯作るし、私は気にしないけど。」
年頃の女の子なんだから気にしろよな……と心の中でつっこんでおく。
「着替えも部屋だし、シャワーしたら行くよ。」
するとちこは耳元に寄ってきて一言。
「旦那~、お背中お流ししますよ~。」
「ば~か、何言ってんだよ。」
「あ、あっちゃん顔赤いよ?」
「赤くねーよ。」
「赤いよ。」
「赤くねーって。」
「あっちゃん可愛い。」
こいつ…。見てろ、こいつをぎゃふんと言わせてやる。
「あ~、だったら頼もうかな。まさかお前から誘っておいてダメはないよな?」
「えっ?」
今度はちこが赤くなる。というか、俺は別に赤くなってないんだけどな。
「どうなんだよ。背中流すのか?流さないのか?ちーこちゃーん。」
「い、いいよ。お、女に二言は、な、無いんだからね!」
テンパリすぎだろ。動揺しまくりな幼馴染。
「冗談だ。」
「なっ!あっちゃん!ダメだよ!絶対背中流すんだからね!!」
どこのツンデレだよ。
「べ、別にあんたの為に、い、言ったわけじゃないんだからね!」
俺もツンデレのように返す。
「あっちゃん、それどこのヤンデレ?」
病んでねーよ。
「と、とにかく!流すったら流すの!着替え持って私の部屋に集合ね!」
他に誰か呼ぶような勢いで宣言するちこ。
「ちょっと、あなた達…。」
不意に後ろから声がかかる。
「ぶ、文学少女…。」
こいつはクラスメイトの葵美津菜。風紀委員を勤めているのだが、ライトノベル中毒者でもあり、あるファンタジー系ライトノベルの溺愛信者という噂を持つ人物だ。
だから、葵は左目が緑で右目が茶色という超個性的なカラーコンタクトをしている。
「お褒めいただき光栄だわ、坂上君。」
「そいつはどうも。で、葵も今帰りか?」
「わたしもあなた達と同じマンションよ。知らなかったの?」
「全く。」
「私も知らなかった。だって一回も会ったことないよね?」
「私はB棟だから。あなた達はA棟でしょ。」
既に同じマンションとは言えない気もするが。
「それはそうと、往来で不埒な会話は良くないわね。」
「不埒とはなんだよ。」
「不埒…道徳や法にはずれていてけしからぬことを言う。ふとどきとも言うわ。」
「そういう事を聞いてるんじゃねーよ。」
「あら?違ったかしら?」
「違ってる。」
「葵ちゃん、私たちべつに不埒じゃないよ~。」
「年頃の男女が一緒に背中を流し合おうなんて話のどこが不埒じゃないのか説明してもらいたいものね。神杜さん。」
「え、そ、それは…。」
「二人が恋人同士だったとしても、身体的関係を持つのはまだ早いわ。」
「葵、仮に俺とちこが恋人同士だったとしてもお前にそこまで言われる筋合いはないぞ。」
「いいえ。私は風紀委員よ。」
「ここは学園じゃねーぞ。」
「いいえ。生徒である限り、どこにいても風紀委員よ。」
「左様でございますか。」
「いい。あなた達はまだ高校生よ。大人ぶった恋愛なんかするものじゃないわ。」
「お前だって高校生じゃねーかよ。」
「…そうね。」
どうもこの学園は個性の強いキャラが多いようだ。
「ま、いいわ。余計なお世話だったわね。また明日ね、神杜さん、坂上君。」
「あ、ああ。」
「さようなら、葵ちゃん。」
俺とちこは時々顔を見合わせながら葵の後姿を見つめていた。
「何か拍子抜けしたな。」
「そ、そうだね。あはは。」
結局、自分の部屋でシャワーしてちこの部屋に夕飯でお邪魔する段取りとなった。
今回は葵が乱入したおかげで多少は救われた部分もあり、憎めないキャラなのは間違いない。
でも、あのカラーコンタクトは風紀委員としてはいかがなものかと思う。
翌日。
今日はまたみんなで放課後に図書室にいた。
「今度こそ、ツーイーに乗るわよ!みんな!!」
橘先輩が気合を入れて叫ぶ。
「確かに前回は通信機器の不具合で中止になりましたしね。」
「そうよ。しかも、今回も中止になったらこの浮上式列車のプロジェクトは廃案になるらしいの。」
橘先輩が残念そうに言った。
「廃案になるんですか?」
ここまできてか?
「浮上式は諦めて、レールを走る従来の電車になるみたいよ☆」
「へ~。」
「もう、ツーイーに乗るのはやめませんか?」
花音がとても暗い表情で反対した。
「どうしたんだよ花音?この前は乗る気満々だったじゃないか。」
「…深い意味はありません。私は乗りたくありません。」
そう言うと俯き何も語らなかった。どうしたんだろう?
「ところで坂上君?」
「何ですか?」
「いつから『花音』って呼ぶ仲になったわけ~?」
橘先輩がうりうりと擦り寄ってくる。本当にめんどくさい先輩だな。
「昨日からです。」
「できちゃった☆~?」
「できてません。」
「花音さんの見解をどうぞ~☆」
今度は花音に絡む作戦のようだ。
「できていません。」
どうやら花音も同じようにきりかえしたようだ。
「…子供は。」
「ブッ!!」
「フグッ!!」
俺とちこが同時に吹き出す。
「…冗談です。」
「本当悪い冗談だ、花音。」
一応ここは高校だしな。年齢的にそれはやばいよ…って誰に言ってんだよ俺。
「あっちゃん、もう橘先輩はいなくなっちゃったよ。」
どうやらどこかに走っていったらしい。自分で質問しといていなくなるなんて、どれだけ失礼極まりない人なんだ。
「でも秋伸先輩…。」
「ん?」
「ツーイーに乗るのは反対です。もし先輩方がどうしても乗るというなら、私は全力でそれを阻止します。」
「それでも乗るって言ったら?」
「私は先輩方と縁を切らせていただきます。」
花音は冗談ではなく本気のようだ。表情がそう物語っている。
「水無月ちゃん、どうしてそこまで反対するの?」
「…こうして毎日楽しく過ごせるのに、どうしてそれに満足できないのですか?」
「えっ?何を言ってるのかな?」
「こうして平穏に毎日を過ごしているだけではダメなのですか?」
ちこはただならぬ花音の雰囲気に負け、押し黙ってしまった。
「花音?何かあるのか?」
「…いいえ。これは私からの忠告のようなものです。」
「気にしすぎだ。大丈夫だ。」
すると花音は俺に掴みかかってきた。俺は驚き抵抗することを忘れ、胸元を両手で掴まれてしまう。
「その『大丈夫』とは何を根拠に言っているんですか!!」
「おい、花音?」
「無責任なこと言わないでください!!」
「おい!花音!」
花音は泣きながら図書室を駆け出していった。
「どうしたんだろう?花音。」
「うん。何かわけがあるような言い方だったね。」
俺とちこはただ呆然とする。すると橘先輩が戻ってきていたようで、出入り口のドアにもたれながら真剣に言った。
「…今回は、やめましょうか?」
「そのほうがよさそうですね。」
「あ~あ、乗たかったんだけど残念~☆」
「また違う企画で何かやりましょうよ。」
「…そうね。」
「俺、花音を探してきます。」
「あっちゃん、私も行くよ。」
「なら今日は委員会はおしまいね。見つけたら、そのまま帰っていいわよ。」
橘先輩も花音の反応が気になるのか、あれからとても真面目で冗談を言わなかった。
【視点変更:水無月花音】
私はあれから屋上に来ていた。後で秋伸先輩に謝らないといけない。つい掴みかかってしまった。
屋上から街を見渡す。
百合ちゃん。私は百合ちゃんが救ってくれたあの過去を絶対に繰り返しはしない。ツーイーの完成は絶対阻止してみせる。
確かさっきみつみ先輩が、今度中止になったらプロジェクト自体が廃案になると言っていた。
これをうまく利用できれば、この現在にツーイーそのものが無くなるという事になる。
それはつまり、先輩たちだけではなく、過去にツーイーの事故に関与したみんなが救われるという事。
ツーイーの廃案。これが私に与えられたミッションだ。
「カノン?」
後ろから声をかけられる。
「アンジェ?まだ残ってたの?」
「はい。屋上から見渡す景色がとても好きなのでいつもこの時間はここにいます。」
「泣いていたのですか?」
「ううん、もう平気。」
私は涙を拭く。
「そう言えばカノン?」
「何?」
「実はですね。この間電車に乗ったんですが、日本では電車の中で携帯電話が使えるんですね。」
「え?アンジェの国では使えないの?」
「はい。電車内に電波除去装置がついていまして、車内は圏外になってしまうのです。」
え?電波除去装置?私は制服の上着ポケットに手を入れる。
あった。
過去に仁科さんから奪った電波除去装置。過去から持ってこれたという事は、もしかしたら百合ちゃんが何らかの意味を与えたのかもしれない。
「アンジェ、電波除去装置ってさ、電車の中にある機器に不具合とか出ないの?」
「機器に影響を及ぼさない周波数を使っているそうです。」
「どのくらいの周波数があると機器に影響がでるか分かる?」
「1THzと言われています。」
聞いたことない単位だ。
「カノン…。」
「ん?」
「私はもう帰りますね。また明日です、カノン。」
「うん、さようならアンジェ。また明日。」
アンジェはそのまま屋上を出て行った。私はポケットから電波除去装置を取り出し、ラベル部分を確認し、この機器の周波数を調べた。
『Radio Wave Cut System NK-1T 1THz』
『Natsume Heavy Industry Co.,Ltd. Made in JAPAN』
丁度アンジェが言っていた1THzだ。この機器なら、運転システムの機器の通信信号電波を妨害できるのではないだろうか?
確か電気浮力は電波信号だったはずなので、この電波をカットできれば車体は浮かないだろう。
そうすれば、このプロジェクトは中止にする事ができる。
私は決意する。
百合ちゃん。私、絶対阻止するよ。百合ちゃんが過去を救ったのなら、私は現在を救う。
ツーイーの再試運転の日を確認して、あとは一人でツーイーに乗り込めば大丈夫だろう。
まずは先輩たちを説得させて、試運転の試乗を回避するのが最初の課題だ。
「がんばれ!私!」
両頬をパンパンと軽く叩き気持ちを切り替える。私は再び図書室に戻る為、踵を返した。
屋上の出入り口付近で、不意にドアが開かれて歩みを止める。
「水無月さん。」
クラスメイトの一ノ瀬君だった。
「ごめんなさい、ちょっと急ぐから。」
そのまま避けて出ようとすると、腕を掴まれる。
「ま、待って水無月さん!」
「何?」
そのまま立ち止まる。
「あの、少し時間いいかな?」
「今急ぐって言ったはずだけど?」
「話があるんだ。ほんと少しだけだから。」
「何の話?」
すると一ノ瀬君はしばらく黙り込む。早く図書室に戻らないといけないのに。
「……。」
「どうしたの一ノ瀬君?早くしてくれないかな。」
「あ、あのさ。水無月さんは…」
続きを言いかけた瞬間、今度は出入り口に秋伸先輩が現れた。
「花音?」
「秋伸先輩。」
「何やってんだ?」
「今、一ノ瀬君が話しがあるそうで待っているところです。」
「一ノ瀬君、話は?」
「あ、うん。また今度でいいよ。ごめん。」
「そう。それじゃ。」
「水無月さん!」
「?」
「この人と付き合ってるの?」
私と秋伸先輩を交互に見ながら、一ノ瀬君は少し力なく質問してきた。
もしかしたら、一ノ瀬君は私のことを好きになってくれているのかもしれない。
でも、私は一ノ瀬君と話しをした事はほとんどない。友達でもないクラスメイトの関係だ。
「花音、もしかして俺邪魔だったか?」
秋伸先輩がバツの悪そうな顔をした。
「いいえ。大丈夫です。」
「一ノ瀬って言ったか?」
「はい。」
「花音は俺の女だ。手を出すな。」
「秋伸先輩!?」
いきなりなんてことを言うのだろう。
「……はい。失礼します。」
一ノ瀬君が一礼し、屋上を去っていった。
「秋伸先輩、どういうつもりですか?」
「いや、何か花音が困ってるように見えたからさ。余計なおせっかいだったか?」
「いいえ。ありがとうございました。」
ここで私はまた意地悪心が沸いてくる。
「あの、先輩。私が先輩の女という事は、私は先輩の言いなりにならないといけませんか?」
秋伸先輩が一瞬困った顔をしながら少し照れくさそうな仕草を見せる。くすっ。面白い人だ。
だから意地悪したくなる。
あれ?私はもしかして、秋伸先輩に惹かれはじめたのだろうか。
「いや、別にならなくていいよ。」
「遠慮しないで、私を好きにしていいですよ。」
「えっ?またからかってるのか?」
焦り始める先輩。
「いいえ。からかってません。」
さあ、どうきますか?先輩。
「だったら、目を閉じて。」
え?
素直に目を閉じる。
何もされませんように。自分でからかってちょっかい出しておきながら、そんな都合のいいことを思う私。
「!!」
おでこを指で弾かれた。
「痛いか?」
「痛かったです。」
秋伸先輩は何もしなかった。実際はおでこを弾かれたんだけど、こう男女間のやりとりがなくて安心したと同時に、先輩の紳士さに好感を覚えた。
「さ、帰ろうぜ。」
「はい。」
「やっぱり秋伸先輩は神杜先輩が好きなんですね。」
「またその話か?」
二人で階段を降りて昇降口を目指す。
「そんなんじゃねーよ。」
「ところで神杜先輩とみつみ先輩はどうしたんですか?」
「橘先輩は多分図書室にいるよ。もう帰っていいって言ってたぞ。ちこはまだ花音を探してるよ。」
「それはすみませんでした。」
「気にするな。ちこにはメールしとくから昇降口で合流しよう。」
「さっきは掴みかかってすみませんでした。」
「それも気にするなよ。何かあるから言ったんだろ?」
「はい。でも今は聞かないでください。」
「そうか。」
「それと、ツーイーは…。」
「花音、ツーイーは乗らない。安心しろ。」
その代わり、また今度みんなでどこかでお茶しようと言われた。私はその誘いに、はいと答えたのだった。
翌日。今日は土曜日なので学園は休みだ。
それと昨日の夜知ったけど、ツーイーの一般試乗会は今日らしい。
みつみ先輩も随分ギリギリな誘いだなぁと呆れてしまう。
試乗会までにどうにかしないと。
改めて電波除去装置を眺める。
あれ?
ラベルをよく見る。何故か製造元が夏目重工になっている。
仁科さんから取った装置は金ヶ崎重工製だったはずだけど。
いつの間にかすり替えられたんだろう。
過去で百合ちゃんがすり替えたのだろうか?
それならば、今日は百合ちゃんとの共同作戦になる。
そう思うと、少し勇気が湧いてきた。
正直うまくいくか少し不安でもあるからだ。
いつもより慎重に身支度を整え、今日は徒歩で家を出た。
―――――――――
ツーイーの試乗会場に着いた。
あの時のように、多くの報道陣や乗車客で賑わっている。
私は周囲にうまく溶け込むように歩き、コントロール室を探しに行く。
電波除去装置のスイッチはまだ入れない。
出発直前に入れなければ中止にはならないはず。
出発時間延期になると厄介だ。
「あの、お客様?」
不意に声をかけられる。
「こちらは立入禁止となっております。」
「あ、ごめんなさい。」
ホームには入れるが、制御室らしき部屋には近付く事すらできない。
「お客様?失礼ですが、何かお探しですか?」
「あの、このホームで写真を撮るベストスポットはどこでしょうか?」
ごまかしつつ情報を収集する。
ベストスポットという場所は大抵見渡しがいい場所が多い。
そこから制御室を眺められる場所を探す為だ。
「そうですねぇ。スカイホームラウンジならばツーイーの全景を眺める事ができますよ。」
スカイホームラウンジ。2階にあるガラス張りの床のある見学室だ。
だけど、今日はスカートを…というよりいつもスカートで慣らされた私はさっそく自分のミスに後悔する。
事前調査なしだったので仕方ないんだけど。
「でもお客様はスカートでいらっしゃいますから、オススメできません。失礼いたしました。」
そういうと一礼しいなくなった。
どうしようか。
とりあえず周辺を見渡す。あくまでも自然体に。
まずはホームのパンフレットを貰うためインフォメーションセンターへと向かうことにした。
インフォメーションセンターに着いた。
パンフレットを一枚ケースから抜き取る。
ホームマップを見ると、やっぱりさっきの立入禁止の扉から制御室に行けるみたいだ。
発車まであと30分くらいのようだ。
さっきの立入禁止の扉まで行き、電波除去装置をオンにして警備員に声をかける。
「警備員さん、あっちにいる警備員さんが呼んでます。」
「え?そうなのかい?」
60代くらいの警備員さんは無線を使ったが、すぐ首を傾げる。
「おや?通信が使えないな。ありがとう、お嬢さん。」
警備員が向こう側に歩いて行った隙に電波除去装置を切り奥に侵入する。
制御室へ向かう連絡通路はホームとはうって変わって無機質なものだった。
少し薄暗い。
しばらく進むと中央制御室の前にたどり着いた。
ちょうど隣に倉庫室があったので、ゆっくり扉を開けて身を潜める事にした。
自分の鼓動が聞こえるくらい静かだ。
携帯電話を取り出し、電波を切る。
発車まであと15分くらいだ。
ホームからの音は一切聞こえない。
―――――――――
発車まであと1分前になった。
電波除去装置を取り出し、深呼吸する。
百合ちゃん、いくよ。
心の中で声をかけ、除去装置をオンにした。
装置の状況を確かめる為に携帯電話の電波をオンにする。
圏外。
どうやらちゃんと機能しているようだ。
あとはどのくらいこうしていればいいのかなんだけど。
たった一人ではホームの状況が分からない。
これも誤算だ。
「あ…。」
ふと思い付く。携帯電話のワンセグテレビ。報道陣が着ていたので、生放送しているはずだ。
ワンセグテレビを起動してチャンネルを探す。
しかし、「放送電波を受信できません。」と表示され写らない。
電波を除去してるんだから当たり前か。
ため息を着いてワンセグテレビを切る。
どうしよう――。
とりあえず、電波除去装置をオンにしたまま外に出ようとした時。
ガチャ。
部屋の扉が開き、20代半ばくらいの男の人が一人入ってきた。
ゆっくり落ち着いて物陰に隠れる。
男の人はキョロキョロと何かを探している。
資料を探すというような動きではない。
もしかして、気付かれたのだろうか。
「お嬢さん、隠れんぼはやめにしませんか?」
ドクン。
ばれている。それでも静かに潜み続ける。
落ち着け、私…。
「防犯カメラにばっちり写ってるよ。お嬢さん。」
逃げ切れそうにない。
「早く出てきなさい。」
まだ潜み続ける。ここで捕まるわけにはいかない。
しかも、電波を除去しているので防犯カメラに写っているわけがない。
あらかたカメラが写らなくなったから、様子を見にきたといったところだろう。
男の人の動きにあわせて逆方向に歩き、見つからないようにする。
「…居るのはわかってんだぞ。」
「お嬢さん。」
「!!」
不意に見えなくなったと思ったら、後ろに回られていた。
後ろ手に腕を捕まれる。
「何してんだ?お嬢さん。」
「み、道に迷ってしまって。」
「嘘をつくな!」
突き飛ばされて床に倒れ込む。
「お嬢さん。何かさっきからこの部屋と制御室の電波がおかしいんだけど、何か知らないか?」
制御室まで電波除去装置が効いていたようで安心した。
これで計画は中止になると思う。
「よく見ると可愛いね。」
男の人が倒れた私の前に歩み寄ると、ニヤニヤしながらしゃがみこんだ。
気持ち悪い。
何をするのかは想像がつく表情だ。
「お嬢さん、抵抗するとお巡りさんが来るからね。」
「…どういう意味ですか?」
「言うことを聞いたら見逃してやってもいいが?」
「何をするつもりですか?」
「……。」
ふとアンジェに聞いた反撃術を思い出し、男の人の目を見て動きを読む。
男の人の視線が一瞬だけ私の足に落ちた。
バシッ。
私の足に触ろうとした手を掴む。
「…抵抗する気か?」
「私に触るなんて、恐れ多いですよ。」
「この小娘!」
目を見る。
え?
視線が動かない。
「!」
両手を押さえ付けられた。
「恐れ多いんじゃなかったのか?」
「……。」
「くすっ。」
「何がおかしい?」
「押さえ付けたくらいで、女を制したと思わない事です。」
「強がりだな。」
「いいえ。」
えいっと心の中でお茶目に声をかけながら、男の人に目潰しをお見舞いする。
「うぁぁ!」
床を転げ回る男の人。
その隙に入口の扉に向かい、倉庫室を出る。
そのまま元来た道を駆け出し、ホームを目指す。
あと数メートル。
ホームに出れば、すべて終わる。
転ばないように急ぐ。
終わるんだ。
何もかも。
やっと――。
百合ちゃん、どうかあと数メートル、見守っていて。
ホームに出た。終わった。
報道陣が試運転中止のニュースを告げている。
それを横目に走りながらホーム出入口を目指す。
ドンッ。
「おっと!」
「きゃっ!」
男の人と思い切りぶつかってしまった。
私と男の人が派手に倒れ込む。
「痛たた~」
「ご、ごめんなさい。」
慌て誤る。油断した。
「こっちこそごめんね…。立てる?」
男の人が先に立ち上がり、手を差しのべてきた。
その手を借り立ち上がろうとした途端。
ズキッ。
「痛っ…。」
足を捻ってしまっていた。
「捻っちゃった?」
男の人が心配そうに足を診ようと座り込む。
「触らないでください。大丈夫ですから。」
「大丈夫なわけないだろ!いいから見せろ。」
男の人が足を触る。不思議と全く不快ではなく、労りを感じる。
「ここか?」
「痛っ。はい、そこです。」
「捻挫だな。おんぶしてやる。少し休める場所にいこう。」
「いえ。大丈夫ですから。」
男の人は背負う為しゃがみこみ、背中を向ける。
「いいから。ほら。」
「…肩をお借りするだけではダメですか?」
「恥ずかしがり屋だな。ならそうしよう。」肩を借り、ホームにある複数の団体待合室の中のA室に入る。
「ここは今日は貸し切っててね。誰も来ないから。」
そういうと、男の人はハンカチを水道で濡らす。
「靴下は自分で脱げるか?」
「…はい。すみません。」
濡れたハンカチが患部にあてあれ、ひんやりと気持ちいい。
「僕は金ヶ崎直樹。君は?」
金ヶ崎?もしかして、金ヶ崎重工の?
「水無月花音です。」
「水無月!?もしかして水無月財閥のお嬢さん!?」
「…はい。」
私も気になる点を質問する。
「金ヶ崎家の長男さんですよね?」
「ああ、そうだよ。できれば名前で呼んでくれよ。」
「直樹さんはどうしてここに?」
裁判で有罪判決を受けたはずだけど。
「僕はツーイーの開発主任でね。それで今日は立ち会いしたわけ。」
百合ちゃんが彼を救ったのだろうか?
でも、その頃にはもう直樹さんは有罪判決を受けた後のはず。
他に誰か過去を書き換えれる人がいる?
それとも雪月さんか?
今はもう知る術はない。
「どうした?」
「いえ。何でもありません。」
「でもまさか水無月財閥のお嬢さんに会えるなんて嬉しいな。」
「どうしてですか?」
「えらく美少女だって有名だからね。水無月さんは娘さんを公から避けるくらい溺愛しているとも聞いているから、顔もみんな知らない。」
美少女かどうかは置いといて、確かに私は学園に入るまでは屋敷から一歩も出る事はなかった。
私はいつの間にかこんなにアクティブな人間になったんだろう。
生活環境が変わるというのも悪くはないなと素直に思った。
「何か飲むかい?」
待合室にはコーヒーメーカーが置いてあるようだ。
「いいえ。結構です。」
紅茶派な私はあまりコーヒーは口にしない。
「花音ちゃんは今日は一人?」
まずい。どうごまかそうと考えていると、直樹さんの携帯電話の着信音が鳴り響く。
「あ、ちょっとごめん。」
懐から携帯電話を取り出し通話を始める。
「…金ヶ崎です。あ、すまないね。移動中に女の子を怪我させてしまって介抱してたとこだよ。」
「…え?女の子を探してる?なぜ?」
またまたまずい。
「まさか。一般人がそんな事できるわけないだろう?」
「…了解。こっちはまだ介抱したいから、悪いけど頼むよ。」
通話は終わったみたいだ。ここでまた情報収集が必要だ。
「直樹さんは忙しいようですけど、大丈夫ですか?」
すると直樹さんは笑顔で答える。
「大丈夫大丈夫。何たって主任は部下に指示さえ出せればどこにいても平気さ。」
「女の子を探してるって聞こえましたが。」
「…ああ。何やら資料室に忍び込んだ女の子が居たらしくてね。」
「…直樹さん。私はこれから用事がありますので帰ります。」
逃げなきゃ。ここから。いや、ホームから。
「一人か?送ろうか?」
「…痛みも引いてきましたし、一人で平気です。それより後日改めてお礼に伺います。」
「一人なら送るよ。それと、礼なら今できる範囲でしてもらおうかな。」
「どういう意味ですか?」
すると直樹さんは真面目な表情で歩み寄ると、左手を差し出してきた。
「今君が持ってて困るものを貰おうか?」
「…えっ?」
ばれているのだろうか?
「出しなさい。」
言葉は厳しいけど、口調は優しい。
「………。」
「大丈夫。僕は女の子には優しくする主義なんだよ。」
軽くウィンクする直樹さん。
信じていいだろうか…。
私はポケットから電波除去装置を取り出し、差し出された左手に乗せた。
「…警察に送られるのですか?」
「何言ってるんだ?僕は花音ちゃんの家に送って行くって意味で言ったんだよ。水無月さんには以前かなりお世話になったからね。」
その借りを今返そうかと思ってと付け足すと、また笑顔を見せた。
「何も心配いらない。でも教えてくれないか?なぜ妨害したのかを。」
軽く頭を撫でられた。どうやら私を無罪釈放してくれそうだ。
だから私は直樹さんに事情を話さなければならない。
一部を伏せて。
「ツーイーでテロがあるかもしれないという噂を聞いていたので…。」
過去の話はきっと信じてもらえない。
だから、過去の出来事を大まかに伝えれば分かってくれると考えた。
「…テロ。そいつは初耳だ。どこの情報なんだ?」
「出所は信用に関わるので伏せさせてください。ごめんなさい。」
「…そうか。どうして黙ってひとりでこんな事を?」
「きっと誰も信じません。」
「…かもな。」
直樹さんはコーヒーを紙コップへ注ぎ、一口飲む。
「ありがとう花音ちゃん。苦労かけたね。」
「信じてくれるのですか?」
「ああ。信じる理由が二つある。」
「ひとつは君がまっすぐ僕の目を見て話したこと。」
「二つ目は僕は君を信用しているという事。」
「何だか二つ目の理由がとても曖昧に聞こえましたが?」
「こらこら。僕は見逃してあげようって言ってんだから、余計なとこで突っ込むなよ。」
また笑顔を見せてくれた。
「くすっ。」
「ようやく笑ってくれたようだね。花音ちゃんは笑うと可愛いんだから、無表情はよくないよ。」
「か、からかわないでください。」
恥ずかしい。
「おや?照れてるのか?可愛いね、ほんと。」
「照れていません。」
ぷいっと横を向く。とても恥ずかしい。何か秋伸先輩みたいな人だな。
「直樹さん。」
「ん?」
「ツーイーはプロジェクト中止になりますか?」
これだけは聞いておかなければいけない。
「…ああ。中止だ。プロジェクトは解散すると思う。」
「ごめんなさい、直樹さん。」
「…気にするな。このくらいでへこたれる金ヶ崎重工じゃないさ。」
「それに…。」
「僕にも君くらいの妹がいるからね。何か兄の性分というものなのかな。」
「困ってる顔は見たくないのさ。」
すると、車の鍵らしきものを取り出して人差し指で一回転回す。
「…さ、送ってくよ。」
とても優しい人だ。
「直樹さんの奥さんになる人は、きっと幸せになれるでしょうね。」
「嫌味かい?まだ独身さ。妹が僕にべったりだから彼女が出来なくてね。」
今は海外留学でいないけどねと独り言のようにつぶやく。
「花音ちゃんが花嫁になってくれてもいいよ。」
「幼女趣味ですか?」
「自分で言うなよ。僕はノーマルさ。」
「幼女でも気にしないけどね。」
「直樹さん、気持ち悪いです。」
「何だよそれ。酷いなぁ。」
こうして二人で笑いあった。
再び肩を借り、直樹さんの車まで移動する。
「なんでおんぶは嫌なんだ?歩くの大変だろう?」
移動中、直樹さんが不思議そうに聞いてきた。女心が分かってない人だ。
「今日、スカートですから。意味、分かりますか?」
少し百合ちゃんの真似をして表現してみる。
「僕としては嬉しいんだけどな~。」
「変態ですね。」
「相変わらず容赦ないな~。冗談だよ。」
「それに、素足を触られるという意味ではありません。おんぶすると下着が見えてしまいますから。」
「知ってるよ。」
「知っててやろうとするなんて、直樹さんはエッチですね。」
「ケガ人が、細かいことを気にしすぎなんだよ。」
「それは違うと思います。」
おかしな人だ。しばらく歩くと直樹さんの車の前に着いた。
「国内ではあまり見ない車ですね。」
「そうだろう?自慢の愛車でね。」
明らかな海外デザインの2ドアクーペ。しかも、とても車高が低い。さらに左ハンドル車。
当然私は右席に案内される。
「運転席視点を味わえる特等席へようこそお嬢様。」
右手を胸元へ構え、外国風の挨拶で車内へ案内する直樹さん。
「お邪魔します。」
車に乗る挨拶ではないような気がしたけど、そのままゆっくりと乗り込む。
車内はとてもいい香りがする。芳香剤だろうか?
「よいしょっと。」
直樹さんが運転席に乗り込む。
「何だか若者とは思えない乗り方でしたね。」
「うるさいな~、低くて乗りにくいんだよ。」
自慢の愛車なんでしょう?随分不満が残る愛車のようだ。
エンジンを始動し、ゆっくりと加速する。
「??ミッションはマニュアルなのですか?」
日本車のオートマチック車とは違う不思議なシフトだった。車には詳しくないけど、普段目に付くシフトじゃないので気になった。
「シーケンシャルって言うんだよ。」
そのあと詳しく説明してくれたが、さっぱり頭には入らなかった。ただ分かったのは、まだまだ私の知らない未知なるものが数多く溢れているという事だった。
―――――――――
しばらくして、家の前に到着する。
「到着~。」
「直樹さん、今日は本当に助かりました。それと、本当にごめんなさい。」
「気にするな。あとのフォローは任せろ。」
「はい。」
「何だか僕も共犯者になった気分だな。」
「…もし、不利な立場になったなら連絡してください。お父様に協力を求めてみますから。」
「こら、花音ちゃん。それはいけないよ。」
「え?」
直樹さんはまた真剣な表情になった。
「そういうのは大人の話だから君が心配する必要はない。それに、君のお父さんに話したら、今日の事がばれてしまうだろう?もう君はこの件に関与するのはやめなさい。いいね?」
どれほどやさしい人なんだろう。
「はい。ありがとうございます。」
直樹さんは運転席から降り、こちら側にまわりドアを開けてくれた。
「ほら、手を貸して。」
座席はとても低いので、言葉に甘えて手を差し出す。
ズキッ。
立ち上がるときに、再び痛みが走りよろめいて直樹さんに抱きつく形になってしまった。
「ご、ごめんなさい。まだ足が痛くて…。」
「大丈夫かい?お屋敷まで付き添うか?」
恥ずかしいのでさっと離れる。
「大丈夫です。誰か呼びますから。」
「そうか。それじゃ、お大事にね。」
そういうと直樹さんは車に乗り込み、来た道を引き返した。
ツーイーはプロジェクト中止になった。
目的は達成されたのに、この申し訳ないような気持ちは何なのだろう。
私はしばらくその場に立ち尽くしていた。
【視点変更:坂上秋伸】
日曜日。
結局昨日はダラダラと過ごし、気付いたら日曜の午後になっていた。
めずらしくちこからの電話もなく、メールの着信を知らせるランプが点灯していた。
内容は、今日はクラスの友達の買い物に付き合うから出掛けますという内容だった。
「お前は俺の嫁かよ。」
とどうでもいいツッコミを入れてみる。
とはいえ今日は家でダラダラするのはちょっともったいない気がして、先日花音と行ったカフェにでも行こうと軽く身支度をし、家を出た。
―――――――――
カランカラン。
店に入ると相変わらず紅茶の良い香りが漂う。
「いらっしゃいませ~。」
「桜子さん、ちっす~。」
「あ、彼氏君じゃないの~。今日はひとり?」
「ひとりっす。」
「花音ちゃんと待ち合わせなんでしょ?」
「違いますよ。」
「そんな事言って、ほんとは待ち合わせなんでしょ?」
「違いますよ。」
「そんな事言って、ほんとは待ち合わせなんでしょ~?」
RPGの村人かっての。
よく同じセリフしかしゃべらない村人キャラみたいじゃないか?って誰に言ってんだよ俺。
「ま、仮に来れば来たで楽しいかもしれないっすけどね。」
「本当は、もしかしたらの可能性を求めてここにきたんでしょ~?」
「鋭いっすね。桜子さん。」
「もちろんよ。私は何事にも鋭いのよ。」
えっへんと胸を張る。
「花音ちゃんに恋してるの?」
「急に何言ってんですか~。」
「あら?違うの?」
というか話がまた最初に戻ってないか?
カランカラン。
新たな来客者はその可能性の人物だった。
「いらっしゃ~い、花音ちゃん。」
「どうもです。」
「よ、花音。」
「どうして秋伸先輩がここに?」
「花音ちゃんに会いに来たんですって。」
桜子さんがうふふと笑いながら答えた。
「秋伸先輩はストーカーも始めたんですか?」
「ストーカー『も』ってなんだよ!『も』って!」
花音もカウンターに向かって歩いてくるのだが、片足をかばいながら歩いていることに気付いた。
「花音?足どうした?」
俺は気になって聞いてみた。
「昨日駅で足を捻挫しました。」
「駅?ツーイーに乗りに行ったのか?」
「いいえ。違います。」
今日の花音はまだ無表情で無感情だ。
「そういえば、ツーイーはプロジェクト中止って言ってたわね。」
桜子さんが残念そうに呟いた。
「中止?」
「そうよ。彼氏君知らなかったの?」
「知らなかった…。花音は知ってたか?」
「はい。テレビで知りました。」
「でもお前昨日駅に行ったんだろう?」
「……。」
花音は答えない。
「花音?」
「…何ですか?」
「どうした?昨日駅で何かあったのか?」
「…捻挫したと言ったはずですが?」
「桜子さん、アップルティをお願いします。」
「あ、俺もアップルティで。」
「秋伸先輩も今来たばかりなのですか?」
「つい今しがた来たばかりだ。だから、一緒にお茶会でもしようか?」
「はい。」
花音は軽く笑顔を見せた。昨日はきっと何かあったような反応だったけど、花音から話してくれるまではそっとしておこう。
「秋伸先輩、慰めてください。」
「急にどうしたんだよ。」
また唐突な花音の一言。
「どうすればいいんだ?」
「向かい合ってください。」
すると花音は椅子をくるっと回し、俺のほうを向いた。相変わらず上品に座っている。俺も回転椅子をくるっと回し花音のほうを向く。
無言で見つめ合う。
「花音…。」
「なんですか?」
「俺はいつでもお前の味方だ。いつでもいいから話があれば話してくれ。」
「ありがとうございます。」
「お待ちどうさま。」
桜子さんがアップルティを準備できたようで、テーブルの前に並べられた。
「どうしたの?向かい合っちゃって?」
「秋伸先輩が目で私を犯していたんです。」
「ば、お前!何言ってんだよ!」
「冗談です。」
「ほんとあなたたちは仲がいいわね~。」
桜子さんが微笑む。
「…はい。仲良しです。」
花音はそういうとまた軽く微笑むのだった。
「だって手を繋ぎながらラブラブしてたものね。」
「ブフッ!」
思いもよらない一言に思わず俺は噴いてしまった。
「ちょっと~。せっかく淹れたのに吹かないでよ。」
誰のせいですか…。
「あれは秋伸先輩にひっぱられたんです。」
「こらこら、事実をねつ造するんじゃない。」
「冗談です。」
そう言うと、花音は少し顔を赤らめた。
「一体二人はどういう関係なの?」
「先輩と後輩っす。」
ガシャン。
控えめにグラスを打ち付けた花音は両手を顔に当てると、
「私とは遊びだったんですね。」
と棒読みに答えた。
「まぁ、ひどい。」
桜子さんも棒読みですから…。
カランカラン。
突っ込む前に新たな来客が現れた。
「アンジェ!髪どうしたの!?」
真っ先に花音が反応した。この子が留学生のアンジェリカらしい。
「郷に入れば郷に従えというわけで髪を黒くしてみました。」
どうですかとクルリと回る。
結構可愛い。
「秋伸先輩、今可愛いと思いましたよね?」
「ば、何言ってんだよ!」
エスパーかお前…。
アンジェリカはカウンターまで華麗に歩くと、花音の隣に腰掛けた。
「チョコレートパフェください。」
アンジェリカは可愛い注文をした。
「こちらの彼氏はお名前は?」
俺のほうを覗きこんできた。
「坂上だ。よろしく。」
花音が一つ先輩ですと捕捉した。
「アンジェリカ・レーニエです。よろしくお願いします。」
握手を求められたので手を差し出すと意外にも花音がそれをさえぎる。
まさか嫉妬して「私以外の女の子に触らないでください。」とか言うのだろうか?
「アンジェ、気を付けないと先輩の毒牙にかかるよ!」
そっちですか…。何か俺、結構花音にいじめられてると思わないか?
そんな中、アンジェリカは少し可哀想な目で俺を見ていた。
最悪な第一印象のようだ…。
「カノンは素直ではありませんね。」
アンジェリカは俺を見ると意味あり気に微笑んだ。
「坂上さんが可哀想です。」
いきなり初対面の人間に可哀想扱いされる俺。
「二人して素直じゃないわね。」
桜子さんもやれやれとわざとらしくため息をついた。
「アンジェは私と秋伸先輩が好き合っているって思ってるの?」
花音が少し焦り気味にアンジェリカに質問する。
焦る花音は初めて見たので何だか新鮮だ。
「秋伸先輩は私の学園での友達第1号だから、大切なだけだもん。」
そう力説した花音は俺を見て「しまった」という顔をして、恥ずかしそうに視線を外した。
「お前、結構可愛いな。」
「すみません。聞こえなかったのでもう一度お願いします。」
いつものようにうまくスルーされてしまった。
「ま、仲良き事は素晴らしい事よ。はい、お待たせ。」
桜子さんがアンジェリカにチョコレートパフェを差し出す。何か美味しそう。
「花音もパフェ食べないか?」
「自分が食べたいからといって私を言い訳にするなんて、根性なしですね。」
ち、ばれたか。そうだよ、うまそうだから食べたいんだよ。悪いか!
「…いいですよ。私も食べてみたいですから。」
「だったら素直にさっきうんって言っとけよ。」
「それでは面白くありませんから。」
左様でございますか、お嬢様。
「カノンは愉快なお友達がいて楽しそうですね。」
「アンジェは友達はあれからできた?」
「なかなか文化に馴染めなくて、友達はあまりできません。」
果たしてそうだろうか?見た目は誰にでも仲良く接しているように見えるんだけど。
「私も親友と呼べるような人に出会いたいものです。」
アンジェリカが親友という言葉を使った時、花音の表情が曇ったのを俺は見逃さなかった。
やっぱりまだ気にしてるのだろう。
夏目先輩の事を。
「…花音。」
すると花音は少し寂しそうな笑みを浮かべ、平気ですと返した。
俺はその時、花音に気をとられていて気付かなかった。
アンジェリカがなぜ『親友』という言葉を使ったのかという事に。
「アンジェリカは祖国に親友はいないのか?」
「私は祖国では特殊な存在なので親友と呼べる人はいません。」
「特殊?」
「はい。特殊なのです。」
それ以上は話そうとしなかった。
「彼氏君、人には話せない秘密は誰にでもあるものよ。」
桜子さんが割ってはいる。
「すみません。ただ、私は生まれつき瞳が赤いので…。それに関係しているとまでしかお話できません。」
「アンジェって兄弟っている?」
花音はなぜか真剣な表情だ。
「…はい。妹がいました。」
「妹さんも瞳が赤いの?」
「……。」
アンジェリカは花音の質問に答えない。
でも、それはきっと肯定していると直感した。
きっと過去に赤い瞳のせいで辛い思いでもしたかのような反応だからだ。
「アンジェ、答えて。」
それでも花音は質問をやめない。
どうしてそんなにこだわるのか、俺には分からなかった。
でも、これだけは言える。
「花音、アンジェリカが困ってるだろ?もうよせ。」
「……ごめん、アンジェ。」
素直に謝る花音。でも、アンジェリカはどこか遠い場所をみなから、「こちらこそ、ごめんなさい。」と謝った。
俺はふと思う。今アンジェリカは過去形で答えなかったか?
『妹がいました』
過去形という事は、アンジェリカは妹を亡くしたのだろうか。
気になるが、これは気軽に聞ける内容ではない。
「花音ちゃん、お待たせ。」
桜子さんがチョコレートパフェを完成させ、花音の前に差し出した。
「ありがとうございます。」
さっそく花音がパクりとチョコレートのアイス部分をほおばった。
「…おいしい。」
というより、俺が先にパフェを頼んだような気がするんだけど。
レディファーストだからいいか…。
「それでは、私はこれから用事があるので失礼します。」
パフェを食べ終えたアンジェリカがお代をテーブルにおくと席を立った。
「また明日、カノン。」
「うん。明日ね。ばいばい。」
花音はいつも通り振る舞っているが納得していないような表情だった。
カランカラン。
心地よいベルを鳴り響かせ、アンジェリカは店を出ていった。
「花音、さっきはどうしたんだよ?」
「深い意味はありません。気になっただけですから。」
花音はそれ以上答えてくれなかった。
静かな空間でしはらく無言でチョコレートパフェを食べ続けた。
【視点変更:傍観者】
アンジェリカはこの街で一番の高台にある公園に来ていた。
時刻は夕方。この時間に人はほとんど来ないのを知っているからだ。
高台から街を見下ろすアンジェリカの背後には、一人の青年が迫っていた。
「何か御用ですか?」
アンジェリカは振り向かない。もう相手を分かっているからだ。
「おや、相変わらずアンジェリカは鋭いね。」
青年はアンジェリカと同じように隣に付き、街を見下ろす。
「妹を取り戻したいかい?」
「……。」
アンジェリカは答えない。
「僕達は三人でひとつのバランスを取っている。言わば手を繋いで三角形を作っている関係だ。一人でも欠けたら、力は発揮できない。」
「妹は愚かでした。」
「でも、君の妹は心やさしい存在だった。そうだろ?」
「自分を犠牲にして人間を助ける…、それは私たちはしてはならないとあなたがおっしゃったのではないですか?」
「それは僕達の存在の違いを分からせる為の建前さ。僕は君たちの心までは支配するつもりはないよ。」
アンジェリカはようやく青年の顔を見た。
「天地様、何を考えているのですか?」
「アンジェリカ、妹を…フランチェスカを取り戻したくはないか?」
天地と呼ばれた青年はアンジェリカではなく街を見下ろしながら続ける。
「フランチェスカは魂は存在しているよ。ただ、器を失っただけ。」
「!!」
アンジェリカは初めて動揺した。
「妹はまだ存在しているというのですか?」
「ああ。僕が魂を保存している。ただ彼女は過去に自分の存在をこの世界の人間に話した他に未来まで勝手に変えてしまった罪がある。その罰こそが器の喪失…つまり、体を失ったという事だよ。」
天地はようやくアンジェリカのほうを振り向く。
「アンジェリカ。選択は君の自由だ。」
「私に、何をさせようというのですか。」
「君は妹の次なる器を探せばいいんだよ。」
「器…とは?」
「この世界の人間で、フランチェスカの魂を受け入れられる存在を探す。これで分かるかい?」
そして天地は残酷な事実を口にする。
「君は創造主としての力は微弱だ。だから、妹であるフランチェスカの力が無いとバランスが保てない。僕も本来の天地創造としての力が戻らない。」
「つまり、僕と君には互いにメリットが存在する。」
アンジェリカは妹に再会することができる。
天地はフランチェスカを失ったことによる力を取り戻すことができる。
「僕達は三人でひとつの存在なんだよ。それに、フランチェスカは創造主としての力は膨大だ。その影響は大きい。」
「天地創造主となるお方が取引をもちかけるとは、驚きました。」
「取引じゃないよ。そう聞こえたなら謝るよ。器を探すか探さないかは自由だよ。」
「……。」
天地はアンジェリカをやさしく抱きしめる。
アンジェリカは抵抗しない。抱き返したりもしない。第三者がこれを見れば男が一方的に女を抱きしめているように見えるだろう。
だが、嫌らしさは一切ない。
「天地様はやさしいのですね。」
「君は我慢しすぎる。妹を失って、本当は毎日でも泣き続けたいほど深く傷ついているんだろ?」
「…はい。」
二人の間にひとつ大きな風が吹き抜けた。
「ところで、どうしてフランチェスカはこの世界では雪月聖那と名乗ったんだろうね?」
「分かりません。妹は適応性を重んじる性格だからかもしれません。」
天地はアンジェリカから離れる。
「それじゃ、僕はもう行くよ。」
「…はい。」
「アンジェリカ。」
天地は穏やかな口調を一変させ、少し厳しい口調でこう続けた。
「心は自由だけど、君も妹と同じような事をするのだけは許さないからね。」
「…私はそこまで愚かではありません。」
「それはどうだろう?傷付いた女の子は心に大きな穴を開ける。」
「女の子すべてがそうというわけではありませんよ。」
「ははは。そうだね。」
天地は穏やかな口調に戻る。
「僕は君を失うと、自然的に僕も消えてしまう。創造主あっての僕だし、僕あっての君たちだ。」
「分かっています。この世界の人間に、恋をするなど有り得ませんから。」
「信じてるよ。それと、この世界に恋をするのもいけないよ。いいね。」
「はい。」
「最後に質問があります。」
「何だい?」
「妹はどのような姿で蘇るのですか?」
「もちろん、器がフランチェスカに転生するから昔のままのフランチェスカだよ。安心して。」
「はい。」
天地は軽く微笑むと姿を消した。
「…フランチェスカ。」
誰にともなく妹の名前を呼ぶ。
「今度は私が百合になった気分です。百合は花音をこういう気持ちで救ったのですか?」
当然その質問に答える者はいない。
日没を迎えた公園で、アンジェリカは再び街を見下ろしていた。
ずっと。
街が明るい灯を放ち始めるまで。
【視点変更:坂上秋伸】
花音としばらく無言でチョコレートパフェを食べ終えた頃。
カランカラン。
「いらっしゃいませ~。」
桜子さんが元気に答える。
小柄な女の子。最近俺、女の子と遭遇する確立高いなあ。
「隣いいかしら?」
「は?」
店内は俺たち以外に客は居ないにも関わらず隣を目指してくる女の子。
「は?じゃないわよ。いいのかって聞いてんよ。」
「何だよ、他空いてるんだからそっち行けよ。」
「あんた生意気ね。ちょっと表出なさいよ!」
「は?」
この女。意味分からないいちゃもんつけやがって。今シリアスで気まずいんだから空気読めよな。
「さっきから「は?」ばっかり言って!あんた言葉知らないの?」
「意味わかんねーよ!」
「秋伸先輩、穏やかにお願いできませんか?」
花音が袖を軽く握って心配そうに声を掛けてきた。
「早く表出ろって言ってんでしょ?」
「分かった分かった。」
謎のクレーム女と一緒に店外に出る。花音も一緒に付いて来た。
「花音はいていいぞ。別に喧嘩するつもりはないからさ。」
「でしたら私もお供します。何だか私も不愉快になってきました。」
お嬢様もこの理不尽なクレーマーにお怒りのようだ。
表に出る。
店先に超ど派手なミニバンが駐車している。
「これ、AブランドのRR3(アールアール3)じゃないか?」
しかも、9cmくらいの低車高で俗に言うフルエアロ車だ。Aブランドは海外メーカーなので左ハンドル。ホイールは推定20インチくらいはあると思われる。
日本車で分かりやすく伝えるのであれば、エリシオンだろうか。
あ、俺結構車好きなんだよね。
「そうよ!私の車よ!」
えっへんと胸を張るクレーマー女。ま、張るくらいの胸はなさそうだけどな。
「というかお前成人なの?」
同い年かと下かと思った。
「あんた失礼ね!これでも21歳よ!」
「で?何したいんだ、お前。」
「え?な、何って何なのよ!」
「もしかして、お車を自慢したいだけなのですか?」
花音が無表情で車を見つめながらつぶやいた。
「う、ち、違うわよ。」
思い切り動揺してるじゃないか。
「ふう。大したことありませんね。」
「な、何よこの小娘!RR3をバカにする気!」
花音は無言で車の運転席のドアを開け乗り込む。
「おい、花音!?」
まさか運転するつもりじゃないよな。
「ちょっと、あんた勝手に乗らないでよ!」
「Aブランド、RR3、エンジンの型式はAR35A、総排気量3499cc。」
「…か、花音…さん?」
まるでカタログを朗読しているかのように黙々と車のスペックを語りだす花音。俺はあっけにとられそのまま立ち尽くす。クレーマー女も同じようだ。
「このグレードはボイススタートシステム。HID。」
そして花音は驚くべき能力を発揮する。
「モッティア、オン、デザ。」
花音がどこかの国の言葉らしきものを発するとエンジンが始動する。
「え?なにそれ!すごい!」
おい、お前の車なんだろうが…。
花音はそのまま車を降り、俺の手を引いた。
「秋伸先輩、あと一杯紅茶を飲みませんか?」
「あ、ああ。」
そして花音はクレーマー女の横を通る瞬間に「フッ。」と鼻で静かに笑う。
なんかすっきりした。
「…。」
クレーマー女は放心状態。無反応だった。
カランカラン。
店に戻る。
なんだったんだ?一体。
「あら?大丈夫だった?」
心配そうに桜子さんが駆け寄る。
「大丈夫です。」
「大丈夫っす。」
「店先であんまり問題起こさないでよ。警察に電話しようかと思ったわよ。」
「すみません。」
「アップルティをください。」
再びカウンターに座った花音はまたアップルティを注文した。
花音は俺のほうをみて、クスっと微笑んだ。
「??」
すると花音は携帯電話のウェブサイトページのRR3のデジタルカタログページを見せてくれた。
これをそのままひっそり読んだだけらしい。いつの間にウェブページを開いたんだろう。
さっきのクレーマー女は店内に戻って来なかった。
翌日。
朝、いつものようにちこと一緒に教室に入る。
黒板に「臨時学園集会があるので体育館へ集合すること」と書いてある。
「ちこ、今日何かあったっけ?」
「う~ん、特に何も聞いてないけどな~。」
ちこも知らないらしい。とりあえずちこと体育館へ向かう。
「おはようございます。」
途中で花音に会う。
「おはよう水無月ちゃん。」
「おはよう。」
挨拶を交わすと、背後からバンっと背中を叩く人物が現れた。
「橘先輩、おはようございます。」
「おっぱよ~諸君!」
噛んでるし。
「噛みましたね。」
「噛んだよね。」
花音とちこもそこに突っ込みを入れる。
「うんが~、うるさいわね!それよりさ!」
橘先輩は今日の臨時学園集会の内容を知っているようだ。
「図書室に専属司書さんが配属されたらしいわよ。しかも21歳の女性だって!」
「司書?何で今更?」
「図書室の書籍をすべてデータベース化して手書きの貸し出しカードから書籍に付けたバーコードで貸し・返しの管理をするように変更するらしいの。そのシステム化を管理する人ってわけ。」
貸し出しカードを印刷しなくて済むからエコなのよと付け加える。
「へ~。楽になりますね。」
「そうなの~!またお茶会するときの邪魔者がいなくなるってわけ☆」
そこは何か違うだろ。
「おい、お前ら、早く整列せんか!」
生活指導の教師に怒られ、俺達は解散する。
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