第1章
ピピピッ。
目覚ましの電子音が鳴り響く。
「ふわぁ。」
目覚めは実は結構いいほうで、二度寝なく起きることができる。
俺ってすごいだろ?そんなすごい俺の名前は坂上秋伸。私立沼之杜学園の2年だ。
実家は県外の地方にあるから、今はマンションで一人暮らしをしている。
ピンポーン。
毎朝決まった時間に呼び鈴が鳴る。
「おはよう。あっちゃん。」
肩までの長髪と、ぱっと見が清楚な女の子。こいつは神杜ちこ。
幼なじみで、小学校からずっと学校が同じだ。ちこも実はひとつ下の階の部屋に住んでいる。俺の事は昔から"あっちゃん"って呼ぶんだよ。
恥ずかしいだろ?
「…どうしたの?あっちゃん?」
ちこが不思議そうに覗きこんでくる。
「何でもない。行くか。」
「うん。」
一緒にエレベーターでエントランスへ向かう。
「そういえば、今日は委員会員を決める日だよ。」
そうだった。今日は4月21日。新学期であり、クラス内で各委員会のメンバーを決める日だ。
「私と一緒に図書委員やらない?」
「…俺は帰宅委員会がいいんだけどなぁ。」
面倒だし。
「やろうよー。委員が決まらない委員会はくじ引きだし、知らない人ばかりの委員会になったら嫌でしょ?」
確かに。こいつの話も一律あるな。
「…わかったよ。気が向いたらな。」
「気が向いたらじゃなくて、ちゃんと図書委員に立候補してよね。」
溜息をつきながら念を押されてしまった。
でも、この約束が後に俺やちこの学園生活を大きく変える事になるなんて、俺たちはまだ知らなかったんだ。
その日のホームルーム。予定通り委員会員の選出が行われた。
ちらっ…。
ちこのやつ、さっきからこっちをちらちら見やがって。
俺はアイドルのようにウィンクして微笑する。
歯は光らないけどな。
…。気持ち悪いものを見るような目で見るんじゃねーよ。
どうやらウィンクは失敗だったようだ。
「え~、次は図書委員に立候補する人いますか~?」
クラス委員長が発したと同時に、ちこが挙手した。
ちらっ…。
むむぅ…。
ちらっ…。
ちこの無言の視線攻撃を受ける。
はぁ。
溜息をつきながら俺も挙手する。
「では、その二人で決定しま~す。」
しばらくして、委員会員選出のホームルームは何事もなく終わる。
放課後。
「あっちゃん!よかったね!一緒だね!」
しくまれた一緒だけどな。
「早速今日からだから、あっちゃん、委員会行こっ!」
……え?
「ちこ、今日から委員会なのか?今日は土曜の午前授業なのに…。」
「どうせ帰ってもゲームしかしないんでしょ?」
…ほっとけ。
こうして、ちこと一緒に図書室に向かう。
「ちこ、ひとつ聞いていいか?」
「ん?何?」
「なんで図書委員なんだ?」
…。
ん?返事がない。ただの屍…なわけがない。
ちこは階段を少し足速やに駆け上がり、振り返りながら、
「内緒☆」
と人差し指を唇にあて、内緒のポーズをとる。
ちょっとドキッとした。
…言っとくけど、好きという意味の「ドキッ」じゃないからな。
白いアレが一瞬見えたんだよ。
「内緒の意味が分からん。」
「いいんだよ。分からなくても。えへへ。」
なぜか嬉しそうに微笑むのだった。
「失礼しまーす。」
ちこが先陣をきり、図書室に入る。それに続く俺。
「…誰もいないね。」
確かに誰もいない。
「なぁ、委員会は何時からだ?」
「あと10分くらいすれば時間のはずだよ。」
随分ルーズな図書委員らしい。
「あっちゃん、座って待ってようよ。」
「ああ。」
ちこと隣同士に座る。これも俺達の間では当たり前になっていた。
「いつも何かあるとあっちゃんが隣にいるよね。」
上目遣いで嬉しそうなちこ。
こいつは多分、俺に幼なじみ以上の思いを持っている。
でも、俺はこの隣が当たり前じゃなくなってしまう事を恐れ、気づいていないふりをしている。
自意識過剰かもしれないけど。
「あっちゃん?どうしたの?」
「何でもねぇよ。」
ちこの髪をくしゃくしゃしながら返す。
「あ~、もう!やめてよあっちゃん~。」
まんざらでもなさそうだ。
「図書室での過度な異性交遊は控えて欲しいわね。」
びくっ!
突如、真後ろから女生徒の声が。
腕には「図書委員長」の腕章がつけられている。
…団長じゃないからな。って何の話だよ。
「ちょっと、あっちゃんもぼぅっとしてないで弁解してよ~。」
考え事をしている合間に多少話が進んでいたようだ。
「ただじゃれてただけです。」
「…んで、どこまで行く予定だったの?」
女生徒は呆れ気味に問う。
「どこまでと言いますと?」
多少は予想がつくがとぼける俺。
「えっABCに、きっ決まってるでしょ!」
…あんたいつの時代の生徒だよ。
ちこはそれを聞いて赤面して俺を見る。
ゲームみたいに選択肢がここで現れるとすれば、俺はそんなちこに…
【目をそらす】
【変な顔をして返す】
【いきなり抱きつく】
とかかな。ろくな選択肢がないような気がするけど。
俺が選んだ選択肢はもちろん【変な顔をして返す】だ。
「………。」
しらけるなよ。気まずいだろ、俺が。
「…あんた達って面白いわね。」
棒読みで返す女生徒。
結局変な顔は失敗したらしい。
…当たり前だけどな。
「自己紹介が遅れたわね。私は図書委員長の橘みつみ。よろしくね。」
「神杜ちこです。」
「坂上です。」
「ちょっと!女の子からフルネーム聞いておきながら、何であなたは苗字だけなのよ!」
…俺は別に聞いてないんだけど。
波乱な委員会のようだ。
「ほら、委員会は司書室でやるから、早くきなさい。」
橘みつみと名乗った委員長に続き、一角の司書室へ向かった。
司書室は意外にも西洋風の室内で歴史を感じる作りになっていた。
なぜかアップルティらしき香りがする。
「橘先輩、図書室で飲食はタブーじゃないですか?」
軽く突っ込む。
「男のくせに細かい事は気にしないの!あんた先生かっての!」
笑っておどける。
あんたも図書委員長かってのと心の中で突っ込む。
「あれ?一年生?」
ちこが、テーブルで静かにアップルティを飲む女生徒を見つけ声をかけた。
「…はい。一年の水無月です。」
「えっ…。もしかして水無月財閥の?」
ちこが驚いている。
この街に水無月という苗字は昔から地主である一家しか存在しない。こんな大きな街のいわば王様のような存在である。
今でも政治の世界にも多少なり関与できる存在とも言われているほどだ。
「…その通りです。でも、あくまで私は一生徒でしかありませんので、お気遣いなく。」
無表情。無感情。
「こほん、さあ始めるわよ。」
橘先輩がフォローするかのように話題を変えた。
水無月は特別扱いは嫌いらしい。
―――――
委員会も無事終わった。
「坂上君、えい!」
橘先輩が脇腹より少し上を突っつく。
「何するんですか!」
「隣に回しなさい。伝達ゲーム。」
ため息をつきながら、隣に座るちこに先輩と同じ位置を突っつく。
むにっ…。
「きゃっ!」
突っついてから気付く。そこは横とはいえ、胸だった。
「橘先輩!はめましたね!?」
「何のことやら~。」
とぼけながら口笛を吹く先輩。
口笛下手だ…。
じゃなくて、
「ちこ、ごめん。」
むむぅとうらめしそうに睨む、ちこ。
むむぅ。
むむぅ。
むむむぅ。
フォローしなきゃないのか…俺。
「ちこ!」
勢いよく呼ぶ。そして…、
「成長したな。」
と同時に、
パチン!
左頬に平手打ちをくらう俺。
結局フォローしてないしな。
「…モックフーズのいちごサンドイッチ…。」
ちこの要求は、モックフーズというファーストフード店でいちごサンドイッチをおごれ!らしい。
…今日の俺、散々だと思わないか?
「分かったよ。行くぞ、ちこ。」
こうして、モックフーズへ連行させられる俺。
どうなることやら…。
「…あの、他には聞かないのですか?」
水無月はいつもと違うかのように問い詰める。
「お前はお前だろ?家が大きいだけでさ。」
「…器が小さい人間かと思っていたのですが、意外です。」
うるせーよ。ほっとけ。
「…でも、ありがとうございます。坂上先輩のような人に会ったのははじめてです。」
「惚れんなよ。」
「…すみません、聞き取れませんでした。もう一度お願いします。」
くっ…。スルーの仕方がうまいな。
と感心したのもつかの間、右足に激痛が走る。
むむむぅ。
ちこの蹴りだったようだ。
「お前、何すんだよ!」
「無垢な後輩をナンパするなんて最低だよあっちゃん!」
「この展開で、どこがナンパなんだよ!」
…はぁ。
「……いちごサンドイッチ。」
お前、今食ってんだろうが…。
すると今度は左足に激痛が走る。
「ちこ、お前また!」
「…えっ?私じゃないよ!」
両手をぶんぶん振り回して弁解している。
「…まさか水無月?」
「…話の途中に私を置いていかないでください。」
それでも無感情で無表情な水無月。
「水無月ちゃんって、お嬢様なのにどうしてこの学園に?」
ちこがいちごサンドイッチを食べながら話に割り込む。
「…私、実はこの学園に来るまではずっと屋敷で生活していたので、世間を知らないんです。」
「…ずっとひとりぼっちで勉強して友達さえもいなくて。」
水無月はオレンジティをまた口にして、スプーンで掻き混ぜながら話を再開した。
「お母様から、この学園を奨められました。世間を知り、友達を作りなさいと…。」
…だからこいつは無感情で無表情なんだ。
今までずっとひとりぼっちで…。
「もう私たちは友達だよ。」
ちこがやさしく微笑む。
「…そうだ、これからは図書室でお茶しない?それなら水無月ちゃんも気がねなくお茶できるでしょ?」
「…いいですね。図書室のお茶会ですか…。」
「こういう時は、笑えよ水無月。」
水無月は俺の顔を見ると、一瞬ためらいながらも軽く微笑んだ。
「…ありがとうございます。坂上先輩、神杜先輩。」
俺は妙に照れ臭くて残りのコーヒーに口をつけた。
「…惚れないでくださいね。」
ぶほっ!
「ごほっごほっ!」
「あっちゃん汚いよ!何やってんの~。」
そして水無月は、
「…お返しです。」
とまた軽く微笑むのだった。
日曜日。
「…んんっ。」
カーテンの隙間から覗く日の光りで目を覚ます。
時計を見る。
9時ちょうど。
いつもは日曜日だと、8時半くらいにはちこが起こしに来て一緒に朝食を食べるのが習慣になっていた。
気になってちこに電話をかける。
「…あっちゃん、おはよう。」
いつもより元気がない。
「どうした?」
「何か熱っぽくて。風邪ひいたかなぁ。」
「今行くから待ってろ。」
返事を待たず携帯を切ると、軽く身仕度を整えてひとつ下の階のちこの部屋へ向かう。
呼び鈴を押す。
するとすぐにドアが開かれた。
「…ごめんね。」
「気にするな。具合はどうだ?」
「熱のせいか、少し体がだるいかも。」
立っているのも辛そうなので中へ通してもらい、ちこをベットで休ませた。
38度。
とりあえず洗面器に水を入れ、タオルで濡らしちこのおでこにかける。
「…ありがとう。せっかくの休みだし、私は平気だから戻ってゆっくりして。」
こいつ、こんな時にまで気を使うなよ。
「…どうせ暇だから、看病してやるよ。気にするな。」
「うん。ありがとう。」
いつもの明るさは全くなく、珍しく笑顔を見せない。
「しばらく寝ろよ。」
「うん。あっちゃん、エッチないたずらとかしないでよ。」
辛いはずなのに無理におどけるちこ。
こいつはいつも気を使いすぎなんだよ。
―――――
ちこの額を冷やしながら時計を見ると、12時になろうとしていた。
あれから3時間。ちこは目を覚まさない。うっすらと汗もかいているようだ。
ちこは昔から健康で、こんな事は一度もなかった。だから今回俺はこの熱が妙に気になった。
風邪をひいても、俺が知る限りでは熱だけは出なかった。
変な胸騒ぎがする。
何とも言えないこの不安な気持ちは何なのだろうか。
―――――
15時半。ようやくちこが目を覚ました。
「…あっちゃん、おはよう。」
「おう。大丈夫か?」
体温計で再び体温を計る。
36度5分。
「よかった。下がったな。」
「うん。ありがとう。」
「…あの、あっちゃん。汗かいたからお風呂行きたいんだけど。」
恥ずかしそうに視線を俺から外して呟く。
「ああ。じゃあ俺は帰るよ。」
何度かちこに引き止められたが、ゆっくり休んでほしかったので自分の家へと戻る。
朝から何も食べていない俺は、財布を手にコンビニへ向かった。
コンビニは歩いて10分くらいのところにある。
コンビニの店先に着いた俺は見覚えのある後ろ姿を発見する。
「よう水無月。」
「…あ、坂上先輩こんにちは。」
軽く会釈。
「お嬢様がコンビニか?」
「…はい。お嬢様もコンビニは利用します。」
左様でございますか、お嬢様。
「今日は神杜先輩は一緒ではないのですか?」
「あいつは熱出してさ、さっきまで看病してたってわけ。」
今日の看病の話と昔の話、少し気掛かりな事を水無月に話した。
「…坂上先輩はお医者さん役ですか?」
何だよそれ。
「…嫌がる神杜先輩に聴診器を……。」
「ちょっと待て!お前の中の俺ってそんなにひどい男なのか!?」
しかも何だよ聴診器って。お医者さんごっこの事か?
「…男の人が細かい事を気にするのはどうかと思います。」
全然細かくないし…。
「…でも神杜先輩がいないと、坂上先輩は寂しそうに見えます。覇気がないというか。」
相変わらず無感情に話す水無月。
確かに、ちことは大体は一緒にいるから、日曜に一人でいるのは珍しいかもしれない。
「…一心同体、ですか?」
というか俺、まだ質問に答えてないんだが…。
水無月も微妙に扱いずらいキャラしてるよな。
「…それでは、坂上先輩。私はまだ用事がありますので失礼します。神杜先輩にもお大事にとお伝えください。」
会釈し、言いたい事だけ言って水無月は駐車場に停められた黒塗りの高級車に乗り込んだ。
「高級車でコンビニに買い物にくる高校生…か。」
独り言をつぶやくと、不意に高級車の後部席のウィンドウが開かれた。
「…坂上先輩、後悔だけはしないでください。」
水無月が寂しそうに謎のアドバイスをしてきた。
「何の話だ?」
「…さあ。何か不思議な予感がしたので。あまり気にしないでください。」
ウィンドウが閉じられ、高級車はコンビニを後にした。
「…何なんだ?変なやつ。」
俺もコンビニを後にしようとして気付く。
俺、まだコンビニで買い物してないし。
バカか俺。
でも、お代だけ払って品を受け取り忘れて帰ってしまうアレのようなもんだよ。
って、誰に弁解してんだよ俺。
とりあえず、幕ノ内弁当とコーヒーを買い、帰路につく。
時刻はすでに16時になろうとしていた。
看病で一日潰れたが、後悔はなかった。
月曜日の放課後。
なぜか俺達は再び図書委員会に召集されていた。
「橘先輩。どういう事ですか?」
「…いやぁ、この前さ、図書当番を決めるの忘れててさ~。てへ☆」
失敗失敗みたいな感じで舌を軽く出しておどける委員長。
「てなわけで、一人二日のくじ引きね!はいっ!」
俺の前に、割り箸棒が差し出された。どうやら二本抜くらしい。
適当に二本抜く。
月曜日。
火曜日。
二日連続じゃねーか。最悪だ。
次に水無月が棒を抜く。
月曜日。
水曜日。
続いて、ちこ。
水曜日。
木曜日。
最後に橘先輩。
日曜日。
日曜日。
…ん?日曜日?
「あんたアホだろ!」
つい我慢できず叫ぶ俺。
「先輩に向かってアホとは何よ!」
「日曜は学園休みですよ!しかも日曜日を二本的中させるには、必ず不正がともないます!」
力説する俺。
「ばれたか☆」
ばれたか☆じゃねーよ、お子様委員長が!
「なら私は木曜日と金曜日ね。金曜日は一人でやるわ。」
ちなみに土曜日は図書室は利用できないので、当番は必要ない。
―――――
解散して、俺と水無月が図書室に残る。二人でカウンター席に隣同士に座り利用者を待つ。
「……。」
お互い無言。水無月を見ると、一冊の小説を読んでいた。
「何読んでるんだ?」
水無月はこちらを振り向かずに、
「ミステリー小説です。主人公とその恋人が閉じ込められた洋館から脱出する物語です。」
「それ、ミステリーなのか?」
「…はい。主人公は高校生探偵です。」
とくると、恋人って同級生か幼なじみっぽいな。
「…面白いか?」
「はい。本はその世界に連れて行ってくれる、不思議なパスポートです。」
「へぇ。パスポートね~。」
「…坂上先輩。今私はとてもロマンチックなお話をしたのですが…。」
上目遣いにようやくこちらをみつめる水無月。
こいつ顔立ちは美人系だ。
「…水無月はロマンチストだな。」
そのまま瞳を閉じる水無月。
……えっ?
何なんだ…?
動揺する俺。一体何なんだ?出会ってまだ三日目だし、好きあってるわけでもないからキスはないだろう。
すると水無月の瞳がパチリと開く。
「…今のは小説のワンシーンです。主人公とその恋人はちょうどそんな会話の後にキスをします。」
そんな会話ってどんな会話だよ。
「……。」
すっかり水無月の謎ペースに包まれた俺…。
「水無月は何で今目を閉じたんだ?」
ペース挽回に向け、ストレートに聞いてみる。
「…私、自分の世界に入ると瞳を閉じる癖があります。」
左様でございましたか。
そのまま小説を閉じる。
「…ちなみに坂上先輩。」
「何だ?」
「…明日ですが、当番は坂上先輩しかいない事に気付いてましたか?」
…え?
よく考える。水無月は月曜日と水曜日。ちこが確か水曜日と木曜日。橘先輩は木曜日と金曜日。
「…ほんとだ。また橘先輩にはめられたかも。」
あのお子様委員長め。
「…私でよければ明日もお付き合いしますが?」
「水無月は水曜日も当番だろ?」
「私、図書室は好きなので平気です。もしかして神杜先輩とやるつもりでしたか?」
「…そういう予定もなかったけどな。」
こいつ、ちこと俺が付き合ってると思い込んでるな。
「…神杜先輩って、意外にも女子生徒に人気な事に気付いていましたか?」
水無月は小説の背表紙を撫でながら独り言のように呟く。
無表情、無感情なのでその発言の意図は分からない。
「…神杜先輩は特殊な萌え要素を持っているからです。」
は?
萌え要素?
「お前も、ちこの事が好きなのか?」
「…私は‘好き’という感情がどのようなものなのか知りません。」
「ですが…」
「あの泣きホクロとあの幼さの残る顔立ちと髪型。まさに神です。」
神杜なだけにな。
「…同じ女の子から見ても、神杜先輩は可愛いと思います。」
「…坂上先輩は神杜先輩は好きですか?」
え?そういう誘導尋問か?
「…ライバルは少なくありません。」
何のだよ…。
「水無月、何を企んでるんだ?」
すると水無月は再び上目遣いにこちらを見て、
「…別に。深い意味はありません。」
真っ直ぐな瞳を俺に向ける。
水無月の言動や行動は謎だらけだ。
「…坂上先輩。」
「何だ?」
「私に話しかけてくれる理由は何ですか?」
理由。水無月は何を考えての質問なのだろうか。
「理由なんかないさ。話したいから話してるんだよ。」
「将来を…見込んだ付き合いは…していませんか?」
真剣な表情。つまり水無月の家の話しだという事を遠回しに聞いているのは理解した。
お金絡みの下心は無いのかという事だろう。
「無いよ。水無月と話してると飽きないしな。」
嘘偽り無い俺の事実を真剣に伝えた。
「本当ですね?」
「水無月!?」
何を?
どんどん迫る水無月。
「…坂上先輩。本当に下心は…無いんですよね?」
もう水無月との距離はほとんど無い。
自然に心拍数が上がるのを感じる。
「無いよ。だから離れろ。」
「…坂上先輩は紳士ですね。」
「年下に紳士と言われても、何とも思わないぞ。」
「…女の子に興味が無いのですか?」
「俺はあくまでノーマルだ。」
「私は…可愛いですか?」
…今日の水無月は何かおかしい。
何か意図がありそうだ。
「…水無月、何かあったのか?」
すると、水無月が涙をにじませはじめた。
「水無月!?」
「私は望んでお嬢様になったわけではありません。どうして私はみんなと違う扱いなのですか?」
「…私は、普通の女子高生にはなれないのでしょうか?」
「…誰かに何か言われたのか?」
水無月はついに涙を流した。無感情、無表情な彼女がみせる涙の理由は何なのだろうか?
「…私、やっぱりお屋敷から出るべきではなかった。」
独り言のように呟く。
俺はそんな水無月に、どうしてもこれだけは言ってやりたい。
「…水無月。それは違う。」
水無月の頭を撫でながらあやす。
「水無月が屋敷から出たから、この学園に来たからこそ、俺たちはこうして出会えたじゃないか。」
「友達ってのは、相手に友達かどうか確認する必要なんかない。」
「お互いが自然にひかれ、また話したいとお互いが感じれば、それはもう新しい関係が生まれたと言ってもいいんじゃないか?」
「…はい。」
「…水無月、俺はまだ出会ったばかりだけど、お前と話すと飽きないし楽しい。」
「俺は本当に、お前の家は意識してない。水無月自身に惹かれるものがあるんだよ。」
「…ありがとうございます。坂上先輩。」
そのまま水無月が抱き着いてきたので、優しく抱き返す。
水無月に何があったかは分からないが、きっとこの学園で立場の違いに苦悩しているのだろう。
だから俺は理由を聞く事をやめた。
財閥のお嬢様。
一般人からすればうらやましいが、当の本人も本人しか知り得ない苦労や苦悩があるのだろう。
――――――
水無月がようやく落ち着いた頃、当番終了の時間になった。
「…坂上先輩、今日はすみませんでした。」
ぺこりと頭を下げる。
「気にするな。可愛い水無月の一面も見れたしな。」
すると水無月は恥ずかしいそうに顔を赤く染めた。
閉館のプレートを図書室の入り口に引っ掛け、鍵をかける。
「なあ水無月、一つだけ聞いていいか?」
「何ですか?」
「何であんな質問を俺にしたんだ?」
「…クラスでできた友達が、私と友達になった理由を偶然影で聞いてしまったからです。」
水無月のさっきまでの赤らめた表情は無く、また無表情で無感情に戻っていた。
「「あの子、お嬢様なんだって。そんな子を捕まえとかない手はないと思わない?」と言っていました。」
水無月は淡々と話を続ける。
「私は本当は友達ができたと思って嬉しかったんです。でも、相手には私自身ではなく、家のことしか見えていなかった…。」
「私自身を見ていなかったんです。」
「なるほどな。世の中みんながいい人でもないしな。」
それと、もうひとつの疑問もついでに聞いてみる。
「俺に誘惑した目的は?」
「…一つだけと言いませんでしたか?」
それ以上は答えてくれなかった。昇降口で水無月と別れ教室へカバンを取りに戻る。
ガラガラッ。
教室に戻ると、ちこが一人で校庭を眺めていた。
「あっちゃん!お疲れ様!」
満面の笑みを浮かべる。
「待ってたのか?帰っててよかったのに。」
「平気。帰ろ!」
「あっちゃん?」
「何だ?」
「水無月ちゃんにいたずらしてないよね?」
「ば~か。」
ちこと他愛もない話をしながらも、俺は少し水無月の事が気になっていた。
昇降口に着いたとき、水無月らしき後ろ姿と見知らぬ女生徒二人を見つけた。
「あれって水無月ちゃんじゃない?」
ちこも気づいたようだ。
「花音、行こうよ~、ねっ?」
茶髪ですごく短いスカート。すごく活発な印象を受ける女生徒が水無月に絡んでいる。
もう一人の女生徒は黒髪のショート、同じく短いスカート。見るからに態度が悪そうに腕組みしていた。
「…ごめんなさい。もう帰る時間ですから。」
通り過ぎようとする水無月をわざと塞ぎ制止する。
「なあに~、うちらの誘いを断る気~。」
「友達だと思ってたのにな~。」
黒髪の女生徒が嫌味のように言い寄る。明らかに強要している。
「ちょっと。」
先にちこが割り込む。
「なんスか先輩~?」
女生徒二人の態度は変わらない。
「嫌がってるでしょ?やめなよ。」
ちこが水無月の手を引き、突破しようとする。
しかし再び道を塞がれてしまう。
「先輩には関係ないっしょ~。さっさと彼氏と帰っていちゃいちゃしてろっつーの。」
きゃははと女生徒二人の笑い声が響き渡る。
こいつら。だんだんムカついてきたので俺も参戦すべくちこに近付こうとすると、ちこがこちらに手を向け制止する。
私だけで大丈夫という合図らしい。
「無理矢理誘って、誘われた本人は楽しいわけないでしょ。」
「うっせ~!」
女の子とは思えない口調で、ちこの胸ぐらをつかむ茶髪の女生徒。
「神杜先輩!」
水無月にも「大丈夫」とつぶやくと、まっすぐと茶髪の女生徒を見つめる。
「…お付き合いしますから、神杜先輩を離してもらえませんか?」
それでも水無月はちこを助けようと必死だ。
「全部あんたがおごるなら考えてもいいけど~?」
どこまで下劣な連中なんだろうか。
水無月はうつむきながら、両手を硬く握り締めている。
「どうなの?お嬢様~。」
その瞬間、ちこが胸ぐらを掴む女生徒に平手打ちをお見舞いする。最近俺もくらったから、痛さは想像がつく。
「てめー!!」
「きゃっ!」
ちこが突き飛ばされ地面に倒れる。
「ちこ!」
「大丈夫!あっちゃんは口出ししないで!」
ちこが久々に俺に怒鳴りつける。そしてゆっくりと立ち上がると、
「あなた達と水無月ちゃんは友達なんかじゃない!!決して!」
「あなた達は、水無月ちゃん自身をこれっぽっちもみつめてない!!」
「!!」
俺は水無月がちこを見つめ、驚きの表情を浮かべた瞬間を見逃さなかった。
「私は、他人の権力目的で近付くような人は許せない!!」
「てめーには関係ねーだろ!」
「あるわ!」
そういうとちこはしまったという顔をし、手で口を隠す。
「お前達!なにやってる!」
ちょうど教師に発見され、この場は収まった。
――――
「神杜先輩、ありがとうございました。」
ぺこりと深く頭を下げる。
「いいよ~、なにかあったらいつでも助けてあげるね。」
「水無月って、花音っていう名前だったんだな。」
「…はい。」
「神杜先輩、先輩は私自身を見てくれているんですね。」
「うん。水無月ちゃんは水無月ちゃんだからね。」
「水無月家と関係があるような素振りでしたが?」
確かに、さっき「関係ある」と言ってた気がする。
「…。そういうのはその場の勢いだよ。あはは。」
両手をぶんぶん振る。こいつは嘘をつくときは空笑いしながら両手を振る癖がある。俺はすぐに嘘と見破る。
「…そうですか。」
「そうだよ~。帰ろう!」
水無月と俺は顔を合わせる。俺達はきっとさっきの発言に引っかかっている。水無月もあえて言及しなかったようだ。
「…あ、神杜先輩、血が出てます。」
水無月がちこの膝のすり傷に気付いた。
「このくらい平気だよ。」
「…化膿しては大変です。」
ちこの前でしゃがみこむ水無月。
「神杜先輩、動かないでくださいね。」
うぉっ!俺は水無月の意外な行動に一瞬固まる。
水無月がちこの膝をハンカチで拭くまでは普通なのだが、そのまま傷口を舐めはじめる。
「!!ちょっ、水無月ちゃん!?」
ちこが驚き飛びのく。
「ななな、何してるの水無月ちゃん!?」
「消毒ですが…何か?」
何か?じゃねーよ。何だよこの百合展開。
するとちこは水無月の両肩に手をのせ、
「…水無月ちゃん、それはやっちゃダメ。いい?」
「…失礼でしたか?」
……世間知らずというより、水無月の常識はどこで得ているんだろうか。
「衛生的にも良くないから、めっ!」
「…分かりました。」
ちらっ。
「…だそうです。坂上先輩。」
まるで俺が教えたかのように言うんじゃねー。
誤解されるだろうが。
「…まさか、あっちゃんが?」
ほら、言わんこっちゃない。
「バカ、んなわけあるか!」
全力で否定する。
「神杜先輩、自宅まで送りましょうか?」
校門前に止まっている黒塗りの高級車。
確か水無月が以前コンビニに来た時に乗ってた車と同じだ。
「いいよ、大丈夫だから!」
ちこのやつ、高級車に怖じけづいてやがる。
「…遠慮しないでください。ケガの手当てもしたいので。」
「ほんと大丈夫だから!ねっ!」
「ちこ、随分と嫌がるんだなー。ケガした時は無理すんなよ。」
「擦り傷だし、大袈裟だよ。」
結局ちこは断り続け、水無月はもう一度深く頭を下げて帰路についた。
ちこと二人になり、いつも通り下校する。
「なぁ、ちこ。」
「ん?」
「俺が消毒してやるから、俺の部屋に寄ってけよ。」
「うん。そうする。」
素直に即答した。
「ほんとは痛いだろ?」
「…あっちゃんは何でもお見通しみたいだね。」
「…お前の嘘もな。」
ちこがぴくっと固まる。
「…ちこは水無月家と何か関係があるのか?」
ちこは答えない。
「…あっちゃん、ごめん。今は聞かないで。いつか話すから。」
「…関係者って事か?」
「…お願い。」
今にも泣きそうに上目遣いに眺めるちこ。
「分かったよ。」
「ごめんね。」
誰にも言えない秘密というものだろう。
そのままお互い無言のまま、俺の部屋の前に着いた。
「お邪魔しまーす。」
「適当に座れよ。」
「うん。」
そのまま寝室に救急箱を取りに行き、ちこのいる居間に戻る。
「…あ、萌え救急箱だ。」
そう、この救急箱は薬局の抽選会で以前当選した、美少女ナースのイラストが描いてある萌え救急箱なのだ。
しかもこの美少女ナースはパンツもひっそり見えてるので、誰も立ち入らない寝室に封印している。
「普通の救急箱ならこんなに気を使わないのにな。」
「男の子は好きでしょ?ナース。」
なわけあるか。
「ほら、塗るぞ。」
脱脂綿に消毒液を染み込ませ、ピンセットでつかみ傷口にポンポンと優しく当てる。
「んっ…。」
「しみるか?」
「…うん。あっ…、んっ。」
「ちこ、あんま変な声出すなよ。」
「なっ、仕方ないよ~。しみて痛いんだもん~。あっちゃんのエッチ。」
「エッチって何だよ!」
「…今だって、私のパンツ見たでしょ?」
むむむぅ、と睨みつける。
「治療してやってるのに、いちゃもんつけるなよ!」
確かに、ちこはソファに座って足を伸ばしているから、見えないと言えば嘘になるが…。
「…冗談だよ。ごめんね。」
優しい笑みを浮かべておとなしくなる。
「…よしっと、完了!」
絆創膏を張り手当て完了。
「ありがとう。」
「そうだ、夜ご飯一緒にどう?」
「いただくよ。」
「うん。私一度部屋に戻るね。準備できたら電話するね。」
「ああ。」
ちこを玄関まで見送り、一旦別れた。
「ふぅ。」
ソファにぐたーと寝そべる。
ちこは水無月家と関係があるのか。
でも俺たちは小学校からの付き合いだ。しかも家族ぐるみ。苗字も神杜。
分からない。
「ま、考えても仕方ないか。」
ちこに呼ばれる前にシャワーや着替えをすませるために立ち上がる。
「ん?」
ソファの隙間に何か落ちている。
ちこの手帳式学生証だった。
裏面の顔写真付きの証明書欄を眺める。
神杜ちこ。
その下には生年月日。そして学園長の氏名に学園印。
幼さの残る顔立ちに、泣きホクロ。
ちこの髪を、指で隠しショートヘアにしてみる。
何となく水無月に似ているような気がする。
ちこの学生証を開く。
1ページ目には、ちこの両親の写真が挟めてあった。
そして気付く。
「…勝手に見ちゃマズイよな。」
そっとページを閉じて、再びちこの顔写真を眺めた。
―――――
軽くシャワーと着替えをすませる。
ほどなくして携帯電話の着信メロディーが鳴り響く。
「あっちゃん、出来たからどうぞ。」
「おう。今行く。」
ピッ。
通話時間7秒。
ひとつしたの階のちこの部屋へ向かう。
「いらっしゃい。」
玄関前で待っててくれたようだ。
中へ通されると、麻婆豆腐のいい香りがする。
「今日はあっちゃんの好きな麻婆豆腐だよ。ほんとは日曜に出すつもりだったんだけど。」
「相変わらずうまそうだ。」
こうして俺の好物である麻婆豆腐を食べながら、他愛のない話で盛り上がった。
―――――
翌日。放課後。
「橘先輩、ひとついいですか?」
俺たちは再び図書委員会に召集させられていた。
「なぁに~?」
わざとらしく疑問形。
「何でまた委員会やるんですか!?」
「だって、聞いたわよ。図書室でお茶会するんだって?」
水無月とちこの話を聞いたな、この人。
「私だけのけ者は許さないわよ~。あは☆」
意味不明なウィンク。
しかも、あは☆ってなんだよ…。
「んで、「ご用の方は司書室をノックしてください。」っていうプレートも作ったから、みんな参加できるってわけ♪ぶぃ☆」
今度はピース。
「せっかく図書当番決めたのに…」
俺はため息まじりに呟く。
「今日からみんな毎日当番よ♪」
しかも毎日お茶会するつもりらしい。
「…私は楽しくていいと思います。」
と水無月。
「そうよ♪私もあっちゃんとガールズトークしたいの!」
「あっちゃん言うな!しかも、俺男ですから!」
「花音ちゃん、例のやつは?」
いつの間にか橘先輩は普通に水無月を名前で呼んでいた。
「アップルティーを魔法瓶に入れて持ってきました。」
「さぁさぁ、みんな座って~☆」
もうみんな座ってるっつーの。
「私はティーカップ持ってきたよ。」
ちこが大きいバックからティーカップをみんな分並べる。
朝に大きいバックを持ってたのはこのためだったのか。
「坂上君はTよりFが好きだったかな~☆」
オヤジか…あんた。
「何で無視すんのよ!」
いちいちめんどくさい先輩だ。
みんな分のアップルティーが準備され、差し出された。
本当にいい香りがする。
司書室に広がるアップルティーの香りと、本に囲まれた空間がとても風情だ。
「いただきます。」
魔法瓶だけあって、アップルティーはまだ温かった。
アップルティーを一口飲む。
「うまい。」
素直な感想が口に出るほど美味しい。
「ほんとに美味しい。」
「美味しいよ。」
橘先輩とちこも美味しく感じたようだ。
「これ、水無月がいれたのか?」
「…はい。」
すごいな。さすがはお嬢様。
「ちなみに、私も魔法瓶持ってきてるよ~♪」
橘先輩が美少女ナースのイラストが描いてある魔法瓶を差し出した。
「…橘先輩、これって薬局の景品ですよね?」
俺は救急箱だけどな。
「よく知ってるわね?」
「あっちゃんは救急箱持ってるんだよね。」
「ナース仲間~☆」
何だよそれ。
「しかもあっちゃんったら、寝室に隠してるんですよ。」
ちこが口をすべらせる。
「ばかっ!」
しかし手遅れ。場が一瞬固まる。
「…坂上君とちこちゃんって、そんな関係なの?」
急に真面目になる橘先輩。
真面目になる場面がちょっとズレてるよな、この人。
「違います、誤解です!」
全力で否定する俺。
「…坂上先輩、まさか……。」
「何だよ水無月。」
「膝の手当てなのに、神杜先輩の服を全部脱がせたんですか…?」
「そんなわけあるか!」
「実際、どんな関係なの?あなた達。」
「う~ん、そこまで関係は意識してませんが。」
と、ちこが弁解(?)する。
「二人、付き合っちゃいなよ☆」
付き合っちゃいなよ☆じゃねーよ。
「橘先輩は彼氏いるんですか?」
話題を変える為に、よくある質問をぶつける俺。
「いるよ☆」
「!」
マジか。
一同驚愕。
「橘先輩、見栄はらないでください。」
と俺。
「みつみ先輩、嘘は後に自分を追い詰めます。」
と水無月。
「橘先輩、それはちょっと冗談ですよね?」
とちこ。
「なにそれ!一人くらい肯定して祝福してくれないわけ!?」
悔しそうに拳をにぎる橘先輩。
「花音ちゃんだって彼氏いないでしょ!?」
「…みつみ先輩、今自分で彼氏がいないとばらしてしまいましたね。」
花音ちゃん『だって』って言ったしな。
「私は坂上先輩のメイドです。」
ぶふっ。
アップルティーを噴く俺。
「なわけあるか!」
うっ…。何か妙な視線が。
むむぅ。
むむむぅ。
「ちこ、水無月だって冗談くらい言うさ。なっ?」
「…坂上先輩ひどいです。屋敷では首輪までするんです。」
ゲシッ。
ちこに蹴られた。
水無月め。何てデタラメを!
「…あっちゃん最低。」
まてまて。俺はいつもお前と一緒に帰ってんだから信じるなよ。
「……冗談です。」
遅いし。
今日も散々な俺だった。
【視点:生徒会長 夏目百合】
放課後。生徒会室。
まだ夕方なのだが、私は暗い空間が好きなので、暗幕を引き光を遮断していた。
コンコン。
「…どうぞ。」
ゆっくりとドアが開かれる。
「失礼します。」
「どうしたの?花音?」
「…少し相談があります。」
花音はそういうと、私の目の前まで歩み寄る。
「拒否権は与えられないみたいね。」
腰まで伸びた黒髪をなびかせる。
「…今日は真面目な話です。」
「あなたはいつも真面目でしょう?」
「冗談をいう時もあります。」
「へぇ。見てみたいわね。」
「…なら毎日図書室に来るといいと思います。」
「生憎、私は騒がしいのは好きではないの。ごめんなさいね。」
「夏目先輩はクールですね。」
「…あなたほどじゃないわ。」
「で?」
少々話題が外れてしまったので引き戻す。
「…同級生の件です。」
その話は聞いている。不良グループの女生徒。
「あなた、放課後絡まれたらしいわね。」
「…はい。神杜先輩に助けていただきました。」
暗い室内。花音の顔は見えない。
「よかったわね。神杜はお人よしだからね。」
「……悪く言うのはやめてください。」
「もっと感情を込めたら訂正してあげるわ。」
ふふっと笑いが込み上げた。
「夏目先輩は意地悪ですね。」
「よく言われるわ。」
「あの不良二人は風紀委員会にも報告したし、何かあれば生活指導から罰が与えられるわ。」
「…ありがとうございます。」
「礼には及ばないわ。」
花音は一礼すると生徒会室を出て行こうとする。
「…もう行っちゃうの?淋しいわね。」
「夏目先輩も一緒に帰りますか?」
「冗談でしょ?水無月と肩を並べて歩けるほど、夏目は偉くないわ。」
「…今は学園です。家は関係ありません。」
「そうだったわね。ごめんなさい。ふふっ。」
笑いが込み上げる。これも私と花音のコミュニケーションのひとつでもある。
「失礼しました。」
「ええ。気をつけて帰ってね。」
再び生徒会室は静寂に包まれる。
「今は学園…か。夏目は学園だろうと外だろうと何も変わらないわ。」
独り言をつぶやく。
私は夏目家の一人娘。夏目家は代々水無月家をサポートする秘書のような家だ。
でも、私と花音の中では、そんな身分の違いは存在しない。
花音は花音だから。大切な妹のようなものだ。
「花音も帰ったし、帰ろう。」
私も生徒会室を後にする。
生徒会室の入口に「不在」のプレートをかけ鍵をかける。
そのまま昇降口へ向かう。
「あ、会長も今お帰りですか?」
神杜ちこ。隣にいるのは確か坂上秋信。
「ええ。今日は楽しめた?」
神杜は驚きの表情を見せる。
「…もしかして、お茶会ばれてます?」
それは知らないが、花音はきっと楽しんだのだろう。
「あなた達、ほどほどにね。」
「はい。では失礼します。」
二人は花音と共に校門まで歩きはじめた。
これからも花音をお願いねと心の中でつぶやく。
空を見上げる。
空は黄昏色から黒い闇に包まれようとしていた。
「…百合?」
不意に後ろから名前を呼ばれる。
「あら?ヨシタカ君も今帰り?」
「ああ。風紀委員会も今さっき終わったし。」
長身で美男子。
「風紀委員長も大変ね。」
「生徒会長には及ばないさ。」
「謙虚ね。」
「それが売りさ。」
冗談を言いあって笑った。
「ところで百合。今日家に来ないか?」
「ふふっ。ヨシタカ君はモテモテなのに、幼なじみに手を出すってわけ?」
ヨシタカとは幼稚園からの付き合いだ。でも、お互い恋愛感情は無いと思っている。
「俺はモテモテじゃないよ。風紀委員長だから下心で近づく子ばかりさ。」
少し真面目になり、言葉を続ける。
「…体調は大丈夫か?」
「心配しないで。大丈夫よ。」
「本当は入院しないといけない体なのに、なぜ花音にこだわるんだ?」
「それが役目よ。私は生まれた瞬間から既に未来は決まっているのよ。」
「…水無月家か。この街に独裁者など必要あるのか?」
「やめて。夏目を潰したいの?」
「ああ。すまない。」
ヨシタカは空を見上げる。
「なぁ百合。」
私は無言で続きを待つ。
「俺は無名な普通の家に生まれたけど、百合の事好きだ。」
「…へっ?」
ついさっきお互いに恋愛感情は無いと再確認した直後。つい声が裏返ってしまった。
「…だから、俺は百合と少しでも長く人生を共にしたい。だから、無理はするな。」
そういう事か…と諦め心が沸いて来る。
そう。私は末期の持病を抱えている。
医師にはあと1年間生きられれば幸運と言われた。
きっと同情されている。
「…同情ならいらないわ。」
「違う!」
「私は、花音の未来の道標になりたい。この決められた運命を無くしてあげたいの。」
「だから必ず私は花音に自由を与えてみせる。」
「…そうか。」
それからヨシタカは軽く鼻で笑うと、
「俺はフラれたわけだ。」
やれやれとオーバーにポーズを取る。
「慰めてあげましょうか?」
「お前が言うなよ。」
再びお互い笑い合う。ヨシタカ君はいつも一歩引いて見守ってくれる。
「ありがとう、ヨシタカ君。」
「どういたしまして。お姫様。」
「ヨシタカ君と居ると、私クールキャラじゃなくなっちゃうわね。」
「百合はいつだってクールさ。」
「ふふっ。そうかしらね。」
「で?家来るか?」
「お邪魔するわ。」
再び空を見上げる。気付くと一番星が輝いていた。
「それにしても、ヨシタカ君は随分あきらめが早いのね。」
「ん?さっきの告白?」
「そう。」
「百合はいつも何か決めたら突き通すからね。邪魔はしないさ。」
「ふふっ。意気地ないわね。」
「おいおい。潔いいと言ってくれよ。」
「女の子はね。たまに強引な展開を望む時だってあるのよ。参考になったでしょ?」
「ありがとうございます。お姫様。」
そんな他愛のない話ばかりして、私はヨシタカ君と帰路についた。
途中、携帯電話の着信メロディが鳴る。
「…はい、百合です。」
お父様からだった。
「悪いが、今すぐに帰ってきてくれないか?」
「……。」
ヨシタカ君を見る。するとヨシタカ君は頷いてくれた。
「…分かりました。」
ピッ。
「…ヨシタカ君、ごめんなさい。お邪魔できなくなったわ。」
「気にするな。じゃ、また明日な。」
商店街手前でヨシタカ君と別れる。
あと数百メートル歩くと、モックフーズ。
あの店で、私はヨシタカ君と紅茶が飲めると思っていた。
着信が来るまでは。
数百メートル歩き、モックフーズの前で立ち止まる。
私は普通の高校生の女の子にはなれない。
さらに追い打ちをかけられた病気。
「…夏目先輩?」
「花音?」
更に神杜ちこと坂上秋信。
――――
【視点:坂上秋信】
「…夏目先輩?」
モックフーズで二度目のお茶会をした俺達。水無月が店先にいる女生徒に声をかけた。
確か昇降口で会った。生徒会長だっけ?
「花音?」
「みんなとお茶?」
「はい。夏目先輩が一人でここに来るのは珍しいですね。」
「…。ええ。」
生徒会長は一瞬悲しそうな顔をしたが、すぐ優しい笑顔に戻った。
「花音も、寄り道しないで早く帰りなさい。」
「…はい。」
「じゃ、失礼するわ。」
生徒会長はそのまま立ち去った。モックフーズに用があったわけじゃないのか?
「どうしたの?あっちゃん?」
「水無月って何で生徒会長と面識あるんだ?」
「…それは秘密です。」
「何でだよ?」
すると、ちこが、
「あっちゃん、女の子に秘密はつきものなんだよ。」
「…器の小さい人間は得しませんよ。」
と水無月。
器は今関係ないし、水無月の中の俺ってかなりひどい人間に見えているようだ。
…って、男から人間になってるし。
「…帰りましょう。」
水無月も話を切り上げ歩き始めた。
翌日。放課後。図書室。
今日も司書室にみんなで集結。
「今日はお菓子もあるよ。」
橘先輩がお菓子を取り出す。
ワッフルだった。微妙に美味しそうだ。
水無月が持参したアップルティが今日もみんな分準備される。
そして、いただきますの寸前にドアがノックされた。
「坂上君、いってらっしゃ~い☆」
「え?俺すか!」
「いいから行きなさいよ☆私面倒なのは嫌いなのよ!」
どんな図書委員長だよ…。
仕方なく司書室から図書室へ移動する。
「はいはい、貸出ですか~?」
俺も半分面倒なのだが仕方なく受付する。
ノックした人物は女の子。制服のバッジには『Ⅰ-2』。1年生のようだ。
髪が背中くらいまで伸び、短めのスカートにニーソックス。胸が結構大きい。
「あの、本を探しているのですが。」
「何の本?」
「えっと、『楽園の構想図』っていう本なのですが。」
すごいタイトルだな…。
「小説?」
「はい。」
受付カウンターにあるパソコンで、書籍検索項目に『楽園の構想図』と入力する。
『B-12』
「B-12の棚にあるよ。」
すると女生徒は、
「地下12階まで行くんですか?」
…そんなわけあるか。天然キャラか…。
「一緒に行ってやるからついてこい。」
相手にすると水無月みたいなオチになりそうなので、女生徒と一緒にお目当ての棚へ向かう。
「この棚の1番上だ。届かないなら取ってやろうか?」
「大丈夫です。」
女生徒は、近くにあった踏み台を持ってきて、その台に登りはじめた。
…届きそうで届かない。
…というか、薄い紫の下着が見えてる。
「おい、俺が取るから降りろ。見えてる…。」
すると女生徒が慌ててスカートをおさえた瞬間、バランスを崩す。
「きゃっ!」
「おわっ!」
俺も慌てて女生徒を支えようとしたが、時既に遅く一緒に床に倒れた。
俺が床に倒れ、女生徒は俺の上に乗っている。
多分ここで第3者が居たら、抱き合っていると誤解される事だろう。
「なになに?どしたの~?」
「!!!」
橘先輩の声が。まずい!
女生徒と目が合う。
「えっ?あ…あの、その…ごめんなさい。」
そのままの体制で謝罪する女生徒。
ちょっと胸の感触が気持ちいい…。
「あ~!!!!」
「うわっ!」
橘先輩にあっけなく見つかる。
「坂上君!?何してんねん!」
…なぜ関西弁なのかはこの際置いといて。
頭の中で置いといてポーズをする。
じゃなくて!
「誤解です!橘先輩!」
弁解する。女生徒も驚きのあまり放心状態で俺の上から降りようとしない。
「だったら何でまだ抱き合ってるの~☆」
にひひと笑う。
「どうしたの?」
ちこと水無月も襲来する。
…どうなる?俺…。
「どうしたの?あっちゃん!」
ここは、ちこにフォローしてもらうしかない。
「この子が踏み台から落ちたのを支えてやったんだよ。」
頼む、ちこ!みんなにフォローしてやってくれ。
胸の中で懇願する。
「どうして坂上先輩が昇らなかったのですか?」
…くっ、水無月がちこより先に追い打ちをかけた。
「そうだよあっちゃん。女の子に高い所に昇らせて~」
むむむぅと睨まれた。
あっけなく敵と化した幼なじみ。
「坂上君は図書委員なんだから、ちゃんと面倒みてあげなさいよ~☆」
…お前にだけは言われたくねぇよ。
「あ、ごめんなさい。」
ようやく女生徒が俺から下りてしゃがみ込む。
すると図書室のドアが開き、誰かが入ってきた。
「祐彩?いないの?」
この声は、生徒会長だ。
「夏目先輩、こっちです。」
女生徒は生徒会長に声をかけながら立ち上がろうとした。
「痛っ!」
が、再び座り込む。
「祐彩?どうしたの?」
生徒会長登場。
「坂上君と愛を営んでいたようです~会長☆」
このお子様委員長!
「そうなの?祐彩?」
あくまで生徒会長はクールだ。
無表情で無感情。水無月みたいだ。
「ごめんなさい。」
え?
「えー!!あっちゃん!?」
ちこが絶叫する。
「ちょっと!違います!誤解です!」
全力で否定する。
「あ、違います。私が踏み台から落ちてしまって。」
謝る前にそれを先に言えと心の中でつっこむ。
「女の子がそんな無理をしてはダメよ。」
生徒会長もしゃがみ込み、祐彩と呼ばれた女生徒の足首をさする。
「痛いのはここ?」
「痛っ!…はい。」
「ねぇねぇ坂上君。」
橘先輩が耳元でひそひそと声をかけてきた。
「…何ですか?」
「百合ちゃんもパンツ見えてる。…萌え。」
……俺に何を期待してるんだ、この人。
「多分捻挫ね。保健室に行きましょう。」
「ごめんなさい。」
祐彩と呼ばれた女生徒はまた謝る。
「…肩を貸すわ。」
「夏目先輩?」
水無月が声をかける。
「なに花音?」
「図書室に用事があるのではないですか?」
「祐彩に頼んだのは私よ。遅いから様子を見に来たの。」
そういうと生徒会長は祐彩を連れて出ていこうとする。
だが、振り返り俺を見る。
「坂上君。あなたも保健室に来なさい。」
「え?はい。」
こうして今度は保健室に連行される俺。
保健室。
放課後なので先生はいない。
グラウンドからクラブ活動をする声が響く。
「祐彩、座って。私が手当てするわ。」
生徒会長が棚から湿布を取り出す。
祐彩という女生徒を手当てしながら、
「坂上君、どういう状況でこうなったのかしら。」
さっきの状況を正しく生徒会長に説明する。
「そう。」
そっけなく返事をすると、よしっと独り言を言って手当てがおわった。
「祐彩、今日はごめんなさいね。車を手配させるわ。」
「すみません。」
祐彩という女生徒が素直に応じる。
―――――
生徒会長と一緒に、祐彩という女生徒を介抱しながら校門前で手配した車に乗せる。
高級車。
生徒会長は乗らず、二人校門前に残る。
「あの、生徒会長…。」
「夏目でいいわ。」
「…夏目先輩って、どこかの御令嬢なんですか?」
「あなたには関係ないわ。違う?」
無表情で無感情。水無月と話す時は優しい笑顔を見せる人物とは思えない。
「それと…」
「何すか?」
「橘、今度は図書委員のメンバーでプチ旅行を企画してるわよ。」
え?
「小耳に挟んだ程度だけど、第3電気汽車のツーイーに乗るみたいよ。」
Electronic Express、通称ツーイーは電気制御で車体を浮かせながら走る新しい電車のようなものだ。
「そうなんですか。まだ聞いてませんが。」
「私は、その企画はあまり賛成できないわ。」
「なぜですか?」
「ツーイーはまだ人間を乗せた運用試験はしていないの。意味、分かるわよね?」
「つまり、市民が実験台にされるという裏事情が?」
すると夏目先輩は、悲しそうな顔を見せる。
「…そうよ。そんなものに、花音を巻き込ませたくないわ。」
夏目先輩は急に頭を深く下げた。
「だからお願い、この企画だけは反対してほしいの。」
「…お願い。」
「もしも、強制的に実施されたなら、花音を守ってあげてほしいの。」
「夏目先輩はどうしてそこまでして水無月を?」
「…花音は私のすべてよ。ただそれだけ。」
それ以上は話してもらえなかった。
「夏目先輩、まるでツーイーで不具合が起きる事を知ってるような感じに聞こえますが?」
「勘繰りし過ぎよ。私は未知の物事には警戒する性格なの。」
夏目先輩の長い黒髪が風になびく。
俺は、夏目先輩のその強い思いを目の当たりにし、分かりましたと返事をした。
その日の夜。
俺はちこに電話をかけた。
夏目先輩の頼みに協力してもらう為だ。
何コールかの後、ちこが電話に出る。
「もしもし、どうしたの?」
「ちょっとちこに協力してもらいたい事があるんだけど。」
夏目先輩との事を説明する。
「…分かったよ。でも、何か怖いね。」
「怖いって何だよ?」
「夏目先輩、何でツーイーがまだ人を乗せた事ないの知ってるんだろね。」
「もしかして、それって裏情報か?」
俺は驚く。ツーイーが人を乗せた試験走行をしていない事は、世間には公表されていないらしい。
「…あっちゃん。」
ちこの声が少しトーンダウンする。
「ん?」
「もしかしたら、橘先輩の企画はもう決定されてるような気がするの。」
確かに、夏目先輩も『強制的に実施されたら』と言っていたよな。
「…確かにな。」
俺もそんな気がする。
「私はね…。」
ちこが少し話すのをためらう。
「もし何かあったら、まず自分自身を守ってほしいと……思う。」
「ちこはそうしろ。」
そして俺は、今一番伝えたい事を話す。
「心配するな。何かあったら俺がお前も守ってやるからさ。」
「むむぅ。お前『も』って言われた。」
「ばーか。そういう事にこだわるなよ。」
ようやく今回の電話でお互い笑い合う。
―――――
翌日。放課後の教室。
「あっちゃん、図書室行こ!」
ちこと図書室に向かう。
「ねぇ、あっちゃん。」
「ん?」
「図書室でみんなとお茶会するの、私結構好きだなぁ。」
「そうだな。何かみんな自然に集合してるしな。」
みんな毎回司書室に集まる事は当たり前のように見てきたが、改めて言われるとみんな好きなんだろう。
図書室に到着。そのまま司書室に向かう。
「ちぃ~す。」
いい加減に挨拶しながら俺は司書室のドアを開けた。
「坂上先輩、神杜先輩、こんにちは。」
水無月が既に居た。
「こんにちは。水無月ちゃん。」
「今日は魔法瓶にレモンティをいれてきました。」
「お、こりゃ楽しみだな。」
しばらくして、橘先輩が司書室に入ってきた。
「やっほ☆みんないるわね。」
…自然とちこと目を合わせる。
ちこは静かに頷いてくれた。
みんな分のティーカップをガラス棚から出し、水無月がレモンティを注いでくれた。
「坂上先輩どうぞ。」
「ああ、サンキュ。」
緊張のお茶会が始まった。
みんな分のレモンティを注ぎ終わり、いただきますをする。
程なくして橘先輩が口を開いた。
「今日はみんなに重大発表がありまーす!」
ドキッ。
この何とも言えない緊張感…。
「みんな~、ツーイーに乗りたいかぁ~!」
ひとり握りこぶしを高々とあげ、テンションマックスな図書委員長。
もちろん俺は、
「別に興味ないっす。」
ちこも多少慌て気味に、
「あ、私も興味ない…かなぁ。あはは。」
「今度の連休、ツーイーに乗ってそのまま海浜公園でお茶会しまーす☆」
…どんだけお茶会が好きなんだこの人。
じゃなくて!
何で周り無視で話を進めているんだ、この人…。
「花音ちゃんは来るわよね?」
橘先輩がついに保護対象に近付く。
「…ツーイーには興味あります。でも、行けるかはまだ返事できません。」
「私も興味あるの☆電気で車体が浮くのよ~!楽しみだね花音ちゃん!」
…半分以上強制的じゃねーか。
「橘先輩!俺は行くとまだ言ってませんが…。」
すると両肩に手を置かれ、
「…くすっ、ツーイーが怖いの?あっちゃん。」
…何かむかつくなこの人。
とは言え、夏目先輩の約束を守る為ここは下手に出て中止に持ち込むようにしなければ。
「そりゃ怖いっすよ。浮いてる最中に電気が切れて止まったらどうなっちゃうんですか~。」
「大丈夫☆電気は怒らないからさ!」
そっちのキレるじゃねーよ。
「そうですよ、私も怖いから嫌です。」
ちこもフォローに入る。
「大丈夫だって☆最新技術よ。いいじゃん、行こうよ~!」
ただをこねはじめる。
「…神杜先輩、私も参加しますから考え直してもらえませんか?」
「!!」
俺とちこが止まった。
誰の為に反対し続けてると思ってんだ…。
負けてたまるか!
「水無月はまだ返事できないって言ったばかりだろ?」
「…やはり興味があります。」
くっ。
「ほらほら、観念して、みんなで行くわよ☆」
「………。」
すみません、夏目先輩。どうやら確かに強制的に実施されそうです。
「でも水無月ちゃんが興味あるなんて意外だね。」
ちこは諦めていないようだ。
「ツーイーは夏目先輩の会社がプロジェクトを進めているんです。」
…だから裏情報を知ってたのか。
こうして、不覚にも次の連休のプチ旅行が決定されてしまい、俺とちこも参加する事となった。
お茶会も終わり、図書室で解散する。
「ちこ、俺生徒会室に寄ってくから先に帰っていいぞ。」
「私も行こうか?」
「いや、いいよ。大丈夫。」
「だったら夕飯作るから、帰りにそのまま寄って。」
「ああ、サンキュ。」
ちこと別れ、生徒会室に向かう。
コンコン。
「どうぞ。」
「失礼しまっす。」
暗い。何で暗幕…。
「何か用かしら?」
「あの、昨日の約束なんですが。」
「…どうだったの?」
くっ。ここは覚悟を決めるか。
「すみません、反対はしたんですが無理でした。」
暗闇だが頭を軽く下げる。
「…ふぅ。」
夏目先輩は軽くため息をついた。
「橘はそういう人よ。無理はないわ。」
「もしかして、もともと期待してなかったんですか?」
まるで初めから無理を承知で頼んだみたいな口ぶりだ。
「それは探り過ぎよ。でも、ありがとう。」
「…いえ。」
「わざわざ報告に来てもらって悪いけど、やる事があるから席を外してくれないかしら。」
無感情。夏目先輩からは感情が一切伝わってこない。
「こんな暗闇で、何をするんですか?」
「あなたに関係ないでしょ?違う?」
何かむかつく言い方だな。
俺は少し攻撃姿勢にでる。
「せっかくの可愛い夏目先輩が台なしですよ。」
がたんっ!
暗くてよく分からないが、肘が机から外れたような音がした。
「なっ、何言ってるの!?」
冗談ですよと続けようとすると、
「冗談ですよとか言ったら、あなたを停学処分にするわよ。」
うっ…。冗談が通じないキャラだったか。ならば、
「冗談じゃないです。夏目先輩は可愛いですよ。」
嘘じゃなく、ほんとに可愛い部類だと思う。
腰まで伸びた黒髪。短いが長くもないスカート。少しつりあがった瞳。
「…坂上君、何を企んでいるの?」
「…別に何も。」
「時間がもったいないわ。早く帰りなさい。」
「へーい。」
生徒会室を退室しようとしてドアノブを触った瞬間、夏目先輩が口を開く。
「花音をお願いね。」
俺はそのまま立ち止まり、
「分かってます。」
と告げ、生徒会室を後にした。
何も起きず、無事に海浜公園に行って帰れる事を強く願う。
夏目先輩の為に。
生徒会室のドアに寄りかかり、窓の外を見る。
夏目先輩もきっと同じ事を祈っているに違いない。
きっと。
【視点変更:生徒会長 夏目百合】
「へーい。」
坂上君が退室する。彼が出ていく間際、私は再び、
「花音をお願いね。」
と頼む。どうして彼に頼むのか理由ははっきり説明できない。
「…分かってます。」
それだけ告げると、坂上君は退室した。
暗い生徒会室に静寂が戻る。
心臓が脈打つ音が聞こえる。
さっき可愛いと言われ、まだ動揺しているようだ。
さっきは油断した。
私は自分自身が可愛いとは思っていない。でも、可愛いと言われると素直に嬉しかった。
そういえば、花音はいつも私に可愛いと言ってくれてたっけ。
「!!」
ドクンと心臓が一度強く脈打つと、急にめまいに襲われる。
「…く、まだ、私はまだ終われない。終われないわ…!」
拳を強く握る。
私はいつまで生きられるか分からない。
時間は限られている。
だから私は坂上君に無意識に託そうとしているのだろうか。
この意志を。
花音と必ず自由を手にするんだ。
家のしきたりや運命に縛られず、自分自身の意志で人生を切り開く為に。
二人で一緒に幸せになるんだ。
必ず。
こんなところで、私は終われない。
だが、だんだん意識が遠のいてゆく。
私は携帯電話をポケットから取り出し、短縮ダイヤルを押す。
ヨシタカ君に助けを求める。確かまだ風紀委員会で残っているはずだ。
何コールかの後。
「もしもし?どうした?」
「…ヨシタカ君、せっ生徒会室に…来て…もらえないかな。」
もう意識がもたない。
「どうした!?大丈夫か!?すぐ行く!」
それを聞いて、私は意識を失い、深い眠りに落ちた。
――――――
これは夢だ。
夢と分かる夢を見ている。
幼い頃の私と花音の夢。
「百合ちゃんはおおきくなったら何になるの?」
「わたし?そうねぇ、お嫁さんかな。」
「百合ちゃんかわいい!ならわたしもおおきくなったらお嫁さんになる!」
「じゃあ、どっちが先にお嫁さんになれるか勝負だね。」
「百合ちゃんには負けないんだからね!」
あははとお互い無邪気に笑う。
この頃の私たちは、水無月家でよく遊んでいた。
喧嘩は一度もない。私たちはお互いを尊重していたから。
私がこうだと言えばその通りで、花音がこうだと言えばそうなんだと笑いあったりしていた。
なぜか急に夢に黒い影が現れる、私は驚いたあたりで夢から覚醒した。
「百合?大丈夫か?」
ん。ここは保健室?
「百合?」
「ヨシタカ君、ありがとう。」
「気にするな。具合はどうだ?」
体はもうなんともない。
「今何時?」
「19時だ。1時間くらい意識を無くしてたんだ。」
「ごめんなさい。迷惑かけて。」
「気にするな。立てるか?」
「うん。」
ベットから立ち上がろうとすると、少しふらついてバランスを崩す。
「おっと。」
ヨシタカ君が抱き留める形になる。
「ごめんなさい。」
「無理するな。もう少し座ってるか?」
「うん。ヨシタカ君も座って。」
自分の横をぽんぽん叩いて隣に座らせる。
そしてヨシタカ君の肩に頭を乗せる。
「俺、確かフラれたんだよな?」
ヨシタカ君が苦笑いしながら話す。
「私たちは幼なじみでしょう。だからこのくらいは……ね。」
「しょうがないな、百合は。」
しばらくそのまま体を休める。
「なぁ百合。」
「何?」
「お前結構大人になったな。」
「くすっ。どういう意味?」
ヨシタカ君が肩を抱き寄せる。
「色っぽくなった。」
「…ばか。」
「俺さ、今度の連休、ツーイーに乗るんだ。」
「!!」
今、何て…?
「世界初の電気式浮力走行、その歴史的1ページに立ち会うんだ。」
「百合も一緒にどうだ?」
……。
「…ごめんなさい。連休は孤児院でボランティアすることになってるから。」
私は休日は福祉活動をしている。
夏目家もたまには裏でひどい事をしている。
企業買収や合併。それが直接的原因かは分からないが、その直後はよく親に見放される孤児が現れる。
罪ほろぼしではないが、私はいたたまれなくなりボランティアで子供たちの面倒を見ていた。
「それは残念だ。」
「ほんとごめんなさい。」
「気にするな。」
しばらく休憩し、保健室を後にする。
「今日は迎えか?」
昇降口。ヨシタカ君が不意に口を開く。
「うん。時間的に遅いから迎えが来てると思う。」
「そうか、じゃここで。また明日な。」
ヨシタカ君が私に気を使い、先に帰路につく。
「ヨシタカ君、今日はありがとう。」
ヨシタカ君はそのまま振り返らずに右手を上げ、帰って行った。
ツーイーに、ヨシタカ君も乗る。
そして花音も。
大切な人たちを無事に目的地に送り届けて欲しいと強く願った。
【視点変更:坂上秋信】
生徒会室を後にして、帰路についた。
ちこの部屋の前に着く。
軽く呼び鈴を押すと、すぐに扉が開かれた。
「おかえり。上がって!」
ちこが出迎えたのはいいが、「おかえり」と言われると何だか妙に恥ずかしい。
「夏目先輩に謝ったの?」
「ああ。水無月を頼むって言われたよ。」
それから生徒会室でのやり取りを説明した。
「あっちゃん、ほかには何もなかった?」
「ほかにもって何だよ。」
「夏目先輩と何もなかった…かな?」
なんだ?急にもじもじしやがって。
「今説明した話しかしてないぞ。」
「…そっか。それならいいや。食べよう!」
変なやつ。
それから多少ぎこちないやり取りをしながら、夕食を食べたのだった。
――――――
遂にツーイーに乗る当日がやってきた。
俺とちこは一緒に集合場所に向かう。
はじめにいたのは水無月だった。
「おっす水無月。」
「おはよう、水無月ちゃん。早いね~。」
「坂上先輩、神杜先輩、おはようございます。」
ぺこりと軽く頭を下げる。
「橘先輩は遅刻か?」
俺は独り言のようにつぶやく。
橘先輩は何かルーズなイメージがある。
「神杜先輩はいつも坂上先輩と一緒なんですね。」
水無月とちこは話し込んでいるようだ。
「小学校から一緒だよ~。」
ったく、あんまりぺらぺら喋るなよ。
「坂上先輩の事、好きなんですね。」
うお、いきなりストライクゾーンか。
どうリアクションするんだ?ちこは。
「うん!大好き!」
……。
ま、長い付き合いだ。幼なじみとして…という意味に違いない。
「一人の女の子として!」
ぶふっ!
何も飲んでいないけど吹き出す。
「あっちゃん、顔赤いよ~。」
「お前が恥ずかしい事言うからだろ!ばか!」
「…仲がいいんですね。」
水無月が軽く微笑んだ。
「水無月も、会った頃より感情が出るようになってきたな。」
うんうんと頷く俺。
「そうだね。水無月ちゃんは笑うと可愛いいね。」
「ありがとうございます。」
それにしても、橘先輩遅いなぁ。
「ごめんね~☆おまたせっ!」
急いで来たそぶりが一切無い。
「橘先輩、遅刻ですよ。」
「てへっ☆」
舌を軽くだして、右手で自分の頭を軽くこついた。
しかも、てへっ☆じゃねーよ。
「さあさあ乗り込もうか!」
俺達はツーイーへ向かって歩き出す。
不安と願いを胸に秘めながら。
ツーイーの車内に乗り込む。
片側三人の六人掛けの向かい合いシートに腰掛ける。
水無月、俺、ちこ。対面側に橘先輩。
「本日は、ツーイー一般公開運転にご乗車いただきありがとうございます。」
車内アナウンスが流れる。
「本日は一般公開運転の為、各駅停車はございません。海浜公園駅までノンストップで運行いたします。」
引き続きアナウンスが流れ、出入口付近のインフォメーションディスプレイにも同様の文章が流れる。
「いよいよ発車ね☆」
橘先輩はテンションが上がってきたようだ。
「お客様にご案内申し上げます。間もなくツーイーは発車準備の為浮上いたします。御席に御座りのままお待ちください。」
しばらくすると、車体がわずかに浮上した。
「ほんとに浮いたし。」
「すごいね、あっちゃん!浮いたね!」
俺たちも未知の技術に感動する。
ホームにはテレビ局や新聞社の報道陣が溢れている。
インフォメーションディスプレイには、「発車します。席を立たないでください。」と表示された。
ホームから笛の音が鳴り響くと、
「お客様にご案内申し上げます。ただ今より発車します。席を立たないでください。」
と再びアナウンスが流れ、遂に発車した。
「すごく静かですね。」
水無月が最初に口を開いた。
「すごいね。走ってるのにすごく静か。」
ちこも感動している。
確かに浮いているので、最初にモーターが回るような音がした後は風を切る音しかしない。
「いやぁ☆最新技術万歳!」
橘先輩もますますテンションが上がる。
インフォメーションディスプレイには、「ただ今の車速 80km/h」と表示されている。
「坂上先輩も感想を話すべきです。」
と水無月。こいつも意外にもテンションが上がっているのかもしれない。
「ひたすら静かだ。」
とだけ述べる。それ以外は正直急行電車と大して変わらない気がする。
海浜公園駅まではあと30分くらいかかる。
――――――
しばらく10分ほど走ったあたりから車内が時々揺れるようになった。
「あっちゃん、何か怖いよ。」
ちこが俺の腕を握りはじめる。
「大丈夫だ。心配すんな。」
「ひゅーひゅー☆暑いよお二人さん!」
うるさいなぁ。
しかも毎回「☆」が付くのは何故なんだよ。
「でも、こんなに揺れるものなのでしょうか?」
水無月も心配になってきたようだ。
それからさらに5分走った頃、今まで以上に大きく車体が揺れた。
「きゃっ!」
ちこが俺に抱き着いてくる。
何かおかしい。
「…坂上先輩、何かおかしくないですか?」
水無月も異常だと感じ取ったようだ。
すると、インフォメーションディスプレイを見て俺たちは息をのむ。
【非常事態発生 the state of emergency.】
「うわっ!」
ディスプレイを確認してすぐ、車内の照明が全て消え、ディスプレイも真っ黒になった。
非常事態。乗客すべてがパニック状態に陥りはじめる。
鼓動が高鳴る中、俺は叫ぶ。
「ちこ!水無月!俺の手を強く握れ!絶対離すな!」
二人が手を握る。左手は水無月。右手はちこ。
「私は!?」
橘先輩がそんな事を叫んだ時、無重力のように体が浮き、強い衝撃が走る。
俺は握られた手を離さぬよう、両手に意識を集中させる。
しかし、後頭部をどこかにぶつけ、俺は意識を失った。
――――――
目を覚ます。
体中が痛い。ここはどこだ?
外?
「痛てっ。」
痛みを堪え体を起こす。
「なんだよ。これ。」
めちゃくちゃになったツーイーの車体。俺は路線脇に投げ出されたようだ。
そして、はっとする。
「ちこっ!?水無月!?」
俺の手は、左手しか握られていない。
「水無月しっかりしろ!!」
叫ぶと多少頭が痛む。
水無月は意識がないようだ。頭部を怪我している。
ちこを探す。
「ちこ!」
く、頭が痛い。
「橘先輩!」
………。
水無月以外は付近にいないのだろうか。
ちこ、どこだ…。
涙が流れて来る。
「ちこぉ、どこだよ…。」
ふいに、水無月の一言が脳裏に蘇る。
『神杜先輩はいつも坂上先輩と一緒ですね。』
そうだ。俺とちこはいつも一緒だよ。
だから絶対ちこを探す!!
痛みを堪え水無月を介抱しながら辺りを見渡す。
「……うっ。」
水無月が意識を取り戻す。
しかし頭部からの出血が止まらない。
「…さ、かがみ…せんぱい。」
弱々しい声。
「しっかりしろ水無月!」
「ゆ、ゆ…りちゃん。」
百合?夏目先輩のことか?
するとすぐまた意識を無くした。水無月を抱き上げたいが、体中が痛むので何もできない。
救急車やレスキュー車のサイレンがようやく鳴り響く頃、俺も再び意識が飛んだ。
しっかりと水無月の手を握りながら…。
目が覚める。
真っ白い天井。
「病院…?」
気が付くと俺は病院のベットに横になっていた。
左手腕には点滴。
「秋伸!」
「お袋!?」
「よかった!やっと目が覚めた!」
お袋が泣きそうな顔をしながらナースコールを押す。
「どうしました?」
すぐに応答がくる。
「息子が目を覚ましました。」
俺は一体どれくらい眠っていたんだろう?
「…お袋。」
「気分はどう?」
「まだ体中が痛いけど大丈夫だ。」
そして、一番気になる事を質問する。
「俺、どのくらい寝てたの?」
「3日間よ。ほんと心配したんだから。」
…3日間。あれから事故はどうなったんだ。
しばらくすると主治医の先生が来室し、軽く診察を受けた。
体の至る所を打撲しているが、あと2、3日くらいで退院できるらしい。
――――――
診察を終え、再びお袋が病室に戻ってきたので、色々聞いてみる。
「…お袋、ちこは?あいつは無事か?」
「無事よ。でも、まだ意識が戻らないそうよ。」
「どこにいるんだ?」
「この階の上の病室よ。」
早く様子を見に行きたい。だが、まだ安否を確認すべき人が二人残っている。
「…あの日にさ、ちこのほかに水無月花音と橘みつみって人も一緒だったんだけどどうなったか知らないか?」
お袋はう~んと考えると、
「橘みつみって子は分からないけど、水無月花音って子は財閥のお嬢さんの事よね?」
「ああ。」
「…花音ちゃんは意識不明の重体よ。新聞に載ってるわよ。」
お袋に側にあった新聞を渡された。
『ツーイー、まさかの事故』
『先日一般公開運転を行ったツーイーで、電気系統のトラブルで走行中に着陸し横転大破した。』
すこし記事を飛ばし水無月の記事を探す。
『なお、ツーイーには水無月財閥の一人娘の花音さんが乗車しており、意識不明の重体だ。』
『市立先進医療センターに搬送された。』
俺とは別の病院だ。水無月…。
「秋伸?大丈夫?」
お袋が心配そうに覗きこんでくる。
「ああ、大丈夫。」
何で俺だけ軽傷なんだろう。
早くちこと水無月に会いたい。
それと、橘先輩はどうなったのだろう。
これからやる事はたくさんある。
今日は休養するようにお袋に言われ、明日ちこの病室に行く事になった。
翌日。
俺は回診を終え、昨日お袋に教えてもらったちこの病室へ向かう。
エレベーターもあったが、あえて階段を使う。
俺は、結局事故現場でちこを探してやれなかった。きっとあいつは俺が駆けつけるのを待っていたはずなのに。
そう考えると胸の鼓動が早くなる。
階段を上り終え、自分の階と全く変わらない空間を歩く。
入り口のネームを見る。
『神杜ちこ 様』
「…ここだ。」
ドアは閉まっていたので軽くノックする。
「どうぞ。」
この声はおばさんか?
ゆっくりとドアをスライドさせ入室する。
すると、ちこの母親がベット脇に座っていた。
「あら、秋伸君!?もう大丈夫なの?」
「はい。」
するとおばさんは、よかったと笑みをみせ軽く抱きしめる。
「昨日秋伸君のお母さんから意識は戻ったって聞いたけど、本当によかったわ。」
自分の子供のように喜んでくれたが、俺は胸が痛かった。
「あの、ちこは?」
「この子はまだ目を覚まさないわ。」
「あの、おばさん…。」
「ん?」
「あの時一緒にいながら、ちこを助けてやれなくてすみません。」
頭を下げる。
すると、下げた頭をやさしく撫でられた。驚いて顔を上げると、
「事故よ。誰のせいでもないわ。秋伸君、ありがとう。」
自然と涙がこぼれた。
「ほらほら、男の子がそんなあっさり泣いちゃだめよ。」
そう言われ、涙をぬぐってくれるおばさん。
「…ちこの怪我の具合は、どうですか?」
声を振り絞り、涙を拭きながら聞く。
「怪我は大したことないんだけど、ただ意識が無いの。」
ちこのそばにいくと、手や顔に軽い擦り傷がある程度で大きな怪我はなかったようだ。
「ちこ、ごめんな。」
ちこの髪を撫でる。早く目覚めることを祈りながら。
「ありがとう、秋伸君。」
「私、少し席を外すわね。」
そういうとおばさんはそのまま病室を出て行った。
気を使ってくれたのだろうか。
「なあ、ちこ。俺はこのとおり無事だったぞ。」
眠るちこに無事を報告する。
「だから、ちこも早く起きてくれよな。」
「ちこ、明日は俺、水無月の見舞いに行ってみるよ。」
そしてしばらく丸椅子に座ってちこを眺め続ける。
コンコン。
ノックされおばさんが戻ってくる。
「おばさん、俺はこれで失礼します。」
「そう、また来てちょうだいね。」
「はい。」
軽く一礼して病室を出る。
また階段を使い自分の病室に戻る。
橘先輩の安否はどうなったのだろうか。病院にいては調べようがない。
『ゆ、百合…ちゃん。』
ふと、事故直後の水無月の一言を思い出す。
もしかしたら、夏目先輩は生徒会長だから学校から報告されているかもしれない。
「明日だな。」
独り言をつぶやく。
病室に戻る前、交流室という休憩室のような場所にテレビがあるのに気付き入室する。
ワイドショーがツーイーの事故の報道をしている。
あの日、電気系統のトラブルで電圧不足に陥り、車体は浮上状態を維持できなくなり着陸し横転大破したらしい。
原因は今も不明。
プロジェクト元の夏目重工は警察の家宅捜査を受け、開発段階での設計や計画に無理がなかったか調査中とのこと。
死者20名、重軽傷100名。
今回の事故で一命を取り留めた俺やちこ、水無月。
俺は亡くなった20人の冥福を心の中で祈った。
【視点変更:少女】
「これで夏目家はおしまいね。ふふっ。」
笑いが止まらない。
「この街を支配するのは、水無月でも夏目でもないわ。この私よ。」
しかし、このままでは水無月家が何らかの動きを見せるのは明白だ。
水無月財閥と夏目家は主と秘書の関係。
夏目家を失墜させるにはまだまだ攻めが必要になる。
ふと、以前執事から聞いた話を思い出す。
「確か水無月花音は図書室でお茶会をしていたって言ってたわね。」
という事は、夏目百合も一緒?
少し考える。
確かクラスメイトの坂上君と神杜さんが図書委員。
「…くすっ。神杜家も関わってるのかぁ。」
私はすべて知っている。水無月財閥の娘は一人しかいないと世間には言われているが、実はもうひとり、娘が存在するという事。
水無月財閥の当主の妹が一般の神杜家へ嫁ぎ、娘が生まれた。
つまりは神杜家も隠れた影響力を持っているという事になる。
もちろん神杜家に嫁いだ話も世間には公表されていない。
私の家は財閥とまではいかないが、この街では三代名家のひとつ。
でも私は許せない。私たちのお家の功績が夏目家に取られ、事実上は4位の立場でいる事に。
水無月、夏目、神杜。
私もこの人たちから大事なものを奪ってやる。
私はこの街を支配する。
その為には、水無月花音、夏目百合という各お家の後継者と、隠された水無月家の後継者でもある神杜ちこを何とかしなければ。
「まずは、図書室で様子を見るしかないわね。」
神杜ちこ。最初にあなたの大切なものを利用させてもらうわ。
ま、意識不明なあなたには何もできやしないんだろうけど。
「…くすっ。」
私がこの後継者すべてを支配できる立場になれば、私のお家は将来必ず1番の影響力を持てる。
そうしたら無実の罪をきせられたお兄様を救う事ができる。
だから待っててお兄様。
私がお兄様を助けてあげる。
もう少しの辛抱よ。
私の大好きなお兄様。
窓から街を見渡す。
「この街は、もう水無月がいなくてもやっていけるわ。」
独り言をつぶやく。
「今度は変わった図書室のお茶会を披露させてもらうわ。くすっ。」
覚悟なさい。」
【視点変更:坂上秋伸】
翌日。
退院手続きを終わらせ、病院のエントランスまでお袋と一緒にやってきた。
「お袋、俺水無月の見舞いに行くからここで。」
「まだ無理はしないようにしなさいね。」
「ああ。」
お袋と別れ、市営バスに乗り水無月が入院している病院へ向かった。
15分ほどでバスはちょうど病院前で停車した。
俺が入院していた病院より大きい。さすがお嬢様なだけはある。
病院に入り総合案内に向かうと、見覚えのある後ろ姿を見つけた。
「夏目先輩?」
「あら?坂上君?どうしてここに?」
「水無月の見舞いに。」
「体は大丈夫なの?あなたも意識なかったんでしょ?」
「もう大丈夫っす。夏目先輩も水無月の見舞いですか?」
「ええ。」
少し表情が暗くなる夏目先輩。
「坂上君、こっちよ。」
夏目先輩が案内してくれた場所は病室ではなく集中治療室。
そこには酸素マスクをつけられ、点滴を受けつつ眠る水無月。頭には包帯。
入室はできないので、外の窓から見つめる。
「夏目先輩、すみません。」
「なぜ謝るの?」
「水無月を守れなくて…。」
「…聞いたわよ。」
夏目先輩の視線が水無月から俺に向く。
「え?何をですか?」
「手を握っていたらしいわね。事故現場で救助した隊員が言ってたわ。」
「…。」
「気に病む事はないわ。ありがとう。」
夏目先輩が優しく微笑む。いつか水無月に向けた微笑みだ。
再び水無月を見つめる。
「…花音は、危ない状態らしいわ。」
ふと夏目先輩が水無月を見つめながら語りはじめた。
「仮に危機を乗り越えても、意識を取り戻す可能性はゼロに近いそうよ。」
「!!」
夏目先輩の目に涙が浮かぶ。いつもこうして一人泣いているのだろうか。
「夏目先輩、ゼロじゃない限り希望はあります。」
いつもの癖で夏目先輩の髪を撫でる。
バシッと弾かれた。
「…わ、分かってるわよ。年下のくせに…。」
少し顔が赤い。
「夏目先輩?照れてる?」
「…坂上君、あなたほんとに不謹慎ね。」
夏目先輩は軽く髪をなびかせた。
「…私の体目的?」
「違います!!」
夏目先輩も不謹慎じゃねーかよ。
「神杜さんは?」
「ちこもまだ意識が戻りません。怪我は大した事ないんですけどね。」
「…そう。」
「坂上君、休憩室に行きましょう。話があるわ。」
夏目先輩と休憩室に向かった。
夏目先輩と休憩室に行く。
「坂上君は何か飲む?」
3台くらい設置されている自販機の前。
「あ、コーヒーをいただきます。」
「ん…。」
右手を差し出す夏目先輩。
まさか120円よこせって意味じゃないよな?
「…夏目先輩?もしかして120円自己負担っすか?」
「何言ってるの?1万2千円よ。」
高っ!どんだけ高級な自販機だよ。
「冗談よ。」
夏目先輩なりに元気付けてくれてるのだろうか?
夏目先輩からコーヒーを受け取り、先輩はアップルティを買った。
「あ、水無月の好物…。」
「あら?よく知ってるわね。花音はアップルティが大好きなの。」
「以前、図書室で自前のアップルティをもらいましたから。」
軽くそんな雑談をしながら、空いている丸テーブルに腰掛ける。
「夏目先輩、話って何ですか?」
「坂上君には辛い話だろうけど、事故の話よ。」
「大丈夫です。」
「最初に謝るわ。今回は夏目重工のプロジェクト、つまり私の家の計画が起こした事故よ。本当にごめんなさい。」
そのまま深く頭を下げる。
「夏目先輩のせいじゃありませんよ。」
「それと…橘は軽傷だったわ。」
橘先輩は無事だったようだ。
「ただ…」
ただ?何だ?
「彼女は今回の事故で、あなたたちに重傷を負わせた事に気を病んでしまい、病院で投薬と医師のカウンセリングを受けるそうよ。」
そして、夏目先輩はそのまま話を続ける。
「学園も昨日付けで退学したわ。医師の判断らしいわ。学園は記憶のフラッシュバックを起こす可能性が高いから、変えたほうがいいと…。」
「フラッシュバック?」
「災害・事故など強烈な体験の記憶が、あるきっかけで再発してしまう症状よ。」
「坂上君もツーイーのホームには行かない事ね。意味、分かるわよね?」
「…はい。」
つまり、また事故当日の体験を思い出し苦しむという事だろう。
それにしても、橘先輩は退学してしまった。ちょっと衝撃的だった。
それから橘先輩は隣町に既に引っ越しており、完治するまでは会えないようだ。
感情をすべて無くし、言葉もあまり話せないらしい。
図書室での橘先輩を思い出し、今回の事故の大きさを改めて知る。
体だけでなく精神に重傷を負った橘先輩。
もう、あのお茶会の日々には戻れない。
「坂上君?大丈夫?」
夏目先輩が心配そうに顔を覗き込む。
「あ、はい。大丈夫っす。」
コーヒーを一口飲む。
微糖だ。
「…微糖よ。甘すぎるのは良くないわ。」
夏目先輩、鋭いな。表情を読めるのか?
このコーヒーのように、俺に与えられた未来は甘くない。
「坂上君…。」
夏目先輩がアップルティの缶を見つめながら、少し何か考えている。
「あ、夏目さん!」
看護士が走って来た。
「水無月さんが意識を取り戻しました!」
俺は夏目先輩と集中治療室へ走る。
あせる気持ちを抑えながら、防菌着に着替える。
入室すると水無月がこちらを見つめる。
「花音!!大丈夫!?」
「…ゆ・・りちゃん?」
夏目先輩が水無月の手を握る。
「花音、よかった…。」
しかし水無月は顔を左右に振る。
「か…のん?」
「わたし…、も…うだめみた…い。」
「何、言ってるのよ…。花音。」
「ゆりちゃん…。」
水無月は左手を夏目先輩の胸に当てた。
「ゆりちゃんに…わたしのいのちを・・・・。」
夏目先輩は涙でぼろぼろになっている。
「やめてよ…花音…。」
「しゅ、主にわれのいのちが…やどらんことを…。」
水無月はそっとその左手を下ろす。
「ゆりちゃんは…生きて。病気はきっと治るから。」
何かのおまじないだろうか?俺はただ見つめる事しかできなかった。
「花音!!しっかりして!!お願い!」
水無月を強く抱きしめる。
「さか…がみせんぱい。」
「水無月!!」
「たすけてくれて、ありがとう…ございました。」
「しっかりしろ!水無月!!」
「あのとき、にぎられた手のあたたかさ…わすれません。」
「み…なづき…。」
嫌だ。嘘だ!こんなのうそだ!!
「さかがみ…せんぱい。」
「何だ?」
俺も泣きながら水無月の手を夏目先輩と共に握る。
「であったころ…から、すき…でした。」
「!!」
「ゆり…ちゃん、だいすき。」
「おとうさま…おかあさま…」
だ い す き 。
「いやあああああ!!かのんーーーーー!!!」
医師が夏目先輩の方に手を置く。
水無月の瞳孔をペンライトで確認する。
「嘘…だろ。」
すると夏目先輩は医師を突き飛ばす。
「花音に触らないで!花音は眠っただけだもん!生きてるもん!目にライト当てたらまぶしいでしょう!?」
しかし、複数の看護士や医師に取り押さえられる。
「離してよ!!離しなさいよお!!」
医師は夏目先輩に注射を打つ。多分鎮静剤だろう。
先輩はそのまま水無月に抱きつくように眠りに落ちた。
俺はただその場で見つめていることしかできない。でも、これだけはやりたい。
「先生、お願いがあります。」
医師の前に立つ。
「何だね?」
「しばらくこの二人を一緒に寝かせてあげてください。お願いします。」
深く頭を下げる。
すると医師は俺の肩を軽くたたくと退室していった。
夏目先輩、水無月と、いっしょに…しばらくのおやすみです。
俺も涙が止まらない。
泣きながら俺も退室し、ふたりだけにする。
おやすみ、水無月。
いや、花音。
俺達の大事な友達。
そこまで長い付き合いではなかったけど、それでも、何年も一緒にいたように思う。
花音、またお茶会、やろうな。
いつか。
この世界ではないどこかで…。
俺はそのまま休憩室に戻る。
丸テーブルには、アップルティとコーヒーがさっきのまま置いてある。
俺はさっきと同じ席に座り、残りのコーヒーに口を付ける。
「!?」
違和感。
さっきあんな事があったせいで俺も気が動転しているのか?
微糖だったはずのコーヒーがさっきより甘い。
試しにアップルティを持ち上げる。
違和感。
確か夏目先輩は一口しかアップルティを飲んでいないはずなのに、なぜか空になっている。
しかし、それよりも、水無月の事で頭がいっぱいだ。
「…水無月。」
涙をこらえるが止まらない。
最後に水無月が意識を取り戻したのは奇跡と言える。
最期に話ができてよかったと思う。
「あれ?君は。」
さっきの医師が休憩室に現れた。医師は自販機でコーヒーを買うと、俺の隣に腰掛けた。
「君は水無月さんの恋人かい?」
からかっているような口調ではない。
「違います。友達です。」
「水無月さんの意識がなぜ戻ったかは分からんが、最期に君達に会えてよかったと思うよ。」
「なぜですか?」
「水無月さん、死に顔が笑顔なんだよ。」
「水無月は!!」
…まだ死んでない。そう叫ぼうとしてとどまる。
「…連れのお嬢さんは今日だけ入院だ。」
「それじゃ、失礼するよ。」
医師はコーヒーを飲み干し、再び肩を軽く叩くと休憩室を後にした。
夏目先輩は今日は入院のようなので、とりあえず俺も自分の家へと帰る事にした。
病院の入口で水無月夫妻に会う。この街の住人はみんな顔は知っている。
夫妻は足早に病院に入って行った。
病院前のバス停で帰りのバスを待つ。
「あら?坂上君?」
「金ヶ崎?」
クラスメイトの女の子、金ヶ崎実波だった。
あまり話はしないが、クラスメイトだけあって面識はある。
「大丈夫なの?事故にあったって聞いたけど。」
「…ああ。」
「どうしたの?泣いてる?」
水無月の事はまだ誰にも話したくない俺は適当にごまかす。
すると金ヶ崎は突然俺を抱きしめる。
「おい!?金ヶ崎!?」
「何があったかは知らないけど、こうすると落ち着くでしょう?」
確かに落ち着く。が今はそういう気分ではない俺は彼女を突き放す。
「きゃっ。」
「…悪い。そういう気分じゃないから。」
「ならコーヒーでも飲む?今回のは甘いよ?」
俺の前にコーヒーが差し出される。
「…いや、いいよ。」
断ってまた違和感を感じる。
今こいつ、『今回は甘い』って言わなかったか?
「金ヶ崎、今回は甘いって何だよ。」
「くすっ。知りたい?」
すると金ヶ崎はコーヒーを開け、一口飲む。
「何なんだよ?」
すると金ヶ崎の唇が俺の唇に重なる。
そしてすぐコーヒーが口に広がる。
口移しだ。
「お、お前!?」
「くすっ。元気でた?」
「ふざけんな!もう俺にかまうな!帰れよ!」
こんな気分なのに、こいつ何考えてんだ。
「甘かったでしょう?そういう意味だよ。」
無視。早くバス来いよな。
「あらぁ。無視?」
更に無視。
「私にそんな事しちゃっていいのかなぁ。」
「どういう意味だよ。」
「あ、反応してくれた。」
「金ヶ崎、何を企んでんだよ。俺たちはほとんど話しとかする仲じゃないだろ?」
「ずっと話したかったの。乙女はみんな恥ずかしがりなの。」
何だよ、それ。ちょうどバスがやってきた。
「じゃあな。金ヶ崎。」
「ばいばい。学園でね。」
手をふる金ヶ崎。
「それと、私の事は実波って呼んでよ。」
と同時にバスのドアが閉まる。
「何だよ、ほんとに。」
―――――――
家に着くと、お袋がいた。しばらくは俺のマンションに泊まって面倒をみてくれる話になっている。
「秋伸おかえり。水無月さんどうだった?」
俺は顔を左右にふる。
「そうなの。」
「あまり気を落とさないで。ね。」
「ああ。」
お袋が用意した夕食は麻婆豆腐。
「ちこちゃんのお見舞い、明日も行くの?」
「行くよ。」
「学園はあさってから復学するって事で手続きしたから。」
「サンキュ。お袋」
お袋と久々のご飯を食べる。
食べながら、事故までの日常を思い返した。
あの時、ツーイーに乗らなかったら。そんな事ばかりが頭をよぎる。
後悔先にたたず。
夏目先輩にも中止するように頼まれたのに、俺は何もできなかった。
ご飯を食べ終えて自室に戻る。
電気を消し、ベッドに横になる。
水無月…。
今だに信じられない。
『すきでした。』
最期の告白。
どんな意図が込められた好きだったのだろうか。
ちこに何て言えばいいんだろう。
ちこはこの現実を受け入れることができるのか心配だった。
そんな事を考えていると、自然に眠りに落ちた。
ふと目を覚ます。
時刻はまだ夜10時過ぎ。
水を飲む為にキッチンへ向かった。
「あら?どうしたの?」
お袋がサスペンスドラマらしきテレビを見ていた。
女医が手術しており、心肺停止状態の患者に電気ショックを与えている。
違和感。
水無月が最後に意識を無くした時、医師は何か処置をしただろうか?
していない。
電気ショックは?
していない。
それよりも、心電図を示す機器すら無かった気がする。
…もしかして、水無月は死んでいない?
でも何故?
「秋伸?」
「お袋、俺ちょっと病院行ってくる!」
いてもたってもいられず家を飛び出した。
今の時間は市営バスは無い。近くでタクシーをひろい、病院へ急いだ。
――――――
病院へ着いた。夜間受付へ向かう。
守衛に用件を伝え、ナースステーションへ案内された。
夜勤看護士に水無月の担当医を聞く。
「春日先生ですね。今日は当直ですので、今お呼びしますからお待ちください。」
そう言われ待合室の椅子に座る。ナースステーションの明かりしかない待合室。
15分くらいたった頃、医師がナースステーションにやってきた。
「どうぞ。」
医師に診察室へ案内される。
「夜分遅くにすみません。」
先に謝っておく。
「今日はどうしたんだね?診察ではないようだが。」
「はい。気になる事があります。」
「待ちたまえ。君は確か水無月さんと現場で手を繋いでいた青年か?」
「そうですが。」
「おお、やっぱり。水無月さんのお父さんがとても感謝していたよ。」
「繋いだその手のお陰で水無月さんは一命を取り留めたようなものだ。」
医師のペースになる前に攻めにでる。
「水無月さん、実は生きてるんじゃないですか?」
「……。」
診察室に沈黙が訪れる。
しばらくすると医師は諦めたかのように語りはじめた。
「君は水無月さんの恩人だ。当主からは彼には聞かれた質問には答えるように言われている。」
もし聞かれたらの話だったがと念を押した。
「私は春日。水無月家の担任医師を勤め、水無月家当主…つまり花音さんのお父さんとは親友だ。」
「君、名前は?」
「坂上です。」
「坂上君。これからの話は聞いたら引き返せなくなる。いいかい?」
「どういう意味ですか?」
「…水無月家に関する機密情報という意味だ。」
それでも俺は真実を知りたい。
そう思い、「はい」と答えた。
「実は今回の事故は意図的に仕組まれたテロではないかという情報を入手したらしい。」
「だから、当主は花音さんを守る為に死んだ事にしている。」
「それって事実なんですか?」
夢でも見てる気分だ。
「まだ確証はない。ただ、当主はささいな情報も見逃さないほど警戒心の強い人なのだよ。」
テロだったらとんでもない話だ。
「坂上君。」
「はい。」
春日医師が改まる。
「この事実は絶対に口外しないでほしい。特に夏目さんには。」
「どういう意味ですか?」
「ここからは私の推測だが、当主は夏目家も疑っているらしい。」
「どうして!?」
「夏目家は代々から水無月家の執事だ。その立場をなくし、トップを狙っているのではないかとも言われている。」
「それに、金ヶ崎家も用心しているらしい。」
「金ヶ崎家って?」
まさか実波の家じゃないよな。
「この街の三大名家のひとつだよ。詳しくは私からは話せないがね。」
「とはいえ、坂上君には別に何かしてくれという意味ではないよ。夏目さんと今まで通りに接しても構わない。」
「でも、夏目先輩にだけ教えてもいいんじゃないですか?」
あんなにも水無月を大切にしているのに。
「僕もそうしてあげたいと思うが、当主が反対している。」
「でも!」
「坂上君。ひとつ忠告しておこう。」
「当主は一度失った信頼は二度と取り戻す事はないのだよ。信頼されなくなれば、もうおしまいだ。」
「………。」
「さて、もうこの話はおしまいだ。」
「話は変わるが、今日はもう遅いから空き病室に泊まっていきなさい。」
「はぁ。」
空き病室、嫌だなぁ。
「夏目さんと同じ病室に泊まっていくといい。」
そういえば、今日だけ入院だった。
「君もまだ青春真っ盛りだ。少しくらい若気の至りを起こしても許される。」
「どういう意味ですか?」
「夏目さん、可愛いからね。男なら一度は恋愛対象にしたいとは思わんかね?はっはっは。」
はっはっは。じゃねーよ。
一気に脱力感に襲われた。
結局空き病室の夏目先輩の部屋に案内された。
丁度二人部屋らしい。
「では、仲良くな。はっはっは。」
部屋の中は暗い。
「…誰?」
「俺です。夏目先輩。」
「…坂上君?どうして?」
「色々あって今日だけ泊まる事にしました。」
「…そう。」
それっきり、病室に沈黙が訪れた。
それっきり何も言えず沈黙が続く。
俺は水無月が生きてると知ったので、いつもの気分に戻りつつあるが、夏目先輩は知らない。
この気持ちの差を埋める術は今だ思い付かない。
でも、水無月は今どこにいるんだろう?
屋敷だろうか?
また明日にでも春日医師に聞こう。
「坂上君…。」
「あ、はい!」
不意に声をかけられて慌てふためきながらの返事になってしまった。
「…さっきは見苦しいところを見せたわね。ごめんなさい。」
「気にしないでください。」
するとまた無言になり、すすり泣くような声が聞こえてきた。
部屋は暗いので、余計耳に入る音に敏感になっている。
何とか慰めてあげないとな。
でも、どうやって…。
「夏目先輩、俺、出ていきましょうか?」
ひとりにさせる作戦を提案する。
「…大丈夫よ。」
そう言うと、布団から起き上がりベットに座りなおす夏目先輩。
「ねぇ、坂上君。」
「はい。」
「花音はあれからどうなったの?」
え?やばい、俺も知らない。
「すみません。俺も気が動転してて…覚えてません。」
「……そうなの。」
「私は…まだ花音が死んだなんて信じない。」
「その気持ち…分かります。」
「もう私には…何もない。」
すすり泣きではなく、声をあげ泣きはじめた。
「私は花音がいなくなったら、もう生きる意味すらない。」
「夏目先輩…。」
そして先輩はついに恐ろしい言葉を口にした。
死 に た い 。
「駄目だっ!!」
俺は自分でも驚く声で叫んでいた。
「駄目だよ夏目先輩!水無月の為に生きないと!」
水無月は生きてるんだ。夏目先輩が死んだら水無月が悲しんでしまう!
「私は花音がすべてだったの!それしか私にはなかったのよ!」
「それでも!死んじゃ駄目だ!」
先輩のところに歩みよる。
「…坂上君!?」
夏目先輩の頭を撫でる。
「夏目先輩は生きてください。先輩が死んだら俺…悲しいです。」
「グスッ。な、何よ…年下のくせに…。」
でも夏目先輩は撫でた手を今回は払わなかった。
しばらく撫で続ける。
「坂上君…。」
「はい。」
「ありがとう。」
「…まだ気持ちは整理できないけど、今日は少し落ち着いたわ。」
「それはよかったです。」
「坂上君も隣、座っていいわよ。」
「いいんですか?」
「いいわよ。」
夏目先輩の横に座る。
暗闇。夏目先輩の顔もあまりはっきりとは見えない。
「で、電気つけますか?」
隣は少し緊張してどもってしまった。
「…もう消灯時間は過ぎているわ。無理よ。」
すると夏目先輩が微かに笑う。
「くすっ。普段は神杜さんと肩を並べているのに、緊張しているの?」
「し、してませんよ!」
格好悪いな俺…。
「神杜さん、意識は?」
「まだ戻りません。明日また見舞いに行きます。」
「…そう。」
ふと夏目先輩の横顔を見つめる。
暗闇ではっきり見えないが、腰まで伸びる長い黒髪。シャンプーの香りのような香水のような香りがする。
いわゆる女の子の香りというやつだ。
夏目先輩もこちらを見つめる。
「坂上君、何?」
うわ、ずっと見てたの気付かれてた!?
「い、いえ!すみません。」
またしても失敗。春日医師が変な事を言うからだ。
「もしかして、坂上君って女の子と二人きりになるのは初めて?」
「…多分。」
ちこといつも一緒だから、違う女の子と二人きりになるのは初めてかもしれない。
高2なのにな…。それは関係ないか…。
「花音、坂上君の事好きだったみたいだけど。」
ドキッ。
「な、何言ってるんですか~。」
そう言った瞬間、胸ぐらを捕まれた。
「あなたも花音の最後の話を聞いていたでしょ!?」
「せ、先輩落ち着いてください。」
「…ごめんなさい。」
掴んだ胸から手が離れる。
コンコン。
こんな時間に病室にノック。
「お邪魔するよ。」
春日医師が入ってきた。そして電気を付ける。
夏目先輩はまた泣いていた。
「おや?坂上君、女の子を泣かすのは感心しないなぁ。」
「それと、静かにしたまえ。」
すみませんと先輩と一緒に謝る。
「ほら、甘酒でも飲んで早く休みなさい。明日はお雛様の日だ。」
春日医師が甘酒が入った紙コップを差し出した。
「甘酒は未成年でも適度に飲む事は許されている。さ、気にしないで飲みたまえ。」
「私は…」
夏目先輩が受け取らない。
「アルコールは1%未満だから大丈夫。」
春日医師が更に差し出す。
俺も受け取る。適度に温かい。
「…。」
無言で受け取る先輩。まさか1%未満でも酔うとか言わないよな。
「坂上君、明日また帰り際に私に声をかけてくれないか?」
「はい。分かりました。」
そう言うと、春日医師は退室した。
「夏目先輩、飲みましょうか。」
「え?ええ。」
何か様子がおかしいな。
俺は甘酒を一口飲む。美味しい。
「美味しい。」
夏目先輩も同じ感想らしい。
「美味しいですね。」
「うん。」
ぐびぐびハイペースで飲み干す先輩。まさか無理して飲んでる?
「先輩、熱くないですか。一気飲みしたみたいですが。」
「あ、熱くないれす。」
「???」
「先輩?何ですって?」
「だかりゃ、熱くないれすって言ったわ。」
今飲んだばっかりなのに、即酔い?
「うう。急に暑い。」
そういうと先輩は胸元のリボンを取ると、ワイシャツの第3ボタンまで外し出し、さらには靴下も脱ぎはじめた。
「ちょっ、先輩大丈夫ですか?」
「うん。」
嘘つけ。
「夏目先輩、ワイシャツのボタン、せめてあとひとつ閉めてください。」
ブラがチラチラと見えて目のやり場に困ります。
ボタンを閉めようと、先輩のワイシャツに手を伸ばす俺。
「嫌!」
手を弾かれる。
痛い。まさか甘酒で酔うなんて。
「うわっ!先輩!!」
油断していたら、ワイシャツのボタンを全部外す先輩。
「駄目ですって!しっかりしてください!」
「寝る時は脱がないと、シワになるれす。だかりゃ、脱ぐのは当然れす。」
何喋ってるかは何となく理解できるが…。
「うわぁ。逃げよう。」
自分のベットに戻り現実逃避する俺。
あ、電気消さなきゃ。
春日医師が消していかなかった電気を消す。
「先輩、大人しくワイシャツ着て寝てくださいね。」
自分の簡易布団に潜り込む。
ドキドキ。
いきなり脱いだ先輩にちょっとドキドキしながらも、眠りにつこうと心を落ち着かせる。
―――――――
……。
眠れない。夏目先輩が気になって眠れない。
ちゃんと服を着ているだろうか。
朝起きて服着てなかったら俺…明日どうなる事か。
布団から顔を出し先輩のベットを覗いてみる。
ワイシャツはボタンを全部外したまま横になっている。
スカート、脱いでるし…。
でも先輩は寝息を立てている。
再び布団に潜る。
早く寝よう。
何か明日の朝には俺やばいような気がする。
朝の心配をしていると、自然に眠気も現れ、気付いたら俺も夢の世界に誘われていた。
―――――――
何か暖かい。特に胸元が暖かい。
ふと目が覚める。
違和感。
「うわっ!」
夏目先輩が隣で寝ている。
マジか…。
夏目先輩は俺の胸元で寝息を立てている。
だから胸元が暖かかったらしい。
ワイシャツ一枚に下着一枚。
しかも抱き着いて眠っているから脱出も困難だ。
時計を見る。
朝の4時。あれから5時間くらい眠った計算だ。
それよりも、早く脱出しないと俺に未来はない。
まずは回された手を引き離しにかかる。
「いやぁ。かのん、だめぇ。」
寝言。どうやら夢の中で水無月に抱き着いて眠っているようだ。
ゆっくり再び腕を引き離す。
「んんっ。」
うわっ、先輩が胸元からこちらを見上げるように体制を変えた。
顔が近いよう~。窮地に陥る俺。
長い黒髪が鼻元をよぎる。
やばい、くしゃみ出そう。
やばい。
はっ、はっ、
「はくしょん!」
我慢できるわけない。だってくしゃみは人間の生理現象なのだから。
ぱちっと夏目先輩の目が開かれる。
ぱちぱち。
軽く右手で目を擦る先輩。
うわぁ、可愛い。
「…んっ、さかがみくん?」
「は、はい。お、おはようございます。」
はははと空笑いする俺。
誰か助けて。
「わたし…なんでさかがみくんと寝てるの?」
それは俺が聞きたいんですが…。
「!!」
「坂上…君?」
ガバッと起き上がる先輩。
「な、なんで!?」
先輩が声をひっくり返しながらも顔は真っ赤だ。
「俺も知りません!先輩昨日は甘酒で酔ってて!」
「で、でも何で坂上君と寝てるの!」
「別々のベットに寝たのに先輩が俺のベットにいたような流れです!」
「わ、私!」
ようやくワイシャツ一枚と下着一枚に気付いたようだ。
「……。」
「坂上君、やっちゃった?」
「何をですか!?俺出ますからちゃんと服着てください!」
病室を出ようとする俺。すると「くいっ」と背中を引っ張られた。
「な、何ですか先輩?」
すると先輩は左手を使いワイシャツで下着を隠すように座り、右手で胸元を隠しながら上目遣いで一言。
「わ、私のブラとスカート、知らない?」
か、可愛い。じゃなくて。
先輩のベットを無言で指差して俺は退室した。
廊下に出る。
先輩に叫ばれなくてよかった。
窮地は脱したらしい。
多分…。
15分くらいすると病室のドアが開く。
「入っていいわよ。」
リボンはしていないが、ワイシャツとスカートはちゃんと身につけたようだ。
「坂上君、かがんで。」
何だろう。とりあえずかがむ。
バシシィィ!!
思い切り平手打ちを食らう。
窮地はまだ脱していないらしい。
「先輩、ひどい…。」
俺、ただ寝てただけなのに。
「わ、私は坂上君に裸を見られたんだからね!」
被害者を主張する夏目先輩。もはや普段のクールキャラではなくなっている。
「お、俺も被害者ですよ!先輩が俺の布団に入ってきたんですから!」
「覚えてないわ。なら何で私あんな…あんな格好で寝てたのよ!」
思い出したのかまた顔が赤くなる。
「だから、甘酒で…。」
「し、仕方ないでしょう!私アルコールにかなり弱いんだから!」
「…というか坂上君、被害者って何よ!被害者は私でしょ?」
「絶対違います!!」
即答する。
「うう、私ばっかり辱められた。責任、取りなさいよね。」
「な、何ですかそれ!」
しかも俺、さっき思い切り平手打ち食らったし。
「・・・神杜さんにちくってやるわ。」
「夏目先輩、それは卑怯です!」
「だったら坂上君、あなたも私と同じ格好に一度なりなさい。」
「何ですかそれ…。」
「冗談よ。」
ですよね。
「くすっ。」
夏目先輩が吹き出す。
「あはは。坂上君って、面白い人ね。」
「そんなことはありませんよ。」
「花音が興味を持った理由が分かるわ。」
「昨日は酔って迷惑かけたわね。ごめんなさい。」
急にしおらしく謝る先輩。
「いえ。」
「もう帰る?迎えを手配させましょうか?」
「いえ、春日先生に帰りにまた呼ばれてますので。」
「何で?あなたはここの外来じゃないでしょ?」
やばい。どうしよう。
「診察なの?」
「えっと、まあ、そんな感じかな。」
あははと笑ってごまかす。
「嘘。」
ドキッ。
「坂上君、私に嘘は通じないわ。花音の主治医に何の用事なの?」
夏目先輩が俺のすぐそばまで歩み寄る。顔は真面目だ。冗談が通じる状況ではない。
窮地の次はピンチ到来…。意味的には同じだが…。
「坂上君、今素直に本当のことを話したら、このまま私を好きにしていいわよ。」
そういうと、俺の顔元に近づいてきた。心臓の鼓動が高鳴るのを感じた。
「夏目先輩…冗談はやめてくださいよ。」
「私は、花音の為なら何でもするわ。」
「水無月の為に、自分を犠牲にするんですか?」
「そうよ。」
そんなの悲しすぎないか?夏目先輩だって女の子だ。誰かの為にすべてを差し出す覚悟だなんて。
「夏目先輩、ひとつ聞いていいですか?」
「何?」
先輩との距離は変わらない。
「水無月に恋愛感情を持ってるんですか?」
「何の冗談?」
夏目先輩は即答する。さっきまでのなごやかな雰囲気はどこに消えたのか。緊張感が病室を包み始める。
「どうしてそこまでできるんですか?普通の友情以上のものを感じます。」
「くすっ。坂上君は女の子同士の恋愛に興味あるの?」
「そういうつもりで聞いているんじゃありません。」
「なら教えてあげるわ。」
「私は、恋愛感情で花音と接しているわけじゃないわ。私と花音は同じ境遇であり、どんなときもお互いを見捨てない。守り続ける。それがあの子との約束なの。」
「さあ、坂上君。質問の答えを聞かせなさい。」
こんなにも水無月を大切に思っているなら話してもいいんじゃないかと一瞬思った。
でも、それは許されていない。
「診察です。」
「それは嘘よ。」
即答。なぜ即答できるのだろうか?
「どうしてそう思うんですか?」
「春日先生は、水無月家の担任医師よ。意味、分からない?」
「分かりません。」
「つまり、よほどのことがない限り一般市民の診察をするような医者ではないのよ。」
!!
マジか…。知らなかった。夏目先輩のほうがこういう事に詳しいので、俺はそうとう追い込まれた形となった。しかも診察と嘘をついたのでもう疑いの眼差しに近い感じで見られている。
「坂上君?どうしたの?くすっ。次の嘘を探しているの?可愛い。」
小悪魔といった感じで笑みを浮かべる夏目先輩。
「花音の事で何か隠してるわね?」
「……。」
くっ、どうしよう。
「隠してる…わよね?」
冷や汗が背中を伝うのを感じる。先輩は多少笑顔ではあるが、目は笑っていない。
「…。」
観念すべきか、それとも違う嘘で乗り切るか。
「ふう、仕方ないわね。」
ため息をつき、ワイシャツのボタンを再び外しはじめる。
「せ、先輩!何を!?」
「叫ぶわ。あなたに襲われたってね。これで坂上君は、今日は神杜さんに会えなくなるわ。」
「くっ、どうしてそこまで気にするんですか!」
「言ったでしょ、花音の為なら何でもするって。」
ワイシャツの第2ボタンを外すと手がそのまま止まる。
「さあ、最後にもう一度聞くわ。これが本当に最後よ。いいわね?」
返事を聞かず、最後の質問を口にする。
「どうして春日先生に呼ばれているの?」
もう逃げられない。
「……。」
駄目だ、それでも水無月が生きているという事実を伝えることができない。これは俺を信じて話してくれたことを裏切る事になる。
「坂上君、それが答えなのね?」
ちこ、今日は俺、見舞いに行ってやれないかもしれない。ごめんな。
不意にちこの存在を大きく感じた。
ちこがもしこの場にいてくれたら、一体どうなっていただろう?
なあ、ちこだったらどうする?
話す?それとも春日医師の約束を守り通す?
俺たち、図書委員になるまで、ずっと平凡に毎日一緒に笑ったりしてたのにな。どうしてこうなってしまったんだろう。
急激にちこへ対する気持ちが溢れ出す。
俺は気付いていなかった。いつもあいつがそばにいてくれた日常を。
そばにいるのが当たり前すぎて忘れていた。
ちこが…あいつがいつもそばにいてくれた事。
お前なら、俺がどうなっても理解してくれるよな?味方でいてくれるよな。
信じてくれるよな。
自然に涙があふれる俺。
「坂上君?」
「泣いても無駄よ。」
容赦しない先輩。でも俺は、俺は…
自分の信じる道を選ぶ!
だから、絶対に水無月の話はできない!
「夏目先輩。無駄ですよ。そんなことをしても。」
「どういう意味?」
「たとえ先輩が叫んでも、俺の口から何も語りません。」
「やっぱり、なにか隠してるのね?」
「……。」
「どうして?どうしてそこまでして隠すの?」
「隠していません。先輩には関係の無い話です。」
すると先輩は叫ぼうとはせず、俺から視線をはずす。
「あ、花音…。」
「え?」
俺はその視線の先を振り向く。
その瞬間、俺は先輩にベットへ押し倒された。
先輩が覆いかぶさる。長い黒髪が顔に少し触れる。
「坂上君、どうして視線をそらしたの?」
「だって、せ、先輩が水無月って言うから。」
「花音は、死んだんじゃなかったの?坂上君?」
血の気が引いた。
「ねえ、花音は死んだのにいるわけないでしょ?なんで私の言葉を信じて視線をはずしたの?それって花音はまだ居た可能性が残ってるって意味じゃない?」
誘導尋問に乗せられたというやつだろうか。
「水無月は、き、昨日亡くなったじゃないですか…。」
「だったら坂上君、どうして昨日夜会った時は冷静だったの?」
「え?」
「今思うと、私とここで昨日会った時、何かすごく冷静だった。」
「それは夏目先輩を元気付けてあげたかったから。」
嘘をついた。これも見抜かれてしまうのだろうか?
「くすっ。嘘よね?」
夏目先輩の両手が俺の首に伸びる。
「私の花音をどこにやったの?返してよ…。」
「ちょっ、先輩!?」
何だか様子がおかしい。まさかまた昨日みたくパニック状態になってしまったのか?
「はあ、はあ。」
呼吸が乱れ始める夏目先輩。少し苦しそうな表情を浮かべ始めた。
「おねがい…、なんでもいうこときくから…おねがい…かのんをかえして…おねがい。」
怒ったかと思うと今度は子供のように泣きじゃくる。流した涙が俺の顔に落ちる。パニック状態に陥ると少女時代に精神が戻ってしまうのだろうか?
本当に小さな子供のような口調になっていた。
「おねがい…さかがみくん。おねがい…かえして。」
「わたしには、かのんしかいないの。かのんがわたしのすべてなの。」
「夏目…百合ちゃん?」
俺は子供をあやすように呼びかける。右手はナースコールを目指す。
「百合ちゃん、落ち着いて、深呼吸しようか?」
しかし、夏目先輩の手が俺の首を本当にゆっくりと絞め始めた。
「うう、ゆ、百合ちゃん。落ち着いて。て、手を離すんだ。」
だんだん力が増してゆく。左手でどうにか絞められないように抵抗する。
くそ、どこだよナースコール。右手は必死にナースコールを探す。
やばい、早くしないと本当に俺死んでしまうぞ…。
「さかがみくん、さいごのしつもん、こたえは?」
「……。」
「かは、ごほ、ごほ!」
ようやく首から手が離れる。すると今度はワイシャツを脱ぎ始める。
「もうおしまい。」
叫ばれる。だが、ナースコールさえできれば、パニック状態である夏目先輩が証明できる限り俺に逃げ道はまだ残っている。
くそ、ナースコールはどこだ!!
視線を右手に移し、ナースコールを目で探し始めてしまう俺。
すると右手を夏目先輩が強く握る。
「さかがみくん?なにをさがしてるの?くすっ。」
夏目先輩が、俺の最後の手段を奪い取る。
「なあに、おとこのこのくせに、ちがうおとなにたすけをもとめるの?くす。さいていね。」
「いま、はっきりりかいしたわ。」
「な、何を?」
「さかがみくんは、わたしの敵ね?かのんをわたしからひきはなそうとするんだ。」
「百合ちゃん、落ち着いて。深呼吸しよう?」
悲鳴をあげそうになる先輩。くそ、こうなったら!
「ごめん!夏目先輩!!」
「んんっ!!」
夏目先輩の顔を押し寄せ、キスして口を塞ぐ。
どんどんと胸を叩かれる。
今のうちに離したナースコールを奪い取る。
「痛てっ!」
唇を噛まれる。痛みをこらえながらナースコールを押す。
「きらい!だいきらい!」
「どうしました?」
ベットの上あたりのスピーカーからナースコールに応答が入る。
「夏目先輩がパニック状態です!処置お願いします!」
必死に叫ぶ。
夏目先輩は今度は俺の胸元を掴み、思いきり体重を後ろにかけた。
「うわっ。」
今度は俺が夏目先輩を押し倒す形になってしまった。
「くすっ。わたし…いまおそわれてるわね。」
く、そういう作戦か!
もうすぐ看護士が来る。お互いの攻防がひたすら続く。
どうしてこんなことになったんだろう…。
俺はとっさにベットから降りる。
最初からこうすればよかったじゃないか俺。
「どうしました!?」
看護士が駆けつけ、間一髪危機は回避できた。
「さかがみくんに急におそわれたんです!」
夏目先輩が乱れた服を強調しながら看護士に主張し始めた。
「違います!先輩はパニック状態です!」
「二人とも落ち着いて。」
先に看護士は夏目先輩を簡易診察する。
続いて俺。
「この女の子には安定剤投与。」
俺は異常なしと診断され、本当に危機は回避できた。
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