漆 夏の月は二人を照らす
夜も更けて、博麗神社の居間では、三つの布団が引かれていた。真ん中に千夢、左には魔理沙が寝ていた。魔理沙がおもむろに目覚めると、千夢の先にある布団の主がいなかった。
(どこ行ったんだ?あいつ...)
魔理沙は、千夢を起こさないように気を配りながら、そっと居間を出た。すると縁側の隅にじっと月の方を向きながら目を瞑って腰掛けている霊夢を見かけた。絹のように滑らかな髪が、雨上がりの夜風で靡き、白く透き通った肌は、洗練された美を感じさせた。まるでそこに月の精がいるかのような佇まいに、魔理沙は言葉を失くした。普段着ている紅白の衣装も横髪に付けている装飾もリボンも無い寝間着姿の霊夢は、神々しささえも感じるほどに美しく、そして儚かった。
「あら、起きたの?」
魔理沙に向けられた瞳がいつもに増して潤って見えたのは、その容姿だからだろうか。
「ま、まぁな。何してたんだ?」
やっと出た言葉は、あまりにも簡素で意味の無い言葉だった。
「月を見てたのよ。良いわよね、夏の月も。秋の月が一番空気が澄んでいて綺麗だそうだけど、私は澄み過ぎた月よりも、少し朧な月の方が好きだわ。まるで、ここの住人みたいだもの」
霊夢は可笑しそうにくすりと笑った。
「皆それぞれ、辛い事も、苦しい事もあるけれど、人前ではそれを出さないようにしている。時々、その笑顔の奥にはどれだけ多くの感情が入り混ざっているのか気になるわ。私にはそういった事が出来ないから。ほら、私ってすぐ物事言うじゃない?」
共感を求められた魔理沙は、無言の肯定をする。
「だから、時々凄く不安になるのよ。もし、この人から嫌われてたら...ってね。おかしいでしょ?博麗の巫女なのにね」
「...良いんじゃないか?それを思うのが当たり前だぜ。私だって、霊夢に嫌われたんじゃないかって思う時あるし」
「あるんだ」
「...なんかすまん」
霊夢はふふっと笑った。そして、霊夢が自分の隣をとんとんと叩いた。「座れ」と言っているのだ。魔理沙はそっと腰掛け、霊夢と同じように月を眺めた。
「夏終わっちゃうわね...」
「夏が終われば、秋が来るだろ?秋は秋で楽しいぞ」
霊夢は、こんなに夏が好きだったのか?それとも何か思入れがあるのだろうか。
「私ね、もともと幻想郷の人間じゃないの」
「...!?」
「外の世界の人間よ。母は私を産んですぐに死んでしまった。父は母の分までお金を稼いで私を育てようとしてくれた。悪い所にお金を借りてまで。私が4歳の夏、父は自殺したわ。借金の取り立て屋が私を人質に父の保険金を奪うために...。事故に見せかけて、父は死んでった。その時、初めて人の死を知ったわ」
つらつらと話す霊夢の姿を魔理沙は口が開いてることにも気付かずに聞いていた。
「元から霊感は強かったんだけど、父の死を目の当たりにしてからは、より一層強くなったわ。家も家族も失った私は、1人で路地裏で泣いたわ。泣き疲れた頃には、両親の元に行ける。そう思って...。そんな時に、紫に出会ったの。妖怪だなんて存在すら知らなかったから、私は1人が嫌で、紫について来たの。そして、博麗の巫女になった」
もう霊夢にかけるべき言葉は、魔理沙の辞書には無かった。
「今年の夏も、色々あったわね。色んな人妖がここに来て、ほれ夏祭りだ盆踊りだって勝手に宴会を開いては、飲み散らかして片付けずに帰って...私と魔理沙の2人で1日かけて片付けて...。新しい家族も増えた。千には、もっといっぱい教えたい事があるわ」
「なんで、お前そんな...」
「魔理沙」
霊夢は静かに親友の名を告げた。
「そろそろ寝ましょう?明日、霧雨のお家に行くんでしょう?」
霊夢はそう言って、腰を上げた。
「それにー」
そこで霊夢は言葉を止め、魔理沙に手を差し伸べた。
「明日は、千にスペルカードを教える約束したもんね」
誇らしげなその笑みは、痛いほど美しくて、そして、
ー儚かった。