参 神楽は月を映す
紫が来てくれた。
それだけで、安心してしまうのは何故だろう?
「今日の舞、とても素晴らしかったですわ」
その妖艶な声も、腰まで伸びた黄金色の髪も、何もかもが懐かしい。初めて出会った時と何も変わらないその姿。
「来ないでって言ったじゃない」
「あら、そんな事聞いていませんわ」
こうして他愛ない会話をしていても、何故か感じてしまう距離感。まるで、目に見えない結界でも張られているかのように。これが、人間と妖怪の境界なのだろうか。霊夢がそう考えていると、ほのかな甘い香が右耳のあたりからした。紫が霊夢を優しく抱き締めていた。
「考え事をしていますの?小難しい顔なんて貴女に似合わなくてよ?」
「気にしないで頂戴。そうね、月見酒でもしましょうか。御霊会で貰った酒や豆があるのよ。炒り豆なんてどう?」
私が考え事をすると、いつも紫はこうして抱き締めてくれる。まるで、人間と妖怪の境界を埋めるかのように。だけど、すぐにその境界は出来てしまう。
「なら、私が炒りますわ」
甘い香が遠く離れる。いつもの事なのだと分かっていても、何故か切なく名残惜しい気持ちになる。
「私も手伝うわ。早く呑みたいもの」
「酒に溺れるのは、辞めなさいな」
いいじゃない。貴女が呑んでいる間は、私だって呑んでいたいの。その言葉の代わりに、霊夢は紫の袖を少し引いた。
「月が綺麗ね」
「あら、嬉しいですわ。貴女の口からそのような言葉が聴けるなんて」
「そういう意味じゃないわよ。私は月を見てそう言っているの」
「貴女は素直ね」
酒の注がれた杯を片手に、霊夢は月を眺める。本当に綺麗な満月だった。大きくて、そしてその輝きに驕る事も無く、ただ顕著に夜を照らしている。
「霊夢」
紫が霊夢を呼んだ。
「月を見過ぎては駄目よ。月には妖力がありますもの。いくら貴女と言えども、月は危険なのだからー」
紫は、月を見てはいなかった。ずっと、霊夢を見つめ、その横顔を眺めていた。
「紫、妖怪は妖怪のままでしかいられないのかしら?」
「あら、難しい問いね」
「私、ふと思うの。この幻想郷には、人間も妖怪も沢山いるでしょう?種族は違っても、お互いに共生しているじゃない。なら、妖怪は人と触れ合って、人の考えに近づいたりしないのかしら?その逆もそう...。スペルカードも出来て、より人間と妖怪の力の差は埋まったはずなのに、それでも人間は人間、妖怪は妖怪でいるは何故なのかしら?確かに、半人半妖も少なからずいるわ。だけど、その数も僅かよ。もっといてもおかしくないじゃない」
霊夢は自分の訴えを述べた。人間も妖怪も生きる者に違いない。それなのに、人間は妖怪を恐れ、妖怪はその恐れなしでは生きていけない。世の摂理と頭では分かっていても、どこか腑に落ちなかった。
「面白い事を言うのね、霊夢。ならば、その答えを自らで見つけてみなさいな」
紫は、扇で目から下を隠す。
ー試されているー。
霊夢は、数秒口を閉ざした後、微笑した。
「相変わらず、紫は意地悪ね」
その声音は、琴の音のように満月の夜に弾けて消えた。