弐 蝶は月に舞う
第199季。
今年も幻想郷に夏がやって来た。夏の博麗神社は、それなりに忙しい。今は妖怪の山にある守矢神社にその信仰を奪われつつあるが、それでもこの時期は何かと神事は行われる。お盆などは命蓮寺などに任せているが(そちらが本職であるのだが)、神道でも御霊会と言って、亡くなった霊を鎮める儀式がある。
「こういうのも、命蓮寺に任せればいいじゃない」
「それを言ったら、もうこの神社おしまいだぞ」
紫に連れてこられた少女は、【博麗霊夢】と言う名前を付けられ、博麗の巫女として自由気ままに暮らしていた。隣で霊夢を宥めているのは、霧雨魔理沙。霊夢がこちらに来てすぐに出来た親友である。
「年に数回だろ?ちゃんとした巫女服を着る機会なんて。せっかく似合うんだから、そんなに嫌そうな顔をするなよ」
普段は紅白に脇の開いた服を来ている霊夢だが、今日の様な神事には、紅白の袴に、千早と言う衣を羽織っている。髪には装飾を施し、白い肌に口元の紅が映えている。
「あのねぇ、春と秋は良いわよ?でも、夏の御霊会だけは駄目。千早が暑すぎるのよ。それに、化粧なんてしたくない」
ごちゃごちゃしてるのが嫌なのよ。と霊夢は余計機嫌を悪くする。
「確かに化粧なんてしなくても霊夢は可愛いし、綺麗だもんな。羨ましいな」
魔理沙がよしよしと霊夢の背中を軽く叩くと、霊夢は反抗した。
「んなっ!?可愛いとか...言わないでよ、恥ずかしい。じゃあそろそろ行くわ。あとで栗羊羮奢ってよね」
そう言って、霊夢はひらひらと部屋を出ていった。
「ったく、世話の焼ける巫女さんだぜ」
魔理沙はくすっと笑った。
神事は厳かに進んだ。魔理沙はその様子を遠くの木陰から見守っていた。
「霊夢の舞、何度見ても綺麗だなぁ。蝶みたいだ」
「あら、貴女もそう思いますの?」
突然の声に魔理沙は対して驚かなかった。
「今日は来るなって言われてたんじゃないのか?」
「ここまで離れていれば、神事に影響はありませんわ。それに、私もあの舞姫の虜ですもの」
紫は扇を閉じた状態で自分の頬にそっと当てながら、霊夢の舞を眺めていた。それはまるで、花に魅せられた蝶のように。
「紫は、いつも見ているんだろう?」
「えぇ。あの舞を教えたのは私ですもの」
「なんか面白いな。妖怪の賢者である紫が、巫女の霊夢に神事を教えるって。まぁ、他に教える人間がいないのは事実だし、お前が1番博麗神社を知って...」
「そろそろ、私はお暇させて頂きますわ。あまり長くいても体に毒ですもの」
魔理沙の言葉を遮って、紫はスキマに消えた。
魔理沙は、その行動に口を出すわけでもなく、ただ片耳に入る鈴と紙の擦れる音を聴きながら、夏の暑さを感じていた。
ーーー
「あぁ〜つっかれた〜」
「お疲れさん。ほら、約束の栗羊羮」
「待ってました!これのために今日1日頑張ったのよねぇ!」
無事神事を終えた霊夢に、魔理沙は冷たい麦茶と1人前の栗羊羮を出した。
「残りは氷室に入れとけばいいか?」
「頼むわ」
「ん。あぁ、そうだ」
氷室に栗羊羮の残りを仕舞って、思い出したように霊夢の方を見る。霊夢を見ると、栗羊羮を美味しそうに頬張っていた。
「あの舞ってさ、紫に教わってたんだな」
それを聞いた霊夢は、ぎりっと魔理沙を睨む。
「みーたーなー!?」
「良いじゃんか。それに紫も見に来てたぞ?それは良いのか?」
「元々いつどこで見てるか分からないんだし、対して気にしてないわ。それに、教わったってより、見てただけよ。たまに小言を言うくらいだったもの」
霊夢は麦茶を飲む。乾いた喉に程よく染みる。
「そっか」
「なんか言ってたの?紫」
「いや、別に。ただ、紫が霊夢に巫女の仕事を教えてたってちょっと可笑しいなって思ってさ」
「仕方ないじゃない。私の先代の博麗の巫女は、私が巫女になる前に亡くなったんだから」
「だよなぁ。悪い、変な事聞いた」
魔理沙は、少し腰を上げた。
「良いわよ。今日泊まってく?手伝ってくれたんだし、それぐらいはするわよ?」
「いや、遠慮しとく。少しやりたい研究があるんだ。また今度頼むぜ」
「はいはい、集中するのも大概にね」
霊夢の言葉に、魔理沙は手を振って、そして夕暮れの空に消えていった。
魔理沙が帰ってしばらくして、霊夢はお祓い棒を手に舞を踊る舞台にいた。
シャラ...シャラ...
お祓い棒を動かす度に紙が擦れる音が静かに響く。霊夢は体の動くままに舞う。今日のとは違う舞を。人気のない夜の博麗神社で、蝋燭の火が風を感じ揺れる。誰に教わった訳でもないこの舞は、終わりなど無く、誰かが止めてくれなければいつまでも永遠に続く。ただ無心に、ただ己の体の動くままにー。
「霊夢」
艶やかな声音が聞こえ、霊夢は舞を辞める。
「いらっしゃい、紫」
月明かりに照らされた巫女と妖怪が、双眼を交わらせた。