老婆
早苗がカーテンに手を掛けると、それはゆっくりと開かれた。
ベッドの枕側を高くし、横たわる女性の姿が徐々に目の前に現れた。
紀代美より早苗に面影が……
翔太は息が止まった‼︎
女性は背もたれに身体を預け、何処と言う訳でなく、多分意志も無く宙を見詰めていた。
しかし、それよりも先に翔太の目を凍りつかせたのは、その女性の身体に絡み付いた老婆の姿。老婆は何も語らず、じっとこちらを見ていた。
「ひっ!」
翔太は思わず声を漏らした。
「何っ!翔太びっくりするじゃない!」
突然大きな声を出した翔太に驚き、桜も思わず大きくなった自分の声に焦った。そして、声のトーンを出来る限り落とし、逸る気持ちを抑え
「何か見えるの?」
そう聞きながら、翔太の返事を待つ桜の瞳が、キラキラしていたのを翔太は見逃さ無かった。
どうなっているのか?1度逸らした視線を恐る恐る戻す。
やはり此方を見ている。
出来るだけ視線に気付かない振りをしながら、気を付けて全体を見た……が、良く分からない。
老婆の身体は変な方向に捻じ曲がっているのに、顔だけが、しっかりこちらを向いている。その顔は、多分微笑んでいる模様。
多分?を付けたその微笑みと思しき表情は、全体的にいびつに歪んだ顔に、口元は所々欠けた歯を見せ大きく横にひっ釣れて開いていた。その様は、とても一般に言う微笑み?とは程遠く、翔太の背筋を凍らせるには充分おぞましく見えた。
翔太に気付いているのか、その視線はずっと翔太を捉えている。
秋田川が、すっと翔太の前に立ち塞がった。
「翔太?翔太‼︎」
桜が心配そうに翔太の顔を覗きこんだ。
「あ、ごめん。…………分かった」
そう言って、翔太は扉の方向に歩き出した。
桜は翔太に付いて部屋を出た。
紀代美と早苗は怪訝そうに見送った。
「翔太。大丈夫⁈何が見えたの?」
「お婆さん……?」
「お婆さん?仁絵さんじゃないの?」
「仁絵⁈」
後ろから突然大きな声がし、翔太と桜は飛び上がりそうになった。
振り返ると文也が立っていた。忘れていたがずっと部屋の外に居た様だ。
「仁絵って……君達が何故彼女の事?」
初対面の相手から飛び出した、忘れかけていた……いや、忘れたくても忘れられない名前に、文也は動揺した。
桜はチッ!軽く舌打ちし、面倒臭さそうに文也をあしらった。
「……怖っ!」
翔太は思わず、言葉が漏れた。
「今は構ってられないの。話しに割り込んで来ないでくれる!」
桜は文也に話し掛けるな!と、まるで犬の躾でやる様に、無言で掌を文也に向け『待て!』とやった。
「で、翔太どんな様子だったの?」
「え?ああ……」
このまま文也を無視してても、結局この人抜きでは話しが進まない気がする。ま、正直に話してくれればの話だけど……翔太は悩んだ。
「あの……文也さん。仁絵さんにお婆ちゃんの話しを聞いた事有りますか?」
「お婆ちゃん?……」
文也は眉間に皺を寄せ、翔太と桜の顔を交互に見比べた。
「この人入ると面倒になるよ!花園さんのお母さんに嫌われてるし」
さっきから面倒そうな桜にムッ!っとしながら、無表情に文也が口を開く。
「両親が亡くなって、婆さんに育てられたって言ってたけど……婆さんには凄く世話になったって、それが?」
「あの家で、不思議な経験をした事は?」
「不思議な経験?ある訳無いだろう!どいつもこいつも、何だってそっちに持って行きたがる。さっきから何なんだ。こっちの質問にも答えろよ!お前等はここで何してる!」
文也は家の事を言われると、とたんに不機嫌になった。
桜から聞いた紀代美の情報の中でも、文也は家に触れると機嫌が悪くなるらしい。
確かに気持ちの良い話では無いが、この状態になっても完全否定を貫くのには、何らかの事情があるに違いない。
そしてその何かを、文也は必死に隠している。翔太にはそう見えた。
「本当に?……あれだけ強い念がこもった家、霊感が無い人間だって、何らかの違和感があった筈だよ⁈」
文也の質問には答えず、直球を投げて見た。
珍しく強い口調で問う翔太に、桜は只ならぬ雰囲気を感じた。
翔太の真っ直ぐな目に、文也は視線を逸らした。
「あんた!仁絵さんの時みたいに、佐登美さんを見殺しにすんのか⁈」
翔太は冷たく、軽蔑を込めた言葉を文也にぶつけた。
文也は、激しく反応した。
「な、な、何言ってる!誰を見捨てたって言うんだ。そんな事有る訳無いだろう」
一気に顔が赤くなり、声を荒げた。
頭に血が上ったせいか、言葉が思う様に出て来ない。
「だったら教えてよ。仁絵さんが亡くなった時、あんた何してたの⁈」
珍しく翔太の挑発的な話し方に、桜の方が面食らった。
「お前は一体何なんだ!佐登美の病気に仁絵がなんの関係が有る。子供が、面白半分に首突っ込むな‼︎」
挑発された文也の怒りも沸点間際。
「佐登美さんの症状の原因は……どんな形であれ仁絵さんが関わってるのは確か……で、取り敢えず今現在、佐登美さんに取り憑いてるのは……多分仁絵さんのお婆ちゃん」
急に穏やかな口調で話す翔太、文也は怒りの矛先を無くした。
そして、翔太の言葉に混乱した。
「…………何言ってる⁈」
「正直に言わないと、本人に聞けば全部分かっちゃうのよ。翔太にはそう言う力が有るの。ただのガキンチョじゃないんだから!」
翔太の迫力に押され気味な桜も、負けじとタイミングを見計らい言葉を挟んだ。
「…………?」
「でもあのお婆ちゃん、見た目相当怖いけど……そんなに悪意を感じ無いんだよなぁ。本当にやばいのは……多分、家の中」
「何を言ってるのか、全く分からない」
文也は首を振った。
「まだ惚けるの?それで佐登美さんを守ってるつもり?そんなんじゃ、佐登美さんに合わせて貰えないのは当然じゃないのかなぁ」
その時、翔太の背後の扉が静かに開いた。
「あの?……」
半分開いた扉から顔を出し、申し訳無さそうに紀代美が声を掛けた。
紀代美は、文也を見てギョッとした。
「文也さん、まだ居たの?」
半分閉まっていた扉が、勢いよく開けられた。
早苗が顔出し、ぐるっと一同を見渡す。
文也に気付くと、早苗の眉間に皺が寄り、一気に不愉快そうになった。
「あなたまだ居たの!いい加減にしてって言ってるじゃない!性懲りも無く呆れた人だわ。とっとと帰りなさい‼︎」
早苗の甲高い声が廊下に響く。
紀代美は唇の前で人差し指を立てながら
「しっ!しー!」
と、興奮して大声を出す早苗に向かって言った。
「お母さんここは病院よ。そんな大きな声出さないでよ!恥ずかしい」
紀代美が、珍しく険しい表情を見せた。
親子の間では珍しく無いのかもしれ無いが、翔太と桜には新鮮に映った。
「あの、藤城君!さっき言ってた、分かったって……どう言う事?」
そう言ってこちらを見た紀代美の表情は、いつもの紀代美に戻っていた。
「えっとー……」
「翔太、説明しといた方が良いんじゃないの?」
翔太を促す桜が、子供に世話焼く母親みたいに見えた。
「……ああ、うん!でも、大丈夫かな……」
翔太には、少し不安があった。