有る組織からの情報
1週間後、桜は慶城寺総合病院前バス停で紀代美と待ち合わせしていた。
抵抗したが、結局翔太の姿もあった。
早目に着いた2人は携帯をいじりながら、バス停に設置されたベンチの端と端に座り、紀代美が来るのを待っていた。
反対側の端っ子から桜が話し掛ける。
「この間の話!情報があったわ」
「……?この間の話?」
携帯から目を離し、桜の方を見ながら首を傾げた。
「有る組織からの情報によると……」
眉間に皺を寄せ、何処かの探偵の真似でもしてるのか?難しい顔した桜が、ゆっくり話始めた。
不審死した仁絵の夫である文也は、警察に呼ばれ連日事情を聞かれた。
妻は職場で虐めに会っていたんです。
毎日毎日ストレスでボロボロになって、そして、少しずつ精神を病んで行きました。
僕が早く気付いてあげていたら……
妻は日に日に酷くなる一方で、表に出る事を嫌い、食事も殆ど取らなくなっていました。
心配で病院を勧めた僕や僕の両親の事も、妻は激しく罵倒する様になりました。
亡くなる1週間前、妻は特に機嫌が悪く狂った様に暴れ、手が付けられ無い状態でした。
僕達は家を追い出され、いくら頼んでも家に入る事を許して貰えませんでした。
両親と行く当ても無く何日も彷徨い歩き、そろそろ妻の機嫌も少しは和んだかと思い様子を見に戻った所、あんな事に……
そう言って文也は泣き崩れ、それ以上語る事は無かった。
て、事らしいの……桜はそう言って
「こんな話、納得出来る?」
不満気に付け加えた。
有る組織って、それ警察じゃないの?
いいのかなぁ……そっちが気になって、内容が殆ど入って来なかったよ。
約束の時間通り、バスから降りて来る紀代美の姿が見えた。
「来栖川さーん、お待たせ」
桜に気付くと、手を振りながら近付いて来た。
「色々面倒掛けてごめんね。藤代君も、今日はありがとう」
紀代美はそう言って、翔太に向かって丁寧に頭を下げた。
学校以外で紀代美に会うのは初めてで、翔太はなんとなく照れ臭くて、顔を見ずに軽く頷いた。
「大丈夫なの?僕等みたいな部外者!お母さん嫌がるんじゃないのかなぁ?病院だって、僕等が居たりしたら迷惑じゃ……」
翔太は、気乗りしていないアピールをしてみた。
「母には説明してあるし、病院は……なんとか。あなた達の活躍は色々聞いてます。最後の砦なの、これが駄目なら諦めるしか無いから」
活躍?って、何?何?最後の……砦⁈ええ?……って何かすっごい責任感じるなぁ、一体僕等は何者になってるんでしょう?
役に立てる保証なんて無いのに……
まるでインチキ霊媒師だよ!
やばいよ訴えられるよ!
どうなのさ、桜さん!
やっぱ付いて来るんじゃ無かったなぁ……。
翔太は不安と後悔でいっぱいになっていた。
「じゃ、行きましょうか」
そう言って、歩き出す紀代美。
桜は意気揚々とそれに続き、不安だらけな翔太は足取り重くそれに続いた。
『慶城寺総合病院』ここらでは1番大きな病院で、最近新設された。
翔太は今日初めて訪れる。
桜は常連さんの関係で、何度か来た事が有るらしい。
正面入口を入ると、いきなり1階フロア全体が視界に飛び込んで来た。
天井の一画がガラス張りになっていて、そこから差し込む陽射しが室内全体を照らしていた。近代的で、清潔感がある。
翔太は暫し見とれていた。
正面奥には、受付カウンター。
今日は日曜日なので、シャッターは閉じられているが、大きな文字が離れたこちら側からでもはっきりと読めた。
手前には沢山の椅子が並んでいるが、今日は赤ん坊を抱いた母親と、幼稚園児位の男の子が椅子の間を走り回っているだけだった。
紀代美は迷い無く右に進む。
翔太は物珍しく、キョロキョロと辺りを見渡しながら歩く。
壁に設置されている案内板が目に入った。
『東棟へは、オレンジ色のラインをお進み下さい
西棟へは、緑色のラインをお進み下さい』
と書いてあり、床にはそれぞれラインが引いて有る。
翔太の足元にはオレンジ色のライン。
どうやら紀代美は、東棟に向かっている様子。
暫く進むと、
『この先職員以外立ち入り禁止』
と書かれたガラス張りの壁。
手前に並ぶ4台のエレベーター。
紀代美は上のボタンを押し、早く着きそうなエレベーターの前に立つ。
最初に到着したエレベーターに乗り込むと、8Fのボタンを押す。続けて開のボタンを押して、桜と翔太が乗るのを待った。
エレベーターが上がって行くのを、無言で待つ3人。
今更ながら、女子2人と密室に居る気不味さを、翔太はひたすら扉の上の階数をじっと眺めて紛らわした。
エレベーターが8Fに到着し、扉が開く。
同時に男女の言い争う声が飛び込んで来た。
「お願いします。合わせて下さい!」
「帰って!今更何しに来たの⁈帰りなさい‼︎」
「お母さん‼︎」
「辞めて!お母さん何て呼ばないで。わたしは最初から、あなたとの結婚は反対だったのよ。さっさと離婚届にサインして、2度と佐登美に関わらないで!」
紀代美の足は動かなかった。
後ろを歩く、翔太と桜の足も止まったまま。
紀代美の気持ちは分かる。
急かすつもりは無い、紀代美に判断を任せ待つ事にした。
言い争う女性の方は、紀代美と佐登美の母早苗だろう。紀代美とは余り似ていない気がするが、きっと紀代美は父親似?なのだろう。
一方相手は、佐登美の夫文也と思しき30代位の男性。ヒョロっと背が高く、色白で神経質そうな印象。
2人は病室の前で押し問答をしていた。
状況は知られてはいるものの、実際に身内が揉めている姿を、同級生の目の当たりにする事は抵抗があるだろう。
『どうしたものか?』暫し考えている様子だったが、2人の押し問答は終わる気配が無い。
それ以上に、ヒートアップしそうな状況。
「少し待ってて貰える?」
そう言って1人歩き出し、早苗と文也の争いに割って入った。
紀代美は何やら早苗に話している。
その間納得が行かない文也は、まだ立ち竦んだままその場を離れ様としない。
早苗は驚いた顔で、こちらを振り返った。
慌てて笑顔を繕い、お辞儀をして来た。
桜と翔太も頭を下げた。
紀代美に呼ばれ桜と翔太が近くと、文也が訝しげに目で追う。
「文也さん。あなたには関係無いわ。良い加減に帰って、これ以上しつこくつきまとう様なら考えが有るわよ」
文也に向けられた早苗の声は、かなり苛ついていた。
気を使ってか、声のトーンを下げてはいるが、こちらにも良く聞こえていた。
「今日は、本当にありがとうございます!」
そう言って、振り返った早苗は笑顔だった。しかし良く見ると、その笑顔は引き攣り、強張っていた。
八方美人で、いつも愛想の良い桜だったが、珍しく素直に笑顔を返す事が出来ず戸惑っていた。
「さっ!娘に、佐登美に会ってください」
扉には、面会謝絶と書かれた札が下がっている。
文也は諦めきれなそうに扉を睨んでいる。
早苗が静かに扉を開けると、部屋の奥にカーテンが見えた。
先に早苗が部屋の中へ一歩踏み入れる。振り返り翔太と桜に『どうぞ』と言う仕草をしてまた歩き出す。
2人は早苗に付いて中に入った。
最後に紀代美が部屋へ入ると、静かに扉を閉めた。
悔しげな表情の文也が、ゆっくり閉まる扉に消されて行く。