一吾の娘
全員目を開けた。
「酷い話ね……散々好き勝手して、その上呪うなんて、何処まで人間腐ってるの」
桜が悔しそうに声を上げた。
皆同じ思いを感じていたが、暗く重い空気に言葉が出なかった。
早苗は既に目覚めていたが、晴夫に促されビジョンを見る事を辞めていた。
状況は全く飲み込めていない様だが、老婆の影をまだ引きずっているのか、気分が悪そうだ。
「青酸カリ?……でも、お爺さんて、お婆さんが亡くなって10年以上生きてたんじゃないの?」
「ああ確か……そうよね。とても青酸カリで殺したにしては時間かけ過ぎじゃない?」
「仁絵は、爺さんに薬なんか飲ませて無いと思うよ。爺さんは事故で亡くなったらしいから……」
翔太と桜の話に文也が割って入った。
「事故⁉︎……お爺さんって、事故で亡くなったの?」
翔太は文也の言葉が意外だった。
「どんな事故だったの?」
桜は冷静に問い掛けた。
「仁絵も短かかったとは言え、看護師経験者だからね。婆さんに渡された薬が、爺さんの持病の薬じゃ無い事位はすぐに分かったって……。
婆さんが亡くなって、仁絵が出て行かない様に、今度は爺さんが身体が不自由なふりして仁絵に介護させてた。仁絵が買い物や用事で出掛けてる間、身体が鈍っちまわない様、家の中をうろついてた事も仁絵は知ってた。その日も、いつもの様に歩き回りながら庭先に出て、池の周りを散歩でもしてたんだろう。それで足を滑らせ池に落ちた。
打ち所が悪かったのか、そのまま気を失い溺れてしまったと」
「池?以前あの家を見に行った時、家の周りを一周したけど……池何てあったかなぁ?」
翔太が首を傾げながら、独り言を言うと、
「はー?見に来た?……」
文也の声は不機嫌そう。
「池は、今はもう無いよ!あの家を建てる時に必要無いって……母さんが業者に頼んで埋めさせてしまったからね」
「無い?埋めた?確かに事故とは言え人が亡くなってたら、不気味っちゃ不気味だけど……」
「埋めたのは……事故の話を聞く前だけどね。だからもう無い‼︎!」
それ以上池の話はしないと言わんばかりに、文也は強く言い切った。
「仁絵さん、薬の話まで文也さんにしていたんですか?」
文也は質問が変わった事に、少し気を許して話し出す。
「あの家を建て変えた時に、仁絵の荷物から母さんが薬瓶見つけたんだ。本当はこれで爺さん殺したじゃないのか?って、母さんが言いだして、なんかやけにしつこく仁絵を問い詰めてた。仁絵は必死に言い訳してたけど……でも、その薬瓶、捨てようと思ってずっと探してたのに、何で今そこに入ってたんだろうって、不思議がってたなぁ……仁絵」
「何でお母さんは仁絵さんが、お爺さんを殺したと思ったの?」
「青酸カリなんて、普通、家に置いて無いだろう。だからじゃないの?」
文也の口調が、また少しイラついて来ているのが分かる。
「まーね!……お婆さんの実家は薬問屋……の関係からかしらね」
「そんな事、今初めて知ったんだ!母さんは知らなかったと思うよ」
相変わらずこの人は、母親の事が話題に出ると途端に不機嫌になる。
それは以外と、本人も母親を疑っていたりするのか?それを他人に知られ無い為に、必死に繕っている……のかもしれない。
仁絵が小学生の頃だったろうか……。
1度だけ……一吾が愛人に産ませた娘と言う女が、訪ねて来た事があった。
老婆……いや八重子が独り言なのか、唐突に話し始めた。
「え?」
翔太は思わず聞き返したが、八重子の耳には届いてないのか?それとも面倒なので無視しているのか?(多分、後者だろう)話を続ける。
愛人は山程いたが、一吾は以外にも愛人達に子供を産ませなかった。
さっき迄敬語で話してたのに(何気に気を遣っていたらしい)……今は翔太しか聴こえて無い事を知っているのか?って言うか、自分には気を遣わないの?翔太は、細かい事が気になった。
そんな翔太の気持ちを他所に、八重子は話続ける。
こんな奴にも律儀なところがあったのかと、しおらしさを一瞬でも感じた自分に嫌悪した。
人の気持ちを慮る等、一吾に限って皆無だった。
子供を堕ろす事を拒めば、殴る蹴るを繰り返し、2度と子供の出来ない身体になった者もいたと言う。
もしかして一吾自身、自分が鬼神で有る事を知っていたのかも知れない。
鬼神が鬼神を産む!
やがて敵となり、目の前に立ち塞がる事を恐れ、そう言う存在を排除した。
だが、その娘の母親だけは特別だったらしい。唯一子供を産む事を許し、土地を売った金の一部まで渡していた。
しかし、娘に対しては、認知はせず会いに行く事も無かったと言う。
要するに子供が産まれた時点で、手切れ金を渡し、親子共々捨てた!と言う事だろう。
捨てるつもりなら、何故その愛人にだけ子供を産ませたかは謎だが……。
その娘はいきなりやって来て、自分には財産を貰う権利が有るだの、親子鑑定しろ!だのと、わたしの目の前で平然と言ってのけた。
図々しい娘!人となりが一吾そっくり。
強欲で姑息で嫌な女だった。
ああ……これは確かに一吾の娘だ!と確信した。
母親に羽振りの良い思い出語りでも聞いて来たのか。随分と期待している様だった。
実際は、今住んでいる建物と建物の建っている僅かな土地位しか、もう財産と呼べる物は残っていなかった。
それを一吾は、いい加減な話を聞かせては、娘の反応を楽しんでいた。
目を輝かせ食い付いて来る娘が、愉快で堪らなかったらしく、大ボラ吹いては、その様子に満足していた。
冷静に人となりを見れば分かる物を、娘は術でもかかった様に一吾を信じ切っていた。
落ちぶれた当主の癖に!娘の前で見栄を張る等、そんな殊勝な心掛けを持ち合わせていた訳では無かろうに……
勿体ぶらずにさっさと現実を見せて、諦めさせれば良かったんだ。
やがて、散々夢を見せられた娘に、お前には一円もくれてやらぬと、一吾は追い出した。
それで納得して引き退る娘では無かった……
しかし、それから、どうなったのか……記憶が……途切れて……
そう言って八重子は目を閉じ、動かなくなった。
眠ったのか?いきなり……?
翔太はじっと目の前の老婆を見詰めた。
やっぱり不気味だ……
でも、こんな話聞いちゃうと、遣り切れない。
気の毒な人なんだなぁ……
翔太の中では、だんだんと怖いと言う気持ちは薄れていた。
「だからー、仁絵さんと会う以前に、文也さんは既にお爺さんと会ってたんじゃないんですか?って聞いてるの」
さっきまでの雑音が、急にはっきり聞こえて来た。
桜の苛ついた声だ。
「だからだからって、相変わらずトンチンカンな奴だなお前は!んな訳無いだろう」
文也が呆れて言い返してる。
相変わらず気の合わない2人だなぁ……
翔太は2人のやり取りを、ぼんやり離れたところで見ていた。
まだ気持ちを、切り替えられずにいる。
「あなたの友達の大倉祐一さん!相談しましたよね?」
「祐一に相談?……なんの事だか、全く記憶に御座いませんが?」
ああ……またそんな事言っちゃて、大倉さんがチクったみたいになっちゃってるじゃん!
「惚けないでよ!仁絵さんと結婚する前、大倉さんに会ってるでしょ?」
「祐一とは……園を出て以来会って無いけど?」
「あなたふざけてるの?」
「マジだよマジ!会って無いって!」
「文也君!この際だからもう、秘密は無しにしようじゃないか」
堪え兼ねた晴夫も、桜に加勢して口を出した。
文也は困った顔をしている。
桜は腕を組み、右手の親指を唇に押し当て考え込んだ。
大倉さんが嘘言ったのかな……いやいや、あのタイミングでそんな嘘付く理由は無いだろう……翔太も混乱した。
「って言うか、祐一に会いに行ったって、お前一体何がしたいのよ!それで、俺の何が分った⁈」
「そうねー、まだまだ分からない事だらけね。
本人に聞い方が早いかしら?素直に話してくたらの話だけど……」
そう言う桜の声は、さっき迄と違って低く冷静になっていた。
「ねぇ、どうしてそんなにお母さんに忠実なの?
どうして仁絵さんと結婚したの?
どうして、佐登美さんとの結婚を急いだの?
お婆さんは何故亡くなったの?」
桜は立て続けに文也に疑問を投げた。
「な……母親なら当たり前じゃないか!……つうか、婆さんって?あれ?」
今は見えないが、佐登美の側に居るであろう先程の老婆、八重子の方に目線を送りながら、
「俺が、知る訳ないだろうよ!」
良い加減面倒になってきてる様子の文也は、不貞腐れ気味に答えた。
「違うよ!文也さんのお婆さんだよ!」
思わず翔太が文也の話に飛び付いた。
「はーっ!何だよお前迄!俺の?俺には婆さん何ていないから」
「えっ⁈覚えて無いの?3歳頃って言っても、薄っすらくらい記憶あるでしょう⁈」
そう言えば文也の口から、お婆さんの話は1度も出た事が無かった。まさかまるで記憶に無いとは、翔太は予想もしなかった。
「分かったわ。もう良いわ」
桜は何か納得して話を辞めた。
「なんでさ!酷いよ文也さん」
翔太はムキになっている。
突然、勢い良く扉が開いた。
強く開かれた引き戸が、行き止まりで大きな音をたてる。静かな病院に響く音に、全員が一斉に扉の方へ注目した。
仏頂面の敏子が立っていた。
全員無言のまま、釘付けになった。
敏子はズカズカと無造作に入って来ると、早苗や晴夫、紀代美に向かって、
「あら、お揃いで。丁度良いわ、文也!離婚届貰って来たから、さっさと書きな!そっちは……誰でもいいから」
敏子は文也に離婚届の入った封筒を突き出し、早苗達の方へ無表情に視線を向けた。
「母さん!辞めてくれよ。佐登美とは別れるつもり無いから」
「はーっ⁈いつからそんなに偉くなったんだ!楯突くんじゃないよ‼︎こんなのにいつまでも付き纏われて、こっちは偉い迷惑なんだよ!」
敏子はヒステリックに叫び、封筒を文也の顔に投げ付けた。
早苗と晴夫は『こんなの⁈……付き纏う?』憤りながら顔を見合わせた。
しかし、ここで反論をすれば、敏子のヒステリーはヒートアップするのは間違い無い。病院での騒ぎは憚れる。
早苗がグッと我慢をすると、晴夫が肩を抱いた。
紀代美は泣きそうな顔をしている。
翔太と桜は黙って見てる事しか出来ない。
開け放たれたままの扉を、軽くノックする音。
年配の看護師が眉を顰めて入って来た。
「どうしました⁈大きな声で!ここは病院ですよ。他の患者さんの迷惑ですからお静かに‼︎」
そう言って看護師は、敏子の目の前に仁王立ちした。
「あんた!……」
敏子は目の前の看護師を見て言葉が詰まった。
固まっている敏子、その顔は血の気が引いて見える。