呪縛
日曜日。桜と翔太は再び、慶城寺病院前のバス停のベンチにいた。
約束の時間通りに、バスが停留所に滑り込んで来る。
バスの窓から、翔太と桜を見つけた紀代美が手を振って来た。
バスは停留所に停まると、何人かの乗客を降ろし走り去った。
その中から、紀代美の姿だけが近付いて来る。
「お待たせしました。今日もよろしくお願いします」
そう言ってお辞儀をする。
相変わらず今日も礼儀正しい。
病室の前迄行くと、文也が待っていた。
3人の顔を見て、ほっとした顔をした。
「あ、文也さん、早かったんですね。
今日は父も来てるんです。母と先に来てるので、中にどうぞ」
紀代美が扉を開け、一同を部屋へ誘導した。
ベッドの上の佐登美は未だ宙を仰いで居る。
老婆は……まだ巻き付いている。
前回より多少長く老婆を見る事が出来た。
老婆の身体は、蛇の様になって佐登美に巻き付いているらしい。
目の前に現れた文也に、口を大きく開け威嚇した。が、文也には見えていない。
「ひっ!」
相変わらず不気味な姿に翔太の背筋が凍る。おまけに、声なのか?それとも何かが漏れているのか?『シューシュー』と、得体の知れない音を出している。
「翔太。どうしたの?しっかりして!」
異様な老婆に怯む翔太に、後ろから桜が声をかける。
「分かってる!」
翔太は桜に見透かされた事に、少しイラっとした。
チクショー!このお婆さん見たら絶対みんなビビる筈なのに、自分にしか見えない事が恨めしい。
老婆も苛立っているのか、やたら巻き付いた身体を揺らしている。その度、佐登美の身体も動く、それだけ見たら佐登美の身体が痙攣している様にしか見えない。
早苗が心配そうに、佐登美の身体を摩っている。
その横で見守る50前後の男性。
ビシッとスーツを着た真面目そうな男性。
翔太はその男性と目が合った。
「初めまして、私佐登美と紀代美の父、花園晴夫と言います……話は娘から聞いています。そちらの世界の事は全くの無知で、半信半疑で申し訳無いが、今日はわたしも参加させて頂きたい」
紀代美は多分、顔がと言うか性格が、父親に似たんだろうと確信した。
翔太は桜に助けを求めるサインを投げたが、あっさりスルーされた。
取り敢えず
「藤城翔太です!」
と、小声で言って、お辞儀をした。
何とか翔太が、精一杯の挨拶をする脇で老婆が叫ぶ。
「何故こんな奴を連れて来た」
食い付きそうな勢いで、目の前に立つ文也を睨んでいる。
ちょっと空気読んでよ……他の人には見えないし、聞こえないんだから。
ここで応えたら、絶対初対面のお父さんに、挨拶が苦手で誤魔化してる見たいに見られるじゃないか。
しかし老婆はそんな翔太の気持ちを知ってか知らずか、より一層怒りを露わにしながら、
「その男を、この部屋から追い出せと言っているんだ!」
そう言って、激しく身体を揺さぶった。
佐登美の身体も激しく揺れる。
早苗は益々佐登美の身体を摩り、
「佐登美!」
と悲痛な声をあげ、抱き締めた。
老婆は早苗にも、大きく口を開け威嚇した。だが、やっぱり早苗にも見えていない。
何となく、野良猫が人間に威嚇しているイメージ。そう思ったら、だんだんその姿にも慣れて来た。
「ああ……この人がいないと、あの家に入れ無いし、その為には分かっててもらった方がいいし……そっちも、聞きたい事があるんじゃないの?」
半分ヤケ糞気味に、老婆の怒りを遮った。
老婆は目を細め、染み染み翔太の顔を眺める。
「やはりお前、私が見えてるのか?」
「今更⁈まぁね。迷惑な話し!」
翔太は引き攣った顔で苦笑いした。
試したのか?……。
その様子をじれったそうに見てる桜と、好奇の目で見る父晴夫と早苗、そして紀代美。
文也は胡散臭そうに、遠巻きに様子を伺っている。
「お婆さんは何故?そんな姿でその人に巻き付いてるの?」
「呪いだ!」
「呪い?その姿は呪いなの?で、佐登美さんは?佐登美さんも呪われてるの?は何故?」
「その男のせいだ‼︎」
そう言って、文也の方へ顎をしゃくった。
「その男が……仁絵を裏切るから。仁絵の失望が、魍魎の力を増幅させてしまった」
「魍魎……?」
「全ての元凶はわたしの夫、東城一吾にある…殺しても尚、苦しみは続く」
「殺した⁈……誰が?……お婆ちゃんが殺したの?」
老婆は目を閉じ、ゆっくり頷いた。
「あれ?でも、旦那さんよりお婆ちゃんの方が先に亡くなってるでしょ?」
「仁絵に……だが、仁絵の知るとこでは無い!何も告げず、わたしが仁絵に託した。仁絵は純粋に一吾を介護し、持病の薬と信じ飲ませ続けていただけだ。本当はわたしがやる筈だったんだが……無念、間に合わなかった……」
「さっきから一人芝居して、意味分かんないんだけど」
「文也さん……」
紀代美が叱る様に、小声で呼んだ。
「確かに何が何だか、良く分から無いわね」
早苗が珍しく、文也の言葉に同調した。
「そうね……本人も話すのを拒んでいる訳じゃなさそうだし、そろそろどう?翔太!わたし達には、話が全然見えないわ」
「今度は何が出て来るんですか?もう何が出て来てもそうそう驚かないけどね」
文也の冷やかしの声に、桜は応え無い。
何か反論が来るかと臨戦態勢の文也だったが、桜に肩透かしをくらった感じがした。
「わたしの家は、先祖代々死者と遺族を繋ぐ仕事をしています。遺骨を使って、亡くなられた方をお呼びし、遺族と再会させる。それが仕事です。これには成仏する事が条件ですけど」
桜は、まず自分の説明をし始めた。
「少しだけですが、娘から聞いています。しかし、正直そう言う仕事が有る事すら……申し訳ないが今迄全く知らなかったものですから」
「いえ、特殊な事なので、一般的には……極限られた方達にしか知られていませんので」
「限られた方達?……」
「基本常連さん限定なんです。若しくは、その紹介で来る方が時々」
「本当は家なんかが……ごめんなさい」
紀代美が、今更ながら恐縮して頭を下げた。
「あ、いえ!それは仕事の話で、今はわたし個人で関わってる事だから……」
紀代美に気を使わせてしまったかと、慌てて付け加えた。
「あの、さっき成仏って言ってたけど
成仏出来無い場合も有るのかしら?」
早苗が興味深げに聞いて来た。
「殺人や事故。稀に病気とかでも、この世に深い未練を残してしまうと成仏出来無い事が有ります。そうなると、わたしの力では呼ぶ事は出来ません」
早苗と晴夫が、唸りながら大きく頷いた。
桜の話の上手さに、思わず翔太も聞き入っていた。流石だなぁ、緊張しないんだ。口から出任せも平気で言えるしなぁ〜、凄いなぁ〜尊敬は出来無いけど……
「あの、えっと……姉に憑いてるお婆ちゃん?って、成仏出来ているんですか?憑いてるのに?呼ぶ事が出来るの?」
「はい!そこで、翔太の出番なんです!」
いきなり名前を言われ、ドキっ‼︎とした。
「え⁈ああ、でも……んーあーどうかなー……かなりの物だけど、大丈夫かな〜……」
そして、しどろもどろになった。
「翔太は前にも言った通り、霊が見えるし話も出来ます。その力と、わたしの力があれば……
まずはやって見せれば信用して頂けると思うので……ね!翔太!」
「ああ、ちょっ、ちょっと待って」
翔太は老婆を振り返ると、
「ねぇ、その体制何とかなら無いの?」
小声で聞いて見た。
「体制?」
「ああ……いや!今の姿じゃみんなびっくりしちゃうし……僕は大分慣れたけど、いきなりは……どうだろう?」
「わたしの知った事では無い。それに、無理だ!これも呪いだから、わたしにはどうにもならん」
「そうなんだ。じゃあ、しょうがないよね。みんなに深呼吸でもしてもらった方が良いかなぁ」
「好きにしろ!」
翔太は全員に向かって、
「すいませーん!みんな一回深呼吸してもらえますか?」
「みんなで深呼吸?」
桜が不思議そうに声をあげたが、
「ま、そうね。取り敢えずじゃあ、一回大きく深呼吸して下さい」
先に桜が見本を見せ、『はいどうぞ』と促した。
戸惑いながら、4人も深呼吸した。
「じゃ、桜よろしく!」
そう言って、桜の肩に手を掛ける。
「あ、そうだ!さっきのやつ、ぼくが合図したらもう1度やってみてよ」
翔太は老婆に向かって、小さく叫んだ。
「え?何!」
桜が翔太の顔を見た。
「いや!何でも、どうぞ進行して下さい」
「それでは皆さん。わたしの身体に触れて、目を閉じて下さい」
そう言って桜はもう1度深呼吸し、神経を集中させた。
早苗と紀代美は、桜の背中の方に手を置いた。迷ったが、晴夫も『失礼します』と声を掛けお辞儀をすると、2人と一緒に背中に手を置いた。
文也はどうしたものか戸惑っている。
焦ったそうに桜が、翔太とは反対側の肩に乗せる様促した。
桜が目を閉じると、4人も半信半疑で目を閉じた。
目を閉じているのに、今迄見て居たのと同じ風景が鮮やかに瞼に映る。
ただ違うのは、佐登美とその身体に絡み付く老婆の姿がそこにある事。
翔太が見ている世界だ。
早苗は悲鳴を上げ、後ろへ倒れ込んだ。
運良く後ろにあった椅子に座って、それきり動かない。
晴夫が心配そうに早苗の身体を支えた。
紀代美は両手で口を押さえた瞬間、映像が消えた。そのおかげで、悲鳴を上げそうになったが、かろうじて上げずに済んだ。
文也は言葉も無く、ただ立ち竦んでいる。
翔太が老婆に合図すると、老婆は大きく口を開き、文也に向かって激しく威嚇した。
「うわっ‼︎」
っと後ろへよろけ、文也は尻餅をついた。
桜は仕事柄慣れているのか全く怯まず、完全に傍観者になっていた。
「翔太!悪乗り!」