文也と敏子
紗香の周りを、細かい光の粒が浮遊している事に気付いた。
光は湧き出る様に広がり、辺りを輝かせた。
それは何万もの蛍の群みたいに意思を持って、ゆっくり回転しながらどんどん大きくなって行く。
やがて、眩い光は紗香の身体を包み始める。
翔太は、この光景を見た事が有った。頭の片隅で思い出しながら、美しい光景に見惚れていた。
紗香の身体が完全に光の中に包まれた……
「お別れだよ!」
翔太が叫んだ。
「紗香!……」
祐一は光の中へ手を差し込む。
次の瞬間、閃光と共に光が弾け飛んだ。
眩しさに目が開かない。
やっと目を開けた時、光と共に紗香の姿もそこには無かった。
「いったい……なんだったんだ。夢でも見ていたみたいだ」
不思議な感覚に祐一が呟いた。
「紗香さん、長年の心残りが解消して、無事に旅立てたみたい」
翔太はほっとした。
「ま、驚くのも分かるけど、翔太の言ってる事は嘘じゃ無いって信じて貰えた?文也さんの奥さんの事も……」
「ああ……何と無くな、悪かったよ!で、文也の事って、何が聞きたいんだ?」
疑い様も無い現実に、さっき迄の刺々しさは無くなっていた。
「文也さん親子の事が知りたいの」
「文也親子?そんなに詳しくは知らないけど……知ってる限りの事は話すよ。ただ、そろそろ仕事に戻らないと、昼迄時間潰してて貰えるか?」
そうだった、仕事中じゃないか。職人さんだから多少自由は効くんだろうけど、考えてみれば、こんな所でいつ迄も、一体何やってるのかと不審がられてるんじゃなかろうか?
「はい!じゃ、わたし達も昼食を済ませて、12時半頃にまた来ます!」
「そうか、分かった」
「通りすがりの人に、変な目で見られてなかったかなぁ。工房の人も覗いてなかったかなぁ」
「目閉じてたから分かんないわ!」
翔太の心配をよそに、まるであっけらかんとした桜に多少救われた。
「10時少し前ね。さて、何処で時間潰そっかー、この辺りには何も無さそうよね……駅迄戻る?」
さっきと逆を走るバスに乗って駅へ向かった。人も大分まばらになり、ゆっくり座っていられた。
駅に着くと、駅に隣接した建物に向かった。
開店したばかりの店内は、平日だが夏休みと言う事も有り、子供連れの客が多い。
「買い物したかったら良いわよ、別行動で」
「え?別に……桜は、何か欲しい物有るの?」
「わたしは、そこらへんブラブラするだけだけど……」
「僕もこれと言って……」
「桜?……桜!」
その声に、桜と翔太が同時に振り返る。
多分今すれ違った、二十歳前後の若い男性が立っていた。
男性は桜を見るなり
「やっぱり⁈」
桜は男性を見たまま固まっている。
「わかる?」
「お兄……ちゃん?」
桜は微かな声で、それだけ言うのが精一杯の様子。
『お兄ちゃん?……へー……』
翔太は物珍しげに、まじまじと男性を眺めた。
確かに言われてみれば、いつも翔太を見透かすような大きな目元が、少し桜に似ている様な……
「大きくなったな、元気か?どうした?驚き過ぎて声も出ないのか?」
男性の表情は懐かしむと言うより、どこか冷やかしと言うか、意地悪な感じがした。
「相変わらず、例の怪しい商売してんのか?」
ニヤニヤしながら、俯く桜の顔を覗き込んだ。
「な、何っ……」
思わず声を上げた翔太の腕を、桜が強く掴んだ。
「彼氏か?呑気だなぁ」
何なんだこの人?気分悪い言い方する人だ。
翔太は苛ついた。
「気を付けろよ!この御時世あんな詐欺紛いな商売、いつ迄も通用すると思うなよ!そのうち訴えられるぞ‼︎下世話な週刊誌何かに嗅ぎつけられて、既に他人になってる俺達に迷惑なんかかけられたら、溜まったもんじゃない!」
何も言わずただ俯く桜を良い事に、男性は吐き捨てる感じに、執拗に浴びせた。
桜の家系を相当恨んでいる事は良くわかる。良くわかるけど……桜を恨むのは御門違いだ!こんな嫌らしい人が桜のお兄さんだなんて、桜の気持ちを何も知らないで……
翔太の腕を掴む、桜の力がますます強くなって痛かった。痛かったが、翔太は耐えた。耐えたが……
「何も知らない癖に……」
口に出ていた。
「⁈」
男は翔太を睨んだ。
睨む男性の目を睨み返し、
「桜を生贄に、自分達だけ逃げた癖に‼︎桜を恨むのは御門違いじゃないですか!」
耐えた分だけ曝発した時の声の大きさに、今気付いた!
男性は一瞬『はっ!』とした表情をしたが、桜に向かって『ふん!』と言って、行ってしまった。
何かすっきりしない。もっと言ってやりたかった。追い掛けようか?
桜を見ると、ずっと俯いたまま、こんな桜見た事無い。
2人の間に沈黙が流れた。
「あの人も辛かったのよあの頃は……母親に相手にされず、孤独だったから、わたしを恨むのも仕方無いの」
沈黙を破ったのは桜の方。男性が過ぎ去った、遠くを見ながら話し出した。
「でも、あんな言い方!辛いのは、桜だって一緒だろ。あの人達は、父親とお姉さんと3人で、今では幸せに暮らしてるけど、桜の孤独はまだ続いてる」
翔太は悔しくて、涙が出そうになるのを必死に耐えた。
桜がクスッと笑った。
「大丈夫よ!わたしには、そうやって味方になってくれるあんたが居る。志穂子さんや茜さんもいるから、前のわたしとは違うのよ!」
明るく笑った。
「お昼は、パッと豪華にしましょう。奢るわ!やけ食いよ!でもまだ早いから……ウインドウショッピングでもしましょう」
いつもの桜に戻った。
「10年ぶり?くらいなのに良く分かったなぁ。わたしの事」
「あんまり変わって無いんじゃない」
「そうね〜いつ迄も若くピチピチしてるから……って、若過ぎるわよ!」
「何1人でノリ突っ込みしてんのさ!……お兄さん達、この町に住んでるの?」
「分からない。聞いた事無いし、母も知らないんじゃないかな……興味も無いんだと思うわ」
結局、昼食に牛丼を食べて、2人は工房に戻って来た。
「パッと豪華にするんじゃなかったの⁈何で牛丼?」
「何よ!牛丼だって豪華じゃない!豚汁付きよ!奢って貰って何、その態度!だいたいあんたが余計な物見てるから、時間が無くなっちゃったんじゃない!」
「鰻の気分になってたのに!」
「わたし鰻苦手だから」
「寿司だって良かったのに!」
「うっるさいわね!食べ物の事でうじうじ言わない!」
2人が喋りながら門を入ると、住宅側の前で祐一が立っていた。
桜が気付いて、慌ててお辞儀をして近付いて行く。
祐一が笑いながら、
「昼飯で揉めてるの?」
「えっ?ああ、あんたがグズグズ言っ
てるから」
そう言って、翔太の脇腹を肘で突いた。
「仲いいね。2人は付き合ってるの?」
2人は思い切り首を振った。
「ここじゃなんだから、中に入って」
祐一は、家の中に2人を招き入れた。
「ここは寮になっててね。俺の部屋は2階」
階段を登って、扉が廊下を挟んで左右に3つずつ。左側の1番手前の部屋の扉を開け『どうぞ!』と2人を中へ招いた。
中は6畳くらいの洋間で、真ん中に絨毯とテーブルだけが置いてある。他に有るのは小さなボックスだけ、テレビも無い殺風景な部屋だった。
性格なのか、ボックスの上にきちんと物が並べられている。
適当に座る様促され、休憩中にコンビニで買って来たのか、ペットボトルのジュースを1本ずつ目の前に置いた。
「えっと、文也の母ちゃんの事だっけ?」
祐一はそう言いながら胡座をかいて座ると、ペットボトルのジュースをゴクゴクと喉を鳴らしながら飲み、首に掛けたタオルで汗を拭いた。
中は冷房が効いていて涼しいが、暫く外で待っていてくれたのか、ティシャツが汗で濡れている。
あいつがネグレクトの母親に殺されかけて施設にやって来たのは、俺と余り大差無い時期だった。
年も同じだったから、慣れない環境に不安口にしたり、愚痴ったり、何気に良く話をしてた。
あばら屋に監禁されて殺されかけたって、先生同士が話してるのを誰かが立ち聞きして、施設内で噂になった。
そこに居る奴は少なからず、皆んなそうなんだけど……親に捨てられたりとか
そんな俺達でも同情しちまう様な、皆んなが可哀想な子だって、あいつを憐れんでた。
自分達棚に上げて……笑えるけどね。
だけどあいつは全然違ってて……信じてるんだよ。
馬鹿みたいに!
ここでじっと待ってれば、必ず母親が迎えに来るって、本気で信じてるんだ。
あんまり幸せそうに語るから、そのうち皆んな鼻について来た。
そう、嫉妬ってやつ?
俺も……だから意地悪半分、目を覚ませよって気持ち半分。
『殺し損ねた奴、迎えに来る訳無いだろう』
って、言ってやったら……あいつ笑ってやがんの。
腹立った!余計意地悪してやりたくなった……絶対来ない!来る訳ない!って、皆んなであいつを笑い者にした。
だけど、あいつの言ってた事が本当になつた。
もう直ぐ中学の卒業を控えた頃。
突然、母親って奴が会いに来たんだ。
しれっとした顔して、ずっと会いたかったって、ハンカチで涙拭く振りして、涙なんか出て無いのに。
一目見て、嫌な女だって分かった。
文也の方は、本気で涙流して嬉しそうだった。
止めたけど、文也はずっとこの日を待ってから、聞く訳も無く『ごめん』って言って。
卒業と同時に母親の所に行ってしまった。
園を出て暫く疎遠になってたんだけど、最初の結婚した時に、あいつから連絡して来た。
最初は園を出てからのお互いの報告なんかした。
思った通り、文也は高校行かせて貰えずに働いていた。
やっぱりな!それが目的なんだろなって確信した。なのに文也は、それでも幸せそうで、働きながら通信で高校卒業の資格取ったんだって、自慢気に話してた。
母親の事に関しては、何を言っても聞く耳持たない文也に、もう好きにしてくれって感じで、
「結婚おめでとう」
って、話を変えた。
そしたら急に
「本当は、結婚なんかしたく無いんだ!」
って言い出して、そこから様子が可笑しくなり出したんだ。
嫁さんの爺さんがなんとかって、何か良く聞こえ無かったんだけど、震えて凄く怯え始めたんだ。助けて欲しいって店の中で喚き出して、急変に戸惑っちまって、こっちもどうして良いものか。
兎に角落ち着かせて、話を聞いたんだ。
「お爺さんって、結婚する時にはもう亡くなってた筈じゃ?」
「なんか結婚する前に会った事が有るらしい」
「結婚する前?いつ頃?」
「いやいつ頃とは、変な事言ってたし……家の中に封印した?とかなんとか。言ってる意味が分からないし、気味悪いから追求しなかったけど……良く聞いとけば良かったかな?すまない!」
2人からの矢継ぎ早の質問に答えられず、祐一は申し訳無さそうに言った。
「封印⁉︎」
「強い念みたいなのを感じたのは、お爺さんだった?……邪悪で、悪意だらけで」
「鍵のかかった……部屋?」
「それだ‼︎」
2人は、霧が晴れて行く見たいに夢中で記憶と照り合わせて行った。
「仁絵さんは生け贄にされたのよ!」
「だから家の事言われると、敏感に反応してたんだね」
「今の話で何か分かった?」
祐一は心配そうに、2人の話にそっと加わった。
「はい!大分。ありがとうございます」
「良かった、役に立てて」
祐一はほっとした。
お礼を言って、2人は祐一の部屋を後にした。
桜は帰りのバスに揺られながら、結局分からなかった事を口にした。
「母親とは殆ど一緒に居なかったのに、どうしてそんなに信じてたのかしら」
「ん…よっぽど、おばあちゃんの育て方が良かったんじゃない?」
「本当に……そうなのかもね」