文也の親友大倉祐一
予告通り早朝からハイテンションの桜に叩き起こされ、全く気分が乗らない翔太。
駅行きのバスが、停留所に立つ翔太達の目の前に滑り込んで来た。
通勤客でいっぱいの車内。睨まれながら何とか人の隙間に収まり、必死に吊革を掴み、気の荒い運転に耐えた。
駅に到着し扉が開いた途端、有無も無く外に押し出される。
駅へと急ぐ流れに飲まれながらただ黙々と、桜の背中を見失わなずに歩くのに必死だった。
途中ふと我に返り、そんな自分が少し滑稽に思えたりもした。
電車に乗ってほっと一息。いったい何処に連れて行かれるのやら等と考える。
当の桜は素知らぬ顔で携帯を見ている。
何個かの駅をやり過ごし1時間程した頃、電車はまた、ゆっくりとホームに入り停止する。
扉が開くと、突然桜が立ち上がる。
「降りるよ!」
だけ言い残し、さっさと電車から降りて行ってしまった。
「⁈」
翔太は完全に油断し、ウトウトしていた。
訳が分からず慌てて後を追う。
「もっと早く言えよ!」
流石に温厚?な翔太もこれには、ふくれっ面で抗議した。
「え?ああ、ごめん、ごめん!」
まるで気持ちのこもって無い謝罪を受け、駅を出てバス乗り場へ向かう。
既に何台かのバスが、電車が到着する度駅から溢れ出て来る客を待ち侘びていた。その1台に乗り込む。
見た事ない町並みがバスの窓を流れて行く、賑やかな通りを過ぎ、8つ目のバス停で降りた。
結構遠く迄来たんじゃないか?そんな事を考えながら相変わらず桜の後ろを歩く。
暫く歩くと、身長の高さ程有る石塀が視界に入ってきた。何気にそれに沿って歩くと、やがて正面入り口に出てしまった。
門口に『境椅子工房』と書かれた大きな看板。
向かって右側に、茶色い煉瓦の平屋造りの建物。左側には、2階建ての住宅用と思われる建物。
桜は迷わず門を入って行く。
翔太は少し戸惑ったが、桜に続いた。
「椅子工房?」
「そっ!椅子職人さんらしいわ」
桜はどんどん奥へ進み、煉瓦の建物の方へ歩き出した。
翔太はその場に立ち止まった。
なんの躊躇い無く扉を開け、中を覗く桜。
それを離れた位置で、いつでも逃げられる体制で見守る翔太。
「すいません。昨日お電話した来栖川です。大倉祐一さんいらっしゃいますか?」
『電話してたの?いつの間に?準備いいなぁ』
翔太は少しほっとした。
「おーい!祐一!」
そんなやり取りが、離れた翔太の方まで聞こえて来る。
安全を確認した翔太は、早歩きで桜の近くに寄った。
如何にも職人風な、無精髭を生やした年齢的には文也と同じ位だろうか?ガッチリして色黒な男が顔を出した。
怪訝そうに、桜と翔太の顔を交互に睨んだ。
「何⁈あんた等。文也の事、なに嗅ぎ回ってんの?」
そうだよなぁ。誰も彼もが協力的な訳が無い。今迄、運が良すぎたんだ!
翔太は元の位置に戻りたかった。
「?」
ふと!視線を感じ翔太は、男性に視線を戻した。その男性の後ろにぴったりと寄り添う、髪の長い女性がじっと此方を見ていた。
「⁈」
翔太は背中がゾクッ!と寒くなった。
生きて無い⁈
女性は何か言いたそうに、祐一の背後から翔太を見ている。
翔太は慌てて視線をずらした。
『お願い!彼に伝えて』
翔太は目を閉じ、頭の中で聞こえ無い、聞こえ無いを呪文の様に繰り返した。
それでも女性は話掛けてくる。
『お願い…お願い』
「文也さんの奥さんの友人です」
「奥さんの友人がなんなの?」
桜と祐一は、女性の存在に全く気付いている気配はない。
翔太は『やっぱり…だよね』と確信し、早くその場から離れたくて落ち着かない。
『翔太!翔太!大丈夫だよ。少し彼女の話を聞いてあげなさい』
久々に秋田川が話しかけて来た。翔太は嬉しくて舞い上がった。
「今迄どうしてたの?ずーっと姿見せないで……何処かに行ってたの?僕と離れたり出来るの?僕の守護霊なのに……?」
翔太は興奮して一気に話し掛けた。
秋田川は翔太を見てにっこり笑うと、頷いた。
「あ、ああ…そっか分かった後でね」
翔太は女性の方に視線を向けた。
『ああ…やっと、わたしに気付いて貰えて嬉しい』
女性の瞳から涙が溢れ出し、顔を覆った。
ひとしきり泣くと涙を拭き、ポツリポツリ話し始めた。
学生の頃。わたし、田舎から出て来て、彼の働くこの工房でアルバイトをしていたんです。
ある時、先輩の失敗を押し付けられ、職人さんから酷く叱られた事が有りました。
激しく激昂し怒鳴り続ける職人さんに、怯んで何も言い返せずにいるわたしを、皆んな遠くで見ているだけでした。
でも、祐一だけが
「それって、違う奴だろうやってたの。新人のアルバイト1人に押し付けて、責任被せてんじゃねーぞ!」
って、名前は出しませんでしたが、先輩を見て言ってくれたんです。
その後、先輩が名乗り出て謝ってくれました。
ほっとして涙が止まりませんでした。
それ以来、祐一を見かけるとわたしから話しかける様になり、やがて、付き合う様になりました。
でも、後でこの頃の事を思い出すと、付き合ってると思ってたのは、わたしだけだったのかもしれません。
そんなあやふやな関係も5年が経ち、結婚を意識し始めたわたしに、祐一は気付かないふりで、全く進展する事はありませんでした。
両親に会う事すら避け続け、なかなか結婚に踏み切れずにいる彼に、苛々も募り喧嘩する事も多くなりました。
以前から、祐一には出生にコンプレックスが有る事は、彼の言葉から分かっていました。
「自分は、関わる人間を不幸にしてしまう才能が有るらしい」
彼は良くそう言っていました。
その度
「わたしが幸せになって証明するから」
と、宣言するのですが、
「君だってこれ以上関わると不幸になる。こんな人間を、娘と一緒にさせたがる親はいないし、会ったって認めてくれる筈が無いんだ。だから結婚は無理だ!」
いつもそんな話の繰り返しで、終わらそうとする彼。その日は納得が出来ず食い下がるわたしに、彼は観念した様に話してくれました。
祐一の本当のお母さんは、中学生の時に祐一を出産したそうです。父親の事は、最後迄誰にも言わないまま。出産後直ぐに里子に出され、本当のお母さんとはそれっきり。
その後は新しい両親、幾つかの会社を経営している父親の大倉佑太郎さん、母親の美由紀さんの元、大切に育てられていたんです。
だけど祐一が5才の時、父親の経営する会社で、ある大きな事故が起きたんです。
その事故により、多数の死傷者が出る程の、それは大変な事故だったそうです。
捜査の結果、事故の原因は社長である父親の指示ミスによる物と、断定されてしまいました。
世間の厳しい怒りや、心無い中傷が一期に大倉家に襲い掛かりました。
損害賠償や保証等は、保険で支払われてはいたものの、その金額に不満を持つ者も多く、そう言った輩が、毎日の様に大倉家に押し掛けて来ては、脅したり嫌がらせをしたりと、とても耐え難いものだったそうです。
父親は徐々に自信を無くし、心をも病み、やがて財産を全て投げ出し、自ら命を絶ってしまいました。
父親亡き後も、世間の中傷は収まる事無く、それらは当然残された母親や祐一に向けられました。
夫も財産も全て無くした母親は、祐一と2人途方に暮れていました。
元々裕福な家のお嬢様で、働いた経験が無かったんです。
親戚は、父親の事で関わる事を嫌い、皆、よそよそしく頼る事も憚れる状態でした。
この時親戚は、祐一と母親を見て、まるで物乞いみたいと、呆れる様に言ったそうです。
その言葉に悔しそうに俯く母親の姿が、未だに目に焼き付いて離れないそうです。
資格も経験も無い母親は、生きる為にどんなにきつい仕事でも働くしかありませんでした。でも、働いても働いても生活は楽にはならず、綺麗だった顔が見る見る窶れて行くのが、子供だった祐一にも良く分かったって言ってました。
不運は続き、2年後に母親に癌が見つかります。そして、その時点で既に末期と診断されてしまいました。
母親は、残される祐一の身を案じ、親戚中に祐一の引き取りを頼んで回ります。しかし、次々と舞い込む災難に、祐一はすっかり疫病神扱いされていました。
『血の繋がらない子供を引き取る義理は無い!貰った子なら施設に返せばいい!』と、断られてしまいます。
毎日毎日、親戚中を回り続けますが、誰1人取り合ってくれる者はいなかったそうです。
心労や無理が重なり、目的を果たせ無いまま、入院を余儀無くされた母親は、やがて、気力も失って行きます。
流石に親戚も放って置けず、祐一や父親の問題には関わら無い事を条件に、最後の面倒を看てくれたそうです。
何故か祐一は、母親の最後を看取る事は出来ませんでした。どうしても母親の最後が知りたくて、大人になって、親戚を訪ねたそうです。
ここからは、親戚が教えてくれた話です。
動かない身体を病院のベッドに横たわらせ、思い出に浸る以外、出来る事が無くなった母親は、1つ1つ記憶を辿っていました。
やがて、祐一と出会う前の何不自由無い幸せな生活が、鮮明に蘇って来たそうです。
幸せだったのに、歯車が狂い始めたのはいつから?祐一と出会ってしまったあの日から?
この時初めて、祐一と出会った事への後悔を口にし、涙したそうです。
祐一への愛が、静かに歪み始めた瞬間だったのかもしれないです。
必死に守って来たけど、守れば守る程壊れて行く生活に疲れ、全ての元凶はここに有ったのかもしれない。
そう考える様になって、親戚の言葉にも耳を傾けて行きました。
疑惑はやがて確信へと変わり、その日から祐一を恐れ、3ヶ月後に亡くなる迄、母親は祐一と会う事を拒み続けたそうです。
親戚は祐一に、母親の最後をそんな風に語ったそうです。
何も知らず、1人母の帰りを待っていた幼い祐一。
母親の死後、決められた行事を済ます様に、施設へと送られたそうです。
その話を聞いて、1番不幸なのは彼自身じゃないかと、なんとか彼の心を解かしたくて、一か八か賭けて見たのに……大失敗しちゃったみたい。
あの日止めてくれると思ったのに、バスから引き摺り降ろしてくれると思ったのに……なのに、あんなに優しい顔で見送られちゃって……
女性は話し終わると、また静かに泣いた。
「だからー、何で奥さんの友達のあんたが文也を調べてんだって!」
祐一は終始威圧的に話す。引かない桜に更に苛つき、どんどん声が大きくなって来ている。
「ですから、奥さんの病気の原因の1つに、文也さんの過去も関係が有るんじゃ無いかと」
「意味分かんないんだけど、お前頭おかしいのか⁈」
側から見ても桜の強引さに、翔太も少し引き気味になっていた。
「あの……」
険悪な2人の会話に、翔太は勇気を出して割って入った。
「あん!何だよ‼︎」
祐一の苛々は、そのまま翔太にぶつけられた。
『うっ!ガラ悪っ!』翔太は一瞬怯んだ。が、しかし、必死に奮い立たせた。
「紗香さんが……あの時の言葉は嘘‼︎だって」
力が入り過ぎたのか、大声で叫んだ感じになった自分の声に、翔太は驚いていた。
「あー……ん」
祐一は脅すつもりで、翔太の胸ぐらを掴んだ。しかし、翔太の口から飛び出した聞き覚えの有る名前に、胸ぐらを掴む手に力が入ったまま動きは止まった。
「5年前の……あの日の言葉は本心じゃ無いって!追いかけて、止めてくれると思ったって!今、凄く後悔してる……って」
いつ殴られるか、翔太は恐怖で目を瞑って一期に喋った。
祐一の手が緩んだ瞬間、翔太は目を開き、大きく一回息を吸った。
「何言ってんだお前?」
祐一はじっと翔太を見ている。
「何があったの翔太?」
突然の翔太の奇行?に桜が面食らった様子で聞いて来た。
「大倉さんの後ろに……紗香さんが」
「紗香……⁈」
怪訝な顔をしながら、祐一は後ろを振り返った。
「何、何?何かいるの?また何か見えてるの?」
桜の瞳が輝き出した。
「大倉さんの元カノ?」
「元カノ?元カノがどうして?ああ、要するに、捨てたのね!ゴミ屑みたいに、そうねやりそうな顔してるもの。それで彼女が恨んで?」
桜は1人納得して、祐一を睨みつけた。
「紗香さんが言うには、何か違うみたい」
翔太は遮り、紗香から聞いた話を桜に聞かせた。
「何?俺の事も調べた訳?」
「あの日、ずっと出生の事で紗香さんとの結婚を躊躇し、紗香さんの両親と会う事を拒む大倉さんに、紗香さんは一か八かお芝居したんだよ。実家に帰るふりして、荷物纏めて『実家に帰ってお見合いするから、お見合いしたらほぼ結婚する事になるから、さよなら!』って、それは、大倉さんの気持ちを確かめる為の嘘だったんだよ!ここ迄やれば、きっと追いかけて来てくれるって」
「だからなんだよ!さっきから紗香、紗香って、紗香に頼まれたのか?」
「はい!」
「はー⁈5年も前の話だろう。だいたいなんで本人が来ないんだ!なんでお前みたいなガキに言付けてんの?ふざけてんのか!」
「居るよ!ずっと大倉さんの側に」
「どう言う意味だよ!」
「あの日、ホテル火災があったの知ってる?」
「ああ、仲間が騒いでたのを少し聞きかじっただけだけど、それがなんだよ」
「新聞とか、テレビとか見ないの?」
「忙しい時期だったからな。そんな暇ねぇし!興味もねぇよ!」
翔太は大きく溜息をついた。
「紗香さん。そのホテルに泊まってたんだ」
「はーっ!無いだろう。無い無い!あの時、長距離バスに乗った彼女を、俺はちゃんと見送ったんだ!」
「引き返したんだよ。引き返してあのホテルに泊まった!……らしい」
祐一は、じっと翔太を見つめたまま。
「なんで?なんでそんな事……紗香は?」
「あの火災に巻き込まれたんだよ」
「嘘だ‼︎嘘をつけ!なんでそんな嘘を付く。何が目的だ!何企んでる!」
「嘘じゃないわ!翔太が言うなら、それは本当に紗香さんの言葉だから。翔太には、霊が見えるの」
「はぁ……そんな事信じられるか!」
「んんもう!……面倒臭っ!しょうが無いか……いつものやるしかないかな……」
「えっ?骨は?骨が無きゃ駄目なんじゃ無いの?」
「んー多分大丈夫だと思う。集中すれば、少し疲れるけど、翔太の見てる物が見えるわ」
「へー……進化してんだ。凄いね」
翔太は感心しきりに頷く。
「じゃ、何はともあれ、少しの間わたしの言う事に従ってもらえます?信じる信じ無いは、その後で」
「何するんだよ」
「文句は後で聞くから!後悔しない為にも、指示に従って」
目を閉じ自分の肩に手をかける様促した。祐一は半信半疑、気まずそうに桜の肩に手を乗せる。翔太は黙って反対側の肩に手を掛けた。
いきなり目の前に現れた紗香の姿に、祐一は驚いて後ろに後退りした。桜の肩から手が離れた瞬間、紗香の姿は消えた。気を取り直し、もう一度そっと桜の肩に手をかける。
「紗香?」
「わたしが……見えるの?」
「ああ……」
そう言った祐一の目から涙が溢れた。
「とっくに結婚して、幸せになってるって思ってたんだ。子供も2.3人居てさ。元気にやってるんだって、幸せなんだって、きっと俺より幸せにしてくれる奴が現れて……そう言い聞かせて来たのに、なんで死んでんだよ!馬鹿じゃないのかお前!本当、俺にかかわる人間はみんな不幸になっちまう」
「ごめんね。祐一」
「なんでお前が謝るだよ」
「わたしが、幸せだって証明しなきゃいけなかったのに……」
「まったくだよ……本当馬鹿野郎だよ!」