敏子の過去
桜は、ついでに知人のお見舞いに寄って帰る為、紀代美とは休憩室で別れた。
「知り合いって?常連さんとか?」
「知り合いなんて居ないわよ」
「……どう言う事?」
相変わらず桜の意図が、翔太には読めない。
「ちょっと気になってネ」
「何がサ……」
「さっきの看護師さん。ネームに近藤って書いてあったわよね」
「えっ!看護師さん?」
翔太は、さっきの不安が蘇った。トラウマになっている様だ。
桜はナースセンターに居る若い看護師に、何やら話しかけている。
暫くすると、廊下の反対側から、さっきの看護師が歩いて来るのが見えた。
「あ、帰って来たみたい。婦長!この子達が婦長に用が有るみたいですよ」
若い看護師は、近藤に声をかけると、自分の仕事へ戻った。
近藤が首を傾げながらこちらへ近付いて来る。
「お話しを聞けせて欲しくて……ああ、終わる迄何時でも待ちます」
「あら、さっきの石上さんの息子さんと一緒に居た子達ね。何何?何が聞きたいの?」
態と戯けた様に言った。が、真顔を崩さない桜に、意図を察したのか、
「ああ…後1時間位で終わるけど……病院の向かいにある『魔法の箒』って店で待ってて貰える?」
「はい!ありがとうございます」
桜はそう言って、翔太の腕を引っ張って階段の方へ歩き出した。
「えっ?えっ?僕も?」
「あったりまえでしょ」
病院を出て道路を挟んだ正面に、病院を見上げる感じに、それはこじんまりと建っていた。
『魔法の箒』と書いた看板の横を通って、重圧感の有る扉を開けた。
中に入ると、北欧風の割と落ち着いた雰囲気の店で、名前のイメージと少し違った。座席と座席の間に仕切りが有る為、隣の客の姿は見えなくなっている。
桜が店員に、後からもう1人来る事を告げると、店員は笑顔で頷き、2人を座席に案内した。
翔太はコーラ、桜はアイスティーを注文すると、店員は軽くお辞儀をして下がって行った。
帰りに荷物になるのを嫌って、ペットボトルのジュースを無理に飲み干したばかりの翔太は、正直余り飲みたくなかった。選択に時間が掛かっていると、桜が勝手にコーラを注文した。
飲み物は直ぐ運ばれて来た。
翔太は、コーラのグラスにストローを刺しながら、
「気になるって何がサ」
「あの看護師さん。文也さんのお母さんの事詳しそうだったじゃない?」
「文也さんのお母さん?って、今回の事になんか関係あんの?」
「それは……ねぇ?」
「何が『ねぇ』だよ!人の事巻き込んどいて」
「花園さんから一連の話を聞いて、なんか引っかかってたのよね。ずっと違和感があって……文也さんて、随分と母親に気を使ってるわよね。それも異常な位に……マザコン?って言うのとは違って、母親に怯えてる?って言うの」
「えー、考え過ぎじゃない?親孝行なのかもよ、それも異常に。あーでも、家の事言うとすっごいムキになるかな」
「そうそう、そうなのよね。どうしてあそこ迄頑なに否定するのかしら」
「まー余り気持ち良いもんじゃないけどね。あなたの家に悪霊が居ますよ!なーんて言われたら、僕ならまず、悪徳霊媒師詐欺を疑うね」
「ま、何にしろ、調べて見る価値はあるかなって」
「余りあっちこっち首突っ込むなよ!そして僕を巻き込むな!」
「あら、内輪揉め?」
「あ!お疲れのところすいません」
桜は慌てて立ち上がり挨拶する。そして、近藤に席を譲り、自分の隣に来る様、翔太に目配せした。
翔太は渋々コーラを持って、桜の隣に座った。
近藤は座るなりメニューを広げ、
「あなた達お腹は?」
「大丈夫です」
「付き合ってよ。奢るわ」
「ああ、じゃ自分で払います」
「何言ってんのよ。高校生?もしかして、中学生?ま、どっちにしても学生さんでしょ?素直に甘えなさいよ。いつも1人で味気無い食事してるから、付き合って貰えると助かるの。何でも好きなの頼んで、って言っても大したもん無いけどね、この店」
「悪かったわねー。なんだかんだ言って、毎日来てるじゃ無い」
さっきの笑顔の店員が、近藤の前に水とおしぼりを置いた。
常連と店員と言うより、仲の良い友人同士の会話に聞こえる。
ハンバーグセット3つとアイスコーヒーを1つ注文した。
「ふふん。結婚して無いの?って思った?いい歳なのに?……随分昔だけど、結婚してた事もあったのよ。子供が出来無い体質で、相手も承知で結婚してくれたの。子供が居ない人生でも2人で楽しくやって行こうね。なんて言ってくれてたのに、浮気相手に子供が出来て、あっさり捨てられちゃった!ったく、男なんて信用出来ないわよーあなたも気を付けなさい!」
戯けた感じの近藤に、桜はどう答えていいのか、重いテーマに考えあぐねていた。
隣では、聞いてはいけない話を聞いてしまった感じで、落ち着かない翔太。聞こえて無い精一杯のふりで、その目を泳がせていた。
その様子に近藤は、
「ああ、ごめん、ごめん。聞きたかったのこんな話しじゃ無いわよね」
鉄板の上でジューッ!と音を立てながら、ワゴンに乗せた3人分のハンバーグセットが近付いて来る。
「何笑えない自虐ネタで、幼気な子達を困らせてるのよ」
テーブルに並べながら、店員が呆れた感じで言った。
「ちょっと昔思い出しちゃって、引いた?ごめん!さっ、食べて食べて」
「あ、はい」
桜は複雑な笑顔を浮かべて頷いた。
3人は、黙々とハンバーグを食べた。
お腹が溜まって、ホッとしてアイスコーヒーを啜る近藤。
「前回の入院の時、まだ佐登美さんがお話しが出来てた頃に、お見舞いに来てる敏子さんを見掛けたの。まー、お見舞いって言うか……あれはいびりね。
金が掛る厄介者!とか、頭のおかしい嫁なんか貰って、家は被害者だ!とか、大きな声で毎日毎日。態々それを言う為だけに来てた感じがしたわ。本当に佐登美さんが気の毒で、良い娘なのに……何もしてあげられなかった」
近藤は思い出しながら、遣り切れ無さそうに深い溜息をついた。
「あの、あの時。文也さんに向かって似てないって言ってましたよね?それってどう言う意味なんですか?敏子さんの昔の事、何か知ってらっしゃるんですか?」
「えっ!ああ、そんな事……言ったわね確か……」
近藤は困った顔で桜を見た。
桜は真っ直ぐ近藤を見詰めた。
容赦ないな…と、桜を横目で眺める翔太。
近藤は溜息を1回つくと、観念した様に話し出した。
「随分昔の話。私が働いていた病院に、中途で雇われて来たのが敏子さん。わたしより少し年上だけど、気軽に話し掛けてくれて、食事したり買い物に行ったり仲良くしてた。その頃良く聞かされていたのが、『看護師になったのは、医者と結婚する為』最初は笑って聞いてたけど、何度も何度も同じ話で……正直引いた」
暫くして、敏子はその病院の副院長倉田と付き合い始めた。倉田は院長の息子で、時期院長となる医師だった。倉田には妻があったが、いつか妻と別れ自分と結婚してくれると信じ、頑なに秘密を守った。
そして敏子は妊娠した。
これでやっと結婚出来ると、敏子は有頂天になった。しかし、思う様に行かない苛立ちと焦りで、なりふり構わずヒステリックに迫る敏子。その姿に、倉田は恐怖と嫌悪を感じ、やがて、敏子を避け始めた。
産まれたら必ず戻って来ると信じた敏子は、反対を押し切りやがて男の子を出産した。それから敏子は毎日、赤ん坊を連れ病院にやって来る。倉田や妻を罵り暴言を吐き続け、病院中を巻き込み騒ぎを起こした。
敏子の言葉によって、倉田家の避難を一心に浴びた妻。夫からの謝罪やフォローも無く、耐え切れず家を出た。
『勝った!』敏子は歓喜した。
しかし、倉田は戻って来なかった。
その頃既に倉田は、勉強を名目に海外に行っていた。
やがて、微々たる手切れ金を持って、弁護士が敏子の元へやって来た。
結局敏子は、それ以降も2度と倉田と会う事は無く、子供の認知もされ無いままだった。
「凄い話……。奥さんかわいそう。旦那さん酷い!」
桜が悔しそうに言った。
「そう…ね。でも子供も可愛いそうだったわ。噂では、利用価値が無くなった子供は、邪魔になって施設に入れたって聞いたけど……今は一緒にいるみたいね」
「ああ、文也さん!」
翔太が思い出した様に名前を言った。
「施設?…あの親子関係はそこらへんから来てるのかしら」
桜の独り言の様だが、隣に居る翔太には聞こえていた。
「そう言えば敏子さん。自分はどっかのお金持ちの娘だって言ってたわ。父親がどこそこの名家の跡取りだとかで」
「お金持ちの娘?」
「どうだか分からないけどね。見栄っ張りで、平気で嘘つく人だったから。1回母子家庭だとか口滑らせて、突っ込まれてムキになってた」
そう言って笑う近藤の言葉は、敏子を蔑む様に聞こえた。
この人は、敏子の事が好きではないんだなぁ
最初は仲良しだったって言ってたのに……
いつから嫌いになったんだろう?
翔太は漠然と考えながら近藤を見ていた。
「ご馳走様でした。色々話し聞かせて頂きありがとうございました」
「でも、そんな話し、何かの役に立つの?わたしはいいんだけど、暇潰し出来たし」
桜は丁寧にお礼を言ってその場を後にした。
桜と翔太は、停留所の前でバスが来るのを待っていた。
「まさか文也さんのいた、施設探すとかって、考えてない?」
「流石翔太!分かって来たじゃない。明後日から夏休だし、時間はたっぷりあるじゃん!」
「今年の夏休みも付き合わされるの?」
翔太は深い溜息をついた。