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前編

 震える手で差し出した小さな包みは、手作りなんて重すぎると思い、それでも品揃えがいいと評判の近所のショッピングセンターでさんざん悩んで選んだ物だった。

「足立、君。これ、よかったら」

 緊張で足が震えるのを必死にこらえて浮かべた笑顔は、きっと不細工なほどにひきつっている。もともと作りがいいとは思えない顔立ちなのだから、さぞかし見苦しい事だろう。

 予想通りと言うか案の定とい言うか、足立君は訝しむような表情で、無言で包みを見つめていた。

「あ、の?」

 沈黙に耐えきれずに声をかけてみる。

「井沢さん、だっけ?」

 わたしの名前を知っていてくれたんだと思うと、嬉しくてほっとした。

「これ、何かの冗談なのかな?」

 けれど次の瞬間、足立君の口から出た言葉に、わたしは思わず耳を疑った。

 普段は人当たりのいい笑顔を絶やさない足立君は、今はどこか不機嫌そうで。その原因なんて、わたし以外に考えられなくて。言われた言葉の意味を理解できずに、不細工な作り笑いさえも浮かべる余裕がなくなり、ただ茫然と目の前の人を見つめた。




 足立君の顔の造作は、普通よりも少し整っている感じ。背は低くはないけれど高いというほどでもなく、クラスの男子の中では真ん中よりも少し後ろ寄りという程度。それでも前から数える方が早いわたしに比べれば、十分背が高いと言える。スポーツは体育の授業くらいしかしないそうだけど、運動神経が悪いというわけでもなく何でも卒なくこなしていた。

 と、ここまで見れば、どこにでもいるような普通の男子生徒の一人なのだけれど。

 足立君は、勉強がとてもできる。生徒に競争心や敵愾心が少なく、まるで温泉のようだと揶揄される事の多いうちの高校内では、卓越している。成績が常にクラスでトップの彼は、全国でも屈指の地元の国立大学への現役合格が確実だと担任から太鼓判を押されているほどで、進学率を上げたい教師達の期待の星なのだ。理数系クラスならばともかく、わたしと同じ文系クラスで抜きん出ている彼の事を、けれどわたしは三年生で同じクラスになるまで知らなかったという余談付き。

 それはともかく、勉強が嫌いで定期試験でもいつも一夜漬け、中の下の成績しか取った事がないわたしにとっては、足立君は雲の上のような人だと言える。

 自分の頭があまり良くないせいだと思うのだけれど、わたしは頭がいい人と接する事が苦手だった。小学生時代からの友人の中には、校区内でトップクラスの高校に進学している子もいるけれど、この高校で出会った人に限っては、どうしても苦手意識が拭えない。恐らく何気ない言葉のやり取りの中で感じる劣等感が、そうさせているのだろうと思う。

 わたしは、人の名前と顔を覚える事が大の苦手だ。実は二学期の終りになってもまだ、クラスの男子の半数の名前と顔が一致していなかった。名前だけ顔だけならばなんとか判別できるのだけれど、その二つがどうしても結びつかない人がいるのだ。さすがに女子は全員覚えてはいるけれど、それでもろくに話をした事もない人が数人いたりする。

 そんなわたしが普通に言葉を交わす事ができる男子は、一年生から二年生三年生と進級するごとに減ってしまい、今のクラスではほんの数人しかいない。その数少ない男子のさらに友人が、足立君だった。だから、足立君とは直接話をした事がない。三年生になって同じクラスになったとは言え、席が近くなった事もなく、話す機会さえもないままに三学期になってしまった。

 頭がいい上に一度もまともに言葉を交わした事もない、そんな苦手の塊のような足立君が気になり始めたのは、体育祭が終わって間もない頃だった。

 自己都合で休んだ先生の物理の時間が自習になり、プリントが配られた。自慢じゃないけれど物理なんてちんぷんかんぷんで、定期試験でも赤点を取る事さえあるわたしには、空欄を埋める事などできるはずがなかった。もっとも、物理が必修のクラスの平均点が赤点の時もあったから、きっと先生の教え方が悪いのだろうとは思う。けれど足立君は、そんな事は関係ないとばかりにすらすらとプリントの空欄を埋めてしまい、十分後には友人達と談笑を始めてしまっていた。聞くところによると、二学期の期末試験の物理の点数は、文系クラスでトップの九十八点だったと言うのだから、素直に「すごい」と思わずにはいられなかった。

 物腰が柔らかく、笑顔が穏やか。成績がいい事を鼻にかける事もなく、気さくで友人もそこそこいる。女子が苦手なのか、話しかけられると少し照れたように笑う顔が、幼く見えて可愛い。かと思えば、時々ハッとするほど男っぽい表情を見せたりもする足立君から、いつしか目が離せなくなってしまった。




「井沢さん、吉野とか熊本とはよく話しているけれど、俺とは一度も話した事がなかったよね?」

 吉野君と熊本君とは、三年生になって初めて同じクラスになったのだけれど、何度か席が前後左右になった事があり、わたしが気負わずに普通に話せる数少ない男子達だ。そして彼らは、足立君の友人でもある。

「うん。ない、と思う」

「吉野達に何か言われた? でもあいつら、そんな奴じゃないと思うし」

「なにも。なにも、言われてない」

「ふうん? じゃあ、女子の間で賭けでもしているのか、それともなにかの罰ゲーム?」

 そこまで言われて、ようやく気がついた。つまりわたしの今の行動は、誰かに唆されたか賭けの対象になっているのか、罰ゲームで告白しろと言われたゆえのものだと思われているという事なのだ。

 かっと顔に熱が集中する。何か言わなくちゃと思うのだけれど、言葉が出てこない。

「悪いけど、他の奴を当たってくれるかな。俺、からかわれるのは嫌いなんだ」

 いっそ冷やかな口調でそう告げると、足立君は机の上に置いていた鞄を持って、わたしに背を向けた。

「ま、待って!」

 教室の出入り口に向かって歩き出した足立君を追いかける。

「予備校に間に合わなくなるんだ」

「こ、これ!」

 足立君のコートではなく学生服のポケットに包みを押し込んで、わたしはすぐに彼から離れた。

「ど、どうせ安物だから! いらなかったらすぐに、捨ててくれていいから!」

「おい」

 隙を見せれば、きっと突き返される。さっきの迷惑そうな表情を思い出し、わたしは急いで席に戻り、鞄を掴んでもう一つの出入り口に向かった。

「誰にも何も言われていないし、賭けでも罰ゲームでもないから。じゃあ、ばいばい」

「井沢さん!」

 呼び止められるよりも早く教室を飛び出し、わたしは一目散に駆け出した。




 本当に急いでいたのかそれとも追う必要がないと判断したからなのか、足立君が後を追って来る事はなかった。きっとどうでもいいと思っているのだろうけれど、それはそれでいい。

 わたしが駆け込んだ先は、光学部、別名デジタルカメラで遊ぼう会の部室だった。本来は三十名ほどの部員がいるらしいのだけれど、その大部分が幽霊部員で、いつも顔を出しているメンバーは片手に余る程度。特に三学期に入ってからは、受験生である三年生は、全く顔を出さなくなっている。そんな中で時々とはいえ部室に顔を出しているわたしと友人の小室かおりは、特異だと言えた。

「ひーこちゃん、どうだった? チョコ、渡せた?」

「か、かゆちゃーん」

 のんびりおっとりとした穏やかなかゆちゃんの顔を見たとたん、こらえていた涙腺が緩んだ。

「え。ひーこちゃんっ?」

 部室として使わせてもらっている化学準備室の入口で立ち止まったまま、ぼろぼろと泣き出してしまったわたしを前に、かゆちゃんが驚いてこちらに走り寄って来てくれた。おろおろしながらも、わたしの頭をそっと撫でて抱き寄せてくれる。やさしい手にぽんぽんと背中をたたかれ、ひどく安心した。

 かゆちゃんとは、中学一年生の時に同じクラスになって以来の付き合いで、何でも相談できるわたしの親友だ。足立君にチョコレートを渡そうかどうしようかと悩んでいた時にも、いろいろ相談に乗ってもらった。だからきっとすぐに、今わたしが泣いている理由に思い至ったのだろう。

「ひーこちゃん、がんばったね」

 やさしいやさしい声が、耳に心地良かった。

※この作品は、2007年2月に書いたものです。大学受験システム・日程等は当時のもので、現在とは異なっていますので、ご了承下さい。

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