砂糖菓子の魔法使いは甘ったるく嗤う
君が僕を綺麗だというから。
お菓子でできた人ですらない偽りで固めた僕を。
――ミルクティー色の髪、蜂蜜色の目、とっても素敵。
でも、貴方は彼女のモノになるのかしら?
こんな僕でも誰かのモノになるというのなら、
僕よりもっと綺麗な君が誰のモノにもならないよう閉じ込めておかないと、と思うんだ。
大好きな乙女ゲームがある。
お菓子でできた森の中に一人ぼっちで暮らしていたヒロインが
一人の魔法使いと出会って、外の世界を知り、最後は王子様と結ばれる。
そんな、まるで童話の世界のような可愛らしいありきたりなお話。
淡いピンクブロンドの髪に、ブルーベリージャムの様に艶々とした紫の目。
ふわふわとしたホイップクリームの様に真っ白なドレスがよく似合う、
赤いリボンの可愛い可愛いヒロインちゃん。
ダークブラウンがよく似合う私とは正反対。
――私、可愛い貴女が大好きなの。
でもね、彼には手を出さないで。
私の一番大好きな、甘く優しいお菓子でできた魔法使い。
今、私はそんな乙女ゲームの世界でヒロインを虐める役割を持つ悪役令嬢をやっている。
「ショコラ・グラッセ。
――この私サブレ・フロンとの婚約を破棄する!」
王子様の声が響く。
私の周りには砂糖菓子でできた兵隊がぐるりと取り囲み、
その手には金平糖が詰まった銃にビスケットの槍。
王子様の一声で私に向けられるのだろうそれらに、少しやり過ぎではないだろうかと思う。
けれど、王子様はゲームのシナリオ通りにやっているのだから仕方がない。
卒業間近に開かれた学院のダンスパーティ。
白と黒のチョコレートでできた床に、飴細工でできている精緻なデザインが施されたシャンデリア。
溶けたりベタついたりしないそれらの甘ったるい香りが部屋中に籠って気分が悪くなりそうだ。
やっぱりゲームで見るのと実際に体験するのでは違うわね、と思いつつ
起こってしまった断罪イベントから私は軽く現実逃避を図っていた。
避けることは出来なかったか、と思いつつ。
「婚約破棄は受け入れます。
ですが、理由をお聞かせ願えますか?」
婚約破棄を受け入れるという私の発言に王子様が少し意外そうな顔をした。
その横に寄り添うように立つヒロインも同様に。
――えぇ、婚約破棄は喜んで。
だって、ヒロインは王子様のことが好きなようだから。
私は貴女が嫌いじゃないの。
彼でさえないのなら幸せになって?
これは、一つのルートのせいで少し年齢層があがったけれどそれでも平和に終わる乙女ゲーム。
そう、甘く見ていた。
「分からないという気か」
「……?」
王子様の言葉が違う。
ここで言うのは、貴方がヒロインを愛してしまったからという身勝手な言葉のはずでしょう?
「フィーユを虐め、殺そうとした。
そんな女を王妃にはできない」
「っ、違いますわ」
咄嗟に言葉を返すが。
「嘘をつくな!!
こちらにはお前がやっているのを見たという証人もいるんだ。
諦めて罪を認めろ」
「そうだよ、ショコラ」
今まで誰もいなかったはずの場所から声が飛んだ。
そちらに視線を向けたヒロインの目が輝く。
ミルクティー色の髪にとろりとした蜂蜜色の目。
そこには、見惚れるほどに綺麗な顔をした彼が立っていた。
――ゲーム序盤、ヒロインを森から外の世界へと連れ出す役割を持つ魔法使い。
幼い頃、森に迷い込んでしまった私を助けてくれた彼。
「ガトー……様?」
「ショコラ、止めにしよう?
僕は貴女がこれ以上嘘を重ねる姿を見たくはない」
彼がヒロインの隣に立つ。
……なんで、どうしてここで彼が?
「お前は知らないだろうが、この男はこの学院の監視魔法をすべて扱う者で私の従者だ。
お前がいくら否定しようとも、ガトーの前で嘘は通じない」
それは全て私は知っている、という王子様からの含み。
「私の元婚約者。
温情だ、――もう一度だけ言おう。
ショコラ・グラッセ。
諦めて罪を認めろ」
それは確かにこの王子様からすれば酷く優しい言葉だろう。
今まで私の話をまともに聞くことなんてなかったのだから。
ヒロインが私にしか見えない角度で微かに口角をあげ――嗤った。
――ヒロインちゃん、貴女も転生者、だったのね?
ゲームの世界のキャラクターではなかった。
そして、彼女は逆ハーレムを目指す。
そうだ、これは唯一含まれた悪役令嬢がバッドエンドに向かうシナリオ。
「私が、私が悪いんです」
ぽつりとヒロインがそう零す。
「私がサブレ様のことを好きになってしまったから。
分かっていたんです、彼にはショコラ様という婚約者がいるって。
……だから、私は見ているだけでよかった」
「でも、ショコラ。
お前は嫉妬し、フィーユを虐め、挙句魔法を使い、
彼女を殺そうとフォークやナイフを彼女の頭上に振らせた!」
健気で可愛らしいヒロインちゃん。
大きな瞳一杯に涙をため、王子様に縋り付く。
――私、貴女のこと嫌いじゃなかったの。
可愛い可愛い私のヒロイン、今の貴女の中身は誰?
「私ではありませんわ」
呑まれるな。
強く自分に言い放つ。
私は、ヒロインは王子様だけを攻略していると思っていた。
だから、本来なら魔法使いは出てこず、私は学院に残ることができる。
だって、王子様が勝手にした婚約破棄だったから。
でもこれは違う、私が最終国外に追放される最悪な断罪イベント。
「では、ショコラはそれを証明できるの?」
彼が楽しそうに口元を歪める。
そして、がん、と靴で足元のチョコレートの床を思い切り打った。
どろり、と彼を中心に床の色が飲み込まれるようにして蜜色に変わっていく。
砂糖菓子の兵隊たちがざわつき、王子様が目を見開く。
床の色がすべて塗りつぶされ、踏んでいる床のその下に私がいた。
正しくは映像の私、だが。
貴族たちに愉し気にヒロインの悪口を吹き込む私。
物を捨て、本を破く私。
そして、魔法を唱えフォークにナイフ、それらをヒロインに向かって頭上から降らせる――私。
……知らない、私、こんなとしていないわ。
ゲームよりも大袈裟なそれに青ざめる。
こつりこつりと靴音を鳴らして、表情の見えない彼が私の方へ近づき、ふらついた私の腕をとる。
「諦めようよ、ショコラ」
耳にキスするように彼が囁く。
甘い甘い毒のようにその言葉は私に回っていく。
「嫌です、ガトー様」
「どうして?」
「だって……」
国外に追放されてしまったら私は貴方に会えないもの。
ねぇ、ガトー、貴方はヒロインを好きになってしまったのかしら。
彼女のモノになってしまったの?
もう、私は二度と貴方の目に映ることはないのかしら。
「お願い、罪を認めて!」
ヒロインが悲しげな顔で私を見る。
私は何も言えずにただただ彼の蜂蜜色の目を見つめていた。
王子様が連れていけ、と周りの砂糖菓子の兵隊たちに命令を下す。
悪役令嬢はバッドエンドを迎えた。
「はずなのだけれど、どうして私ここにいるのかしら」
砂糖菓子でできた森の木々。
チョコレートでできた白と黒の小石。
お菓子の森の奥の奥。
全てに隠れる様にして魔法使いが住むお菓子の家はある。
幼い頃、一度だけ迷い込んだその家にある、チョコレートでできた椅子の上で何故か私は座っている。
「綺麗で可愛い僕のショコラ。
なにか疑問でも?」
私の顔の横から彼の声が響き、ミルクティー色の髪が頬をくすぐった。
「ガトー様」
思わず振り返り、予想外に近かった彼との距離に目を丸くする。
私の慌てた様子に楽しそうに彼が甘ったるく笑った。
「……ガトー様どうして」
私をここに連れて来たのだろう。
そして、何故そんな熱の籠った目で私を見る。
貴方はヒロインを好きになってしまったのではなかったの?
指が私の頬を掠めるように触れた。
体温を感じさせない酷く冷たい指先。
「それはね、僕がショコラを欲しかったから」
彼が掠れた声でそう告げる。
「初めて会った時からショコラが欲しくて欲しくて堪らなくなった。
でも、ショコラは王子の婚約者でしょう?
君は――王子様のモノ。
だから、彼に君との婚約を破棄して貰わなくちゃいけないと思ったんだけど。
でも……それだけじゃ甘いよね?
君を僕の元に閉じ込めるには」
――ショコラから選択肢をなくそう。
もうこの森の外では――僕の元以外では暮らせなくなるように、君を悪役に仕立て上げる。
君は王子に近づいた少女を嫉妬から殺そうとした悪役令嬢。
あぁ、心配しないで?
君の家族には手を出していない。
きちんと今回の件に関わっていないと王子に言っておいてあげたから、君の家族が罰せられることはない。
でもそれは。
「私次第?」
私の発言に答えは返ってこない。
「ねぇ、ショコラ、僕は最低?」
悪びれた様子もなく彼はそう言って薄らと微笑む。
蜂蜜色の目が細められ、口元が緩く弧を描く。
私の顔を手のひらで包み、その部分から私の熱が彼に移る。
空いている窓からむせかえるように甘いお菓子の香りが流れ込み、私の思考をほろほろと溶かす。
「ねぇ、ショコラ。
お菓子でできた可哀想な魔法使いを愛して。
王子を忘れて、そして、魔法使いだけのモノになって」
もう君に選択肢なんてないんだから。
酷く歪んだ笑みを浮かべて、それなのに壊れモノを扱うように優しく私を抱きしめる。
――私は初めから王子様じゃなくて、貴方のことが好きだったのよ?
貴方は彼女のモノにはならなかった。
それが嬉しいと思ってしまっているのだから、私も貴方と同じね。
重くて甘い彼の束縛がどろりどろりと私を沈めていく。
私は返事の代わりに彼の頬に軽く唇を落とした。
彼の私を抱きしめる腕に力がこもる。
――私の大好きな綺麗な貴方。
弱くて、歪んで、見た目とは正反対ね?
「愛してるよ、ショコラ」
彼からは甘ったるい砂糖菓子のような味がして、その後の彼に与えられた甘さにさらに酔った。
ねぇ、サブレ王子。
僕は貴方に感謝しているんだ。
僕のことをとても信頼してくれて、酷く操り易かった。
僕の言葉全てに耳を傾けて、素直に信じて、ショコラを簡単に手放してくれてありがとう。
だから、これは僕からの貴方への御礼。
貴方がフィーユ嬢をお妃様に置いて、それから数年後。
フィーユ嬢が誰の子かは知らないけれど身籠った時。
僕の監視魔法が本当のことを全て映す。
サブレ王子、貴方には全て真実を教えてあげる。
例えば、彼女が自身で虐めの自作自演をしているところ。
例えば、彼女が今も貴方以外の男と会い続けているところ。
ねぇ、今更後悔なんてしないでよ?
――ショコラは僕のモノなのだから。