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「やっぱり人間、まだ視野が狭いと思うの。私はまあ、性同一性障害みたいなもので、男性向けの義体より女性向け義体の方が適正が高いわけ。生まれてくるカラダを間違えたから、補正してるだけなのよ。だから私としては、彼女って呼んでほしいんだけど」
「元を正せば男でしょ。それにアンタ、ああいう趣味の連中をまだたぶらかしてるんでしょ?」
「ああ、男の娘趣味とかふたなり趣味とか? だって、金になるし。楽しいし」
「だから、そういうことしてるうちは完璧に女とは言えないでしょ? アタシ女だけど、アンタと同じ扱いはイヤだもん。……はい、コピー終わったわよ」
「どーもどーも。どれどれ、見てみましょうか」
アスカは、フリルの付いたスカートをふわりと浮かせて、タワー・コンピュータの前に座る。旧式のモデルだが、無理矢理に改造に、コネクタは電脳に接続できるようになっていた。
「エレン、バックアップお願い。私、潜るから」
「はいはい。……キョウスケ、アンタはディスプレイ見てて。拒絶症でもそれぐらいできるでしょ?」
エレンの物言いに少し恭介は苛立ちを覚えた。が、ここは黙っておくことにした。自分が拒絶症であることはわかっているし、それが差別的に見られるのは警察庁時代に何度も味わっている。まだエレンの方が仕事をくれるぶんマシというものだ。
アスカはテーブルの上からコネクタをつまみ上げ、それをインカムのように耳にくくりつけた。
まもなく、アスカはゆっくりと目を閉じ、意識をマルゴーの中へと没入。
調査はものの数分で終わった。そのあいだ恭介はディスプレイを注視していたが、特に異常もなく、なんら問題もなく終わった。だが、問題にすべきはそのプログラム。ムシについてだった。
調査を終えたアスカは、少し身体が火照っているようだった。吐息は荒く、ドレスの胸元をパタパタとあおいでいる。義体に廃熱のための発汗機能はないが、まるで彼女の義体は運動直後みたいだった。
「しかし、恐ろしいもの見つけて来たわね、あなたたち」
「結果はどんな感じで?」恭介が焦り気味に問うた。
「率直に言えば、これを作ったやつの気がしれないってとこかしらね。真っ先に言わせてもらうと、このムシ、とんでもない天才か。とんでもないマヌケよ」
「というと?」
「ムシ――というより、現行のプログラムコードっていうのは、生物の遺伝子配列を模してる。それぐらいは拒絶症でもわかるでしょ? さっき私は、そのコードの一部を読んでみたわけ。まだ途中までしか読めてないから何ともいえないけれど。ま、ざっくり言うと、このムシは非常に危険ってこと。下手をすると軍や政府の厳重なセキュリティまで破るかもしれない。というのも、こいつにはハッカーの行動を模倣するプログラムが走らされているんだけど、その侵蝕条件が非常におかしいの。一般的なムシは、手当たり次第にどんなやつにも侵蝕しようとする。でもヘタクソだから、すぐ検知ソフトに引っかかって駆除される。ウチの仕事がまさにそれね。……でも、こいつはわざわざ厳重なセキュリティのみを狙うようにできている。そう条件づけされてるのよ。しかもさっき言ったとおり、人間の行動を模倣するように出来てるから、コピー元によっては、下手したらセキュリティソフトの合間をすり抜けていくかもしれない。
そしてもっと恐ろしいのが、その制限が解除されるプログラムが仕込まれていたってこと。でも、その解除条件については解読までもう少しかかりそう」
「つまり、致死性は高いが、感染力は非常に低い。ということか」
「そう捉えるのがベストかも。とりあえず、私はもう少し詳しく調べてみるわ」
アスカはそう言うと、イスに腰掛け、またマルゴーのおかれたデスクに向かった。先ほどまで寝ていたのに、興味の対象があると彼女は一晩中でも調べている。そういう人間なのだ。
エレンはその話を一通り録音。恭介は、上着のポケットから手帳を取り出して、書き殴った。
「アンタ、そんな古くさいツール使ってるの?」
「悪いかな? こう見えて、非電脳の人間からすれば、使いやすいんだ」
「ああ、そう。……じゃあ、とりあえず調べはアスカに任せて、アタシたちは次の現場に行きましょ」
*
そのころ、部長刑事の坂本真矢は、呉石とともに官庁街にいた。俗に言う霞ヶ関という場所だ。そこで坂本は、恭介に関する手続きを済ませてきたところだ。確かに本庁の刑事をこちらで受理いたしました――という紙媒体の資料をわざわざ用意し、それを提出してきたのである。本庁は現在、職員の完全電脳化を推進し、サイバー犯罪への対抗策を練っているというが、しかしそれでも古典的な形式主義に囚われているのは、なんとも皮肉なものだ。
書類を提出し終えた坂本は、庁舎前でクルマをつけていた呉石のもとまで戻ってきた。彼が運転するのは古めかしい電気自動車で、自動運転も完全ではない、旧式のものだった。外観は奇妙なまでに流線的で、その「かつての人間が思い描いた近未来観」が何ともまぬけでもあり、またクールでもある。
坂本はそのクルマに乗り込もうとしたが、そのまえに電脳通信が入った。送信者はエレン・クロガネ。
坂本はいったん足を止めると、クルマのボンネットに背中を預けて通信に応答した。まもなく、彼女の視界にエレンの首から上だけがブラウズされた。
《何かわかったの、エレン?》
《まあ、ちょっと。依頼リストにあったアキハバラのムシだけど、アスカに頼んで解析をしてもらったの。そしたらどうにも面倒な手合いかもしれないみたいで。そっちにデータ送るから、目を通してもらえない?》
《了解、読んどくわ。何かわかりしだい連絡はちょうだいね》
《わかってるよ、チーフ》
エレンは少しトゲのある口調で言って、データを送信。通信を閉じた。
坂本は送信データをダウンロードすると、クルマに乗り込みつつ、データをインストールした。まもなく、エレンの既知情報が坂本の脳に並列化された。
「何かわかったんで、チーフ?」
モーターを始動させ、クルマを出しながら、呉石が問うた。
「ええ。これはちょっと面白いことになりそうね。あとで呉石君のほうにも並列化しておくわ」
「どうも。……そういや、並列化で思い出したんですが、あの新入りはどうするんです? たしか先天性の電脳施術拒絶症――CBDDのはずでしょう? ウチの仕事に支障を来しませんかね? エレンが苦労してないといいんですけど」
「それは無いかも」
「ない?」
驚いたように呉石は言い、赤信号でブレーキを踏んだ。
「そう。彼は確かにCBDDよ。警察庁が彼を追い出す理由はわかるわ。でも……彼らは、黒田君の本当の才能に気づいていないだけかもしれない」
「あいつの本当の才能? なんですそれ?」
「ふふふ、それは秘密よ」
坂本は不敵に笑むと、助手席の窓から霞ヶ関を見つめた。
こうなったときのチーフは絶対になにも教えてくれない。この仕事を続けて長い呉石は、彼女のことを熟知していた。『いいオンナの秘訣は、謎を持つこと』それを信条とする坂本は、絶対になにも明かしてはくれないのだ。