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店を出てから、二人はまたアキハバラをうろついていた。
群生する木々が背比べをするように、互いに支えあい伸びていくシダのように、この街の建物は並んでいる。裏路地は特に狭く、かつてあった車道の名残こそはあるのだが、自動運転車の姿はない。そこにいるのは、電脳上の拡張現実《AR》を見ながら進む、目線のおぼつかない人々だ。格好も種々様々で、Tシャツにジーンズというラフなスタイルから、映画の向こうから来たようなロングコートまで。ここはそういう街だ。
慣れた様子で歩いていくエレンを、恭介は追って歩いた。
本庁をクビにされ、下請けの企業に左遷。それが良い結果に転ぶとは思っていなかったが、初日からここまでいろんな場所を行ったり来たりをするとは思っていなかった。本庁にいたときの恭介はと言えば、ずっと事務方の仕事ばかり。むしろ外に出ている方が珍しかったぐらいだ。一日中、古い書類の整理ばかり……。考えてみれば、電脳拒否症に任せられるような仕事は、それぐらいしかなかったのだろうが。
強い日差しを群生するビルが遮るなか、エレンはアキハバラ・ブロックのある場所で足を止めた。一之瀬警備保障と同じ、雑居ビルだった。
「ここの二階。行くわよ」
「二階になにが?」
「外注の調査企業。ムシ対策もやってる。……あー、つまるところアタシたちみたいに現実世界に現出した連中じゃなくって、まだ仮想空間をうろついてる悪性ウィルスの駆除をやってる会社よ。知り合いがいるから、そいつに解析を頼もうと思って」
エレンは階段を上がり、雑居ビルの二階へ。何の変哲もない扉を開けると、途端に冷気が漏れ出した。オフィスらしきその部屋は、クーラーがギンギンに効いていた。
そんな肌寒いオフィスには、タワー型の義脳がいくつも並べられてた。さながら図書館の本棚のように。
そしてその中に、樹脂張りのソファーに寝転がる女性がいた。
「アスカ、仕事よ」
エレンは彼女にそう叫んだが、しかし応答はない。
舌打ち一つ。エレンはソファーの上で眠りこける彼女に近づくと、その頬を思い切りつねった。
「アスカ、わたし。一之瀬のエレン。わかる? 仕事の依頼で来たわ」
「……うん?」
彼女――アスカと呼ばれた女性は、ようやくソファーから起きあがった。
アスカはふりふりのドレスに、赤いツインテールの髪。そしてエメラルドグリーンの瞳という、まるでアニメーションの世界から飛び出してきたような風貌をしていた。彼女は眠い目をこすりながら、ソファーの背もたれにかけた白衣を取り上げた。
「もー、なによお……。こっちは徹夜明けで休眠状態に入ってたってのに、強制的に解除しやがって……。でなに? 仕事?」
「そうよ。ウチとアンタのとこは定期契約を結んでいるから、飛び込みの調査でもいつだってしてくれる。そういう契約のはず」
「そりゃそうかもしれないけどさぁ……こっちの事情ぐらい考えて……」
「いいからツベコベ言わずに仕事しろ。調べて欲しいデータはアタシが送るから。どこに送ればいい?」
「そっちの、マルゴーちゃんにやって」
アスカは部屋の隅にあるグレーの円筒形の筐体を指さして、ソファーの背もたれに倒れた。そしてその瞬間、偶然にも恭介は、アスカと目があった。
背もたれに体を突っ伏したまま、ぱちくりとまつげの長い瞳をしばたたく。アスカは二、三回ほど左右を見回してから、もう一度恭介を見つめた。
そして、アスカは再び飛び起きた。
「あれー、エレン。この子だあれ? 新人くん?」
「そうよ」とこめかみのコネクタを繋げながら。「本庁からの天下り。電脳拒否症で、サイバネ化もしてない。全身たっぷり生身の純真ボディくんよ」
「へぇ……」
言って、アスカは微笑み、舌なめずり。
彼女はソファーから飛び上がると、器用にもハンドスプリングを繰り返し、恭介のもとにすり寄った。そして彼女は、興味深そうに鼻をクンクンと恭介に近づけた。
くんくん、くんくん……。犬のように鼻を鳴らし、彼女は恭介の顔を見上げた。上目遣いで見て、そして深呼吸。肺いっぱいに息を吸う。
「へぇー……全身生身の肉体って、ちゃんと汗の臭いがするんだねぇ……。あ、ちょっと制汗剤の臭いもする。わたしもエレンもゼロ歳児義体なもんだから、肉体には疎くてねぇ……。いいねえ、肉体ってのは……。肉体はぜんっぜん魂の牢獄なんかじゃないよね!? むしろ、生の快楽を得るための最高の感覚器官だって思わない? ねえ?」
アスカは、その細く白い指を、恭介の股ぐらに這わせた。それからゆっくりと上へ。このままでは……。
「お、おおお、おいちょっと! 君は何なんだ? ……おーい、エレン! 彼女をどうにかしてくれ!」
しかしアスカは止める素振りなど微塵も見せず。またエレンもデータのコピーにつきっきりで、恭介の方など見ようとさえしなかった。
「あー、うん。でも間違ってるわ」と、エレンは目線をそらさず。ムシのデータをPK05S――通称マルゴー――にコピーしながら。
「な、なにが間違ってるって?」
「だから、その彼女ってのが」
「……? なにを言って……?」
「だからさ、キョウスケ。アスカは彼女じゃない。彼よ」
そのとき、アスカの掌が恭介の何かに触れた。
恭介の脳は、なだれ込んできた情報を整理するのが間に合わず、パンク。その場に彼は崩れ落ちた。