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獅子とアンティーク  作者: 結木さんと
第7章 ふたごの月
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ふたごの月 2







『…………兄、様……』


 放心したようなつぶやきに、俺は再び衝撃を受ける。

 いま、織目さんは「兄」と呼んだか?

 だったら、あれが……


「探したんだぞ? 家に行っても留守だと言われたんだ。まさか、お前がまだ学校に通っているとは思ってもみなかった」

『あ……ど、どうして……?』

「おかしいな、小夜子。兄が妹の顔を見に来てはいけないのか?」


 ――ああ。

 たったそれだけの会話で理解した。


 こいつが、織目さんを追い詰めた張本人だ。



「実は、頼みがあってきたんだ。お前はお祖父様の遺品を受け取っただろう? ……それを渡してほしくてね」


 なにを言ったのか、一瞬、理解できなかった。

 当然のように。

 まるで、生き物が呼吸する理由でも説くみたいに平然と、やつは不条理を吐き出した。


『そんな! あのお人形は、私がお祖父様からもらった……』

「おや……? どうしたんだ。小夜子らしくないじゃないか」


 流れるような足取りで、織目さんの兄が歩きはじめる。

 その目には、俺たちの存在など端から映っていないようだった。

 織目さんが怯えたように身を竦ませる。そんな反応にも一切の関心を払うことなく、兄は妹の頭にそっと手を置いた。


「何度も教えてやったのに、もう忘れたのか? ――獅賀の家に、お前が所有できる物は一つもないんだ。相変わらず覚えが悪いな、小夜子は」


 凍りつくような声で吐き捨てる。

 乱暴に押さえつけられたかぶりものの下から、引き攣れたような悲鳴があがった。


「このふざけた仮面は獅賀への意趣返しのつもりか? お前はどれだけ僕を苛立たせれば気が済むんだ」

『ち、違……っ』

「お祖父様に気に入られて調子に乗ったのか? それとも、新しい学校でようやくお友達ができたから、はしゃいでしまったのかな? だったら、また――」


 憎悪に満ちた言葉が、ふいに途切れる。


「――手を放せ」


 兄の意識がようやく織目さんから逸れる。

 その冷酷な眼光は、自らの腕を掴む手に向けられた。

 次いでゆっくり顔を上げた獅賀の兄と――俺の視線が交わった。


「……君は、なんだ」

「教えてほしいならまずお前が名乗れ。常識だろう?」

「結構だ。部外者に用はない、消えろ」


 お兄様は随分とキレ気味のご様子。

 そのおかげか、俺はまだ冷静な状態を保てていた。


「この状況で帰れるかよ。とりあえず、お前は手をどけろ。名門の獅賀家とやらでは、頭ごなしの脅迫を会話と教えるのか」


 諌めてみても返事はない。その代わりに、舌打ちが返される。

 ……こりゃダメそうだ。

 仕方ない。こっちも力尽くでいくか、と肚を括った時、予想外の声が聴こえた。


「――そこまでよ。サヨコから離れなさい」


 不機嫌そうな声は、道の向こうから聴こえた。

 気がつくとスポーツカーの近くにタクシーが停まっていた。

 その傍らで仁王立ちする少女――ミシェルが、獅賀の兄を鋭く睨みつけていた。


「『商会』の娘か……なぜ、君がここにいる」

「それはこっちのセリフだわ。サヨコが名前を捨てさせられた時に、あなたの血族は二度とこの子に干渉しないと取り決めたはずなのだけど、いつのまに無効になったのかしら?」

「……父が決めたことだ。僕の意思は反映されていない」

「残念ね、該当する人間にはきちんとあなたの名前も記載されているの。確認したいのなら契約書のコピーを渡しましょうか」


 状況はいまだに飲み込めないが、ミシェルの発言に再び舌打ちした獅賀の兄は、ようやく妹を解放した。よろめいた織目さんの身体を霧小路さんが急いで抱きとめる。

 わずかに緊張を解きつつ、俺も掴んでいた腕を離し、隣に来たミシェルを横目で窺った。


「……しかし、本当によくここにいるとわかったな」

「……メゾンの住人が連絡をくれたのよ。こっちにいたのは偶然だけど」


 なるほど。あのアパートの誰かが報告したのか。

 いずれにせよ助かった。厄介な人間との殴り合いはできれば避けたい。

 そうして尚も注意深く警戒を続ける中、獅賀の兄が刺すような目を俺の背後に向けた。


「やはり盗人の娘だな……獅賀の血だけでは飽き足らず、お祖父様の遺産まで狙うつもりか」


 自由になった手首をさすりながら忌々しげにつぶやく。

 発言の意味は理解できる。盗人が織目さんの実の母親を差した蔑称だということも。

 ――ただ、こいつは根本的な間違いを犯している。


「おい……その文法ならお前は浮気野郎の息子になるが、いいのか」

「ニーヤ、あなたはすこし黙ってなさい」


 なぜだ。いまのは合理的な反論のはずだが。

 視線を戻すと、兄の眼差しが氷点下に達していた。

 正論を口にして睨まれる意味がわからん。


「用件が見えないわね。遺産の分配はすでに済んだはずでしょう。この子が受け取ったのはデキの悪いベルメールもどきの人形のみ……そう弁護士から正式に発表があったはずよ」

「あの時点での話だろう、それは」


 兄は嘲笑うように口元を歪めた。


「……新しい目録が見つかったんだ。同時に、我が家で管理しているお祖父様のコレクションがいくつか欠落していることが判明した」

「だからなんだというの? まさか、サヨコが盗んだとでも?」

「違う。まあ、その女ならやりかねないがな」


 皮肉っぽい目で妹を見た獅賀の兄は、こちらにゆっくりと視線を戻した。

 いちいち突っかかるやつだ。これで本当に年上なのだろうか?

 すくなくとも、性根はどうしようもないほど捻じくれていそうだが。


「お祖父様は、分与した財産以外の遺品の寄贈先をご自分で決めておられた。つまり、あの遺言書に記載のなかったコレクションが見つかれば、それは我が獅賀家の所有物になるということだ」

「無茶なことを言いだすのね。いつから日本国の法は子供の戯言を擁護するようになったのかしら。……だいたい、タカツグがそんなミスを犯すなんて考えられないわ」


 ――ふと、思い至ったことがある。

 気づけば俺は、衝動的に声をあげていた。


「おい……だったら勝負しないか?」


 全員の目がこちらを向く。

 鼓動がにわかに速くなるのを感じた。


「……勝負?」

「ああ、そうだ。お前が欲しがってる遺品ってのは、あの罪人がどうとか書いてある人形のことだろう? ……つまりお前は、あの文章が宝のありかを示す暗号の類じゃないかと疑ってるわけだ」

「なにを言いだすかと思えば……くだらん。勝負などせずとも、遺品はすべて僕の」

「逃げるのか?」


 切れ長の目尻が引き攣るような反応を見せる。

 しかし、それでも相手はまだ冷静だった。


「安い挑発だな。育ちの悪い者は発想が貧困で付き合いきれん」

「別にそんなつもりはないさ。ただ、あの文章の解読には俺も一枚噛んでるんだ。このまま横からあっさり攫われたんじゃ格好がつかん……なあ、頼むよ。もし俺が先に暗号を解けたら、せめてあの人形を彼女に返してやってくれ」


 下手から頼むと、獅賀家の長男は再び歪な笑みを浮かべた。


「ふん、色仕掛けにでも陥落されたか。そいつは能ナシだが容姿だけはいいからな。実に愛人の娘らしい手法だ」


 聞くに堪えない雑言に、強く拳を握る。

 腹の底から噴き出しそうになる熱を、奥歯が軋むほど噛んで必死にこらえた。


「いいだろう。たかが下賤な女の助っ人ごとき、捻り潰すのにさほどの苦労もない。

 ……お祖父様の遺品を用意しておけ。あとで遣いの者をやる」


 言い捨てた兄が背を向ける。

 もはやこちらに興味を失くしたように、一度も振り向くことはなかった。

 やがて高級そうなスポーツカーのエンジン音が遠ざかり……そこでようやく俺は、詰めていた息を大きく吐き出した。


『……申し訳、ありません…………新屋さんを……巻き込んでしまって……っ』


 憔悴しきった声が聴こえて振り返る。

 そこでは、俯いたまま小さく震える織目さんの背中を、泣きそうな顔の霧小路さんが黙って撫で続けていた。


「ニーヤ……なにかわかったの?」


 こちらを見上げるミシェルが問う。

 残念ながら、その期待には答えることができない。


「いいや、まったく」


 だが、と俺は顔を上げた。


「……あの人形がただの嫌がらせじゃないという可能性は、これで格段に高くなった」


 なにかある。

 あの禍々しい文章には、俺がまだ辿り着けていない、なにかが。

 問題は、それをどう解くかだが……



「……雨だ」


 大和がぽつりとつぶやく。

 見上げると、頬に細かな水滴がぶつかった。

 重く圧しかかる暗い雲にはわずかな間隙さえ見当たらず…………やがて、街を覆い尽くすような激しい雨が、アスファルトの地面を叩きはじめた。



        ◇



 迎えた週末の朝は、昨日までの長雨が嘘のような快晴だった。

 久しぶりに見た気がする空は青く、七月を目前に控えた眩い陽射しが目に刺さる。

 時間的にまだ気温はそこまで高くない。雨上がりの豊富な湿気さえ除けば心地よく感じられる程度。たぶん、これから昼に向けてじわじわと上がっていくのだろう。

 不快な梅雨の到来にげんなりしつつ、俺はマイクロバスのシートに寝不足気味の身体を沈ませる。

 目的地まですこし眠るかと画策していると、背後からにぎやかな声が響いた。


「ゆーな、入霞の温泉街って行ったことある?」

「うん。一回だけ家族と行ったことあるよ。旅館のステーキが美味しかった」

「え…………なんで呼んでくれなかったの?」

「逆に訊くけど、家族旅行中の夕飯にだけ友達呼ぶことってあると思う?」


 入霞行きメンバー年少組の、蕗と芳倉さんである。

 どうもプチ旅行じみた催しに参加できるとあって、テンションが上がっているようだ。

 その前の座席には桂姉と織目さんが、そしてそのさらに前方に俺と大和が座り、助手席には招待主である霧小路さんがやや緊張の面持ちで収まっている。


 ちなみに、芳倉さんの名前は『侑菜(ゆうな)』というそうだ。

 何度か蕗との会話にも登場したらしいのだが、たぶん俺が聞き流したのか忘れてしまっていた。……そう伝えると、蕗からはコクゾウムシでも見るような目を向けられたので、たぶん正直が美徳とされる時代はすでに過ぎ去ってしまったのだろう。生きにくい時代に生まれてしまったものだと思う。


 そしてゲストはまだもう一人いる。

 俺と大和の間の補助席に――なぜか、すまし顔の異国の少女が。


「……本当にミシェルも来るんだな」

「あら、文句でもあるのかしら?」

「いや別に文句はないが……仕事は大丈夫なのか?」

「有給をとったの。いい加減消化しろって、ずっと言われてたのよね」


 そういう話を聞くと、こいつって本当に仕事してるんだなと実感する。

 しかもかなりのハードワーカーのようだ。学校には通ってないのだろうか? ……ていうか本当に何歳なんだ。

 なんやかんやで受け入れているが、こいつも大概謎だらけだな。


「それに、来週でしょう? 獅賀の跡継ぎとの勝負は」


 目を逸らしていた事実を掘り返されて、口を噤む。

 そう。あと八日。


 ――来週の日曜の午後五時。


 それが、相手側から指定されたタイムリミットだった。


「あれだけ大見得を切ったんですもの。さぞかし素晴らしい解答を披露してくれるんでしょうね?」

「くっ……わかりやすいプレッシャーを……」

「まあまあ。二人とも落ち着きなよ」


 珍しく大和が焦った様子で諌めにかかる。

 いったいどうした。

 苦笑を浮かべた悪友の視線を追って、俺はようやくその意図を理解する。

 後部座席では、俯く織目さんの肩を桂姉が困ったような表情で抱いていた。

 それだけじゃない。年少組も気遣うように彼女を見守っている。

 ……なるほど。あいつらが騒がしく振る舞っていたのは、わざとだったのか。

 俺はどうも人の心の機微を察する能力が低いらしい。

 今朝合流した時には、随分と落ち着いているように見えたんだが……


「……大丈夫」


 どうしたものかと言葉を詰まらせていると、そんな小さな声があがった。

 シートから身を乗り出した霧小路さんは、ひたと織目さんを見据えて言う。


「新屋くん、だけじゃない。……みんなで考える。今日は、そのために、集まった」


 相変わらず彼女の口調はぎこちない。

 だが、その声には部長としての力強い意志が感じられた。



 ――不意打ちの豪雨に降られたあの日、見事に濡れ鼠になった俺たちは、とりあえず一番近くの新屋家に避難することになった。

 水びたしの服や荷物を乾かす間、事情を知らない大和や霧小路さん、加えてすでに帰宅していた桂姉や蕗は、弱りきった織目さんの姿に困惑した気配を漂わせていた。


 ……その状況で、もう教えないという選択肢はなかった。


 正直、三人だけで知恵を絞る現状に限界を感じていたこともある。

 織目さんに了解をとって事情を説明すると、部活の方針会議が急遽として暗号の解読会議に変更され、それならと蕗が桂姉や芳倉さんの参加を希望した。どうせなら人手は多い方がいいという意見だったが、霧小路さんが快く頷いたことで、今日の『暗号解読会議IN入霞』と銘打たれたプチ合宿が可決されたのだ。



「そうそう! それに、焦ったって良い案が浮かぶとは限らないしね。せっかく風光明媚な温泉地に赴こうってんだから、暗い顔してちゃもったいないよ」

「……夕飯の前には、秘湯に案内する」

「ゆーな聞いた!? 秘湯だって! 混浴かな!?」

「こ、混浴っ!? そ、そそそそれは……ちょっと、困るというか……今回はなんの準備もしてないから、ご遠慮したいというか……」

「だーいじょうぶっ! 男なんて、アキにぃか声が萌えなきゃ異性と認めないヤマトさんしかいないし! 準備なんかいらないって!」

「……ねえ蕗ちゃん、なにが大丈夫なの? あたし、全然わからない…………あと、有栖川先輩? のそれは、別の意味合いでも大丈夫なの……?」

「蕗ちゃんはだんだん暁彦に似てきたよね……」


 無駄に傷を負った大和が項垂れる。

 それはきっと普段の行いのせいだと思うので、大いに反省してほしいところではある。

 あと、霧小路さんが「混浴では、ない……ない、から……」って必死に主張してるの、みんな聞いてやれよ。無視されすぎてなんか怨霊みたいになってきてるぞ。


『みな、さん……』

「ふふ。みんな、とてもいいお友達ね」


 そんな感想を告げて、桂姉はそっと織目さんの手を握る。


「きっとこれは、小夜子ちゃんが一生懸命にがんばった結果なのね」

『そ、そんな…………私なんて、なにも……』

「いいえ……あなたが勇気を持って一歩を踏み出したから、ここまで来れたの。小夜子ちゃんが懸命に歩いてきた過去は決して無駄なんかじゃない。ちゃんと、未来に繋がっていたわ」


 やさしく言い聞かせるような言葉に、織目さんは声を詰まらせる。

 たしかに、そうだ。

 彼女が自分から進み出さなければ、きっと俺たちが出会うことはなかった。

 俺のしたことなどその補助にすぎない。

 すべては織目さんが誰かを救うためにあがき続けたからこそ、こうして現在(いま)に縁を繋げることができたのだ。

 ……ああ、だから。


「がんばらなきゃだね、暁彦」


 反対側の席の大和が柔和な笑みを浮かべる。

 まるで内心を見透かされたようで据わりが悪いが、まあ、そうだ。

 この必要最低限以上の誰かといる時間は――俺のこれまでの人生と比べても、そう悪くない。

 ならば、為すべきことは一つ。



「……見つけてやる。織目さんの祖父が遺した、本当の“答え”を」






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