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獅子とアンティーク  作者: 結木さんと
第7章 ふたごの月
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ふたごの月







「それじゃあ改めて……歴研でお世話になります、有栖川大和です。すでにみんなとは顔見知りだけど、これからよろしくね」


 輝かしい笑顔の悪友がそんな挨拶をして、部室にまばらな拍手が起こる。

 誰かがサボっているわけではない。純粋に人数がすくないのだ。


「暁彦、歓迎の意思が感じられないよ! 手を三回叩いただけで終わらないで!」


 うるさいやつだ。参拝の時より回数だけは多いだろうが。

 俺は溜め息を吐いて窓の外を見た。


 つい一週間前、写真部が正式に廃部になった。

 原因は言わずもがな。活動停止で済まされた前回の不祥事は、どうやら極限のイエローカードだったらしい。事件当日に処分が決定するスピード裁決だった。湿った煎餅みたいになった戸森部長の顔が、いまも鮮明に思い出される。

 あの人もいろいろと大変だな。受験生なのに。

 星崎先輩は学校自体を謹慎中だが、はたして戻ってきた時にどうなることやら。


 そして、放課後の居場所を完全に失くした大和が部に加わることになった。

 これで面子はギリギリの四名。

 崖っぷちだった歴史研究部は、なんとか無事に存続する運びとなった。


 ……なったのだが。


「で? 歴史研究部ってなにするの? もしテーマが決まってないなら、都市伝説の歴史なんてどうかな? おれ、怪談のルーツがすべて捜神記って説にはかなり懐疑的なんだよね」


 その入ったばかりのやつがうるさい。

 俺だってまだ入部して一ヶ月未満だが、口数のすくない霧小路さんと二人の時はもっと平穏だった。おそらくそれは織目さんが加わっても同じだったろう。変わり者とはいえ、基本的には無害な人たちである。

 なので、問題はウキウキしながら近代の都市伝説と日本霊異記の関連性について語りはじめたバカなのだけれども……。


「そんな研究は、しない」


 やけにきっぱりと霧小路さんが却下した。

 珍しいな。

 他にやりたいテーマがあるのか?

 入部してから二十日間近く、部室を訪ねては黙々と備品の文庫本を読んで帰っていた俺は、部の方針が発表されるのを待ち続けてきたのだが。


「ええ〜? じゃあ、どんな研究をするのさ?」

「歴史研究部は、地元の歴史を調べる部活……らしい」


 随分とまた曖昧だな。……と、つっこみかけて、そういえば彼女もまだ入部して約三ヶ月だったことを思い出す。

 らしい、ということは、これまでの活動履歴でも調べたか。

 あるいは早々に引退したという先輩に教えられたかだが、それにしたって頼りない答えだ。

 霧小路さんは目的があって入部したんじゃないのか?

 気になって訊ねると、


「辞めた先輩に……土下座して、頼まれたから……」


 そんなやつばっかりか。この高校は。

 ローカルクラブが新入部員を勧誘する時は土下座する伝統でもあるのか?

 しかも、戸森部長はまだ自身の部のためだったが、元歴研の先輩とやらは間違いなく自分が後腐れなしに部を引退したかったのが理由である。

 つまり、霧小路さんは生け贄に選ばれたのだ。

 彼女の人間関係の運のなさは、そろそろ奇跡の領域に踏み込んでいる。


『それは、この幸ヶ瀬の成り立ちなどを調べる、ということでしょうか?』

「そう。過去の部誌には、大正時代頃の暮らしのことが書いてあった」

「いいね! 土着の都市伝説の研究かあ。おれもそこそこ調べてるよ」

「……そんな研究は、しない」


 なんだか霧小路さんがどんよりしてきた。

 ひょっとして、ホラーが苦手なのか?


「まあ都市伝説は冗談としてもさ、過去の研究とは違うテーマにしない? やっぱり独創性って大事だと思うんだ」


 独創性なあ。

 ……基本を真面目に習得する気のない初心者が確実に使うよな、それ。

 そしてだいたい失敗する。

 すくなくとも料理はそうだ。卵を溶いて焼くだけで玉子焼きができると思ってるやつの独創性とやらを、俺は絶対に信用しない。


「ねえ、織目さんって歴史に詳しいんでしょ? ここらのエピソードで、なにか面白そうなネタはないの?」

「それは、わたしも気になるところ」

『い、いえ、私はアンティークについて教えを受けただけで、歴史はそれほど……』

「だったらそれでもいいよ!」


 大雑把すぎるだろ。もう面白ければなんでもいい、という気持ちが透けて見えるようだ。

 しばらく悩んでいた織目さんは、ようやく思いついたように顔を上げた。


『そうですね……やはり古い物を扱うお店が多い土地ですので、愛好家の間で噂が流れることはあります。有名どころでは、明治の動乱期に紛失した耀変天目茶碗がどこかに眠っているというものや、二代目平田郷陽、テュイエなどの希少性が極めて高い人形師の作品を蒐集したコレクターが隠棲している、戦時中、素封家の別荘にある隠し書庫でグーテンベルク聖書を見かけた人がいた……といったところでしょうか』


 つらつらと列挙される名称がまるでわからない。

 よくそこまでものの名前を覚えられるな。

 俺なんて、ローマ五賢帝のフルネームにすら苦戦を強いられたのに。

 そして霧小路さんがしきりに頷いているが、あれはわかっていない人間の顔だ。

 そんな中、大和のやつだけは反応が違った。


「へえ、そいつは面白そうだね! どれも国宝級のレアものじゃないか!」

「……お前、わかるのか?」

「もちろん。耀変天目茶碗ってのが国宝だってことは、この前テレビで見たんだ」


 つまり……他の品に関しては当てずっぽうだ、と。

 こいつのいい加減な性格は、禅寺にでも放り込めば矯正されるのだろうか。

 誰かこのちゃらんぽらん男を浄化する秘密の道具を貸してほしい。


『ですが、信憑性の低い噂です。鵜呑みにするのは危険かと……』

「かまわないさ! 伝説っていうのはそういうものだからね。存在が不確定だからこそ、ロマンが生まれるんだ。実際にあることが証明されてしまったら夢が現実になってしまう。そんなつまらないことはないよ」


 大和が無茶な持論を振り回す。

 真面目にその分野の研究に励んでいる人間を敵に回しそうな発言だが、それでもまともに相手をしてはいけない。

 こいつがなにか哲学的なことを言いだした時は本気三割で残りは冗談だ。

 今回は確実に後者である。

 基本的に享楽主義者の大和は、真面目にロマンを語るような性格などしていない。


「それで、なにから探す? おれはやっぱり耀変天目がいいと思うんだけど」

『あの……ですから、それは噂で』

「わたしは、ドールか聖書を、推す」

『き、霧小路さんまで』


 困ったように織目さんがこちらを見る。

 こんな状況で頼られても、俺だって困る。


「あ……」


 なんだ?

 短く声をもらした霧小路さんは、逡巡するように視線をさまよわせる。

 いつも通りの無表情でありながら、その頬はなぜかほんのりと桃色に染まっていた。

 あれは……照れてるのか?

 これまでのやりとりのどこに照れる要素があったのか。

 相変わらず感情の動きが読みにくい人だ。


「霧小路さん、どうかした?」

「あ、あの……よかったら、作戦会議…………う、うち、で……」


 心臓が跳ねた。

 ――来たか。

 十日ほど前のやりとりを思い出す。

 いつか来るとは思っていた。まさかこんなに早いとは予想していなかったが。

 あの時は回避するチャンスを逸したが、今回は断るべきだろう。

 せめて、もうすこし時間がほしい。

 ……心の準備をするための、時間が。


「あー……わる」

「霧小路家の豪邸に!? おれもいいの!?」

「ご、豪邸では、ないと、思う……でも、う、うん」

「やったね! まさか、あの霧小路家の屋敷にお邪魔できるなんて!」


 もう俺の意見が反映される余地はないのだろうか?

 息をつく間もない一瞬の出来事である。

 前置きさえさせてもらえなかった。

 行き場を失くした「い」を喉の奥に引っかけたまま硬直する俺に、織目さんが目を向けた。またしても困っている雰囲気だ。……まあ言いたいことは、なんとなくわかるが。

 どうしたものか思い悩んでいると、霧小路さんもこちらを向いた。


「二人は、どう……?」

「う……」


 なんて顔をする。

 まるで叱られたあとに親の顔色を窺う幼子のようだ。

 たぶん、前に言っていた恩返しが目的なのだろう。しかし、その一件を抜きにしても、長らく友達がいなかった彼女からすれば、この誘いはかなり勇気のいる申し出だったはずだ。

 答えに窮した俺は、


「…………ま、まあ……いいんじゃないか」


 なし崩しにそう答えていた。

 視界の隅で、女子二人がほっと胸をなで下ろす。

 だって仕方ないだろう。この状況で無碍に断れるやつなんているのか。

 さらに向こうの方でニヤニヤと笑う大和の顔に苛立ちを覚えるが、もう苦言を呈するような気力もない。


 ここのところ、俺の頭はずっと不気味な人形に支配されていた。

 一度、織目さんから借り受けて隅々まで調べてみたものの、得られた手がかりは皆無。


 彼女の祖父はなにを伝えたかったのか。

 遺言に骨董品ではない人形を選んだ意図は。

 あの禍々しい文字列には、他の読み方が存在するのか。

 あるいは、生死の淵に立たされた老人は、本当に――――


 ……ブツ、と、いつものごとく思考が途切れる。

 それは見たくないものから目を逸らすような、過負荷のかかる脳が強制的にブレーカーを落としたかのような、不快な感覚。

 俺は大きく息を吐いて、薄暗い窓の外を眺めた。



 残された時間は、あと一ヶ月。

 現状は立ちこめる深い霧の中を手探りで歩くに等しい。


 そして進むべき方角の見当さえつかないまま――夏が、すぐそこまで近づいていた。



        ◇



 幸ヶ瀬は静かな街だ。

 寂れきっている、というほどではないものの、時間帯によっては人通りもほとんどない。飲食店が密集する駅前や、国道沿いのちょっとしたショッピングモール、あるいはスーパーや病院、商店街の近くでもない限り、俺たちの下校する時刻に通行人の姿はほぼ見かけない。

 そんな静まり返った通学路を、四人で連れ立って歩く。

 大和の正式な加入は今日からだが、こいつはなんやかんやでずっと部室に遊びに来ていた。

 もはやこのメンバーで帰宅するのも見慣れた光景だ。


「でもさ、意外だよね」

「なにがだ」

「……気づいてないの?」


 驚いたように目が開かれる。

 この大仰な反応は、わざとか。

 大和は内緒話でもするように顔を寄せ、にやりと口元をつり上げる。


「暁彦が部活に入ったことだよ」

「それのなにがおかしい。学生が部活に入るのは、ごく一般的な慣習だろう」

「普通の学生なら、ね。……でも、きみは違う。中学までの暁彦は、学校のあらゆるイベントよりも家族(、、)を優先してきた。クラブ活動はそれを妨げる最たるものだ、中学の入学式でそう言ってのけたのはきみだよ。覚えてるかい?」


 言った。ちゃんと記憶にも残っている。

 だが、それで責められるいわれはないはずだ。

 そう反論すると、大和は妙に芝居がかった仕草で肩をすくめた。


「責めてるわけじゃないさ。ただ意外だな、と思っただけ。きみが人助けをすることはとくに珍しいと思わないけど、生活のリズムを変えるほど肩入れすることは避けてきたはずだろう? なにか心境の変化でもあったのかい」


 指摘されて、口を噤む。

 心境の変化というほどではないが、たしかに思い出したことはある。

 しかし、それは他人に語るほどの内容でもなく、ましてや身近な人間に明かすのは避けたい話だ。幼い頃の失敗談を暴露して回るような趣味など、俺にはない。

 ここは逃げの一手だ。

 俺は昔なじみの真似をして、大仰に肩をすくめた。


「別に肩入れなんてしてない。高校に入ってから、時間の使い方に余裕ができただけだ」


 こういう時、長い腐れ縁の関係というのは便利なもので、話が無駄に尾を引くことはない。

 互いに踏み込みすぎない距離をそれなりにわきまえている。

 大和が「それは実にきみらしい答えだね」と笑って、この話の幕は呆気なく閉じられた。


 ふと見上げた空は暗い。

 頭上には鈍色の雲がかかっていた。

 じきに雨になるのだろう。

 温く湿った風からは、水気をたっぷりと含んだ匂いがした。






 ――――その男が現れたのは、そんな静かな帰路の途中だった。



『……あ』


 前を歩いていた織目さんが、小さく声をあげて立ち止まる。

 彼女の視線の先には、道の脇に停まった見慣れない外車があった。


「ふーん、ベントレーか」


 綺麗に磨かれた車を見て、大和がつぶやく。

 やつはなぜか不満そうにした顔を寄せてきた。


「……趣味が悪いね。下町の住宅地区をピカピカに磨いたスポーツカーで走り回るなんて、正気の沙汰とは思えない。おれなら恥ずかしくて顔を上げられないよ」


 なにやら気に入らない取り合わせだったらしい。

 相変わらず、妙なこだわりを持ったやつだ。

 俺はとくに車種に詳しいわけでもないので、こちらに迷惑さえかけないなら、誰がどんな車に乗ろうと興味などないが。


 やがてゆっくりとドアが開いて、助手席から制服姿の男が降り立った。

 その制服をどこかで見たような気がした。


青鷹館学院(アオタカ)だよ。なるほど、お金持ちなわけだ」

「ああ、そうか……青鷹館(せいおうかん)か」


 教えられて思い出す。

 あれは文武両道と名高い、県下トップの有名私立の制服だ。

 全国大会だのコンクールだのといったニュースでよく目にする。

 ……そして、そこは織目さんが通っていた学校でもある。


 彼女は固まったように動かない。

 やや警戒を強めて身構えると、男がこちらを向いた。

 端整な顔立ちの少年だ。背は平均より高い。

 全体的に細身に見えるものの、背筋をまっすぐ伸ばす立ち姿からは、威厳とでもいうべき静かな風格が漂っていた。

 面識などないはずのだが……なぜか俺は、その面影に既視感を覚えた。

 一見、柔和そうな笑みを口元に貼りつけたその生徒は、気さくな態度で軽く手を挙げた。


 そして告げられた言葉に、瞠目する。




「――やあ小夜子、久しぶりだな」





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